お寿司
大きなベッドの置かれたリビングに、カーペットを敷いて、その上に座卓を置いて。
ハクトとユウカが向かい合うようにその座卓につき、グリ子さんは大きなベッドを背にしながら座卓の側にちょこんと座り。
そんな一同の視線が向けられる座卓の上にはユウカが知っている寿司とは全く違う……一段か二段か、それよりも更に上かもしれない、なんとも豪華な寿司が寿司桶に入った状態で鎮座していた。
うに、マグロ、いくら、うなぎ。
どれも高級な具で、驚く程に大きく切り分けられていて……いつも目にするような具であっても、いつもとは光沢が違い、色味が違い……寿司ネタの下の米の一粒一粒の艶やかさもまた別次元で。
目をキラキラと輝かせながら……折角おしゃれをしてきたというのに食欲に支配された表情をしながら、それらの寿司をじっと見やるユウカ。
そんなユウカの様子を見やったハクトは、今日のお礼やこれからよろしくという挨拶などをするつもりだったのだが……後回しにしたほうが良さそうだとの判断を下し……そっと手と手を合わせる。
「いただきます」
「クキュン!」
「い、いただきます!」
まずハクトがそう声を上げて、グリ子さんがそれに続き、慌てて手を合わせたユウカが最後に声を上げて……そうしてなんとも豪華な夕食の時間が開始となる。
先陣を切ったのはグリ子さんだった。
そのクチバシでなんとも器用に玉子寿司をさっとはさみ……ひょいっと軽く投げ、パクンとクチバシの中に閉じ込める。
そうしたならモグモグと咀嚼をし、その味を存分に堪能してから……ゴクンとそれを飲み下し「クキュン!」との喜びの声を上げてから、なんとも満足そうな恍惚の表情を浮かべる。
「ぐ、グリフォンって咀嚼するんですね……。
クチバシの中に歯があるのかな……? ま、まぁ、今は良いか、そんなこと。
そんなことよりも! 私も玉子いただきまーす!!」
続いてユウカがそんな声を上げて玉子寿司を箸で取り、口の中へと送り込む。
そうしてゆっくりと咀嚼し……その味を堪能して、ほふぅっとため息を漏らす。
「柔らかくてお出汁が効いてて、酢飯との相性も良いですねぇ、玉子がこんなに美味しいものだなんて、今日初めて知りました!」
グリ子さんとユウカがそんな風に楽しんでくれているのを見て、満足そうに頷いたハクトは……さて、自分も一つと、うなぎを口の中に運ぶ。
「お! いきなりうなぎですか。
性格が出ますよねー、こういうのは!
……そして、先輩のその顔、余程に美味しかったみたいですねー。
いやー……流石と言うかなんと言いますか、先輩はこんな凄いお店まで知ってるんですねー」
ハクトの様子を見ながらユウカがそんな言葉を漏らし……うなぎ寿司を堪能したハクトは、熱い茶を一口すすり……言葉を返す。
「いや、この店の寿司を口にするのは、俺も今日が初めてだよ。
以前商店街で貰ったチラシの中に、この店のものが入っていてね、それを見つけ出したグリ子さんが、クチバシで咥えたチラシを振り回しながら、どうしてもここのお寿司を食べたいと言うものだから、それでこの機会にと出前を頼んでみたんだ。
この近くにある、こじんまりとした個人経営の店舗で……グリ子さんでは中に入るのも困難だったからね、出前しか無かったという訳だ。
……しかしこの味は……繁華街の一等に店を出しても十分にやっていけるレベルではないか……いやはや、驚かされたな」
ハクトは名家の生まれであり、子供の頃から寿司であれ何であれ一級品の物だけを口にしてきていた。
そのハクトでもこれ程の寿司を口にしたことは初めてで……まさかこんなにも美味しい寿司を出す名店が話題になることもなく、隠れ潜んでいたとは……と、そんな驚きでもってハクトは感嘆のため息を吐き出す。
「へぇー、先輩がそこまで言うなら本物ですね。
えぇっと、出前の時にもらったチラシが確か……あったあった。
鮨処『百合根』……あ、ほんとだ、近所だ。
へぇー……値段も高すぎるって訳でもないし、今度お父さんとお母さんと一緒に行ってみるのも良いかもですね」
チラシを手に取りそう言うユウカに、更にもう一つ、マグロを口に入れてそれを堪能するハクト。
そんな中グリ子さんは、そのクチバシでもって次々と、寿司をひょいと投げてパクリ、ひょいと投げてパクリと、物凄い勢いで食べていく。
「……あれ!?
もう半分になっちゃってる!?
ぐ、グリ子さん!? 速い!? 食べるのが速いよ!?」
チラシに意識が行っていたせいで、まだ玉子しか食べていないユウカはそんな悲鳴を上げて……すぐさまに負けじと箸を構え、醤油皿を構え、パクリパクリと好みの順に寿司を食べていく。
「……グリ子さんは、体が大きいだけあってそれなりの量を食べるのだが、美味しい物が相手となるとその勢いは更に増すのだよ。
……寿司桶一枚では足りないだろうと、更に寿司桶二枚分の出前を取ってあるから、そう焦らず急がずゆっくりと食べると良い。
この寿司桶が空になったら次のをもってくるとしよう」
凄まじい勢いでパクリパクリと寿司を食べていくグリ子さんとユウカの勢いに圧倒されながら、ハクトがそう言うが……グリ子さんもユウカも、その勢いを緩めることなく、パクパクと寿司を食べていく。
そうしなければ自分の分が無くなってしまうと、少しでも多く食べたいからと焦ってそうしているのではなく、ただただ寿司が美味しくて、今まで食べたものとは全くの別物かと思う程に美味しくて……その美味しさに負けてクチバシと箸がついつい動いてしまうようだ。
その光景は粗野と言えば粗野で、かつて暮らしていた実家であれば咎められることだったが……もうここは実家ではなく、自分は名家の人間でもなく、工場務めのなんでもない庶民でしかない。
むしろグリ子さんとユウカの笑顔が満開になって溢れるこの光景は、ハクトにとって好ましく思えるものでもあり……そうしてハクトは、小さく頷いてから箸を構えて……自らもその中に混ざるぞと、参戦の意思を示す。
目指すは甘海老、残り少なくなっているその寿司を確保するために、笑顔になったハクトは、箸を構えたその腕を勢いよく突き出すのだった。
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