先生のお話
それからハクト達はリビングにてお茶を飲んだりテレビを見たりしての時間を過ごし……それから三十分程が経った頃、時計を見たハクトが無言で椅子から立ち上がり、庭に面している大窓のロックを外し、静かに開けていく。
開け終わったなら台所に向かい、お茶を淹れ始め……お茶菓子と大きな湯呑みと深皿を用意した上でリビングへと戻る。
するとそれとほぼ同時にタダシへのお説教を終えたらしいサクラ先生と金羊毛羊が、庭でグリフォンとの対話を試みているタダシを残し、リビングの中へとやってきて……ハクトの誘導を受けてサクラ先生はソファに腰を下ろし、金羊毛羊はその側に丁寧に四本の足を畳む形でちょこんと座る。
「サクラ先生、お疲れ様でした。
自分の手には負えなさそうな話でしたので、本当に助かりました」
そう言いながらハクトはサクラ先生の前にある小さなテーブルの上に湯呑みと茶菓子をそっと置き、金羊毛羊の前に深皿を置き、湯呑みと深皿に淹れたてのお茶を注いでいく。
「構いませんよ。
ここ最近は、暇を持て余している状態でしたので、暇つぶしとしては中々悪くないお話でした。
学院にいた頃を思い出すことも出来ましたしね」
と、そんなことを言いながら湯呑みを手にとったサクラ先生はまだまだ熱いだろうお茶をがぶりと飲み始めて……そんな先生のことを、ソファの側に立ちながら驚きの目で見やったハクトは、その驚きを込めた声を返していく。
「……先生程の方なら、引退したとはいえ引く手あまた、暇などないはずでは……?」
「確かに私を過労死させる気かってくらいのお話は頂戴しています。
頂戴していますけどもね、どれもこれもろくでもないお話ばかりなのですよ。
私を置物か勲章とでも勘違いなさっているようで、そこにいるだけで良いとか、脂ぎった若造に拍手を送れば良いだとか、そんなお話ばかり。
たまに来る講演会のお話にしたって、主催の方針に従った講演をしてくれだとか、そんなのばかりでまったく……世の中にはどうしてこんなにもろくでなしが溢れちゃっているのでしょうね?」
「……なるほど、先生と旦那さんのご高名が逆に足枷になっているのですね」
「私ごときを高名だなんて評するのはよして頂戴な。
この国を支えてきたお歴々のことを思えば足元にも及びませんよ。
まぁ、そんなお歴々の中には権力なんてろくでもないものに染まってしまった方もいましたけども……ハクトちゃんもそうならないように気をつけなさいね。
権力なんてものに目がくらんで良い気になっていると、それ以上の力に押しつぶされてしまうのですからね。
ああ、そうだ、ハクトちゃん……貴方の卒業論文は中々の出来でしたね。
暇にあかせて若者の論文を手当たり次第に読ませて頂いているのですが、その中でも貴方が書いたのはピカイチでしたよ」
サクラ先生の癖でもある急な話題転換を受けてハクトは目を丸くして驚く。
ハクトが書いた卒業論文とはつまり、学院を卒業する際に書いて提出したもののことであり……学生が書いたものではあるものの一応は論文だからと学院のデータベースに一律登録されており、ひどく面倒な申請をするという手間がかかるものの、学院の内外を問わず誰でもその内容を読むことが出来る。
だが所詮は学生が書いたもので……本職の研究者のそれとは比べ物にもならない程度のもので……まさかそれをサクラ先生程の方がチェックしていたとは。
そんな驚きを抱いたハクトが何と返したら良いものかと困惑している中……静かに様子を見守っていたグリ子さんとユウカがソファ側へとやってきて……グリ子さんは金羊毛羊の隣に、ユウカはサクラ先生の隣にちょこんと腰を下ろす。
「クキュンクキュン!」
「はじめまして! 先生! 風切ユウカと言います!」
グリ子さんは金羊毛羊に挨拶をし、ユウカはサクラ先生に挨拶をし……そうしてグリ子さん達は自己紹介をしたりと、井戸端会議のような雰囲気での雑談をし始める。
そんな中ハクトはその場を離れて、片付けをしたりお茶のおかわりを淹れたりとし……その隙をついてかユウカが、サクラ先生に向けてこんな言葉を投げかける。
「先生が教えていた頃の先輩ってどんな感じだったんですか?」
それはハクトにとって何よりもされたくなかった質問であり、若気の至りを掘り返されるような話であり……本音としてはすぐにでも抗議の声を上げてその会話を遮りたかったのだが、相手は誰あろうサクラ先生だ。
まさか恩師であり、自分の弱点をこれでもかと握っているサクラ先生を相手にそんなこと出来ようはずもなく……大人しく受け入れていれば、サクラ先生もそこまでひどい話はしないはずだとぐっとこらえて……台所の奥の方へと足を進め、わざとらしくカチャカチャと食器でもって音を立てて、トラウマレベルの過去話が耳に入らないようにとの抵抗をし始める。
ハクトがそうやって無駄な抵抗をする中、サクラ先生は頬に手を当てて「んー」と声を上げてから……その頃のことを思い出しながらゆっくりと語っていく。
「そうねぇ、私が教えていた頃のハクトちゃんは……何て言ったら良いのかしら?
生意気盛りと言えば良いのかしら、世間知らずと言えば良いのかしら……?
家の名前を傘に着て自分のことを天才だなんて風に思い込んじゃって、尊大で自信満々で、だっていうのに魔力の扱い方は今ひとつで。
しょうがないから私がつきっきりで性根から叩き直してあげたのだけど、最初の数ヶ月はそれはもう抵抗しちゃってねぇ……。
仕方なく私の本気を見せてあげたら、今度は一気に萎れちゃってね……そこからもう一度、まともになるように叩き直して……そうこうしているうちに定年になっちゃったのよね」
それはユウカにとって衝撃的な話だった、もちろんグリ子さんにとっても衝撃的な話だった。
ユウカが出会った頃のハクトは、生意気だとかそんな様子は一切ない、品行方正、謙虚で真面目、誰にも愛される優等生であったというのに。
グリ子さんが出会った頃のハクトは、少々堅物過ぎる程に堅物で、それでいて芯がしっかりしていて、心の奥底には確かな意思と強かさのある良き青年であったというのに。
そんなハクトにまさか、生意気だのと評される頃があったなんて。
今の落ち着きすぎている程に落ち着いてしまって、年寄臭さまで感じてしまうハクトとは、まるで別人としか思えない若々しい頃があったなんて。
そんな風に興味をそそられてしまったユウカ達は、ハクトが激しく食器を鳴らして抗議をしていることに気付きもしないまま、もっともっと話を聞かせて欲しいと、サクラ先生へのおねだりを始めてしまうのだった。
お読みいただきありがとうございました。




