湿気とグリ子さん
何日かが過ぎて、梅雨が近づいてきたのか、じめじめとする日が多くなってきたある日のこと。
ハクトが起床し、顔を洗ったりなどの身支度を済ませてリビングへと向かうと……既に起きていたらしいグリ子さんが、窓の側にちょこんと座って、曇り空をじぃっと見つめていた。
「ああ、今日は雨が降るかもしれないなぁ。
……雨は嫌いかな?」
グリ子さんの隣に立ってハクトがそう尋ねると、グリ子さんは笑みを浮かべながらハクトの方へと向き直り「クキュン!」と弾んだ声を返す。
「おや、嫌いではないのか。
商店街の賑わいは失われてしまうし、晴れている方が勿論好きなのだけども、雨は雨で好き……と、なるほどな」
グリ子さんの言わんとしていることを読み解き、口にしながら整理していったハクトは言葉を終えてから頷いて、くるりと踵を返し台所へと向かおうとする。
何はともあれ朝食の準備だと足を踏み出そうとして……そしてそこでようやくハクトはあることに気付き、グリ子さんの方を一度見て二度見て、三度目はじぃっと、しっかりと見て……そうしてから口を開く。
「グリ子さん、少しだが……その、体が膨らんでいるように見えるのだけど?」
今日のグリ子さんはどういう訳か、いつものグリ子さんよりもふっくらと……一回りも二回りも大きくなっているように見えて……いや、実際に確実に大きくなってしまっている。
まだまだ付き合いが短いとは言え、今日までの数ヶ月、毎日のように一緒に暮らしていたのだ、いきなりそんな風にふくらんでしまったなら、嫌でも気付くというものだ。
するとグリ子さんは微笑んで「クキュン!」と肯定の鳴き声を上げてから、ぶるりとその身体を震わせる。
それを受けてその身体を覆う羽毛もふさりと揺れて……その様子を見たハクトは、違和感を覚えて首を傾げて……人差し指一本だけをちょいと上げる。
もう一回やって。
仕草でそう求められたグリ子さんは、半目になってしょうがないわねーと言わんばかりの目になって、ふさりふさりとまたその羽毛を揺らして見せる。
「身体が膨らんだ訳ではなく、羽毛だけが膨らんでいる……?
換毛期……? いや、これはまさか……」
そう言ってハクトはグリ子さんの羽毛の中に手を突っ込んでふわふわとしたその毛の中をまさぐる。
「いつも通りのふわふわだけれども……微妙にじっとりとして湿気を含んでいる。
ま、まさか、梅雨が近づいて湿気で羽毛が膨らんだのか!?
中にはそういう髪質の人が居るとは聞いたことがあるが、まさかグリ子さんの羽毛もそうなのか!?」
ハクトのそんな言葉を受けてグリ子さんは、またもふさりふさりと羽毛を揺らしてみせて……「キュキュキュキュン」との笑い声を上げてから、事情を語り始める。
曰く、グリ子さんがこちらに来る前に住んでいた場所は、結構な乾燥地であったらしい。
雨が降りさえすれば羽毛が潤うこともあったが、それは稀で乾燥しているのが常であったそうだ。
それがこちらでは、雨が降ってもいないというのに湿気だけでこんなにも羽毛が潤ってくれて、膨らんでくれて……手入れも楽で心地良いと、グリ子さんは笑顔でそんなことを語る。
「あー……なるほど、そういうことなのか。
……まぁ、グリ子さんにとって喜ばしいことであるなら、良いことなのかな?
湿気が多いなら多いで、カビたりするかもしれないって問題もある訳だけど……」
「クキュン!?」
カビ、何それ!? 自慢の羽毛がなんか変なことになるの!?
とでも言いたげな表情をしたグリ子さんが、そのクチバシを大きく開ける中、ハクトはそっと羽毛のことを撫で、かき分け……じぃっとその様子を確かめていく。
「うん……乾燥地帯にいたならカビのことを知らなくても当然だけど、まぁ、今のところは大丈夫じゃないかな。
しっかりブラッシングして手入れしていればカビるなんてことそうそう無いだろうし……本格的な梅雨が来たら手入れを念入りにするようにしておけば問題ないはずだ」
そもそもグリ子さんはそこらにいるような動物ではなく、幻獣なので本当にその羽毛がカビるかはなんとも言えなかったが、それでも手入れを念入りにすることは悪いことではないだろう。
そう考えてのハクトの言葉にグリ子さんは安堵し、ホッとため息を吐き出す。
そんなグリ子さんの態度を受けてハクトは、ベッド脇に置いてあるグリ子さん用のお手入れグッズの一つ、ブラシを手に取り、忙しい朝だからじっくり出来ないけどもと断ってから、その表面を優しく撫でるようにブラッシングしていく。
黄金の麦穂を風が倒すかのように撫でていって、撫でられる度グリ子さんは、目を細めて喜んで、ふるふるとその身を震わせて。
そうやってブラシで撫でれば当然羽毛は抜け落ちる訳だが、その分だけ新しい羽毛が生え変わる訳で、そうやって生え変わるからこそ傷まずカビず、触れた者皆を喜ばせるあの柔らかさを維持出来る訳で……ハクトは構わず丁寧にしっかりとブラシを動かしていく。
そうしてグリ子さんは気持ち良さに目を細めていく訳だが……そこでハクトは手を止めてしまう。
「クキューン……」
何故良い所で止めてしまうのかと、抗議の声を上げるグリ子さんだったが、ハクトは苦笑いを浮かべながら時計を指差す。
見れば時間はすっかりと朝食の時間になっていて、このままブラッシングを続けていたら朝食抜きの出勤になるか、朝食は取れるが致命的な遅刻になるかのどちらかである。
「く、クキュン!!」
それは拙いと声を上げたグリ子さんは、立ち上がり早く台所に行きなさいとハクトのことをグイグイとその身体で押し始める。
「うん、そうだね。ご飯にしようか。
朝食抜きも遅刻も良いことではないからね」
「クキュン、クキュキュン、クキュッキュン!!」
「清く正しく美しく?
はは、なんだからしくない言葉だね? 普段はそんなこと言わないのに」
「クキューーン!」
グリ子さんとのそんな会話をしながらハクトは、台所へと向かい……時間がいつもよりも少ないのは確かなので手早く簡単な朝食を作り、ぱぱっと食べあげる。
そうして身支度を整えたハクトとグリ子さんは……曇り空の下、傘と特注のグリ子さんサイズのレインコートを手に持ちながら、職場へと向かうのだった。
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