グリ子さん
「ほら、これでも飲んで落ち着くと良い」
庭に張り出した日当たりの良い縁側に腰掛けながら、クキュンクキュンと鳴きながらその顔をこすりつけてくるまんまるい幻獣の……頭と言うか、体と言うか、どう判別したものか分からない部位を撫でていたユウカは、ハクトのそんな一声にビクリと肩を震わせる。
声のした方へとユウカが視線を向ければ、そこには急須と湯呑を乗せたお盆を手にしたハクトの姿がある。
無断で敷地の中に侵入した挙げ句、挨拶もせずに腰を抜かし、崩れ落ちるという失態をおかしてしまったユウカ。
そんなユウカのことをハクトは、叱る訳でもなく非難する訳でもなく、体調でも悪いのかと心配し気遣い、直ぐ様にユウカの下へと駆け寄って来てくれて、ユウカをそっと抱き上げて、この縁側で休んでいろと運んでくれたのだった。
そこまでしてくれたハクトに会わせる顔が無いとユウカは赤面し、恥ずかしさのあまりに視線を逸らしそうになるが、流石にそんなことをしてしまっては失礼にも程があると、どうにか自らの感情を、恥ずかしさを飲み込んで自制し、ハクトに礼を言いながらお盆を受け取るべく手を伸ばす。
そうして先程から顔を優しく押し付けてくる……ユウカを心配し、元気づけようとそうしているらしい幻獣に、
「これ、熱いから、ちょっと離れててね」
と、高く響く声をかけてから受け取ったお盆を縁側に置き、湯呑に急須の中身を注ぐ。
良い茶葉を使っているのだろう、柔らかな良い香りがふんわりと急須から漂って来て……その香りを楽しみながら湯呑を手に取り、お茶を口に含む。
「……それで風切君、今日は一体どうしたんだ?」
茶を一口飲み、落ち着いた様子を見せるユウカを見て一言。
縁側に……ユウカから少し離れた所に腰かけながらハクトが声をかけてくる。
「えぇっと……先輩が心配だったと言いますか、なんと言いますか……。
それで様子を見に来ちゃったと言いますか……はい、そんな感じです。
そ、それより先輩、その格好は一体どうしたんですか? なんでまた……その、そんな作業服を?」
ハクトの問いに答えるのも程々に、ユウカがそんな質問を繰り出すと、ハクトは作業服の胸元を掴んで引っ張り……しばらくの間、その服を見つめてから声を返してくる。
「……これか?
うむ、まぁ、仕事着というやつだな。
グリ子さんのおかげで良い職場と巡り会えてな、それでそこの制服を頂戴したんだ」
仕事着、グリ子、職場。
ハクトの口から飛び出したそんな単語達一つ一つが気になってしまってしょうがないユウカは、どうにか自らの好奇心を押さえ込みながら言葉を返す。
「えぇっと……その、色々とお聞きしたいことがあるんですけど……まず、そのグリ子さんというのは一体……?」
「うん? そんなことは聞くまでもないだろう。
今、風切君の前にいる『彼女』の名前だよ」
そう言われてユウカは、視線をユウカの隣にちょこんと座る幻獣へと向ける。
すると幻獣はそのつぶらな瞳を嬉しそうに細めながらクキュンと一鳴きする。
どうやらこの幻獣の……彼女の名前はグリ子で間違いないようだ。
「……えぇっと、では、そのグリ子……さんのおかげで職場に出会えたというのは……?」
幻獣は基本的に気位が高い。
その上、生物的にも法的にも人間よりも上の立場にいる幻獣を、呼び捨てにしてしまわないよう気を使うユウカ。
するとグリ子さんと呼ばれた幻獣は、その気遣いが嬉しかったのかその小さな羽をパタタタッと羽ばたかせて喜びを表現し始める。
そんなグリ子さんを見て、ユウカは思わずといった様子で微笑み……そんなユウカの微笑みを見やりながらハクトが言葉を返してくる。
「何日か前にグリ子さんと一緒に散歩をしていたら、道路に飛び出した子供がトラックに轢かれそうになるという場面に遭遇してな。
俺が子供の下に駆け寄るよりも早く、グリ子さんがその子供を守るべく颯爽と道路に飛び出したんだ。
トラックよりも早く子供の下にたどり着くことに成功したグリ子さんは、その体で子供を包み込んで、猛進してくるトラックの衝撃から子供を見事に守り抜いたんだよ。
そして偶然にもその子の父親が、この近くの工場の社長でな、その縁で俺はその工場での仕事を得ることが出来た、という訳だ」
「さ、颯爽と……?」
まんまるい体を持つグリ子さんに似合わぬ単語が出て来たことにユウカが驚いていると、ハクトは気持ちは分かるとばかりに頷き、
「……まぁ、言葉だけでは理解し辛いことだろう。
グリ子さん、あの時の飛びっぷりを見せてやってくれないか」
と、そんな言葉を口にする。
するとグリ子さんはクキュンと一鳴きしてから庭に下り立ち、その4本の脚をまんまるい体の中に畳み込み、どうやったらそんなことが出来るのか、グニョンとまるで上から押しつぶされたゴムボールのように地面にその体を押し付けて……ゴムボールが元の形に戻るが如く、まんまるい体に戻りながらその反動でもって一気に地面から空へと高く、驚く程に高く跳び上がる。
そうしながら天を睨み、その小さな羽をパタパタとさせるグリ子さんを見て、
「と、跳んだ!?」
「ああ、見事な飛びっぷりだろう」
と、ユウカとハクトはそれぞれにそんな言葉を漏らす。
まるで空を飛ぶが如くの跳躍を見せたグリ子さんの姿に、確かにあの弾力というかクッション性ならば、事故の現場へと飛び込んで、その衝撃を吸収し、子供を守ることも出来るかもしれないと納得するしかないユウカ。
その見た目がどうであれ、グリ子さんは幻獣なのだ。
しかもそのグリ子さんを召喚し、契約を結んだのは、学院トップの実力を持つハクトだ。
ハクトのその力に見合うだけの力をグリ子さんは持っているはずで……ならばこの程度造作もないのだろうと納得しようと……どうにか納得しようとしたユウカの前に、懸命に羽をばたつかせ続けるグリ子さんが落ちてくる。
もしかしたら本人はその弾力性ではなく、その翼の力で飛んでいるつもりなのかもしれない……と思ってしまう程に懸命に羽ばたき続けるグリ子さんだったが、その小さな、小さすぎる翼では、その丸い巨体を飛ばせる程の力は発揮できなかったようで……ボヨンボヨンと地面の上を数度跳ねてしまうことになり……それをいつの間にか立ち上がり、両手を広げて構えていたハクトが抱きとめる。
その翼で飛べなかったことを残念に思い暗い表情をしかけたグリ子さんだったが、ハクトに抱きとめられたのが余程に嬉しかったのか、満開の笑顔を作りクキョンと一鳴き。
そうしてスリスリとハクトに体を擦り寄せ始める。
そんなグリ子さんの姿を見てユウカは、本当にこれがハクトに相応しい……トップの成績だった男に相応しい幻獣なのだろうかと、思わず首を傾げてしまうのだった。
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