先生の電話とか
――――ハクトとの電話直後に 吉龍サクラ
「どうやらフラれちゃったみたいね」
掃除の行き届いた板張りの廊下に置かれた桐の電話台の前に手縫いの座布団を貼り付けた椅子を置き、そこに腰掛けた吉龍サクラがそう声を上げると、電話の相手が声を荒らげる。
『フラれたで済まされては困るよ……何であれば国の方から圧力をかけたって良いのだよ』
「あら、あの矢縫本家さえ恐れず逆らったハクトちゃんに、国の圧力なんかが通用するかしら?」
サクラがそう返すと、相手は「ぐっ」と呻いて押し黙り……数秒置いてから声を上げる。
『であれば相応の報酬や地位を用意する……それで良いだろう?』
「良くないわよ、同じようなことを繰り返しますけど学院首席の立場と矢縫の地位と財産を放棄した人に、どうしてそれが通用すると言うの?
どうしてもハクトちゃんに働かせたいのなら、ハクトちゃんが自分で働きたいと思えるような何かを用意しないとねぇ」
『……具体的に何だと言うのだ、何を用意したら良いんだ』
「……さぁ、我が弟子のことながらハクトちゃんの考えはよく分からないから。
あの子ったら、あれだけの力があるのにあの現状で満足しちゃっていて……欲しいものなんてあるのかしらね?
……ま、下手なことをしてハクトちゃんと敵対するような真似はよしてくださいな。
あの矢縫本家すら手出し出来ていない……というか、手出ししようとしては失敗してばかりなのですから」
『……まったく、優秀な召喚者というのはどうしてこう、厄介者ばかりなんだ。
話が通じない、道理が通じない……交渉役を担う私の身にもなって欲しいものだ』
「あら、そのお言葉はわたくしに向けられたものなのかしら……?」
『自覚しているのなら、少しは改めてくれると嬉しい』
と、そんな言葉を受けてサクラは、いつになく良い笑顔となって……ささっと別れの挨拶をし、電話を切るのだった。
――――数日後、仕事帰りに ハクト
「うん?」
仕事帰りのなんでもない道路を歩いているハクトに、なんとも言えない感覚が襲いかかる。
何者かの攻撃を受けたような、それを防いだような……何故そんなことが分かるのかと問われても答えようのない直感的な感覚だ。
それ程強い悪意ではなかったようだが、それでも確かな悪意が弾かれた感覚があり……毒羽虫でも体に当たったかなと、そんなことに思い立ったハクトは、自分の服へと視線をやり、何も見つからないままなんとなしに服を手で払う。
「クキュン」
虫なんてついてないよ。
と、そんなことをグリ子さんが伝えてきてハクトは、グリ子さんが言うのならと気にしないことにして、この道路の先のある商店街へと意識をやる。
「今日の夕飯は何が良いかなぁ」
「クッキュン」
即座にグリ子さんはたこ焼きと返す。
「……いや、タコはこの前あれだけ食べただろう? まさか更に食べたいというのかい?」
「クキュン」
仕事をしたのだから当然の要求だと、そんなことをグリ子さんは言いたいらしい。
「まぁ……良いけども、たこ焼きだけだと栄養バランスが悪いから、他にも何か……惣菜を買っていこうか。
……ああ、それと今までの役所での仕事の報酬なんだけど、結構な金額になっていてね、これだけの金額をただ貯めておくのも良くないから色々使っていこうと思うんだ。
まずは保険、グリ子さんのクチバシや爪でつい何かを壊したり誰かを怪我させたりした場合の支払いをやってくれるもので……役所での仕事で結構動き回ることもあるから、これに入っておこうと思うんだ。
そのついでにグリ子さんの健康保険も入って……それとグリ子さん名義の口座を作ってそこにいくらか入れておくから、グリ子さんが欲しい物があったらそれで買うと良いよ」
「クッキュン!?
クッキューン、クキュクキュクキュン」
「うん、グリ子さんも頑張ってくれているし当然の報酬だよ。
保険は今度の土曜日に、保険屋さんにいってまとめて手続き行うから……そのつもりで。
口座は明日の昼休みにでも作る予定だよ、書類はすでに用意してあるから後は届けを出すだけだね。
……ちなみにだけど名義はグリ子さんにするかい? それとも矢縫グリ子? それか他の名字を名乗るという手もあるけど……」
「クッキューン、クッキュン、キュン」
と、そう言ってグリ子さんはその爪でアスファルトの道路に何か文字を描こうとする。
いやいや、それはまずい、まだ保険に入っていないのに道路を傷つけるのはまずいとハクトは慌てて作業服のポケットに入っていたメモ帳を取り出し、それを地面に広げる。
するとグリ子さんは随分と小さいメモ帳だと半目になりながらも器用に爪を動かし……メモ帳を薄く傷つけることで角ばった漢字を描いていく。
「漢字……書けたんだね。
まぁテレビのテロップとか新聞とか雑誌とか、覚える機会はいくらでもあったんだろうけど……」
ハクトがそんなことを言う中、グリ子さんは文字を書き上げていき……メモ帳に久里との名字を書く。
「きゅうり? ……いや、グリか。
ぐりグリ子さん……で、良いのかな、まぁ、うん、グリ子さんが良いのならそれで書類を作っておくよ。
適当な名字でも口座が作れちゃうのが幻獣の良い所でもあり、悪い所でもあるなぁ」
なんてことを良いながらメモ帳を拾い上げたハクトは、商店街へと足を進め……たこ焼き以外の何か、何か夕飯のおかずになりそうな惣菜を探して歩いていく。
グリ子さんも当然ハクトに続き商店街を眺めて……グリ子さんグリ子さんと商店街の面々から声をかけられながら堂々と歩いていく。
胸を張ってクチバシを空に向けて、どこか誇らしげに……自慢げに。
「グリ子さんのおかげでうちの子がよく眠るようになってねぇ」
「うちでもぬいぐるみ愛用しているよ」
そうこうしているとそんな声を上げながらグリ子さんの下に惣菜入りのパックを持った店主達が集まってきて……そうしてハクト達はどの商品を買おうかと悩むまでもなく、山盛りの惣菜を押し付けられることになるのだった。
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