才能
新生活が始まり、春が終わり……少しずつ気温が上がっていって、五月晴れが続くようになった頃。
週末の穏やかな時間を、家の掃除をするなどして過ごしていたハクトは、ふいにリビングの壁にかけてあったカレンダーを見やり「そろそろか」と声を漏らす。
それを受けてリビングの窓の側で日光浴を楽しんでいたグリ子さんは、体をくいと傾げながら「クキュン?」と声を返す。
「ああ、いや、そろそろ学院の方で試験勉強が始まる頃かと思ってね。
一般の学校は六月になってから中間試験が始まるが、学院の中間試験は今月の半ば頃になるんだよ」
「クッキュン?」
「もう卒業した俺に関係が無いのは確かなんだが……まだ学院を卒業していない、関係のある子がほら……近くに一人、いるだろう?」
そうハクトが返すと……ハクトが何を言わんとしているのか、その一人が誰であるのか理解をしたグリ子さんは、体全体でこくりと頷いて、日光浴を再開させる。
そうして掃除が順調に進んで終わりに近づき、グリ子さんの日光浴もその毛がふっくらと膨らむまで続けられた頃……ドタバタと騒がしい足音が隣家から響いてきて……ハクト達の下へと、ハクト達の家へと近づいてくる。
「せ、せんぱーい!
今回も一人じゃ無理そうなので勉強教えてくださーーい!!」
足音が玄関へと到着したと思ったら、直後にそんなユウカの声が響いてきて……グリ子さんが「クルッキュン」と声を上げ目を細める中……小さく笑ったハクトが玄関へと向かい、ユウカを家の中へと招き入れる。
「いらっしゃい」
「お、おじゃまします」
ハクトに対しそう返したユウカは、両手いっぱいに抱えた、山積みとなった教科書や参考書、模擬問題集を揺らしながら足だけで器用に靴を脱ぎ、玄関へと上がり……そのままリビングへと足を進める。
そうしてからリビングのテーブルに抱えていたそれらをドカンと置いて……ハクトの勧めに従い、テーブル脇の椅子にゆっくりと腰掛ける。
「あ、ありがとうございます!
基本教科だけなら自力でもなんとかなるんですが、幻獣とか魔力関連は自力ではもうさっぱりでして……。
両親に聞けばある程度は教えてくれるんでしょうけど……あの二人はあの二人で専門的過ぎるというか、知識に妙な偏りがあって頼りにならないんですよねぇ」
腰をかけるなりそう言って、問題集の山をポンポンと叩くユウカ。
それを受けて山の背表紙を一つ一つチェックし、心の中で読み上げていったハクトは……これであれば自分でも教えられるだろうと頷き、二人分のお茶を用意してからユウカが座った席の向かい側へと腰を下ろす。
学院では幻獣に関する知識や歴史、魔力に関するあれこれを教わる他に……国語や数学、科学や世界史などといった基本教科を教わることになる。
その基本教科だけでも国内最高峰の難度であり、密度であり……それらを自力でなんとか出来るだけでも大したものなのだが……更にそこに幻獣関連の科目が加わってしまうと、責任感と負けん気が強いユウカであっても、誰かを頼らざるを得ないようだ。
……学院の試験には赤点はなく、成績不良からの留年、退学といった制度も存在しない。
勉学や鍛錬に励むか怠けるかは個々の責任であり自由であり……極論、卒業試験である幻獣召喚だけをしっかりと行えれば、授業を一度も受けず、宿題を一切やらず、試験で一点すら取れなくても卒業すること自体は可能なのだ。
だが、そんな生き方をしてしまえば、召喚される幻獣もそれ相応の存在となってしまい……その後の、卒業後の就職は目も当てられない状況となってしまうことだろう。
もし仮にこの世界に害しかもたらさないような幻獣を召喚してしまったなら、その場での送還を強制させられることもあるし……仮にそうした幻獣を召喚した結果、周囲に何らかの被害を出してしまったなら、たとえそれがかすり傷程度のものであっても重罪とされ、懲役10年以上の厳罰が下されることになる。
そんなにも厳しい刑罰を下すくらいなら、赤点などの措置で勉学を強制すべきという意見もあったが……全く勉学に励んでいないからこそ、怠けに怠けているからこそ召喚される有用な幻獣も数える程ではあるが存在していて……独自の方法で勉学を行い、全く未知の幻獣を召喚したという実例が存在しているために、その道を閉ざすようなことは避けるべきだろうとの意見が大半を占めていた。
これらのことは入学前の、面接試験などの機会にこれでもかと、しつこいくらいに念を押しての確認が行われていて……入学試験を突破出来る程の者であれば、余程のことがなければ怠けることは無いとされている。
それでも人には限界というものがあるもので……大体の生徒は、基本教科全てを諦めるか、一部を諦めるかして、幻獣関連、魔力関連の勉学に意識を集中させていた。
そんな学院の中でユウカは基本教科全てを自力でこなし、試験期間中であっても鍛錬も休むことなくこなしており……そのせいか、幻獣魔力関連の成績は今ひとつ、悪くはないが良くもないという位置に属していた。
ハクトに勉学を教わるようになっていくらかは改善したが、それでも上位に比べるとまだまだで……ユウカは自身のことを劣等生と考えていた。
ハクトから見ればユウカは学院でもトップクラスの実力者であり、卒業試験では歴史に残るような幻獣を召喚するだろう、何年かに一度の……いや、何十年かに一度の才能を有した優等生であり、これまでに何度かそのことをユウカに伝えていたのだが……ユウカはそれをお世辞と捉えて真剣に受け止めていなかった。
基本教科も幻獣関連も魔力関連も……そして体術に関しても超一級、間違いなく学院トップであったハクトに、ハクト以上の才能だと、ハクトをゆうに越える存在だと言われたなら、ユウカでなくてもそんな反応を示したことだろう。
ハクトからすれば、ハクトが学院トップであり続けたのは、醜いまでの、他のすべてを犠牲にしての努力の結果であり、才能がもたらしてくれた結果ではなかったのだが……そのことは誰も、教員でさえも理解してはくれなかった。
努力だけはした凡才、特化した部分のない平均的な……人並みで無難で、ありきたりの男。
そんな評価を己に下していたハクトは、何処か羨ましそうな視線でユウカの弾けんばかりの笑顔を見やり……そうしてからその才能を咲かせる一助になれることは誇らしいことだと頷き、山積みとなっている教科書に手を伸ばすのだった。
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