2話
2話
飛行船が《ヴァナヘイム》に向かってからしばらくの時間が過ぎた。だが、辺りの景色は一向に変わる気配がなく、環境的な音も聴こえず、船はただ一面が白一色の空間の中をゆっくりと前進していた。
フレイスさんは展望台の上で昼寝をし、僕は地下に戻り欠けた剣を持ってきて、飛行船の上でひたすら振り回していた。
「はぁあああ!!」
頭の中で黒騎士の姿を思い浮かべ、奴の動きから出来るであろう隙や大剣の軌道を予想して、それに対して刃を振る。不規則に振られた刃は空気を切り裂き、連続で激しい音を立てる。
頭の中の黒騎士を刃が当たる寸前に消滅させ、瞬時に後ろに回り込まれたことを想定してわざと大剣を振りかぶった状態で後ろに創り出し、大剣が振り下ろされる直前にさっと後ろを振り返り剣を横にし空想の大剣を受け止めた。
だが、その考えにヒビが入り、大剣の重みに耐えきれずに剣が折れ、そのまま斬られる運命が脳裏を過ぎった。
「やっぱりだめか……」
色々なパターンを考えたものの、決定打となる戦法は見つからない。
剣先を下に向け小さくため息をついたその時。額に冷たい水が当たった。
「雨……?」
そう呟き、上を見上げたその時。
「お、そろそろだな」
フレイスさんが昼寝から目を覚まし、展望台の手すりに手をやった。
それを見てまたあの強い風が吹くのかと思い、咄嗟に手すりを掴んで身構えたがそんなことはなく白一色の景色をゆっくりと抜けると、現れたのは暗闇に包まれた世界だった。
空は暗い雨雲に覆われ、細かな霧雨がパラパラと降りしきっており、太陽の明かりよりも時々鳴り響く雷明の明かりの方が、辺りをより明るく照らしている。空気もひんやりと冷たく《アルヴヘイム》とは正反対と断言できるほどの印象だった。
飛行船はしばらくすると完全に静止し、それを確認したフレイスさんは、展望台から長いロープを持ってくるとそれを地面へと吊るし、船の柵に固定するとロープをつたって船から折り始め、フレイスさんが地面へと降りたのを確認すると、僕もフレイスさんのあとに続き、剣が障害にならないようにロープをつたりゆっくりと見知らぬ世界の大地へと足を下ろした。
「なんだか、少し不気味な世界ですね」
「昔はこんなんじゃ無かったらしいんだがな、私が物心ついた頃にはすでにこの有様さ」
周囲には鬱蒼とした木々が生い茂っているが、そのほとんどが枯れており、所々に奇妙に焼き焦げたように黒くなった後がいくつもついている。草木の青々とした色はなく、全体的に薄暗く何処か不気味だ。
「おーい行くぞーー」
「あ、はい」
飛行船をその場に置いてフレイスさんが先導し、その後ろを僕がついて行く形で歩いた。
だが、歩いている間も景色は荒れ果てた世界一色で、歩いても歩いても景色は一向に変わらない上に、空気が薄いのか心なし少しだけ息苦しく感じる。
少しでも気分を紛らわせるように、僕はフレイスさんにマグニさんの事について質問した。
「マグニさんってどんな人なんですか?」
「そうだなぁ……あいつは九つ世界の中でも最強って言われた程強い戦士の息子でな。その血を受け継いでからか幼い時からとんでもなく力持ちで、私は当時のことは知らないけどその力は父親でさえも褒め称える程だったそうだ」
自分から聞いておいて、自分がその人に教えてもらう事が相応しいのか疑問になるほどの逸話だったが、その分かなり上達するかもしれないという期待感も確かにあった。
「すごい方なんですね」
そう返答をすると、フレイスさんは少し間を置きその言葉に続くようにして話した。
「でも性格からか何処か変に距離が近くてな。それに細かい事とか難しい事が苦手だから、いつもそういう作業は弟子二人にやらせてるな」
「弟子がいるんですか」
「あぁ、槍使いの子と大剣使いの子がいるな。まぁ槍使いの子の方はあまり喋んないから、私もあまり話した事はないけどな」
「そうなんですね……」
大剣と聞くと条件反射のように真っ先にあいつの姿が脳裏をよぎった。自分でも気が付かない内にそう思いつくような思考になってしまっていたのだろうとこの時初めて気付かされた。
「それよりもリント、その剣大丈夫か? 欠けてるしそれ以前に鞘が無いだろう。不便じゃないのか?」
フレイスさんは振り向き、僕の持つ剣に目線を向けながらそう言った。
「欠けてることは仕方ないですけど、確かに鞘が無いのは正直不便ですね」
鞘が無いため今は剣先を下へ向けて、できるだけ安全にはしているものの鞘の安全性には劣る。刃は欠けているとしても剣は剣だ。それに持ち運ぶのにもかなり気を使う。
「じゃあ、リントが特訓して強くなったら鞘ぐらいやるよ」
こちらに体ごと振り返り、向き後ろ歩きしながら僕に話した。
「え、でもそれは……」
「遠慮するな。それとも、もしかして嫌だったりするのか?」
「いえ、そう言う訳では」
「じゃあ決定だな」
そう言った後、フレイスさんはニコッと笑いかけると体をくるりと回転させ再び前を向いて歩き出した。
押され気味にそういう結果になってしまったが、親切心もここまでくると何処か少し疑ってしまう。元いた世界でも、もしフレイスのような人がいたら、もしかしたらこんな心境になっていたのだろうか。
「お、見つけた」
そんな事を考えていた時、フレイスさんの言葉で反射的に下を向いていた視線を前を向けた。
目を凝らすと少し遠くの方に三人の人影が見え、表情は見えないものの、白い服の人影が二つと黄色い服の後ろ姿が確認でき、白い服の人影はどうやら組手をしているように見える。
「おーい、マグニーー!!」
フレイスさんは立ち止まるとよく通る声でその名前を呼んだ。すると、黄色い服の人影がこちらを振り返り、僕たちの存在に気付くと黄色い人影は大きく手を振り返事を返したのが見え、フレイスさんはそれを見た瞬間、何も言わずに突然走り出した。
「あ、フレイスさん!!」
少し遅れて僕もフレイスさんの後に続いて走り出したが、道は平坦で比較的走りやすいものの、やはり空気が薄く、すぐに息が上がりフレイスさんに追いついた頃には剣を地面に置き、膝に手を当て荒い呼吸を繰り返すほど疲れが体全体を蝕んでいた。
「リント、流石に疲れるのが速くないか?」
振り返ったフレイスさんは膝に手を当てる僕に気付くと、走るのを止めて僕に近づいてきた。慣れているのかフレイスさんは息切れを起こすどころか、疲れている様子さえ見られない。
「ハッハッハ、ここは他の世界と比べると息が上がるのが速くなるだろう、少年」
聞き慣れない視線を上げると、黄色い服を身に纏い、金色の短い髪を生やした、水色の瞳を持つ男の人が高笑い上げながらこちらにゆっくりと歩いてきた。
男の人は僕の前で止まると手を差し出し、その手を借りて僕は姿勢を整えた。
「まぁ、初めて来たときは誰でもそうなるよ。フレイスなんて途中走れなくて、しまいには俺におんぶしてもらって―――」
「マグニ、その話をリントに聞かせないでくれないかな?」
「へぇ〜リントって言うのか、俺はマグニだ。よろしくな」
マグニと名乗ったその男の人は腰を曲げると、顔を近づけて無邪気とも言える笑顔で笑いかけた。
「それで、今日は見慣れないやつを連れて、こんな辺境の世界に来たんだフレイス?」
姿勢を戻して腰に手を当てたマグニさんは、視線を両手を組むフレイスさんに向けて質問した。
「私がもう一度ヴァナヘイムに来るまで、しばらくリントを鍛えてやってほしいんだ」
「なんだ? また珍しい事を言うじゃないか。別に良いんだが、それはまたなんでだ?」
マグニさんの質問にフレイスさんは突然、僕の肩に手をまわしてきた。
「こいつの事を少し気に入っていてな。私を良く知るお前が、それ以外になんの理由があると思うんだ?」
「ちょっ……フレイスさん」
いきなりの出来事にマグニさんに聞こえないように小さくそう呟いた。
「いいから私の話に合わせてろ。また同じ説明したくないだろ」
僕と同じく小さな声でフレイスさんは囁くような声で呟いた。マグニさんは少し驚いた顔を見せたものの、すぐに理解したように微笑みながら僕達を見つめた。
「お前らしいな、分かった俺にまかせておけ」
マグニさんの返答にフレイスさんも返答に「感謝するよ」と一言返したあと、肩にまわしていた手を解くと、
「じゃあリント、強くなったらまたな」
去り際に僕の肩をポンッと叩き、後ろを振り返ることなくフレイスさんは来た道を戻って行った。
「さてと、リントだったな」
マグニさんの言葉に反応し、目線をマグニさんへ向けた。
「まぁこれからしばらく世話になる訳だが……その前にまず、その剣を貸してくれるか?」
「良いですけど……でもなんで」
「まぁ良いから貸してみろ。大丈夫だ、剣を奪って斬ったりはしないよ」
訳が分からず、少し警戒しながらも剣をマグニさんに渡した。もし万が一斬られたりしても致命傷にならないと思うが。
「うひゃ、こりゃ相当使い込んでんな……よし、ちょっとまってろ」
剣の刀身を見つめると、マグニさんは剣を横にして目の前に掲げた。そして、
「ウィン、」
小さな声でそう呟く。すると突然、剣から白い魔法が出現した。マグニさんはその魔法陣をゆっくりと剣先に掛けて動かすと、魔法陣が通過した刀身は白く輝く光に包まれていく。
魔法陣が刀身を完全に通過した後、魔法陣は消滅し、マグニさんが刀身が白く輝いた剣の刀身を指で弾くと、白く輝いた光は飛散し、現れたのは真新しく生まれ変わった新品同様の刀身をもった剣だった。
「ほれ、ピッカピカだ」
手渡されたその剣を見て驚愕した。以前のような欠けた刃から綺麗に研磨された美しい刃に変わり、刀身は鏡の様に反射して僕の驚いている顔を写している。信じられない光景に言葉が思いつかない。
「これ、どうやって……」
やっと出た言葉は驚きを隠せない情けない声と共に出た。マグニさんは自慢げな表情で僕の質問に答える。
「《ルーン》だよ、知らないのか?」
「すいません……」
聞き慣れない言葉に、そう言いながら頭を下げた。
「なに、別に謝る必要ないよ。まぁ簡単に言っちまえば俗に言う魔法のようなもんだな」
マグニさんの答えは予想以上にありきたりなものだった。だけどロキさんの氷やフレイスさんの弓もルーンの力もだと思えば納得がいく。
当然馬鹿げた答えで現実とはかけ離れた事だとは思っているが、それ以外に今見た現状に納得する答えは見つからない。
「にしてもフレイスからルーンの事について聞いてないのか、あいつの方がルーンについて詳しいはずだが……まぁ良いか。それについては明日鍛錬ついでに話そう。今日はフレイスに連れ回されて疲れただろう」
「えぇ、まあ……」
フレイスさんの評価を少し下げてしまった気がしたが、マグニさんの言う通りここに来るまで色々な事があり過ぎて精神的に疲れが出てきていた。今やったとしても気持ちの方が先走って鍛錬どころじゃない気がする。ここは言う通りにしておいた方が良い気が良いだろう。
「よし、じゃあ後はメトル達に……ってあれ? いないな……」
今までマグニさんとの会話に気を取られていたが、気付かない内にマグニさんと一緒にいた白い人影がいつの間にか消えており、僕とマグニさんが雨雲が覆う雲の下で二人だけになっていた。
マグニさんは振り返りそう言うと、悩んだ様子で右手で後頭部をかきながらこちらに視線を向けて再び口を開いた。
「仕方ないか……ほったらかしにしていた俺も悪いしな。きっと今頃家にいるんだろうな」
そう言い、脱力したようにマグニさんは深くため息をついた。
「面倒くさいが仕方ないな、リントちょっと手を貸してくれ。あぁ、あと剣は地面に刺すかなんかして置いてってくれ」
頭をかきながら言うマグニさんの意図が分からず、言われるがまま剣を地面に突き刺し、手を差し出した瞬間。
「うわぁ!!――――」
マグニさんは差し出した僕の手を強く握りしめ、ぐいっと引っ張り僕の体を引き寄せると、離れられないように僕の腰に手を回し、さらに体を密着させ僕の体を固定した。
「あんまり暴れないでくれよ」
そう言うとマグニさんの金色の髪が立ち上がり、地面に大きな黄色の魔法陣が僕とマグニさんを大きく取り囲んだ。周囲からはバチッと音を立てる電撃が迸り、とんでもない何かが始まろうとしている事は明らかだった。
そして、その考えは見事的中し、マグニさんが強く地面の魔法陣を左足で踏みつけると周囲の電撃の勢いが急激に激しくなり、まるで雷がすぐ近くにあるぐらいの勢いへと化し始める。
その光景に声が出ず、不安から周囲をキョロキョロと見渡していたその時。
「舌噛むなよ!!」
突然の声に反応して、咄嗟に目線をマグニさんへと向けた。
「えっ……なん――――」
だが、その言葉を言い終わる前にマグニさんは地面を更に強く蹴りつけ、空高く僕を連れて雷の如く空へと飛び上がった。
そこから先の事は記憶が途切れるようにして何故か記憶に無い。次に僕の記憶が始まったのはマグニさんの背中の上だった。
「お、気が付いたか?」
後ろを振り向き安堵の笑みを浮かべて、僕を見つめながらそう言った。
「一体何が……」
まだ薄っすらとぼやけて朦朧とする意識の中、マグニさんに質問した。
「いやー、少し手荒な真似して俺の家の近くまで来たんだけど、リントったら人形みたいに魂抜けた感じになっててさ、それで今家までおぶってやってんだよ」
ぼんやりとした意識がゆっくりと回復していき、徐々に自分の置かれている状況も理解してきた
「ちょっ、マグニさん降ろしてください。流石にちょっと……」
「なんだ、恥ずかしいのか? 別にそんなに気にしなくても良いのに」
どんな理由があるとはいえ僕ももう十五になる。体型から年齢より幼く見られることも少なくなかったが、実年齢的にかなりの恥ずかしさを感じる。
「でも、懐かしいな……」
「えっ……?」
マグニさんから漏れるようにして言葉が聞こえた。反射的に疑問の言葉が口から出てしまったが、それに反応してマグニさんが口を開いた。
「昔、フレイスや弟子達もこうやって小さいときにおんぶしてやってな。分かってると思うけどここは空気が薄いだろ、だからこうなることは大体予想がついてるんだよ。まぁリントは特別なパターンだったけどな」
短い会話をしていると、目の前に長い石の階段が見えてきた。流石にこれ以上はマグニさんに申し訳なく思い、背中から下ろしてもらった。
しばらくぶりに地面に足を着け、空気が薄く息苦しいながらも一歩ずつ階段を登り、最後の一段を登り終わると、目の前に綺麗に整地された陸の上にこの世界に似つかわしくないほど立派な木造の家が見えた。
「おい、大丈夫か?」
「はい……大丈夫……です……」
途切れ途切れ、荒れた呼吸を整えながら言葉を口にする。階段を登るだけで疲れるのは分かっていたが、まさかここまで疲労するとは想定外だった。
膝についた手を離すと、マグニさんが扉を開きそれに続いて家の中へ入った。
扉の先はフレイスさんの飛行船の地下と同じ暖かな空気が巡回した廊下になっており、左右の壁にはそれぞれ二つずつある扉に加え、明るくも淡い光を放つランタンがいくつも吊り下げられている。そして扉から直線に進んでいくと、上へと続く階段が見える。もちろん手すりまで全て木製だ。
「この家は下は個人の部屋で上はちょっとした物置なんだが、色々と散乱しちまってるからあんまり入るなよ」
恥ずかしそうにそう言いながら、扉の左側の一番奥にある扉まで来るとドアノブに手に手をかけて扉を押した。
「さてと、ここがしばらくリントが暮らす部屋だ」
部屋は廊下と同じランタンで照らされており、分厚い本が入った小さな本棚と部屋の隅には白く寝心地の良さそうなベッド、そして真ん中には小さな机と上にはお皿に盛り付けられたパンが乗っていた。
「基本的には自由に使ってくれて構わないよ」
「ありがとうございます、わざわざ部屋まで用意してもらって」
「なに、別に礼はいらないよ」
マグニさんは目線を部屋に向けながら続けた。
「元々、誰かの為に用意していた部屋だ。少しホコリとかが目立つかもしれないがそこは許してくれ」
元居た世界では安心して寝られる場所は数少なかった僕にとっては、気にするどころか逆に安心して寝られる場所があることはとてもありがたい。
「さてと、後は自由にしててくれ、明日なったらまた起こしに来るからさ」
「いや、流石に自分で起きれますよ」
「な〜に遠慮するなよ、フレイスの仲間なら私の仲間みたいなもんじゃないか」
屈託のない無垢な笑顔を見せて、マグニさんはそう言う。フレイスさんの言う通り少し距離が近いが、逆にそれが心地よく感じた。
「それじゃ後は自由にしててくれ、明日になったらまた起こしに来るからな」
「ありがとうございます」
マグニさんは玄関の扉まで向かい、扉を開くと一度立ち止まりこちらを振り返った。
「長旅お疲れさん」
そうひと言言うと扉の外へと去っていった。
部屋に入り念の為扉を閉めると、静寂な空間に一人ポツンと残されたような孤独感にみわまわれた。
明日の為に机に置かれたパンを一つ口にすると、ベッドに腰を掛け、籠手を腕から外し、その下に巻かれた包帯を解いた。フレイスさんの言う通り、久しぶりに見た自分の腕には怪我はかすり傷ぐらいの傷跡が所々に見受けられた。
「これぐらいならしてくれなくても良いのに」
無音の空間で誰に言う訳でもなく一人でそう呟いた。だが、嫌な気は全くなく、それどころか嬉しく感じて少し笑みが溢れた。
籠手を机に置いてパンを食べ終わると、ベッドに横なって天井を見ながら今日を振り返った。
知らない世界に落ちて、そこから別の世界に移動した。これまでざっくりと短くまとめても、改めて考えるととんでもない事をしてるんだなと強く思うと同時に、元の世界の事がどうしても気がかりになっていた。
「……そろそろ寝るか」
枕元のランタンを開け、中のろうそくの火を吹き消し目蓋を閉じた。思った以上に疲れていたのか、しばらくしないうちに深い眠りに落ちていった。