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後編

お先に失礼しますと言ってから店長に呼び止められ「問題があったならすぐさま報告しろ」と軽く叱られた。

ボタン押そうとしたら助けてくれたんだもん。

……なんて、言い訳ができるわけもなくうんうんと赤べこのように頷くしかなかった。

やっと解放されたのは上がる時間の15分後。

もういい加減帰っているよね……。

半ば諦めて店を出ると彼がタバコをふかしながら待っていた。

私と目が合うとタバコを店舗備え付けの灰皿に投げ入れた。


「お疲れ様」

「あの……。お待たせしてすみません」

「大丈夫だよ。ちょうどタバコ吸いたかったし。じゃあ、行こうか」

「え、どこに……?」

「来ればわかるよ」


あれよあれよという間に大学前の信号から川にかけられた橋を渡り始めた。

街灯に照らされ水面をキラキラと反射させながら流れる様子を尻目に彼の元へ急いだ。

一体何を考えているのだろう。


「……ているの?」


ずっと先を歩いているものだから自分に声をかけてくれたと理解するのに時間がかかった。

至近距離の彼の横顔に赤面しつつ聞き返す。

少し面長でスッと通った鼻筋、奥二重。

いわゆる日本人特有の「しょうゆ顔」というやつだ。


「すみません、車の音が……」


都心とはいえひっきりなしに自動車やバイクが移動しているので聞き取りにくかったのもまぁ嘘ではない。

すると彼はさっきと同等の言葉を張り上げ再び口にした。


「あのコンビニでどれくらい働いているの?」


低めで包み込まれるような落ち着いた声。

こんな簡単なことを尋ねていたと知り少し凹んだが素直に返答する。


「えっと、2ヶ月前ですね」


もっと言うことあるだろ。

一問一答じゃないんだぞ。

自分の語彙力のなさにうんざりする。

そんなアホな考えを余所に彼はジッと私を見つめた。


「コンビニって大変って聞くけどすごいね」

「そんなことないですよ。失敗も多いですし」

「仕事楽しい?」

「楽しいです!店長さんも同僚の方も良い人ばかりです」

「それは良かった」


柏川さんは話を区切ると横断歩道の前で立ち止まった。

あ、そうだ。あのこと言わないと。


「あの、さっきはありがとうございました。おかげで助かりました」

「いえいえ。でも君ももうちょっとはっきり断った方が良いよ」

「すみません……」

「謝らなくてもいいんだけどさ」

「でもこれで助けてもらうのは2回目ですね」

「どういうこと?」

「私が働き始めて間もないときだから……2ヶ月前ですか。そのときコピー機の紙を拾ってくれたと思うんですけど……」

「うーん……ちょっとわかんないや。ゴメンね」

「あ、だったら大丈夫です。すみません……」


覚えてなかったのか……。

ちょっとショックだけど仕方ない。

でもそれがきっかけで気になっていったんだよね……。

歩行者用の信号が青になり交差点を右折する。

しばらく進むと柏川さんは数段の石段を降り1軒のお店に入っていった。

料理屋さん?


私も石段を下ると彼が店の引き戸を抑えてくれた。

軽く頭を下げてドアを潜るとオリーブオイルとトマトの酸っぱい匂いが鼻を刺激する。

彼を見た従業員さんが笑顔で話かけてきた。

英語?とはちょっと違うような……。


「ちょっとここで座って待ってて」


柏川さんが1番近くにあるテーブルの椅子を軽く引き寄せた。

座れって言うなら座るけど……。

上着を椅子の背もたれに掛けて腰を下ろすとカバンを膝の上におく。

私の職場と同じくらいの広さで飲食店らしく真夏並みに暖房が効いている店内。

厨房を「コ」の字に囲うようにカウンターに10席ほど、ビニールが敷かれてた4人掛けのテーブル席が等間隔に3席並んでいる。

私たち以外の来客は5人で20時過ぎという時間帯もありお酒を飲みながら楽しそうに会話をしていた。

……お酒飲めないから場違いな気もするけど。

そんな考えを巡らせていると柏川さんが水の入ったグラスを2つ持ちその1つを私の目の前においた。


「ゴメンね。話し込んじゃって」

「いえ、大丈夫です。お水ありがとうございます」

「どういたしまして。俺ここで働いているんだよね」

「そうなんですか?」


私の疑問を聞きながら合い向かいの椅子に座る。

上着を着ていないので軽く見渡すとカウンター端へ無造作に置かれていた。


「まかないも出るんだけど、それを断って毎回おにぎりにしてるんだ」

「あぁ、それで梅のおにぎりと緑茶」

「そういうこと。梅を食べると元気出るんだよね」

「酸っぱいですから。目も覚めますし」


冗談めかしくそう言うと柏川さんはクスクスと笑った。


「今さらだけど時間大丈夫?外寒かったし事情話すのもここの方が都合が良くて」

「今日は金曜日ですし明日も特に用事ないので大丈夫ですよ。事情ってなんですか?」

「あぁ、3日前にATMでワタワタしてたの見ていたでしょ?」

「はい。同僚の男の子に日本語が苦手だからだと聞きました」

「その通りでさ。俺どこからどう見ても日本人なんだけど実は日本語苦手なんだ」

「そうなんですか?えっと……すみません、ちょっと言葉が思い浮かばなくて」

「みんなそんなもんだよ。両親とも日本人だけど仕事の都合もあってギリシャで俺と妹を産んだんだ」

「先ほど店員さんとお話していましたけどギリシャ語だったんですか?」

「そうだよ。英語みたいにあんまり馴染みないと思うけどさ。あ、なんか食べる?付き合わせてもらっちゃったからご馳走するよ」


各テーブルに立てかけたメニューを手に取り私に見せてくれる柏川さん。

わざわざ相手側に回転させるところは日本人らしいというか。

ラミネート加工されたメニューを眺めると色とりどりの写真が並んでいた。

初めて見る料理ばかりで迷う……。



……



「あんまりこういう俺みたいな人種に会うことないだろうからビックリさせちゃったかな?」


料理が運ばれる間こんな前置きをして話し始める柏川さん。

私は相槌を打ちながら水をひとくち飲む。

効きすぎた暖房にはちょうどいい冷たさだ。


「さっき言った仕事先の同僚の友だちに日本生まれのアメリカ人がいると聞きました。日本でずっと暮らしているので自分の視野って狭いんだなぁと思ったのが正直な気持ちです」

「そう言ってくれるとこっちとしてはすごく嬉しいんだよね。向こうにいると日本人にしか見られないし、知らない現地の人に話しかけると毎回観光客だと思われちゃってさ」

「大変ですね」

「でも慣れちゃったけど。なるべく身内の人にしか話さないようにしてたし」

「いつ日本に来られたんですか?」

「妹が高校入学するときだから……4年前か」


私から目線を外すと考えながら指を折る様子にかわいいと思ってしまった。

なんかこの人といると楽しい。

でも男の人にかわいいなんて失礼だから言わないでおこう。


「4年前ということは妹さん私と同い年ですね」

「そうなの?」

「はい。今年の8月で20です」

「なら、ここのお酒美味しいからぜひ飲んでみてね。向こうで有名なんだ。この青いのやつ」


先ほどのメニューを再び私に見せながら写真を指で示す。

海岸に浮かぶヨットが描かれたラベルでとても爽やかだ。

間もなく料理が3品ほど運び込まれ私のお腹が悲鳴をあげた。

野草と青菜を茹でてオリーブオイルとレモン汁というシンプルな味付けのホルタ。

オリーブオイルで炒めたじゃがいも、トマトソース、ナス、ひき肉を何層も重ねオーブンで焼いたムサカ。

パイ生地にナッツ類を挟んで焼き上げたバグラヴァ。

シロップをかけて食べるらしい。

それらをつまみながら他愛のない話を続ける。


「え!?柏川さん26歳なんですか!?」

「おっさんだろ?それとももっと老けてるように見えた?」

「いえ。逆です!てっきり私と同年代なのかなぁと……」

「はは、ありがとう」


照れるような表情をしながらショットグラスを煽る。

試しに匂いを嗅がせてもらったけどアルコールの強さに顔をしかめる。

でもアニスという香料のおかげでまろやかな甘みも感じ取ることができた。

大人になったときが楽しみだ。

最初は遠慮がちに食べていたけどどれも美味しくて全て平らげてしまった。

もう夜の10時だけどダイエットはおやすみ!


「今さらだけど市川さんの下の名前はなんていうの?ずっと聞きそびれちゃって」

「『サキ』です。あ、書きますね」


カバンからメモ帳とボールペンを取り出し自分の名前を書いていく。


市川 沙希


「俺の名前と似てる。ちょっとペン貸して」


私のどうぞ、という言葉と共に流れるような動作で紙を文字で染めていく。


柏川 遥希


思わず彼の顔を見つめた。


「もしかして書けないと思った?」

「いえ、そんなことは……」


慌てて否定したけど心の中を読まれてしまった。


「海外生活長いけどちゃんと日本国籍だし、何より将来困らないよう親に教え込まれたからさ」

「そうなんですね」

「向こうの大学卒業して永住するか悩んでいたんだけど両親の転勤で思い切って日本に帰ることにしたんだ」

「帰ってから大変だったことはあるんですか?」

「日本語のニュアンスかな。かなり細かい暗黙の了解というか」

「ずっと日本に住んでいて海外旅行にも行ったことないんですが治安が良いと聞きます」

「そうそう。観光地あたりなら目が行き届いてるけど少し外れるとやっぱりね」

「これから日本で行ってみたいところはあるんですか?」

「ここ数年は生活基盤固めるので精一杯だったけど、落ち着いてきたから京都とか奈良に行ってみたいんだよね」

「中学の修学旅行で行ったことありますよ。でも大人になった今じっくり観光してみたいんです」

「それはあるね。俺も世界遺産とか説明されてもわからなかったけど、造形とかマジマジと観察したいし」

「ギリシャだとパルテノン神殿が有名ですね」

「うん。奈良の大仏はこっちでいうところのギガンテスかな」

「ギガンテス?」

「神話に出てくる巨人のこと。複数形だからギガースって言った方がわかるかな?」

「あぁ、ゲームで良く使われてますね」

「あとピタゴラスの定理とか意外と日本に浸透してるんだよな、ギリシャって」


ホッとする。こんな人と付き合えたら幸せなんだろうな。

話は尽きなかったが時計を見ると22時近くなのでボチボチ離席することにした。

せめてものお礼と1000円札を渡したが断られたのでありがたくごちそうになる。


「エフハリスト。カロ・ブラディ」


恰幅の良い店員さんから聞きなれない言葉を投げかけられたので柏川さんの顔を見る。


「『エフハリスト』は『ありがとう』で『カロ・ブラディ』は『良い夜をお過ごし下さい』って意味。店出るときこう言うと向こうも喜ぶよ。」


なるほど。

柏川さんに軽くお礼を言うと店員さんの方へ向き直る。


「カロ・ブラディ」


拙いギリシャ語だったけど店員さんは満面の笑顔で手を振ってくれた。やっぱり笑顔は世界共通の挨拶なんだろうな。

上着を着た柏川さんが扉を押さえててくれてるので先に店を出る。冬の潮風と冷たさが現実へと引き戻す。


「やっぱり寒いねー。飲食店やってると暖房に慣れてるから忘れちゃうんだよ」

「でも日本らしいです。四季があるって素晴らしいことだと思います」

「沙希ちゃん。空見てくれる?」

「ん?」


身体を震わせながら駅方向まで歩く。

そう彼から促され上空を見上げると眩い星空がそこにあった。小さいながらも我こそはと瞬いている。


「星っていうのは本当に遠くにあって今この瞬間消滅しても自分の目でわかるのは何千何万年後なんだよね。」

「そうですよね。儚いです。でもこうやってずっと夜になるたびに楽しみにされるってロマンあります。なんちゃって」


ちょっとおどけて見せると柏川さんは真剣な面持ちで私の目を見つめてきた。


「俺と沙希ちゃん、生まれた国は違ってもこうやって今そばにいる。一緒にいてくれないか?」

「え……?」

「フラッと立ち寄ったコンビニで君を見てから通ってた。ひたむきに頑張る姿がかわいくて応援したくて。ずっと好きだった」

「あの……。本気にしちゃいますよ?」

「本気にして良い。俺と付き合ってくれませんか?」

「……私もずっと好きでした。こちらこそよろしくお願いします」


大学近くのコンビニにお小遣い稼ぎ感覚で働き始めて、苦しいことも悲しいことも乗り越えてきた。

ひょんなことから訪れた出会いだけどまさか両思いだったなんて。

国籍と背格好は日本人でも生まれてきた環境の結果で何をもって外国人なのか判断つかない。

だけど、極論だけれど、同じ地球上にいる人間同士なのだから心と心はいずれ通じ合う。

私は目の前で恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている彼のことを見る。


「手、繋ぎましょ?」

「あぁ、うん……」


右手を差し出しそっと彼が触れてくる。

真冬ながら熱くて、汗ばんでいるその左手に愛しさが増す。

もっといろいろな未経験を重ねて彼とともに思い出を作っていきたい。

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