前編
「いらっしゃいませ!お預かりしまーす」
お客様から預かった商品をスキャナーで読み込ませ、お金を受け取りおつりとレシート、そして袋詰めした商品を渡す。
時間の余裕が出てきたら店内を見回り、商品の陳列をチェックし必要があれば手直しをする。
トイレ以外の清掃は定期的に業者さんがやってくれるので助かる。
公共料金の支払いや宅配の手続きなど、作業がたくさんあって大変だがやりがいを糧に頑張っている。
私がこのコンビニで働き始めて2ヶ月。
50坪ほどの決して広いとは言えない店内だけど、レジからお客様ひとりひとりの顔を見渡せるし移動が少ないので私にはピッタリな職場だと思う。
ブラック企業とウワサが絶えないが、ここの店長さんや先輩はいい人ばかりだし本当に運が良かった。
……私がバイトという立場だから言えることかもしれないけど。
東京都港区。
東京湾が目と鼻の先にある場所に私の通う大学がある。
そこから徒歩1分という超好立地に構えるこの店舗は、お昼どきになると学生や職員、周辺の企業社員が集まりだす。
私は夕方からの勤務だし昼食はお弁当だしで立ち寄らないが平日は毎日戦場だと言う。
でもそれを笑いながら冗談めかして語る店長さんはスタッフみんなに慕われている憧れの的だ。
きっと奥さんは幸せ者だろうな。
勤務して間もないころコピー機に用紙を補充する際、誤って紙を床にぶちまけてしまったことがある。
慌ててかき集めるもお客様は迷惑そうな顔をしながら用紙を踏みつけていく。
私が不甲斐ないばかりに……。
そんな中無言でコピー用紙を拾ってくれる男性。
回収が終わったあと少しぶっきらぼうに紙の束を手渡されお礼を言う間もなく店を去ってしまった。
スラッと背が高く歳は私と同じか少し年上くらい。
自分がいるシフトのほぼ毎回来て梅おにぎり2つと500mlペットボトルの緑茶を買っていく人。
このことがきっかけかどうかはわからないけれど不思議とその人を目で追うようになっていった。
だいたいいつも来るのが夜の6時くらいだったから、店内備え付けの時計を確認するたびにソワソワしてしまう。
どうにかしてアプローチを仕掛けたいがなかなか上手くいかない。
だが、そのチャンスは意外とすぐにやってきたのだ。
数日後。
入店のチャイムと自動ドアが開くわずかな音に反応して私はお客様に笑顔を向ける。
「いらっ……しゃいませ!」
気になっているあの人だったから少し言いよどんでしまった。
どうにか誤魔化せたかしら。
他のお客様の対応をしながら意識をそっちに向ける。
レジの業務が落ち着きおでんの具材を補充していると、ATMで四苦八苦している彼を見つけた。
お給料日直後ということもあって列を作り始めている。
あたふたと困惑している彼にしびれを切らした青年が様子をみるもどうも話が通じないらしい。
それを見た同僚の七五三木くんがATMまで歩いていく。
話の内容は入ってこないものの、何とか解決したようだ。
一体何があったんだろう。
「お先に失礼します」
「あ、お疲れ様。ねぇねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」
夜勤の人と引き継ぎが終わりバックヤードで休憩していると、タイミングよく七五三木くんが帰ろうと準備をしていたので声をかけた。
冬という季節もあってコートをしっかり着込みニット帽とマフラーまで身につけている。
高校生というだけあっておしゃれに余念がないようだ。
「さっきATMで一悶着あったじゃない?何があったの?私他のお客さんの対応していたからちょっと気になって」
「あぁ、あれですか。言語操作の切り替えがわからなかったみたいで少し教えただけですよ」
「え?日本人じゃないの?」
「会話はできましたが読み書きが苦手なようで。英語の方が得意とのことでそれに切り替えたら上手くできたみたいですよ」
「ふーん。どうしてそう悩んでるってわかったの?」
「俺の彼女の友だちが日本生まれのアメリカ人なんですよ。だからそういう悩みも少しわかるんです」
「そうなんだ。ゴメンね、長話させちゃって」
「いえ、大丈夫です。では、お先に失礼します」
「うん。お疲れ様」
うーん。世の中には知らないことがたくさんあるものなんだ。
英語の方が得意なのか……。
…
……
翌日。
いつものように仕事に精を出していると、あの人が梅おにぎり2つと緑茶のペットボトルを持ってレジにやってきた。
"Welcome!"
思ってもみない言葉に驚いた様子の男性。
側から見れば日本人が日本人に英語で話しているのだから奇妙だったのだろう。
でもこんなチャンスなかなかないだろうから頑張らなきゃ。
商品をスキャナーで読み取り金額を計算する。
"Payment is 340 yen."
お会計は340円です。
発音自信ないけど伝わったかしら。
男性は財布からお金を取り出しながらクスクスと笑う。
「心配しなくても日本語は話せますよ。昨日のやりとり見てましたよね?」
顔が暑くなっていくのがわかる。
そっか、英語じゃなくてもよかったんだ。
1000円札を受け取る手が震える。
「……レシートと660円のお返しです。少々お待ち下さいませ」
ルーティーンというのは怖い。
思考停止していても自然と身体が動いてしまうのだから。
レジ袋の口を広げ、お茶のペットボトルを横向きにし、その上におにぎりを入れ持ちやすいように取っ手を少しねじる。
「お待たせしました。お品物でございます」
右手で取っ手、左手で袋の底を持ち男性に手渡す。
男性はそれを受け取るとまた笑顔になった。
「いつもありがとう。イチカワさん」
「え、どうして?」
「ん?だって……」
彼の指さす方に目線を下げると顔写真入りの名札が自分の胸に掲げられていた。
名前を呼ばれただけで有頂天になるなんてバカみたい。
そうだよね……。脈アリなんてありえないよね……。
自動ドアをくぐりぬける彼の背中をながめそう思うのだった。
…
……
「だからぁ、悩むくらいだったら声かけなってー。グチグチ文句聞かされるこっちの身にもなってよ」
大学の休み時間。
ガラス張りの小洒落た室内の一角で私はお弁当を食べながら友だちの小言を聞いていた。
真冬だというのに建物の構造上部屋を暖かく保ってくれる。
「わかってるけど……。できないから明莉に相談してるんじゃん」
「行動しろって言ってるのよ、私は」
アカリはそう言うと校内の自販機で購入したホットミルクティーをひとくちすする。
紙コップに口つける伏せ目がちの彼女を何気なくチラ見。
マスカラをつけなくても長いまつげ、スッと通った鼻筋、きめの細かい肌、薄い唇……。
黙っていれば美人なのに。
真黒明莉とは講義中消しゴムを拾ってくれたことがきっかけで仲良くなった人物だ。
サバサバとした性格で優柔不断の私をリードしてくれる。
……ただ衝突することも少なくないけど。
表参道という一等地に住んでいるお嬢様なのだが、鼻についた態度を一切表情に出さないので気兼ねなく付き合っている。
ふと彼女と視線が交差した。
二重まぶたのパッチリとした猫のような目でジッと見つめられると同性の私でさえもドキリとしてしまう。
「何?」
「なんでもない。そんなにはっきり言わなくてもって思っていただけ」
「まぁ、いいけど。とにかく!沙希が全部決めることだからね」
「はーい……」
同い年ながら姉御肌のアカリに相談して少しはホッとしたかな。
私たちは席から立ち上がると午後の講義の教室に向かう。
並ぶと身長の差は歴然で、156cmの私に対して174cmの彼女はモデルばりにスタイル抜群だ。
自信満々に立ち振る舞うその様は悩みなんて全くないように思ってしまうほど。
「……します。またよろしくお願いします」
廊下を歩いている途中、ひとりの青年が研究室のドアを開き室内にいるであろう教授にお辞儀をしていた。
ドアを閉め正面玄関の方へ私に背を向けて歩き出す。
このような光景はめずらしくないので特に気にする必要がないのだがこの声……どこかで……。
「どうしたの?」
その場に立ち止まり考えごとしている私を心配してかアカリに声をかけられる。
「あの人誰だっけと思って」
「さっき先生の研究室出てった人?許可証つけてないからここの学生なんじゃない?」
「だよねぇ。つい最近会ったような」
「駅とか?そんなに気にする必要ないと思うよ。意外とすれ違った人も覚えてたりするしさ」
「そうだよね……」
あの人がここにいるわけないか……。
…
……
その日の夕方。
悪臭を放つゴミから目をそらしつつ、サンタクロースが担ぐようなビニール袋を広げセットする。
昼休みに見かけた青年の後ろ姿が頭の中でチラつきなかなか集中できない。
凡ミスを連発し頭冷やすよう店長に言われゴミ収集という雑用を任命された。
真冬という季節もあり凍える。
店のロゴがプリントされたベンチコートを羽織り寒さをしのぐ。
男女共用なのでブカブカでかわいげがないのは我慢するしかない。
ゴミの詰まった袋を倉庫に放り投げ鍵を閉める。
廃棄したお弁当などもそこに眠っているが持ち帰りは厳禁。
いくら捨てるとは言っても窃盗となるためだ。
そのあたりのルールは徹底しているので私もそれに従うしかない。
店に戻りバックヤードでコートをハンガーにかける。
頭は冷えたか?と店長に聞かれたのでおかげさまでと皮肉めかして答える。
こういうやり取りをしても怒らないから信頼されていると思いたい。
レジ業務をしていると梅干しおにぎり2個を差し出され反射的に目線を上げる。
あの人ではなかったが今日大学で会ったあの青年。
「君さぁ、あの大学の学生だったんだね」
不意に声をかけられる。
商品にスキャナーをかざす手が止まり再び彼の顔を見る。
「俺のこと覚えてない?おとといここのATMで手助けしてたんだけど」
あ。
あの人が使い方わからなくてあたふたしているときにいたような。
ここまで聞いても記憶があやふやなのはあの人ばかりを見ていたってことなのかしら。
「思い出した?君ずっと俺のこと見てたよね?また声かけようと思っていたんだけど今日の昼間大学で見かけて。これって運命じゃない?」
「えーと……」
「俺と付き合おうよ。俺結構モテるんだぜ」
「他のお客様も見ていますし帰ってもらえますか?」
「そんな冷たいこと言わないでさぁ。えーっと、イチカワさんか。下の名前なんていうの?」
うざったい……。
ずっと見てたのはお前じゃない。
おにぎりを投げつけたい衝動をグッと堪えバックヤードの呼び出しボタンを押そうと指を伸ばす。
「ちょっと失礼」
ボタンに触れた瞬間別のおにぎりが視界の端に映り込む。
え?嘘……。
顔を上げるとずっと思い続けていた人が目の前にいた。
「俺この子の彼氏なんだけど」
「彼氏?ATMでワタワタしていたのに彼女に全く話しかけなかったじゃないか」
「その翌日から付き合ったんだ。何か問題でも?」
「いや……別に」
「まとめて払ってやるからさっさと帰りな。次つきまとったら警察に通報するぞ」
「チッ。わかったよ!あんたも彼氏がいるなら最初から言えよ!」
警察という言葉に怯んだのか、勘違い男は私に捨て台詞を残し商品を受け取らないまま店を去った。
入店音とBGMが静まり返った空気の店内に鳴り響く。
ふと我に返り男性が持ってきた商品を袋に詰め込む。
「急にゴメン。この方法しか思いつかなくて」
男性がバツの悪そうな顔で私に謝罪する。
他のお客さんはこっちを察してか、レジの前に並ぶことなく立ち読みをしたり陳列している商品を眺めている。
「えっ⁉︎いえいえ。ありがとうございました」
「仕事中だろうし一旦外出るね。何時に終わるの?」
「20時ですが……」
「わかった」
勘違い男の分のおにぎりもまとめて持ちその場を離れようとする。
私は慌てて彼を引き止めた。
右手を前に出すなんて自分のキャラじゃないけど。
「待って下さい!えっと……。」
「柏川遥希。俺の名前。じゃあまた」
そういうと自動ドアを潜り抜け、コンビニ袋をぶら下げたままジャケットのポケットに手を入れ歩き出した。
よほど外が寒いのだろう。冷たい風に耐えながら肩をすぼめている。
目線を落とすとおにぎり4つとお茶の代金が台に置かれていた。