5、救出
享禄四年(1531年) 四月 山科東荘 明智彦太郎
俺は沢路隼人祐とともに地図を眺めていた。ここは山科の荘園だ。結局、浦上の暴虐は止まらなかった。舞い上がった浦上兵が公家たちの荘園で略奪に及んだ。後奈良天皇は勅命を下したが、細川高国は守り切れなかったようだ。浦上村宗の配下が粗暴だった。
山科東荘も緊迫した情勢になっている。俺は明智の郎党も増員して、二十四時間体制の交代で見張っていた。山科兵も見回っている。
幸い、美濃からの仕送りがある。明智は裕福なのだ。東荘には四十人ばかりの兵が常時、駐在している状態になっていた。兵の荒れように焦った高国は浦上村宗らを引き連れて、摂津へと出陣。京は少ない守備兵で守られている。いよいよ戦が起こる。堺の三好軍と細川・浦上連合がぶつかる。史実通りならば三好が勝つ。
「山科様に聞いたところでは主上もお嘆きでだった。公家の皆様も浦上は嫌っているらしい」
「粗野でございますからな。細川高国もとんだ男と手を組んだものです」
「高国の援軍は播磨の赤松だ。増強された浦上軍に三好は勝てるか……」
浦上と言えば、謀将・宇喜多直家の主家で滅ぼされたというイメージしかないが、結構この時代は力を持っているようだ。
「それで年貢の取り立てだが、農民たちは頑なよ。他の商人と取り引きしているようだ。年貢を下げろと逆に脅されたぞ」
「真に?」
「うむ。松田から助けてやったのは我ら山科というのに。恩知らず共が」
隼人祐が吐き捨てるように言った。荘園の農民たちは自立しており、ここでも下剋上が起きている。しかも武器を持っているから、いつでも一揆を起こす状態だ。そりゃあ、年貢を払うわけがない。公家の立場が軽くなっている。足利の力が落ちてきたので、相対的に公家の力も下がっているのだ。
「このままでは兵糧が蓄えられぬ。ご主人様の諸国の大名の交渉にも差し障りがあろう。困ったわ。困った困った」
隼人祐がぶつぶつと言っている。山科家の荘園は全国に九か所。山科東荘はその一つだ。満額で年貢を払う荘園もあれば、払えない荘園もある。
このままでは山科は先細りだ。何とかしなければ。
夜が明けた。俺は明智の家臣たちと共に荘園の農民たちの家に行った。農民たちは会えば、挨拶をする。だが、どこか無愛想だ。
「あ、あのお侍様」
若い娘が話しかけてきた。少し日焼けしているが、野良仕事の後なのだろう。俺たちは人目を避けて、農家の物陰に娘を連れて行く。
「お侍様を庄屋様たちは疎ましがっています」
「知っている。殺されるかな」
「そこまでは……やるかもしれません。荘園の娘たちは彦太郎様に感謝致します。彦太郎様のおかげで助かったのに大人たちは頑なだと」
「なぜ頑ななのだ? 山科様に年貢を払えばよかろう」
「荘園の長老の皆様は馬借や高利貸しとつながっています。荘園の女も逆らうと、人買いに売り飛ばされます」
「腐りきっておるな。だから年貢も払わぬわけか」
娘がこくりと頷いた。内部告発だな。山科に年貢も納めず、私腹を肥やしている。
「分かった。秘密は守る。東荘の腐敗は沢路様と相談して、正す。それまでは待っていてくれ」
家臣たちに目配せする。家臣たちが頷いた。
享禄四年(1531年) 五月 山科東荘 明智彦太郎
相変わらず、三好軍と細川・浦上連合が激戦に及んでいる。一進一退の攻防戦だ。
京の治安も悪化している。浦上兵は相変わらず、乱暴狼藉の限りを尽くしている。京の町は冷え切っている。家臣の溝尾佐助が神妙な顔でやってきた。俺と沢路様は双六で遊んでいた。金は賭けていない。勝った負けたの勝負が楽しいのだ。
「高田の娘の佐江が攫われました」
「佐江? 誰だ。それは」
「長老の孫娘の佐江だ。彦太郎殿、そなたに荘園の悪事を伝えたのが佐江であろう?」
確かにそうだ。あの日に焼けた健康そうな娘か。その娘が誘拐された?
「農民たちの悪事をもたらしていたのが佐江であったか。長老も一枚岩ではないということか」
「佐江が……」
俺は唇を噛みしめた。佐江の身柄を確保して売られないようにするしかない。
「その娘はどこに攫われたか。分かるか、佐助よ」
「人買いたちに聞いてみますか」
俺たちのやり取りを沢路様が黙って聞いている。好きにやれということだろう。女子に手を出すなど、許せぬ。俺は溝尾佐助が立ち去るのを見送った。
人買いたちが集まっている京の山科郷。俺たちは夜が更けてくるのを構わず、人買いの屋敷まで来た。部下は七人。居場所は佐助が突き止めた。
「斬り込みますか」
「無茶を言うな。俺は四歳だぞ」
部下たちがどっと笑った。この屋敷に佐江がいるかどうかは分からない。でも突撃するしかない。
門の前に立つ。
「何だ小僧」
「枡谷だろう? 山科言継様の友である明智彦太郎である」
「……明智彦太郎。宮中に強い力を持つという、あの」
門番が怯えたような顔になる。
「な、何の御用ですか。お、お通しはできませぬ」
「山科東荘の佐江という女がこの屋敷にいるはずだ。返してもらおう」
「そ、それは」
「できぬというのなら、侍所に出向くまでよ。いかがする?」
門番が待つように言うと、奥に引っ込んだ。代わって、背の高い男が出てきた。
「申し訳ないが、相手はできませぬ。主人は客人を持てなしているのです」
「言い訳だな。押し通るぞ。佐江を返せ。嫁入り前なのだ」
男の顔に怯えが走る。男が観念して、主人のところに案内した。枡谷という五十ぐらいの太った男が酒を並々と注いでもらっているところだった。
若い女たちを周りに侍らせている。佐江もその中にいた。目が合う。俺は笑いかけた。今、助ける。それを伝えたつもりだった。
「その娘を返していただきたい」
「こちらも商いなのです。承知していただきたい」
「できぬ。その娘は明智で保護する。私は三好筑前守殿と親しい。筑前守殿なら、娘を攫った商人に厳しい沙汰を下すであろう。浦上に義理立てするのも良いが、三好が勝った場合のことも考えて欲しい」
「三好筑前守様とお知り合いで?」
「友だ。話そうと思えば、すぐに話せる」
枡谷が部下たちに目をやる。
「その女を返してやれ。返さんと俺の首が危ない」
佐江が乱暴に突き返された。佐江が膝を屈して、俺を抱きしめた。暖かい。「ありがとうございます」と小声で佐江が俺に言った。