4、侵入
享禄四年(1531年) 三月 山科東荘 明智彦太郎
京が陥落した。細川高国・浦上村宗の大軍二万が占拠した。丹波国の豪族たちは主・柳本弾正を失って、右往左往している。京の防備を担当しているのは木沢長政という武将で細川晴元のお気に入りだ。その長政が京を捨てて、逃亡した。細川高国と内通していたともっぱらの噂だ。
一方の三好元長は堺に陣取り、細川晴元を擁立している。堺には足利義維がおり、これも擁立している。三好元長は阿波守護の細川持隆八千の軍勢を呼び寄せて、軍勢を強化している。
緊迫する情勢の中、俺は山科東荘に来ていた。山科言継は緊急朝議に呼び出されている。帝を交えて、高国への対策会議らしい。関白の近衛 稙家をはじめ、主だった公家が対応に追われている。まあ、今まで三好元長べったりでやってきたもんな。朝廷としても苦しいところだ。
「やはりか。浦上の兵だな」
沢路隼人祐が声を上げた。沢路は山科家雑掌、つまり山科の執事長のような地位にある。言継はワンマン経営なので、あまり出番のない男だ。それでも主人の留守に荘園を乗っ取ろうとする動きにはいてもたってもいられなくなった。
「ここは山科家の荘園である! 立ち退け!」
沢路が馬上で大声を張り上げた。三十人ばかりが山科の兵だ。馬上の者もいる。
対して浦上兵は百を越えている。指導者と思しき男がのっそりとやってきた。
「拙者は松田元隆であるっ、馬上の無礼お許しいただきたく」
「松田殿っ、これはどういうことでござるかっ、山科様の荘園にございまするぞっ、朝廷に弓引くおつもりかっ」
松田が首を振る。
「そのようなつもりは毛頭ござらぬっ、それがし、三条西実隆様の弟子を自任しておるっ、公家の皆様と敵対するつもりはござらぬーーーっ」
よく通る声だ。どうも二人は旧知の間柄らしい。松田か。備前の国人で三条西のお爺様とも親しい教養人のはずだが。
沢路がずんずんと進んでいく。俺もついていくことにした。山科家の武士たちが俺を驚いたように見る。大丈夫だ。これくらいで死にはしない。
沢路が馬から降りた。松田は馬上でにやにやと笑っている。
「松田殿、山科様に弓引くは帝に弓引くと同義ぞ」
「内蔵頭など、取り替えれば、済む。関白とて、思いのままよ。何せ、掃部頭様は京を奪ったのだ。浦上の天下よ。女子も思いのままよ」
遠くで女の悲鳴が聞こえた。山科の武士たちが松田を見る。
「乱暴狼藉許し難し! 山科家に弓引くかっ」
沢路が唾を飛ばして、叫んだ。
「松田には縁談がまだの者が多くてな。京女を連れて行こうと思っておる。まあ妾として、こき使ってやるから覚悟致せ。我らを田舎者と蔑んだ京の者たちに目に物見せてくれんっ」
松田兵が笑い声を上げた。沢路が刀の柄に手をかける。
「兵糧の徴発を百姓からしておる。邪魔をするな……ん、童か?」
松田と沢路の間に俺は立つ。
「三条西家の武士で明智彦太郎と申す。乱暴狼藉働けば、松田殿の名が地に落ちまする。おやめいただきたい」
松田が俺を見下すように鼻を鳴らす。
「童、どけっ」
「山科様が怒りますぞ」
「山科ごとき怖くないわ! こちらには細川高国様がおられるのだからなっ、朝廷も大掃除よ」
松田が笑い声を上げた。耳障りだ。
「そのようなことを申して大丈夫ですか?」
俺はわざと声を潜めた。松田が眉根を寄せる。
「何だ。何が言いたい?」
「三条西実世様の奥方は菊乃様と申されます。私の京での母親代わりです。その菊乃様が山科様の奥方である千里様と懇意になされているのです。そして、この一年、私はお二人に連れられて宮中に行っていました。千里様のお仕事は宮様たちの装束を調達することです。それが山科家の家業ですから。私は千里様たちが装束の調整している間、方仁親王殿下や目々(めめ)典侍様の遊び相手を務めておりました。他にも宮中の主だった女房たちとは面識を得ておりまする。さて」
松田が口を開けたまま、立ち尽くしていた。そう、お前の目の前にいる童子は核爆弾のスイッチだ。押せば、お前が終わる。
「松田殿の振る舞いが主上の御耳に入れば、松田殿はどうなりましょうや?」
「あっ、あっ、あああああーーーーーっ」
奇声を発して、松田がガタガタと震えはじめた。
帝の第一皇子の方仁親王は後奈良天皇の長男にして、のちの正親町天皇だからな。方仁親王に言いつければ、帝にも伝わる。そうすれば、この男も終わりだ。
「ご、御無礼仕ったぁ。ど、どうか平にご容赦…(・・・)…!」
松田が地面に両手をつけ、頭を下げてきた。完璧な土下座だ。
沢路が俺の方を見て、にやりと笑んだ。
「彦太郎様、ありがとうございます」
庄屋が頭を下げた。百姓たちも頭を下げてきた。女たちが俺に羨望の眼差しを送っている。松田軍は京の中心部に帰っていった。呆気ないものだ。
「全く不逞の輩よ。山科を何と心得るか」
沢路がプリプリと怒っている。
「浦上は成り上がり者です。公家の権威も利かぬと見えまする」
「むう。ご主人様も宮中に籠りきりであろう。今日は東荘を死守する。襲撃はないといいが」
「私が千里様と宮中に行って参ります。方仁様に山科東荘に浦上軍が立ち入らぬようにしてもらいます」
「うむ。頼んだぞ。彦太郎。主上を煩わせるが、致し方あるまいて」
沢路が厳しい表情で頷いた。俺も頷く。浦上の暴虐はこれ以上、許してはならない。




