3、分岐点
享禄三年(1530年) 二月 京 山科言継の屋敷 明智彦太郎
二度目の転生だった。前回は松永久通に転生して失敗した。史実のままに生きてしまった。それが敗因だ。それで終わりだと思ったが、どうも神も仏も意地悪ときている。三度目の人生が始まった。どうせなら、現代に戻してくれよ。そう思わないでもない。
信長とならうまくやっていけると思ったんだがな。公家の女に言い寄っているのを聞いて、幻滅した。これなら足利義昭の方がましだと思ったのだ。
今度の人生は明智光秀らしい。やったね。有名人だよ。と思ったが、楽じゃないらしい。明智の置かれた環境は厳しい。俺は京の三条西家に預けられた。母上の親戚らしい。もうこれだけで史実からかなり外れている。始めは養子という話だったが、三条西実隆の爺様は俺を明智のままにしておいた。どうも土岐の血を引く俺を政治利用して、三条西の宮中での地位を上げようと考えているらしい。
公家にされなくて、良かったわ。おじゃる言葉は苦手だもん。
時は戦国時代。足利の天下だが、大名たちはそれぞれ勝手なことをしている。土岐は元々足利の家臣だ。その分家として、明智がある。
朝廷は困窮し、大名の献金で生きている状況だ。公家たちの荘園も収入がうまく取れない。八代将軍義政の後継者争いに端を発した足利家内部の内紛は永正四年(1507年)の管領細川政元の暗殺でピークを迎えた。政元暗殺後、政元の三人の養子で争うことになったが、勝ちあがったのが高国だ。その高国も京を叩き出された。今は高国の甥の細川晴元が実質上の天下人として、君臨している。
「待たせたな、菊乃殿、彦太郎殿」
山科言継がゆっくりと現れた。松永久通の時はもう老年期に入っていたが、今は若々しい。二十代前半かな。
俺を気に入ったらしい。前回もそうだったが、今回も変わっているな、この男は。
菊乃というのは三条西実世の妻だ。よく笑う女で明るい。いや、俺が変わっているのを面白がっているのかな。
「楽しい話をしたいのでおじゃりますが、我が家も大変でおじゃります。なかなか金子のやりくりが、なあ」
「三条西も見栄を張っておりますが、お弟子さんたちのお布施が収入の主ですわ。私の父も亡くなりましたし」
三条西は古今伝授を生業としている。山科は領地経営が主だ。それでもどこの公家も先細りだ。公家の力が弱くなっている。公家の娘たちも積極的に大名に嫁いでいる。完全に武家優位の時代だ。
「お互いさまでおじゃりますなあ。細川殿も齢十七歳。真に頼りない。諸国の大名もまとまりませぬし、このままでは朝廷は……」
山科が口を噤む。公家たちは愚痴ばかりだ。乱世だからな。仕方ないかもしれん。
「もっと領民が年貢を納めてくれればいいのでおじゃりますが」
「山科様、領民はなぜ年貢を納めないのでしょうか?」
「麿が忙しいからでおじゃるよ。朝廷の蔵は山科家が司っておじゃりますからなあ。麿は方々(ほうぼう)に出向く。そのせいで荘園は疎かとなり、領民は年貢も納めぬ。納めなくても、責められませぬからな。百姓の中には他領の領主に貢物を差し出す者までいるのでおじゃる。困ったことじゃ」
言継が溜め息をつく。
「来月も飛鳥井さんと越前の朝倉に出向く予定でおじゃる。途中で義晴殿にも会う……忙しゅうて、百姓たちを抑えきれぬ」
独り言のように言継はそう言った。
「山科様、私が代わりに山科領に行きましょうか? 領内をつぶさに見て回ります。そして、百姓たちに事情を聞いて参ります」
「……」
言継の目が点になった。面白いことを言う童子だと思っただろうか。
「まあ、彦太郎殿に世話になる程ではおじゃりませぬ」
言継が言葉を吐き出した。さすがに三歳の童子に頼ることはないか。なんか寂しいな。俺、前世では大和一国を任されていたんで実務はできるよ?
菊乃様と言継が宮中の話で盛り上がっている。俺は黙って聞いていた……。
享禄四年(1531年) 二月 山科言継の屋敷 明智彦太郎
「六郎殿もようやくその気になった、ということでしょうね」
精悍な顔つきの男が言継に言った。三好筑前守元長、阿波国の統治者で細川家の重臣だ。俺は初めて会ったな。長男の長慶とは面識がある。というより、可愛がってもらった。まあ、その三好家を滅ぼしたのは前世の俺だが。
六郎、というのは管領細川晴元のことだ。晴元は三好元長を遠ざけていたが、泣きついた。そして、元長は戻ってきたということだ。
「細川高国の動きは怪しゅうおじゃりますなあ。上洛を目論んでいるのでおじゃろう」
「ずっと京にいたいのですが、管領殿の佞臣たちは疑り深い。数日後には阿波勝瑞城に戻りまする。その前に山科様にお会いしたかったのです」
三好元長が静かな口調で告げた。
「筑前守殿、何か麿に言いたいことがあるのでおじゃるか?」
「民が苦しんでおります。政がうまくゆかぬ。私は歯がゆいのです」
場が沈黙に満ちた。
「柳本弾正殿も暗殺された。次は誰が暗殺されるのか。細川家でも噂になっておりまする」
柳本弾正は管領細川晴元の重臣だ。柳本弾正は播磨に出陣。浦上氏と戦に及んだ。浦上掃部頭村宗は播磨・美作・備前を治める新興の戦国大名だ。
戦は柳本方が優勢に進めた。ところが、柳本弾正は攻城戦の最中に急死してしまう。病死と発表された。俺が山科言継と三条西実世に聞いたところでは暗殺されたらしい。細川方は情報統制を敷いているが、朝廷は柳本暗殺の情報を手に入れていた。一体、誰が漏らしたんだか。
「柳本弾正を暗殺したのは細川道永入道でおじゃりましょうな。あの御仁はしぶとい」
「浦上掃部頭に匿われていたようです。柳本弾正の治める丹波国は国人衆が困り果てている。浦上が京に攻め込んでくるのもそう先のことではありますまい」
かつて京の支配者だった細川高国は浦上氏を頼って、落ち延びていたらしい。高国を担いで、浦上は上洛を狙っている。焦った細川晴元は三好元長の率いる大軍を堺に呼び寄せた。その数、総勢二万。三好と浦上の決戦は近づいている。
「義晴様も近江坂本に移動したと聞いております。浦上掃部頭は天下人になろうとしております」
「……三好殿ならば信用におけますが、浦上の兵は暴れぬか心配でおじゃります」
言継が懸念を口にした。浦上は播磨守護の赤松家の被官だった成り上がり者だ。何をするか不安がある。
「山科様の御懸念、無用にございます。この筑前守、都を死守致します。浦上ごとき、蹴散らしてみせまする」
自信満々に三好元長が言う。勇将の世評に違わないな。この後、史実では早死にする。この男の優秀さは周りの目から脅威に移っただろう。元長が俺の方を興味深そうに見てきた。
「公家衆が噂しておりましてな。山科様が妙な童子と親しい、と」
「ホホホ。どうでおじゃろう。麿の軍師でおじゃる。諸国の情勢には管領殿よりも通じておじゃりますぞ」
「軍師! 四歳の童子が、でございますか?」
元長が笑みを浮かべた。おいおい、俺はおいしくないぞ。取って食おうとするなよ。
「彦太郎の言、最もと深く頷いておじゃる」
言継の言葉に元長は笑わない。俺から視線を外さずに品定めしている。
「彦太郎殿、私は浦上を討ち破り、細川高国を討つ。それで畿内をまとめるつもりだ。堺にいる義維様には京にお戻りいただく。それで万事うまくいかぬか」
答えに窮した。義維というのは堺にいる足利家当主だ。近江に逃れている義晴とは次期将軍を巡って争ったライバルである。元長は義維派であり、義晴と細川晴元とは意見が合わない。
「うまくいきませぬ。管領様も三好越後守政長様も元長様と対決するでしょう。義晴様をお二人とも担ぐ。そして邪魔な元長様を討ちまする。私が管領様であれば、そのように考えます」
元長の目が鋭くなる。怖いな。だが、俺も修羅場をくぐってきている。負けるわけにはいかない。
「私はお人よしではない。柳本弾正のように簡単には討たれぬ。六郎殿を逆に討つ」
「それは有り得ませぬ」
言継が驚いたように俺を見る。そこまで言うか、って目をしてやがる。元長は口の端に笑みを浮かべている。
「蓮淳様を忘れておりまする。一向宗が動きます。筑前守様の寝首を掻きまする」
「一向宗が、私を?」
蓮淳。本願寺の長老で全権を握っている人物だ。十六歳の宗主・証如は傀儡とされ、蓮淳が後見している。
元長が俺を凝視する。
「一向宗と六郎が組む……兵は十万を越えような。本願寺の僧兵は精強無比。私は討死か。フッ、フフフフフフフッ」
元長が突然、立ち上がった。斬られる。瞬間、そう思った。
「六郎め、抜かったわ。一向宗か。その手があったわ。柳本弾正を討った次は私を討つか。抜け目ない若造よ」
元長が俺を見下ろした。斬られる。妻の顔が浮かんだ。鍋っ。
「六郎はそなたを斬るであろう。身が危ういと感じたら、逃げて参れ。何なら迎えも寄越す。三好がそなたを守るっ」
物凄い気迫だ。この気迫は前にも感じたな。信長か。息子の長慶と同じオーラだわ。
「ま、まあ彦太郎の言が役に立ったら、何よりでおじゃる」
言継が扇子で仰ぎ始めた。額に汗が流れる。元長が不敵に笑む。あれ、俺、歴史変えちゃったかな?
作中ではさり気なく一年経過です。彦太郎は四歳になりました。この一年の間、何をしていたのかは次話で語られます。長慶パパこと三好元長が登場という珍しい作品になりました。面白い人物ですが、信長が生まれる前に死んじゃうので、ドラマも小説もあまり取り上げませんね。