星を見る人
2019年秋「イラスト交換企画」に刺激を受けて書きました。
私は父に恋をしていた。
父は島で一番立派な体をした美しい男であり、王だった。
八人の子供の親には見えない若い姿で、誰よりも強く、そしてとても丈夫だった。
猪狩りに行って崖から落ちても、海に漕ぎ出て高波に攫われても、父は必ず帰ってくる。
「大変な目にあったぞ」と笑いながら。
父は神に選ばれた王だから、神の寵愛を受けているのだと人々は言う。
だから怪我もせず病も避けて通るのだと。
美しくて勇敢な父が好きで好きで。
見合いの話はいくつもあったが、私は嫁に行かなかった。
末の弟が乳離れするかしないかという頃、母が死んだ。
子を産むたびに痩せていく人だったから仕方なかったと思う。
それでも、あの逞しい父に愛されて「子が欲しい」とせがまれれば女として嬉しかっただろうし、断ることなど考えもしなかっただろう。
母は幸せだったに違いない。
母の死を期に、父は王位を退いて、一番上の兄が島の王になった。
兄の隣には、白い肌、青い瞳、金色の髪の、宝石のように美しい女の人が寄り添っている。
「遠方の国より招いた、私の妻だ」と誇らしげに胸を張り、頬を赤らめる幸せそうな兄。
名を尋ねても彼女は首をかしげるばかり。
兄に訊けば、まだ島に降りたばかりで言葉が通じないのだと言う。
俺も名を知らぬのだ、と。
それなのに、その女の人は既に兄を愛しているようだった。
二人はいつ知り合ったのだろう。
馴れ初めは教えてもらえなかったが、兄は父に似て美しい男だったし、見合い話はたくさん来ていたのだ。
その中から選んだ人に違いない。
「家族が増えてにぎやかになるね」と、皆喜んでいた。
ところが、
そのころから父の様子がおかしくなった。
山の中腹に行って「ここに木があっただろう? 大きな鳥の巣を乗せた、クルミの木だったはずだ」と彷徨くのだ。
昔は木があったらしいが今は小さな畑になっている。それを伝えると、父は畑に座り込んで「そうか」と寂しそうに笑い、その日はずっと空を見ていた。
翌日、同じ畑に座った父は、視線を少し下に向けて「今日はいい風だな。船を出して、魚をとってこようか?」と笑っていた。
誰もいないのに、父は誰かを見ているようだった。
母の幻だろうか。
最初はそう思ったが、母は魚を食べなかったので、違う。
食べると肌のあちこちが赤くなり、ひどい時は腫れて苦しんでいたからだ。
精がつく長魚さえ除けて果実ばかりを食べていた。
母でないとすれば、父は誰を見ているのだろう。
父は毎日、畑に通った。雨の日も風の日も。
ぶつぶつと何かを呟いて笑って。そして時々泣いていた。
雨の中で一晩寝ても熱すら出さない父が泣くのだ。
完璧な肉体と挫けぬ心を持つ、私の父が。
不安になって腕にすがれば、我に返った父は「何でもない」と煙に巻く。「心配しすぎだ。母さんに似たな」と私の黒髪を撫でて笑う。
この大きな手が明日にも消えてしまいそうで、怖くて堪らなくなった私は、七人の兄弟たちに父の異変を打ち明けた。
王位を継いだ兄は悩んだ末、畑に大きな屋根を作り、敷物をしいて父が横になれるよう、寝具もしっかり整えた。
「星が見えなくなったぞ」と文句を言ったが、居心地が良かったのだろう。
父はそこで暮らすようになった。
昼は寝て、夜に起きて、土に座り、星を見上げながら父は何事かを呟く。
人々はそんな父を『星見る王』と呼んだ。
王位を兄に譲った今でも、彼らにとって父は王なのだった。
それから十年、二十年と経って。
さすがの父も死の床を迎える時が来た。
周りには島の内外から集った人々が涙を流して座っている。
彼らは父と同じように毎晩、空を見上げて星を眺めて崇める、星見る人々だ。
私もその一人になっていた。
父は最後に「この山には神から預かった宝が眠っている。この山を離れてはならぬ。神に感謝を忘れてはならぬ」と小さく言って、
はあ、と息を吐いて。
声はなく、乾いた唇だけを動かして……それきりだった。
父は、ずっと語りかけていた誰かの元に行ったのだろうか。
*
「ステラ。ようやく逢えたな……」
「ラスタニウス、お疲れさま……。私、約束通りずっと、あなたのこと見てたわよ」
極北の大星――――銀色の輝きをまとった少女は、微笑んで両腕を広げた。
素敵な企画、素敵なイラストに感謝を!
ありがとうございます。
☆イラストはKobitoさんの作品です。
☆イラストの著作権はKobitoさんに帰属します。©️ Kobito 2019