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純水

 目を覚ましたとき、最悪の気分だった。

 頭がガンガン痛み、体がだるくて仕方がない。

 喉もカラカラだ。


 まさか魔力を一気に消費すると、こんな罠があるとは。


 僕は元々魔力なんてなかったはずだから、使い切っても問題ないだろう思っていたんだけど。

 どうやら、そう単純じゃないらしい。


 魔力を扱えるようになったということは、そういうふうに僕の体が適応、もしくは変化しているということだ。

 胎児がこの世に生れ落ちた瞬間から、肺呼吸を行うように。


 ということはだ。

 もしかすると元の世界への帰還方法が見つかったところで、魔力がなければ無事に帰ることは不可能なのか?


 …………。


 いや、いまはそんなことを考えている場合じゃないな。

 気絶してから、どのくらいの時間が経ってるんだろう。


 重たい体を起そうとしたが、上手く力が入らない。

 代わりに、目蓋を開くとキーラの顔が目に映った。

 なぜか真上にいる。

 ん?

 いまどうなってるんだ?

 キーラの胸とその上の頭の位置から考えると――もしかして膝枕!?


 おお。


 実は彼女ができたら、こんなことをしたり、されたりするのだろうかと密かに妄想していたことが現実に。

 太ももの感触を堪能しようと頭を動かすと、キーラが目をパチパチとした。


「よかった、目が覚めたのですね」


 すこし泣きそうな顔をしたキーラが、心底ホッとしたように息を吐いた。

 う……。

 これは罪悪感で、胸がキリキリと痛むな。

 馬鹿なことしている場合じゃなかったか。


「心配かけてごめん」

「いえ、ご主人様が謝られるようなことではありません。それより気分はどうですか?」

「よくはない、かな。できれば水を一杯もらえないか」

「すぐにお持ちします」


 そういってキーラが僕の体を優しく下ろした。

 ちょっと残念。


 ってそうじゃない。

 周囲の状況を確認する。


 ここは天幕の中だ。


 キーラが運んでくれたんだろう。

 体の下には毛布が敷かれており、荷物は枕元にまとめられている。

 天幕の入り口から太陽の光が差し込んでいるので、それほど時間が経っているわけではなさそうだ。

〈森羅万象〉で調べるのは――まだ止めておいたほうがいいか。

 なんとなくの感覚でしかないのだが、魔力はまだほとんど回復していないと思う。


 キーラが鍋ごと水を持ってきたあと、体を起こすのを手伝ってくれた。


「ありがと」

「お気になさらず、なんでもお申し付けください」


 女神のような微笑を浮かべながら、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。

 冗談じゃなく、ほんとに女神みたいだ。

 キーラがマグカップで一杯すくって口元まで運んでくるが、これはさすがにちょっと気恥ずかしい。

 まあ、せっかくだ。

 体もまだ本調子じゃないので、そのまま飲ませてもらった。

 ふう。

 生き返った気分だ――と思ったのだが。


 うん?


 変な感じがする。

 というよりもおいしくない。

 なんだこれ?

 ただの水だよな?


 んー。


 あっ、そうか!

 これはほぼ純水になってたんだっけ。

 つまりミネラルなども含まれてないのか。

 だから味もないし、妙な飲み心地がするわけだ。


 これが純水かぁ。


 都市伝説では飲むのは危険だという話もあるのだが、実際は特に害はないらしい。

 でも、普通はそのまま飲むようなものじゃないっていうのも納得の味だな。

 軟水と同じように、これで料理したりお茶を入れるのに使うとおいしいのかもしれない。


 お茶は……ないよな。


 だけど、魔法鞄には以前買った蜂蜜やらが残ってたはずだ。

 すこし気力が回復してきたので、自力で起き上がり、荷物を漁ってみる。

 蜂蜜と料理用の塩を一つまみ。

 あとは果物の果汁でもあればいいんだけど……干した果物しかないな。

 しょうがない、葡萄酒を少々。

 葡萄酢(ワインビネガー)みたいな感じで使ってみる。


 分量は適当だが、こればっかりは試行錯誤してみるしかない。

 しっかりと混ぜ合わせてから飲んでみると、ただの純水よりは飲みやすくなった。

 だけど微妙なスポーツドリンクみたいな味だな。

 やっぱ果汁じゃなきゃ駄目か。

 せめてキンキンに冷えていればなぁ。


「……ご主人様、なにをお作りになっているのですか?」

「これ?」


 なんていえば伝わるかな?

 この世界にスポーツドリンクなんて存在しないし。


「清涼飲料水の一種なんだけど、こういうときの水分補給に適してるんだよ」

「そんなものがあるのですか。初めて知りました」


 キーラが感心した様子でマグカップを見る。


「汗をたくさんかいたりしたあとは、水と一緒に塩分なんかも摂ったほうがいいんだけど、それだけだとしょっぱくて飲めたものじゃないからね。本当は蜂蜜だけじゃなくて果汁なんかもあればいいんだけど」

「さすがはご主人様、いろんなことをご存知なのですね」

「いや、たいしたことじゃない。こういうことを発見して、最初に作った人がすごいだけだよ」

「ですが、私はそんなこといままで聞いたこともありませんでした。ご主人様はどこで学ばれたのですか?」


 え……。

 あー、ついつい話しすぎたみたいだ。

 キーラが興味津々な顔で、答えを待っている。

 どうするかな。


「んー、僕の故郷なんだけど、言ってもわからないくらい遠くだからね」

「そうなのですか」

「うん、そうなんだ」


 結局こんな答えしか返せなかった。

 いつかキーラにも、もっといろんなことを話せるようになれればいいんだけど。


「それより僕はどのくらい気を失ってた?」

「だいたい鐘一つ分くらいかと思いますが、迷宮内ですので正確な時間まではわかりません」


 露骨な話題の変更だったが、キーラは特に不審に思ってはいないようだ。

 僕の気にしすぎだったかな。

 まあいい。

 鐘ってのは神殿の鐘だよな。

 ということは三時間程度か。

 結構長いな。


「そのあいだ、魔物の襲撃とかは大丈夫だった?」

「はい。私が警戒していた限りでは、特に魔物の気配は感じませんでした」

「そうか。ありがとう、キーラ」

「いえ、護衛として当然の役目を果たしたまでです」


 キーラが胸を張る。

 キリッとした顔をしていても、褒めるとすこし表情が崩れるのが可愛い。

 キーラのためにもこれからは無茶しすぎないようにしないとな。


「だいぶ気分はよくなったし、もう大丈夫かな。次からは気をつけるよ」

「はい。是非ともご自愛ください。……それにしても結局なんの実験だったのですか?」

「〈浄化〉の魔術を試してたんだ」


 だけど、予想外の魔力を消費して気絶なんて事態になってしまった。

 なんでだろう?

 僕の魔力量がまだまだ少なかったうえに、すでに結構使っていたという事情もあるのだが、鍋一杯分の水を〈浄化〉するのに、こんなに魔力は必要ないはずだったんだけどな。


「性質変化の魔術は高度だと聞いたことがありますが、ご主人様は無詠唱でお使えになるのですね。さすがです」


 キーラの中で僕はどんな人間に見えているのか、ちょっと気になるな。

 しかし無詠唱か。

 確かに、あのとき呪文の類いは唱えなかったけど。

 思念操作さえ完璧なら呪文自体は必須ではないはずだが……効果に違いが出るのだろうか?


 いや、それは関係なくて、単純に性質変化を完璧にやりすぎたせいかもしれない。

 僕は事前に〈森羅万象〉で成分分析を行い、普通じゃありえないほど精確な情報や知識を得た。

 それが思念や想像力に影響を与えて、純水レベルまで〈浄化〉してしまったのだろう。


 この世界の住人はここまで徹底的な〈浄化〉の魔術は使用しない。

 すくなくとも〈森羅万象〉で得た知識や残留思念からは、普段の飲み水程度を想像して魔術を行使している。


 うーん、まだまだ研究と改良の余地はあるみたいだな。

 まあ、今度はもっと上手くできるだろう。


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