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迷宮探索


「今日から本格的な迷宮探索を始める」


 場所は宿の食堂。

 朝食を食べ終わり、満足そうな顔をしていたキーラは宣言を聞いて、一瞬目をパチクリさせた後、パチパチと手を叩いて喜んでくれた。

 キーラにとっても楽しみなのは間違いないだろう。


 昨日、イディンマールナヴァット商会へ行き、探索準備を整えた後、情報収集も行った。

 宿に帰ってからはアイリさんたちに、しばらく留守にすることも伝えた。


 地上にいても厄介ごとが多いし、転移魔法陣をはじめとした魔法や魔術、魔技について研究や実験するのに迷宮ほど適した場所はない。

 あと単純に所持金がもうほとんどないという世知辛い事情もある。


 まあ、そういうわけで迷宮探索なのだ。


 ちなみに探索計画は組合へ提出しないことにした。

 以前〈踏破する巨人〉のアウルスに情報が一部流出していたようだし、あまり情報を外へ出さないほうがいい。

 考えてみれば組合職員も冒険者であるなら、彼らの息がかかった冒険者がいてもなんら不思議じゃないわけだし。


 保険の救助隊に期待できないのが、若干不安ではあるのだけれど、そもそもどこまで探索が進むのかわからないし、ちょっとでも危険だと思えば、無理せず撤退すれば問題ないだろう。



「準備はいい?」

「はい、ご主人様の御身は私の命に代えてもお守りいたします」


 気合十分というか、キーラの覚悟が重い。


「……いや、二人で生きて帰るよ」

「そうですね! ご主人様と二人でなら、いずれ竜殺しも成し遂げ、騎士に叙勲されることも夢ではありません」


 僕への信頼も重たい……。

 そんなに期待されるようなことをした覚えが無いんだけどなあ。


「いってきます」


 アイリさんとエイラに挨拶をして出発する。


「無事に帰ってきてくださいね」

「部屋はいつでも空けておくからね」


 エイラに空けなくても空いてるじゃん、と突っ込みたいところをなんとか踏みとどまって、曖昧な笑顔で宿を後にした。

 過去の話を聞いて、宿の経営に苦労してるのを知っていると、軽口を叩いていいものか迷うんだよな。


 まあ、それはともかく。


 中央広場に向かうと、相変わらずの人だかりで賑わっていた。

 転移門の前にも冒険者の列ができており、すぐには迷宮へ入ることができなさそうだ。

 なんだろう?

 もしかするとお宝の発見で活気づいているのかもしれない。

 仕方ないな。


「キーラ、先にお昼に食べるものでも買いに行こう」

「畏まりました」

「好きなものとか、食べたいものがあったら、遠慮せず言うこと。いいね?」

「……はい」


 すこし迷うような間があったが、しっかりと頷いたので大丈夫だろう。

 はぐれないようにキーラの手を引いて、広場の屋台を巡ってみる。

 キーラは革の手袋と篭手を装備しているため、直接手に触れるわけではないのだが、女の子の手を繋いで街歩きするのは、それだけでもちょっと楽しい。


 屋台にはパンや串焼きの肉などが多いが、スープを売る店もあった。

 どうやら客が持ち込んだ容器に入れてくれるらしい。

 使い捨ての容器なんて存在しないので、ここではこれが一般的なんだろう。

 僕たちは用意してないうえ、探索に行くんだから汁気のある物や油が滴るような食べ物は駄目だろうな。


「キーラはなにか気になったものはある?」

「えっと……私はあれなんかいいと思うのですが」


 キーラは若干遠慮しつつも、指を差す。

 その先には丸いチーズの塊が並べられた屋台があった。


「へえ、おいしそうだね。キーラはチーズが好きなの?」

「はい。バルキスでは乳製品が多く食されるのですが、中でもチーズは小さな頃からよく食べてました」


 北方では農業よりも酪農や牧畜が盛んなんだっけ。

 それに胸の成長には乳製品がいいと聞いたことがあるような。

 なんかいろいろ納得した気分だ。


「一つ買っていこうか」

「ありがとうございます」

「お礼なんていいよ。キーラは大切な仲間なんだから」

「はい」


 お互いにもっと遠慮なく、言い合えるような関係になれるといいんだけど。

 主従関係ではやはり難しいのかな。

 焦らずゆっくりと関係を深めるしかないか。

 一緒に買い物して、一緒に食事する。

 そういうことも大切なんだろう。


 キーラと一緒に屋台でチーズを選ぶ。

 大きい奴は人の顔が隠れそうなくらいある。

 日持ちはしそうだけど、さすがにデカ過ぎるよな。

 中くらいのでいいか。


 キーラのお気に召したものを購入し、清潔な布に包んでから魔法鞄にしまう。

 普通の背嚢と違って、内部は温度や湿度が安定しているし、外部からの衝撃が伝わらないので保管に適しているのだ。

 まあ、いま擬装用に背負っている背嚢も迷宮に入れば魔法鞄にしまうつもりだけど。


 あとはパンも買っておこうかな。

 種類はいろいろある。

 小麦のパン。

 ライ麦の黒パン。

 無発酵の平パン。

 なかには女神を模ったというパンも売っていた。

 陶器のパン型に入れて焼いたものなのだが、見た目はただの裸の女性で、その店に集まっている客たちも笑いながら手に取っている。


 さてどれにしよう。


 迷宮では焼きたての、ふっくらとしたパンは食べることができなくなるから、小麦の白パンにしようかな。



 買い物が終わった頃には、転移門前の行列もだいぶ捌けていた。

 そろそろいいだろう。

 後ろに並ぶと、程なくして僕たちの順番になる。

 僕は下級冒険者の認識票を。

 キーラは奴隷の認識票を門番に示すと、問題なく通された。


「それじゃあ、行こうか」

「はい、いつでも大丈夫です」


 転移魔法陣の上に二人で立ち、教練のときに教わった呪文を唱える。

 すると周囲の景色が歪み――

 僕とキーラは迷宮一階層の境界広場へと転移した。


 列柱と広場。

 そしてその先に広がる草原。


 しかし境界広場は前に来たときよりも明らかに活気づいていた。

 あちこちで運び屋が声をかけていたり、情報屋に群がる冒険者たちの姿。

 一階層にはまだお宝が眠っていると、彼らは考えているらしい。


 ここで僕の顔を知っている者に出会ったら、確実に面倒なことになるな。

 外套のフードを目深に被って、キーラと一緒にその場をそっと移動する。


 あえて順路を外れ、人気のない場所に向かったので、もう大丈夫だろう。


「これがウルクスの大迷宮ですか……」


 キーラは警戒しつつも、興味深そうに周囲を見回している。


「キーラは初めてなんだよね?」

「は、はい」

「緊張しなくてもキーラの実力なら大丈夫だよ。イリス教官もそう言ってたでしょ?」

「……そうでした。ご主人様の足を引っ張らぬよう全力を尽くします」


 むしろ僕が足手纏いになりそうなんだけど。

 キーラに愛想尽かされないように頑張ろう。


「まずは僕が魔物を探すから、一回戦ってみようか」

「お任せください」


 やる気は十分のようだな。

〈森羅万象〉を発動し、すでに戦った経験のある一角兎を探してみる。


 徐々に範囲を広げると、すこし離れた場所に二匹見つけた。

 別の場所にも一匹。

 最初は一匹のほうがいいだろう。


 邪魔な背嚢を魔法鞄にしまい、代わりに弩を取り出す。

 護身用の短剣と防具はすでに身に付けているので、これで準備完了だ。


「よし、行こう」


 風下に回りこむのは大変だし、キーラが前衛を務めてくれるので、まっすぐに移動した。

 教練のときと同じくらいの距離で、いったん止まり、キーラに声を掛ける。


「この先に一角兎がいるのがわかる?」

「え? どのあたりでしょうか」

「あの、草むらが微かに揺れているあたりだ」

「気がつきませんでした。どうしてご主人様はお分かりになられたのですか?」

「えっと……索敵は得意だからかな」


 我ながら微妙に答えになってないな。

 かといって〈森羅万象〉を明かせば、キーラを一生奴隷から解放できなくなる。

 いや、キーラを解放したからといって、僕のことをペラペラと喋るようなことはしないだろうけど、話の流れでついうっかりと情報が漏れる可能性だってあるわけだし。

 まあ、それ以前にキーラはまだ解放されるつもりもないようだけど。


「さすがはご主人様です」

「……ありがとう。それでどうしよう? ここから弩で攻撃するか……それともキーラが一対一で戦ってみる?」

「よろしいのでしたら、私が戦ってみたいと思います」

「わかった。相手の動きをよく見て、対応すればキーラの敵じゃないから、自由にやっていいよ」

「ありがとうございます」


 いざとなれば回復薬もあるし、僕でも援護くらいはできるはずだ。

 キーラが剣を抜き、僕に目配せすると、勢い良く駆け出した。


 一角兎は――すぐに気がつき反応した。


 草むらから跳び上がると、一瞬迷ったように周囲に目を向ける。

 そういえば逃げる可能性を忘れていたな。

 ある一定以上の格の違いを感じ取ると、魔物といえど逃げ出すこともあるのだが――


 一気に距離を詰めてくるキーラに逃げられないと悟ったのか、それとも格上ではないと判断したのか一角兎は真っ直ぐに突っ込んできた。

 キーラは胸に跳び込んで来た獲物へ冷静に剣を合わせ、擦れ違いざまに切り捨てる。


 一撃か。


「やりました!」


 キーラが鉄兜の面頬を上げて、嬉しそうに振り返った。


「うん、見てたよ。お見事」


 わかってはいたけど、僕とは全く違うな。

 あそこまで冷静に対処するとは。

 そもそも一角兎が僕を見つけたときは、迷うことなく襲ってきてたのに、キーラには躊躇するような様子だった。

 魔物から見てもそのくらいの力量差はあるってことなんだろうか。

 剣捌きだけでも歴然とした差があるのは間違いないけど。


「獲物の解体は水場の近くでやろうか」

「私にお任せください」


 キーラが一角兎の角を持って、運んでくる。

 美少女と血に濡れた獲物ってのもすごい絵面だけど、魔物の死体を躊躇なく触れるのもすごいな。

 異世界人は逞しい。



〈森羅万象〉で地理を把握し、近くの小川へとやってきた後は、キーラが自ら解体を行った。

 平然と行うので正直動揺したが、話を聞いてみると事情は納得できた……と思う。


 ウルクスでは一般的に冷蔵庫の類いは使われていない。

 一部では、冬の間に氷を取ってきて氷室を作ったり、氷を作る魔道具などがあるようなのだが、広く一般に普及はしていないらしい。

 だから食品を新鮮なまま保存するには、食べる直前まで生かしておくのが一番と考えられている。

 なにが言いたいかっていうと、市場などで肉を買うときは、その場で屠殺することも多く、人々には見慣れた光景なのだという。


 異世界ヤバイ。


 いままで肉を買いに市場に寄ったことがなかったけど、行かなくて良かった。

 キーラにとっては買ってきた魚を家で捌くのと、対して変わらない感覚なんだろうけど。

 僕はまだそこまで割り切れない。



 キーラがさくっと解体を済ませ、汚れを洗い流したあとは、いったん狩りを中止して、程よい場所に設営した。

 今日はここでやりたいことがあったのだ。


 ずばり魔法研究だ。


 いよいよと言うべきか、いまさらと言うべきか。

 宿で実験してなにかあったら大変だし、かといって往来でやるのも面倒事になりそうだったので、手を出さなかったのだ。

 まあ、いままでは魔力量を筆頭に、いろいろと余裕がなかったのも理由なんだけど。


 しかし、今なら誰に憚ることなく実験できる。


 護衛として魔物相手でも問題ないと証明されたキーラは、秘密保持の面でも問題はない。

 安心して研究に没頭できるというものだ。


 というわけで学生の本分に立ち戻って、魔法の勉強から始めよう。


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