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探索準備

 薄暗い室内に石鹸の微かな香りが漂っている。

 抱きつくようにして眠るキーラの髪に鼻を寄せると、匂いをよりはっきりと感じた。

 爽やかな朝だ。


 あれから――


 お風呂での長話のあと、僕たちは何事もなく浴槽から上がり、着替えを済ませ(もちろん買ったばかりの綺麗な服だ)、その場で解散となる予定だったのだが……キーラがせっかく汗を流した後なのに、帰りの護衛としてまた鎧を身に付けようとしていたので、装備するかしないか問答になった。

 普通の奴隷として扱うのなら、キーラのやり方が一般的なんだろうけど、僕がそこまで割り切れなかったせいだ。

 結局見かねたイリス教官が、宿まで送ることを提案した。

 私がいれば鎧など必要ない――と。

 さすがにそこまで面倒はかけられないと一度は断ったものの、キーラのためだといってイリス教官はついて来てくれた。


 なんというかイリス教官には世話になってばかりだな。

〈止まり木〉亭に着いたあとは、夕食にお誘いして、ご馳走はしたのだけれど、今度改めてなにかお礼しようと思う。


 食事中に話をしたかぎりでは、休みはもうすぐ終わりにして迷宮の深層へ潜るつもりだと言っていたので、探索で役立つものがいいだろうか?

 でも僕が入手できる程度のものならすでに持っていそうだしなぁ。


 今日はキーラと探索道具を揃えにいくつもりなので、途中でいいものがないか探してみようか。


「キーラ、朝だよ」

「……おはようございます」


 寝惚けまなこを擦りながらキーラが目を覚ます。

 昨日はお風呂のときからずっとムラムラしていたので、宿の部屋に戻ってから夜遅くまで、僕と付き合ってもらった。

 おそらくそのせいで、あまり眠れなかったのだろう。

 ちょっと申し訳ない。

 次からは気をつけたいが、一つの寝台にお互い裸で寝るとなると我慢できる気がしない……。

 まあ、なんとかしよう。


「今日は迷宮探索の準備をするよ」

「……迷宮!」


 楽しみにしていたのだろう、キーラはその一言でようやく覚醒した。

 いそいそと身支度を済ませ、すこし遅い朝食のため食堂へ向かう。


 お土産にいろんなものを渡していたからか、今日はいつもより豪華だった。

 燕麦粥だけでなく、小麦のパン、目玉焼き、カリカリに焼いた燻製肉ベーコン、柑橘系の果物など。

 目玉焼きには買ってきたばかりの肉醤油を垂らして食べてみる。

 口に入れると、まるで肉を食べているかのような風味が広がる、贅沢な味わいだ。


「おお、おいしいね」

「はい」


 キーラも満足そうな笑みを浮かべた。

 僕より運動量の多いキーラにとっては、朝に燕麦粥だけではもの足りないだろうし、アイリさんたちもそのへんに気を使ってくれたのかもしれない。


 勝手に好きなものを注文して、好きなだけ食べてくれれば楽なんだけど、キーラが遠慮するのは予想できるので、ほんとは僕が配慮すべきだったんだろうな。

 まだ主人という自覚が足りてない証拠か……。

 


 満腹になったあとは食休みも兼ねて、必要なものと、それを売っている店について考える。


 基本は教練のときに借りたものと同じでいいが、携帯糧食の類いはもっとマシなやつを買おう。

 主武器の弩と太矢はすでにある。

 予備の短剣も……発掘品ではあるが持っている。

 防具もとりあえず大丈夫。

 背嚢は……魔法鞄の存在を隠匿するために持っていくか。

 重いものや大切なものは魔法鞄に入れて、それ以外は背嚢に入れておこう。


 さて問題は探索道具なんてものがどこに売っているのか、だ。

 本来は組合で聞くのがいいのだろうけど、あそこに行けばまた面倒事に巻き込まれそうなので、〈森羅万象〉で調べる。

 魔力量も日々順調に増えているようなので、いまなら後先考えず使ってもいいだろう。

 情報量が多くなれば頭痛が酷くなるんだけど……。


 評判のいい探索道具を売っている店に、情報を限定して魔法を使う。


 …………見つけた。

 イディンマールナヴァット商会。


 商会の関係者に現役の冒険者がいるようで、品揃えと質の良さが評判らしい。

 とりあえずここにいってみるか。


「キーラ、出発するよ」

「はい、道中の護衛はお任せください」


 足取りの軽いキーラを連れて宿を出た。




 店は南地区にあった。

 建物は豪奢で、大通りに面した立地。

 いかにも冒険者といった風貌の人々がひっきりなしに出入りするあたり、評判通り繁盛しているのだろう。

 なかなかの大商会みたいだな。

 キーラを連れて店に入ると、中には所狭しと商品が並べられていた。

 さまざまな大きさの背嚢、天幕、毛布、鍋や食器などの調理器具、携帯糧食、円匙スコップ、油と角灯ランタンなどなど。

 武器や防具まである。


「へ~ここなら全部揃えられそうだな」

「もちろん! なんといっても帝都一の品揃えなんだから!」


 思わず漏れでた呟きに、元気のいい声が答えた。

 振り向くと、一人の女性がにっこりと笑って僕たちを見ている。

 赤みがかった金髪ストロベリーブロンドを肩よりすこし上のあたりで切り揃えた、快活そうな女性だ。

 歳は十代の後半から、二十代の前半くらいだろうか。

 薄く日に焼けた健康的な肌を、惜しげもなく露出する格好をしていた。


「いらっしゃい。なにをご所望かしら」

「えーと、お店の人?」

「一応ね」


 一応って……なんか怪しいな。


「そんな顔しないでよ、傷つくじゃない」

「え、あ、ごめん」


 不審に思ってることが顔に出ててただろうか……。

 表情を引き締める。


「ふふっ、冗談よ。自己紹介もなしに話しかけられたら警戒もするわよね。私の名前はメルカ。本名はこのあたりの人には長いだろうからそう呼んでね」

「このあたり?」

「私自身は生まれも育ちもここウルクスなんだけど、父親の家系はイスィンが出自なのよ。それで本名は長々としたやつがあるの」


 昨日、お風呂でキーラの出身について話をしたあと、この世界の地理に関して簡単に調べたのだが、イスィンはウルクスの南にある四方領域の海と呼ばれる巨大な内海を渡った、さらに南にある大国だったはずだ。

 ウルクスを含め、周辺国の多くが、四方領域の海こそが世界の中心と考えているらしく、その周囲にある四つの地域と国が古くから尊ばれている。

 西のアトリア。南のイスィン。東のエルム。

 そして北のウルクス。

 それぞれが古い歴史と文化を持つ大国で、イスィンにはウルクスとは異なる名付け方があるのだろう。


「……なるほど」

「で、そんな私の父さんがここの商会長ってわけ」


 メルカがさらりと言った。

 つまりご令嬢ってことか?

 ちょっとおてんばそうな感じもするけど。


「なら正真正銘お店の人と言ってもいいんじゃないの?」

「う~ん、私は商人じゃなくて、冒険者になったから店員とかそういうのとは違うのよ」


 冒険者!?

 商会の関係者にいるっていうのは、まさかの商会長の娘だったのか。

 ずいぶん思い切った選択をしたな。

 見た限りではお金に不自由している雰囲気はないけど……なにか事情があるのだろうか。


「ちなみに階級は中級冒険者よ。そして血盟団〈冒険商隊〉の商隊長でもあるの」


 中級で、血盟団の商隊長。

〈冒険商隊〉というのは聞いたことがないけど、結構やり手なんだろうな。


「すごいですね」

「それだけ?」

「え?」


 また対応を失敗しただろうか?

 もうすこしお世辞リップサービスの一つや二つ言っておくべきだったかもしれない。

 知らないのに適当なことを言えば、余計に拗れる可能性もあるが。


「ふーん、なるほどね。その様子だと〈踏破する巨人〉を知らないっていうのも嘘じゃなかったみたいね」


 それって――昨日の組合での出来事のことか?

 なんで知ってるんだ。

 あのとき、あの場でメルカの姿は見なかったはず。


「なんで知ってるのかって顔してるけど、商人の娘で、中級冒険者なら、この程度の情報収集くらいお手の物なのよ、ソラくん」


 メルカがにやりと口元を歪めた。

 情報収集――

 組合館にいた冒険者に聞いたのか、元々あの場に仲間がいたのか。

 しかしまさか僕の名前どころか顔も把握されていたとは。

 どこまで情報は広まってるんだろうか。


「心配しなくてもいいわ。私たちは、彼ら巨人とそこまで親交があるわけじゃないし、利益があるなら誰とでも取引するの」


 利益があれば、ね。

 商人らしい冒険者だな。


「ここで買い物するなら、相談にも乗ってくれたりするのかな?」

「もちろん――買ってくれるなら」


 言ってメルカはにっこりと笑った。

 愛嬌がある可愛らしい顔をしているのに、どことなく腹黒そうな面がチラつく……。

 まあ、いいんだけどさ。

 無償だとか、無私でといわれたら、それはそれで警戒するだろうし。

 僕もなんだかすっかり擦れちゃったなぁ。


 それはともかく。


 現役の中級冒険者から話を聞いて買い物できるなら、悪くはない。

 品揃えや品質もいいようだし、手に入るものはここで揃えてしまっていいだろう。


「わかった。それじゃあ、おすすめの探索道具一式を頼めるかな」

「ふふっ、任せて!」


 メルカが軽やかに店内を動き回る。


「ちなみに武器や防具はいらないの?」

「それはすでに持ってる」

「ふ~ん。予算は?」

「十レオル以内……かな」


 金貨二十数枚と銀貨や銅貨がすこし手元にあるが、すべてを使うわけにはいかない。

 だからといってケチると、ただでさえ大変な迷宮探索でさらに苦労することになる。

 難しいところだ。


「その金額なら本当に必要最低限しか揃えられないけど、階層は……浅層だよね?」


 言いながらメルカは棚に陳列された道具を手にとって行く。


 組合では迷宮十階層までが浅層、三十階層までが中層、それ以降が深層と呼ばれている。

 イリス教官が深層へ行くという話をしたときに聞いたことの一つだ。

 たしか浅層は草原や森林地帯だが、中層以降は湿原や密林、海岸、洞窟などもあるとかなんとか。

 つまり探索道具も階層に合わせたものが必要になる。

 にしても金貨十枚でぎりぎりなのか。


「目的や技能、人数によっても、いろいろと変わってくるから、できるだけ詳しく教えてくれると助言もしやすいわ」


 目的、技能、人数。

 どこまで教えていいものか……迷うな。

 メルカはあくまで助言のためと言って訊ねているが、その実これは情報収集の一環でもあるはずだ。

 当たり障りのないところ、見て分かるところくらいは言っても大丈夫とは思うが。


「人数は見ての通り二人。目的や技能については、それでなにが変わるのかを、まずは教えてくれる?」

「……そうね、例えば目的が採取系なら採掘道具や伐採用の斧が必要になるし、遺跡・・の発掘をするなら、罠や錠前外しの道具がいるでしょ? 技能は料理ができるか、できないかで調理道具が必要かどうか判断するし、魔術が使えるなら火口箱をはじめいろんな道具は無くてもいいとかそんなところよ」


 なるほど。

 そういう情報か。

 なら問題はないかな。

 遺跡のところは微妙に含みがあったような気がするけど。

 僕が宝箱を持ち帰ったことも知られているんだろうし、ほかの遺跡に関する情報も持ってるのか、さり気なく探ろうという魂胆かな。


「目的は探索と踏破。技能は……特にこれといってないかな。だけど調理道具は持って行くつもりだよ」


 保存食の乾パンや干し肉だけで飢えを凌ぐなんて耐えられない。

 僕が作ったほうがマシだと断言できる。

 料理の経験は少ないけど、手先は器用なほうだし。

 実際に学校の家庭科や野外活動での飯盒炊爨はんごうすいさんなど、どれもおいしくできた。

 むしろ料理で焦がしまくったり、味付けが壊滅的な人は、料理中なにをしているのか見てみたいくらいだ。


「料理はどちらかができるってわけね。魔術はどのくらい堪能なの?」

「いや、言ったとおり特にこれといってできることはないよ」

「――意外と警戒心が強いのね。もうすこし教えてくれてもいいじゃない。代わりに私のこともいろいろ・・・・教えてあげるから」


 メルカはそう言って腕を体の前で組んだ。

 露出の高い服装をしているので、胸の谷間が強調されているのが見える。

 いろいろ・・・・って――まさかの色気仕掛けか!?


「ねえ、どうなの? そんな格好して魔術が使えないわけじゃないんでしょ。それに遺跡についてもなにか知ってるんじゃないの?」


 メルカが胸を寄せて、上げる。

 柔らかそうな谷間に視線が集中しそうになるのをなんとか堪えた。

 キーラがいない頃であれば、耐性がなさ過ぎて危なかったかもしれない。

 しかし、嘘は言ってないんだけどなあ。

 信じてくれるかどうか。


「魔術や魔技はまだ勉強中だし、宝箱の件は本当に運が良かっただけなんだよ。これは誓って本当に」


 灯台下暗し。

 あんな近くに未発掘の宝箱があったのは運が良かったといっていいはずだ。


「本当に本当?」

「嘘はついてない」

「…………まあいいわ。秘密はありそうだけど、その言葉は信じることにするよ。あーあ、私もお宝発掘したかったんだけどなー」


 メルカは残念そうにぼやいた。

 そんなことを言われてもな。

 また見つかるかどうかは、僕だってわからないんだし……。


 そんなことより話を戻していいかな?


「で、探索道具については、どういうのが向いてるか分かった?」

「そうね、だいたいは絞れたけど、あとはどういう野営をするのかはまだ聞いてなかったっけ」

「どうとは?」

「例えば天幕を二人で一つを使うなら二人用の物が必要になるけど、夜間の見張りを交代でするつもりなら一人用天幕で十分だと思う」


 あー。

 それもそうか。

 確かに二人一緒に寝れば夜間の襲撃に気づけないから、見張りは必要だよな。

 教練のときと同じだ。

 となると二人用があっても意味はないから、メルカの言うとおり一人用の天幕にするか。

 値段も一人用のほうが安いしな。。


「じゃあ一人用で」

「わかったわ。荷物も嵩張るし、毛布もひとつでいいかな。そうなると背嚢は中くらいで――」

「ああ、そういえば背嚢も一応持ってるんだけど」

「見せて」


 メルカに古着屋で貰ったものを手渡す。


「探索用のものじゃないし、すこし小さいけど、使えなくはないか。どうする?」

「とりあえずはそれを使うよ」


 迷宮では魔法鞄を使うつもりだし、わざわざ新調する必要はない。

 これはわざわざ言うつもりもないけれど。


「いいわ。またお金ができたときにでも買いに来て」


 メルカはチラリとキーラを見た。

 組合での情報を集めたのなら、護衛の奴隷を買って所持金がほとんどないことも知っているのだろう。


「この容量と、予算、目的だと、あれと、これもいるかな」


 メルカがぶつぶつと呟きながら、道具をかき集める。


「もうちょっと予算があれば、便利な魔道具もいくつか買えるんだけどね」

「どんなものがあるの?」

「点火の魔術が使える杖とか、泥水を浄化して飲み水にするやつとか迷宮探索では重宝するよ」

「値段は?」

「点火杖が一レオル。浄化水瓶は十レオルくらいだよ」


 それはさすがに予算超過だな……。

 魔道具は魔法鞄のように、魔法や魔術が付与された特殊な道具だけあって、どれも高価なのはしかたないんだろうけど……。

 ちなみに魔力源は魔物からとれる魔石――正確には魔力結晶を使うものと、術者の魔力を消費するものがあるらしいけど、どちらにしても維持費というか対価は必要なので、買ったあともただで使えるわけではない。

 魔法鞄の場合なら、出し入れする際に、毎回少量ずつ内部の魔力が消費されているので、このままなにも手入れせずに使い続ければ魔力が切れて、ただの鞄になってしまう。

 これからは迷宮で魔力結晶を手に入れたら、売らずに取っておき、魔力補給に充てなくちゃな。



「フラー、ちょっと手伝ってくれる?」


 メルカが店の奥で木箱を運んでいた男に声をかけた。


「なにを手伝えばいいんです、お嬢」


 フラーと呼ばれた男は荷物を置くと、重い足音を立てて歩いてくる。

 身長はかなり高く、体の厚みは僕二人分くらいはあるだろう。

 顔つきは穏やかそうにみえるのだが、体には古い傷跡がいくつも残っており、冒険者あがりの店員といった雰囲気を漂わせている。

 もしかしたらメルカと同じ現役かもしれない。


「商品を勘定台まで持っていって」

「へい」


 メルカはフラーの腕に商品を積みながらも、話を続ける。


「これできっちり十レオルよ。買ってくれるなら背嚢への正しい詰め方から、道具の使い方、探索に役立つその他諸々の説明もするわよ」


 提示した予算ぴったりか。

 まあ、見たところ必要なものは揃っているようだし、情報は大切だ。


「わかった。それで決まりだ」


 勘定台にいる、店員にお金を支払い、キーラと一緒に説明を受けた。



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