残り香
チラシ、ガスと水道代の領収書、電気代の請求書、世界平和実現を掲げる幸福新聞、ポスティングバイト求人用紙、地域情報冊子。
請求書以外をぽつぽつとゴミ袋に放り込む音。気まぐれで摘んできた白い花がカーテンの隙間からこぼれる光を浴びていた。アパシーな空気が一人暮らしの部屋を満たし、退屈な時間は退屈な作業で消費される。
目と手が止まる。
俗世くさい紙の束に一つの封筒が紛れ込んでいた。住所は間違っていない。間違っているのは宛名だ。古賀優斗様。自分は生まれてから今まで伊藤の苗字しか持ったことがない。名前も違う。数秒の逡巡。びりびりと好奇心の勝利した音が終わり、封が開かれる。
拝啓
古賀優斗様。変わりなくお過ごしでしょうか。どうかご自愛ください。
敬具
送り主の名も無い簡素な手紙がそこにはあった。誰もが携帯電話を持っている時代にわざわざ手紙を書いて送ってくるほどの相手にも関わらず、古賀優斗という人物は引越し先どころか引っ越す事すらこの手紙の送り主へ告げずにここを去ったらしい。それとも送り主が彼の住所を知った時期が遅かったためにすれ違いが生じてしまったのか。
邪推だな。浮かぶ考え以外に答えがあったとしてもそれはきっと現実的で、ロマンチックのかけらもない日常の断片にすぎないだろう。
手紙は封筒の中にしまい、とりあえずテーブルの上に置いた。退屈な郵便物の仕分け作業を再開する。
一か月後、また古賀優斗宛の手紙が届いた。前と同じ封筒。送り主の希望とは裏腹にこの手紙は古賀優斗に届かない。それを伝えようにも古賀優斗へ届けようにも手段と気力を知りはしない。
多少の罪悪感を思うもゆっくりと封を切っていく。部屋には紙を切る音と微かな花の香り。そういえば一ヵ月前に摘んだ花の名前は、ハルジオンだった。
拝啓
古賀優斗様。これが最後の手紙になります。最初にこんな宣言をするのもこれが最後だと自身に言い聞かせるためです。あなたがこの手紙を読むことが無くても自身への誓いとして、あなたへの決意として書かせてください。
初めて声を掛けてくれた瞬間を今でも引きずっているせいで迷惑をかけているのかもしれません。それでも同じ時間を過ごすことができた学生時代はとても楽しかったです。季節の移り変わりも、にぎやかな校内も、砂利の多い近道も一人じゃなかったのはあなたのおかげでした。感謝を尽くしても足りません。
初めてあなたに告白をした時のように、一方的な感情をぶつける事しかできない私をどうか許してください。今まで本当にありがとうございました。どうかこれからも元気でいてください。
敬具
山本雄介