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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第10章 王国と牢獄
63/65

王国 1


 ――ここは、どこ?


 気が付くと、ぼんやりとした意識の中、あたたかい光の中にいた。

 メルチェは子供用の木の椅子に腰かけている。目の前には大きなテーブルと、その上に並べられたできたての料理。ハンバーグだ。上にかかったトマトソースのいい香りがして、これが自分の夕飯なのだとなぜだかわかった。

 「メルチェ。熱いから、ふーふーして食べるのよ」

 メルチェはテーブルを挟んで向かい側に座っている誰かにそう声をかけられる。はあいと返事をして、言われたとおりにふーふーした。

 「あつっ!」

 けれど、熱々のソースがメルチェの舌を火傷させる。小さなフォークが床に落ちて、誰かは「あらあら」と呆れながらも拾ってくれた。

 「大丈夫かい? お水を飲むんだ」

 すると次は、穏やかで、低い声が聞こえてきた。誰かの隣に座っていた、これまた別の誰かだ。メルチェはまた言われるがままにマグカップに入った水をごくごくと飲む。ヒリヒリとしていた舌が冷やされて、少しだけ痛みがマシになった。

 「ようし。それじゃあ、ゆっくり食べるんだよ。ほら、ふー、ふー」

 メルチェは低い声に合わせてゆっくりと何度もふーふーした。そして、恐る恐るハンバーグを口へと運ぶ。

 「おいひい!」

 すると、ほろほろとしたひき肉と、微塵切りされた玉ねぎの甘みが口いっぱいに広がった。透明の肉汁が溢れ出し、果肉の入ったソースと混ざり合う。これは、いつもの味だ。メルチェはこのトマトソースのかかったハンバーグが大好物だった。

 「メルチェは本当においしそうに食べるわね」

 誰かが、ニコニコと女神のような微笑みを見せて嬉しそうに言った。

 「だって、おいしいんだもん!」

 メルチェはフォークについたトマトソースを舐めとっている。けれどソースは口元にもついていて、「ほら、ついてるわよ」と、誰かが優しく拭ってくれた。

 「ははは。――の作った料理はおいしいからなあ」

 「そんなこと言って。メルチェも――も、ちゃんと野菜だって食べなさいよ」

 改めてテーブルを見渡すと、ハンバーグの他に、とうもろこしのサラダやほうれん草のスープ、チーズののせられたクラッカーがあった。誰かと、そのまた別のもう一人の誰かは、笑顔も会話も絶やすことなく、幸せそうに食事をしている。メルチェもすごく楽しくて、安心できて、満たされていて、二人と一緒に思い切り笑った。


 これは、ただの夢?

 それとも、いつかの記憶?


 そんな疑問が浮かんだとき、突然視界が真っ暗になった。


 ――メルチェ。


 声だ。暗闇から、声が聞こえる。


 ――あなたに、魔法を……魔法を、かけるわ。


 これは、さっき一緒に食事をしていた誰かの声だ。

 

 ――この先、どんな困難があっても、立ち向かえますように。あなたを大切にしてくれる人と、出会えますように。あなたの未来が、どうか、輝かしいものになりますように。


 声はどんどん遠くなる。

 

 ――あなたが強くなれるまで、この記憶は思い出さなくていい。受け入れられるようになるまで。永遠の……さよならの意味を、理解できるようになるまで。ずっと、ずっと、忘れたままでいい。だから、どうか。どうか幸せに――


 「メルチェ、メルチェ起きて」


 ガタン、と、車内が揺れて止まった。

 その衝撃でメルチェは目を覚ます。瞼をパチパチさせると、ぼやけた視界のピントが、少しずつ合ってきた。見ると、ディアが顔を覗き込んでいる。

 「やっと起きた」

 そう言うのと同時に顔を離したディアは、「メルチェ、すっごくよく寝てたよ」と天使のように微笑んだ。輝くエメラルドの瞳が細まるのを見たメルチェは、ハッと窓の外を確認する。

 「あーあ。お前のせいでブリランテ寝過ごしちまった」

 窓の外には知らない駅のホーム。どうやら、眠っている間に列車は海から地上へとあがってきたらしい。メルチェは一瞬、本当に寝過ごしてしまったのかと思ったが、よく見ると、古びた看板に駅の名前が書かれている。ブリランテ南。そしてその文字の下には、小さな字で次の停車駅の名前も書かれていた。次の駅は、ブリランテだ。

 「もう、やめてよ。まだじゃない」

 ほっと胸を撫でおろしたメルチェに、先程意地悪を言ったアシッドはキシシと八重歯を見せた。

 「俺たちがいなかったら寝過ごしてたのは事実だけどな」

 その言葉に、メルチェは返す言葉が見つからない。悔しくてぐぬぬと唇を噛んだ。

 「ほんとーにぐっすり眠ってたけど、どんな夢見てたのさー?」

 列車がまた動き出し、ホームが過ぎ去って行ったとき、オルエッタが尋ねた。席に座ったときに脱いでいたはずのシルクハットは、もう癖毛の頭に被せられている。

 「えっと……たしかハンバーグを食べてて。ふーふーしたんだけど、ソースが熱くて火傷しちゃって」

 メルチェは夢の内容を思い出そうとしたが、火傷した瞬間の印象が強くて、それ以外は何も覚えていなかった。アシッドは「こんなときにも食いもんの夢かよ」と馬鹿にしてくる。けれど、メルチェはそれだけではなかったような気がした。あのハンバーグ、見覚えがある。思い返すと、コッツ・ブロワでレビウとアシッドに作ってあげたものとよく似ていた。だけどそれとはまた別の、誰かの作ったハンバーグ。ずっと昔に、食べたことがあるような……

 「熱いもの食べるとき、緊張するよね。ふーふーしても、すぐには冷めないし……」

 メルチェが夢で食べたハンバーグのことを考えていると、ディアが自分にも思い当たる節があるかのように言ってきた。「猫舌?」とオルエッタが聞くと、「ねこ?」とディアは首を傾げた。


 ――次はブリランテ、ブリランテ――


 そのとき、車内にアナウンスが流れる。

 ガタガタと、乗客たちが網棚から荷物をおろし始める音が聞こえてきた。アシッドもマントを着直して、オルエッタはジャケットを整え、靴下を伸ばす。

 「もうすぐ着くからね」

 ディアは、メルチェに笑いかけた。メルチェもこくんと頷き、彼女と同じように笑ってみせる。

 窓の外は、さっきまではのどかな麦畑や土道、木々の間から見える小さな住宅街などの郊外の景色だったが、徐々に立派な建物が増えていき、街の中に突入していくのを感じられた。レンガ造りの建物に、三つのランプが枝分かれした街灯。遠くの方には、ブリランテの中心地だと思われる都市が望む。

 その都市に囲まれるように君臨している、かすみがかった大きな影。

 あれは、きっと王宮だ。

 メルチェが目を凝らしてその景色を眺めていたとき、窓の外が突然真っ暗闇になる。

 「えっ」

 驚いたメルチェは窓から目を離した。「トンネル?」とつぶやくと、アシッドが「違えよ」とその問いかけに答えてくれる。

 「ブリランテは、郊外以外は地下鉄なんだよ」

 地下鉄。そうか、海の次は、地中に潜ったのか。メルチェは納得した。

 地下に入った列車は、最初の方はガタガタ揺れた。けれどしばらくすればだんだん揺れなくなってきて、コオオという列車が風を切る音が聞こえてくるだけだった。

 黒くなった窓硝子に、自分の顔が映っている。ドキドキと、胸が高鳴っていた。ずっと目指していた目的地であるブリランテに、もうすぐ着く。レビウと目指した、ブリランテに。この暗闇を抜ければ、そこはもう王国なのだ。


 ――ブリランテ、ブリランテ――


 車内に、アナウンスが流れた。

 瞬間、窓の外に地下鉄のプラットホームが現れる。


 「うわあ……」


 メルチェは思わず感嘆の声を上げた。

 すごい広さ、そして、人の数。

 地下とは思えない広大な空間に、何十番もの乗り場がある。たくさんの列車が停まっていて、それに乗ろうとしている人々が長蛇の列を作っていた。高い天井。驚くほどに大きな天窓。そこから仰げる青空には、真っ昼間の黄色い雲が浮かんでいる。

 「降りるぞ」

 「人が多いから、はぐれないようにね!」

 列車がだんだんとスピードを落としていく途中、初めてこの駅に降り立つメルチェに、アシッドとオルエッタが声をかけてくれた。

 「繋いでおこう」

 それを聞いたディアが、メルチェの手を取る。

 「うん!」

 列車が停車し扉が開くと、たくさんの人が流れるようにホームに出ていった。けれど人が多すぎて、列はなかなか前に進まなかった。メルチェたちは人が少なくなるのを待って、最後の方に下車をする。それでもホームにはたくさんの人、人、人。階段のあたりでつっかえていて、外へ出るのは大変そうだ。

 「あー! 相変わらずクソみてえな人混み!」

 アシッドがイライラしながら大きな声で叫ぶ。その後ろで「これだからトラック移動が楽なんだよね~」とオルエッタが笑った。ディアは少し息苦しそうにしている。

 「ディア、大丈夫?」

 「う、うん。ごめんね。ちょっと人に酔っちゃっただけだから」

 階段をのぼり、改札を出て、ようやく少し人がマシになる。四人は壁際に避難し、ディアの呼吸が落ち着くのを待った。

 「そういえばディア、列車に乗ったことあったのね」

 「? ううん。今日、行き道に乗ったのが初めてだよ」

 「初めて!?」

 「うん。ずっと乗ってみたくて路線の本とか地図とか読んでたから、なんとか乗れたんだ」

 メルチェはそれを聞いて驚いた。この駅の膨大さ、自分だったら、初めて乗るのに一人では絶対に迷ってしまうと思った。

 ディアは一見大人しいお姫様に見えるが、自分と同じくらい好奇心が強いということに、メルチェは気が付いている。たくましくて、強いお姫様。メルチェはディアのことを本当にすごいと思った。

 そのときだった。


 「ディア様! ディア様ー!」


 なんとなく聞き覚えのある声が、人混みの中から聞こえてきたような気がした。

 四人がキョロキョロとあたりを見渡すと、行きかう人々を避けながら、一人の女性が必死な様子で駆けてくる。あれはたしか、ディアの侍女であるメイだ。

 「ディア様! はあ、はあ……よかった、合流できて……!」

 ようやく四人のところまでやってこれたメイは、泣き出しそうな顔でディアの両手を取った。ディアは「メイ!」と彼女の名前を呼ぶ。その隣で、アシッドとオルエッタが「誰だ?」「さあ?」という会話を表情で行っていたので、メルチェはこっそり「ディアの侍女さんよ」と教えてあげた。

 「メイ、さっきはごめんね。突然いなくなっちゃって」

 「ほんとですよ! ほんとのほんとに、心配だったんですからね! メルチェさんを迎えに行くって走り出して、ここで待っててって言っていなくなって……」

 「そうだよね、ごめんね」

 手を握りしめられたままのディアは、さっきからずっと申し訳なさそうに謝っている。

 メイはしばらく説教のようなことを言っていたが、一通り言いたいことを言い終わった後、ふう、と一息吐いて、「だけど、メルチェさんに何もなくて本当によかった」と言った。それを聞いて、ディアはにっこり笑う。

 メルチェは、一度しか会ったことのないメイが、自分のことを心配してくれていたのだと思うと、なんだか心がぎゅっとなった。ありがたくて、嬉しかった。けれど、すぐにレビウのことが頭に浮かぶ。

 「メイ、ありがとう。だけど……あのね、落ち着いて聞いて」

 それはどうやらディアも同じだったらしい。さっきまでの笑顔を真剣な表情に変えて、メイに今までのことを説明し始めた。

 デティシラが銃を持ってメルチェに会いに来たこと。デティシラもレビウも怪我をして王宮に運ばれたこと。レビウが地下牢に閉じ込められてしまっているかもしれないこと。

 メイの顔色はどんどん青くなり、曇っていった。そしてすべてを聞き終わると、「そんな……」とつぶやき、手で口を覆う。

 「まさか、デティシラ様が自ら行動に出るなんて……その、レビウさんという人は大丈夫なのですか?」

 「わからないんだ。だから、助けに行きたくて……今度こそ、お父様に事情を話したいの」

 困惑や心配を顔に浮かべるメイに、ディアはまっすぐな瞳で訴えた。メイはそれを聞いて少し驚いたが、自分の主であるディアの強い気持ちや、遺書で真実を告げたハイリスのことを思い、「わかりました」と覚悟を決めて返事をする。

 「地下牢は、ディア様やわたくしでも近付ける場所ではないですから。国王様に会いに行かれるのは、いい考えだと思います」

 メイはディアから目を離し、メルチェやアシッド、オルエッタの方を見る。みんなも決意のある目をしていた。メイは、みんながみんな、仲間のことを強く思っているのだとわかった。

 「たしか、国王様のお戻りは夜になられるはず。隣町の議会ホールに行っていると朝礼で聞きました」

 「それじゃあ、わたしが隣町までお父様を呼びに行くよ……! メイ、ついてきて」

 メイの情報にディアがそんな提案をした瞬間。

 「私も行くわ!」

 メルチェもすかさずその作戦に参加しようとした。しかし――


 「メルチェは駄目!」


 ディアが突然大声を上げる。

 予想外の言葉に、一同は驚いて固まってしまった。目をぐるぐるにしたオルエッタが「どうしてさ?」と聞くと、ディアはハッとした表情になって、「いや、あの、違うの!」と慌て始める。

 「えっと、メルチェは、その。お父様とは、落ち着いてから会った方が……」

 もごもごと何かを説明しようとしているディア。けれど声が小さくてよく聞こえない。メルチェが首を傾げると、ディアは両目をぎゅっと瞑って、「えっと!」とまた声を上げた。

 「きゅ、急にみんなで行ってもびっくりするだろうから……!」

 ディアは、さっき言おうとしていたこととは別の言い訳をした。目が泳いでいる。けれど、それに気が付かなかったメルチェは、「たしかに!」と目から鱗な顔をして、「私は初対面だしね」と納得してくれたようだった。ディアはほっと胸を撫でおろす。

 「では、わたくしたちが国王様に会いに行っている間、メルチェさんたちには待機しておいていただきましょうか。帰ってきたとき、いつでもすぐに王宮へ向かえるように」

 話がまとまって、にっこりと微笑んだメイ。メルチェがこくんと頷くと、ディアも同じように頷いた。アシッドとオルエッタも、了承したように顔を見合わせる。

 「あっ! それなら……」

 すると突然、ディアが何やらごぞごぞとポシェットを探り始めた。

 唐突な行動に、メルチェは不思議そうな顔をする。「どうしたの?」と問いかけたそのタイミングで、ディアはポシェットの奥底から真っ白な封筒を引っ張り出した。

 「それ、なあに?」

 「ホテルの優待券だよ」

 それは、どうやらホテルの優待券のようだった。

 封筒の中には、たしかにチケットのようなものが入っている。けれど映画館や遊園地で配られるペラペラのチケットなどとは違う、分厚くて、ラメの入った、いい厚紙で作られているチケットだった。

 へえ、とメルチェがチケットに顔を近付けると、その瞬間、「うわ!」と、アシッドとオルエッタが大声を上げる。

 「このチケットのマーク!」

 「ブリランテの高級ホテルのマークじゃねえか!」

 驚いたメルチェが肩をびくつかせると、二人は後ろから手を伸ばし、ディアからチケットを奪い取った。

 「昨日、俺たちが泊まったホテルよりもさらに上のランクのホテルだぜ!?」

 「すごいすごい! ブリランテの中でも特に大きなホテルだよー!」

 チケットを手にしたアシッドとオルエッタは、互いにそれを手に取りながらはしゃぎだした。押された印鑑をじっくりと眺めたり、裏表を確認したりしている。けれどすぐにコホン、とメイが咳をして、ドキッとした二人は騒ぐのをやめた。

 「ふふ。そんなにびっくりしてもらえるなんて」

 その様子を見て、ディアはクスっと笑う。そして、二人がしぶしぶ返してくれたチケットを、きょとんとしているメルチェに差し出した。

 「メルチェたちが王国に来たら渡そうと思って、とっておいたの。使って?」

 どうやら、王国で待機するメルチェにプレゼントしてくれるようだった。けれどさっきまでのアシッドとオルエッタの反応を見ていたメルチェは、「ええ!?」と声を上げて両手を振る。

 「そ、そんな! 貰えないわ。こんな貴重なもの!」

 「ううん、いいんだ。ここ、お父様のお友達のホテルで。時々貰える優待券なんだけど、わたしは使う機会がないから」

 その言葉を聞いて、メルチェはチケットとディアの顔を交互に見た。引く様子のないディア。二人は少しの間見つめ合って、結局メルチェは遠慮がちにも、キラキラと光沢を見せるチケットへと手を伸ばした。

 「あ、そうだ!」

 けれどその瞬間、ディアがチケットを引き返す。

 急いで手を引っ込めるメルチェ。心臓がドキッと鳴った。

 「ごめんごめん。ちょっと待ってね」

 ディアは、そう言うとまたポシェットの中を探り始めた。取り出したのは筆箱。使い古した可愛らしいペンを手に取り、きゅぽんとキャップを開けると、チケットの隅にある紹介者欄に、サラサラと何かを書きだした。

 「これでよし、っと!」

 片手を下敷きにして文字を書き終わると、ディアはペンのキャップを閉めた。筆箱に仕舞い、その筆箱もきちんとポシェットに仕舞う。そうしてようやく、改めてメルチェにチケットを渡した。

 「わたしの名前を書いたから、スムーズにチェックインできると思う!」

 天使のような笑顔を見せて、巻き髪を揺らすディア。メルチェもにっこりと笑った。

 「……ありがとう!」

 元気にお礼を言って今度こそチケットを受け取る。

 チケットは、やはり見た目通りのいい厚紙で、触り心地もよかった。紹介者欄を見ると、まるで印刷をしたフォントのような美しい文字で”ディア”と書かれている。少し達筆で、とても上手な字だった。

 「ディア、とっても字が上手いのね」

 メルチェがそれを褒めると、ディアは少し照れている様子。するとアシッドが、「へえ、どれどれ」と、ふざけて覗き込んできた。

 「ちょっと!」

 意地悪な狼は、ディアの字がどれだけ上手くとも茶化してやろうと考えたのだ。メルチェの両手に持たれたチケットを、その手ごと引っ張りあげる。メルチェはチケットを奪われないよう抵抗したが、狼の力には敵わなかった。

 アシッドがチケットを見ると、たしかに紹介者の欄には、綺麗な字でディアの名前が書かれていた。お手本のような、けれど、どこか大胆な字。その流れるように繋がる一文字一文字には癖があって、とても特徴的な字のように思えた。


 「この字……」


 すると、アシッドはぼそりとつぶやいた。

 その瞬間、茶化そうだなんて考えはどこかへと飛んで行く。

 アシッドは、この字を知っていた。だけどまさか、こんな偶然――


 「アシッド、どうかしたの?」

 チケットを見て固まっていたアシッドに、メルチェが声をかける。アシッドはハッとして、掴んでいたメルチェの手を離した。

 「……いや、なんでもない」

 急に大人しくなったアシッドに、メルチェは違和感を覚えた。けれど「それじゃあ、わたしたちは行くね」とディアが言ったことによって、その会話は流れてしまった。

 ディアは、「隣町から戻ったらホテルに連絡するから」と、顔の前に拳を作って力強く言った。エメラルドの瞳がキラキラとしている。さっきまで大泣きしていたせいでやっぱり瞼は腫れてしまっていたが、もう涙は流さない。強いまなざしで、まっすぐに前を見ていた。そんな宝石のような目を見て、メルチェも「わかったわ」と強く頷く。

 「ありがとう、ディア。本当に。ディアだって、つらいのに……」

 「ううん、全然。メルチェはわたしの大切なお友達だもん」

 ディアはそう言うと、また天使の微笑みを見せた。メルチェもその笑みを見て、ふふっと微笑み返す。

 「それに、ハイリスがわたしに伝えてくれたこと、絶対無駄にしたくないんだ」

 そのとき、ディアは少しだけ寂しそうな顔をした。けれど、すぐにさっきの笑顔に戻る。それを見逃さなかったメルチェ。そっとディアの手を握る。ディアは驚いて、また涙がこみ上げてきそうになってしまったが、それをごまかすようにポシェットをかけ直した。その鞄の奥には、お守りのように、ハイリスの書いた手紙も大切に大切に仕舞われていた。

 ディアとメイは駅前に停めてある馬車で隣町へ向かうとのことで、すぐそばの地上階段を上がっていった。手を振るディアの姿が見えなくなると、メルチェも手を振るのをやめる。


 「それじゃあ、俺たちも行くか」


 ブリランテの駅の改札前地下道はこれまた広く、長く、地上階段も出口の数もとても多かった。AからKまで種類が合ったり、1から26まで番号があったりして、メルチェはチケットの裏側に書いてある、ブリランテ駅からのホテルへのアクセス方法を確認する。けれど地図が簡潔過ぎて、さっぱりわからない。よく見ると、地図の下に小さな文字で”ブリランテ駅よりD-14出口を出て徒歩5分”と書かれていた。メルチェはあたりを見回して、構内マップを探す。

 「出口は……D-14だね。そんじゃあ、オイラについてきて!」

 けれどマップを確認するまでもなく、オルエッタが先陣を切って歩き出した。ブリランテを拠点としている彼は、どうやら地下道もお手の物らしい。

 アシッドも同じようにスタスタと歩きはじめ、メルチェは「待ってよ!」と急いでその後をついていった。そして、軽やかに人だかりを進んでいくその姿を見て、やっぱり都会育ちなんだなあと、田舎で暮らしていたメルチェは思った。

 D-14出口の方面へと続く地下道は、地下だとは思えないくらいに明るくて、活気のある道だった。

 通路は広く、両サイドに飲食店や雑貨屋、こまめにお手洗いの案内も出てくる。しかも、メルチェのいた港町や、今までに旅をしてきた街でも見たことのないような、イマドキなお店ばかりだった。

 「わあ……素敵なお店ばっかり」

 思わず声に出すメルチェ。

 よく見ると、歩いている人もみんな洗練された素敵なファッションだ。ドレスも、スーツも、田舎で見るものとは違う、どこか垢抜けているようなデザインだった。

 メルチェが夢中でキョロキョロしていると、突然ぐいっと腕を引っ張られてしまう。驚いて振り向くと、「こっち」とアシッドが呆れた顔でため息をついていた。メルチェはキョロキョロするのをやめ、二人についていくのを忘れてしまっていたことを反省する。アシッドに言われたのに、本当に迷子になってしまうところだった。

 「……」

 三人は、黙ったまま地下階段をのぼる。

 D-14出口は数ある出口の中でも使用量が多い出口らしく、階段は綺麗で幅も広かった。

 「……」

 ブリランテは、遠かったなあ。まさかこんなところまで来てしまうなんて……

 メルチェがそんなことを考えていると、だんだん地上の光が見えてくる。まぶしくて目を細めた。金色の瞳が、キラキラと照らされている。

 ここへ来るまでに、いろいろなことがあった。だけど、レビウとアシッドがいたから。だから、ここまで来れたんだ。

 メルチェはドキドキしていた。けれど、本当なら、もっと純粋にここまで来れたことを喜べただろうと思った。本当なら、レビウがいて。本当なら、三人で地下道のお店を見て回ったりして。本当なら、このあといいホテルに泊まって。本当なら、それで……

 階段には生ぬるい風が吹き込んでいた。ガヤガヤと、徐々に聞こえてくる地上の雑踏。


 「メルチェ」


 前を歩いていたオルエッタが振り返った。

 メルチェは、足元を見ていた顔をゆっくりと上げる。


 「――ようこそ、ブリランテへ!」


 そして、階段をのぼりきった。

 そこに広がっていた景色は、驚くほどに華やかなものだった――――


 「うわあ……」


 そびえたつ、いくつもの高い建物。

 車の走る車道。

 行き交う、たくさんの人々。


 「ここが、ブリランテ……」


 それはまるで、映画の中のようだった。


 背の高い立派な建物が、当たり前のようにいくつも建ち並んでいる。それは、見上げると首が痛くなるほどに大きな建物ばかりだった。アーチ型の柱や、お洒落な窓。マンションや、会社、劇場などがあるようだった。どこも一階にはカフェや花屋などのお店が入っており、街の人々はウィンドウショッピングを楽しんでいる。

 そんな建物と建物の間には、整備された数車線の道路。石畳の歩道も広いが、それに挟まれた車道はもっと広かった。ブリランテは交通量が多いので、人の歩く道と馬車の走る道を分けているのだ。

 しかも――

 「すごい……自動車がこんなに走ってるのね」

 馬車に混じって、時々、自動車が走っていた。

 車は基本的に贅沢品で、道路の狭い田舎町ではなかなか普及していなかった。けれど、ブリランテで車を見かけるのはそんなに珍しいことではない様子。メルチェは港町に走っていたバスやオルエッタの水色トラックしか見たことがなかったので、とても驚いてしまった。

 しばらくその景色に圧倒されていると、駅前の交差点の信号が青に変わった。たくさんの人々が道を横断し、街を颯爽と歩く。

 「おい、そんなに珍しいか? 田舎もん」

 メルチェがいつまで経っても景色をぐるぐる眺めていると、しびれを切らしたアシッドが肘で小突いてた。思わずハッとする。

 「だって!」

 言い返そうとした田舎者に、オルエッタもクスクスと笑っていた。

 「ほらほら、ブリランテに来た感想はどう?」

 そして、拳をマイクに見立てて差し出してきた。

 メルチェは恥ずかしくなって一瞬戸惑ったが、もう一度改めて街を見渡して、ああ、本当にブリランテへ辿り着いたんだ、と思った。

 「……そうね。旅の目的地にふさわしい街だわ!」

 レビウに貰ったリボンの、結び目についた美しいパールに、メルチェの顔と街の景色が映り込んでいた。

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