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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第2章 夜の魔法
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踊り場

 銀色の螺旋階段を駆け上がるメルチェ。

 最上階の大広間から、バイオリンと管楽器の演奏が聴こえてくる。もう舞踏会は始まってしまったようだ。焦りと緊張が一緒くたになり、けれどそれ以上の期待が、メルチェの胸の鼓動を速くさせた。

 早く、早く、大広間へ。

 ドレスの裾が大きな螺旋を描いている。くるり、くるり、まるで蝶が舞っているようだ。広い踊り場に出ると、もうすぐそこは舞踏会場。金色のライトがたくさん反射して、目がチカチカする。最後の階段は一直線で、その前に立ったとき、また心臓が高鳴った。

 呼吸を整えながら一段一段ゆっくりと上がってゆく。

 そのたびに景色は明るくなり、シャンデリアの白色光を強く浴びる。


 「わあっ……」


 階段を上がり終えたとき、メルチェは目の前に広がった景色を見て思わず息を吐いた。

 天井が高い。たくさんの人がいる。華やかな衣装に身を包み、みんな陽気に笑いあう。グラスには少しのワイン。羽目を外させてほしい証拠だった。クラシック音楽が流暢に流れ、自然に人々の足踏みを誘う。

 そんな人混みの中、メルチェはたった一人の後ろ姿を見つめていた。王子だ。黄金の冠を頭にのせ、舞踏会の真ん中で、誰かの。クラシック音楽ではない、誰かの誘いを待っているようだった。

 メルチェはゆっくりと足を進める。

 硝子の靴がドレスの端から覗いては隠れ、覗いては隠れ。

 「王子様……」

 メルチェがつぶやく。

 王子はハッとして振り向いた。少し照れくさそうな顔をしたのち、にこりと笑みを見せる。

 メルチェはなぜだか硬直してしまった。そうか、呼べば振り向いてくれるのね。そんな当たり前のことを考えるのは、緊張していたせいだ。

 「なんて美しい……」

 王子が腕を広げて駆け寄ってきた。

 メルチェも嬉しそうに腕を広げる。やっと誰かのお姫様になれるのね。なんだか目頭が熱くなった。祝福の音楽が優雅に響き、眩しい光の中を昇っている。幸せでたまらなく、満面の笑みを咲かせたメルチェ。


 ――を、王子は見えないかのように。


 「え……?」


 通り過ぎた。


 今度こそ硬直した。つい今まで感激で涙ぐんでいたのに、予想もしていなかった事態に何が起きたのかわからなくなる。

 「なんで……」

 恐る恐る王子の方を振り向いたメルチェは気が付いた。さっきの王子の言葉は、自分に向けられたものではないことに。

 だって、振り向いた先には。王子と、そして、メルチェより何倍も可憐で美しい姫――シンデレラが手を取り合っていたのだから。二人は見つめ合い、幸せそうに笑っていた。

 「ほら見て! シンデレラ姫よ」

 「綺麗な姫様だこと」

 「硝子の靴をお忘れになったのをきっかけに」

 「まあ素敵」

 人々の噂話。歓声。拍手の中をくぐりぬけ、メルチェはその場を走り去っていく。誰も気が付かない。どこにでもいる女の子が一人いなくなったところで、舞踏会は終わらない。みんな、祝福に夢中だった。

 ――――どうして?

 螺旋階段を下りる。ライトの金色、夜の影。さっきは輝いて見えたのに、今のメルチェにはそのすべてが虚しく映った。


 十二時の鐘が鳴り響く。


 「あっ」


 階段を踏み外し、踊り場に転んでしまったメルチェ。片方の硝子の靴がない。振り向くと、階段の途中にはきらりと光る小さな靴が。

 「転ばないようにって言われたのに……」

 メルチェは力無く笑った。硝子の靴を取りに行くために立ち上がろうとするが、足に力が入らない。疲れたからか、靴擦れが痛んだからか。体は鉛のように重く、立ち上がるどころか身動きすらとらせてくれない。

 「なんでよ……」

 何もかも投げ出したくなった。お姫様にはなれないのだ。白馬の王子様なんていないし、いたとしても自分の元へは来ない。私はただの女の子で、何者にもなれないし、居場所もできない。

 踊り場からは夜空が見えた。月光がメルチェの頬を濡らし、それはぬぐってもきりがなかった。大粒の雫が大理石の床に転がっては溶けていく。


 「傑作だね」


 すると突然、頭上から声が降ってきた。メルチェを嘲笑するような物言いだった。

 この声は、この声は――


 「魔法使いさん……」


 見上げた先には一人の男。白い長髪を揺らし、箒に腰を預けて空中で回っている。口元を緩めてくすりと鼻を鳴らした男は、メルチェに魔法をかけた、あの魔法使いだった。

 「あれ、メルチェ? オヒメサマにはなれなかったの?」

 泣いているメルチェをからかうように言う魔法使い。馬鹿にされていることはわかっていた。けれど、それに腹を立てるほどの気力など、今のメルチェには残っていない。

 「実はね。その硝子の靴にはさ、もう一つ魔法をかけてあったんだよ」

 メルチェは何かを悟る。これ以上聞きたくなかった。いったい、自分が何をしたというのか。ただ、誰かの一番になりたかっただけだ。

 魔法使いは片手で杖をもてあそび、にっこり笑ってこう言った。


 「その靴を履けば、誰の目からも見えなくなっちゃう魔法をね!」


 愉快そうな笑い声。メルチェの心はその中に沈んでいく。

 そういえば最初、エシャに気付いてもらえなかった自分が彼と話すことができたのはあのときだ。硝子の靴を脱いだとき。舞踏会で王子に気付いてもらえなかったのは、硝子の靴を履いていたから?

 メルチェの瞳にもう魔法使いは映っていなかった。箒に乗っているのは悪魔。冷たい氷の呪いをかける、正真正銘の悪魔。

 「……ま、あいつにはメルチェの姿が見えてたみたいだけどね。そのお守りのおかげかな?」

 魔法使いが何か言っている。けれどメルチェには聞こえない。もう何も頭に入ってこなかった。

 そんなとき、おさげについたビーズの飾りがきらりと光る。


 「メルチェ!」


 誰かが灰かぶりの名前を呼んだ。

 階段を踏み鳴らす人影――あれは、黒いシルクハットだ。階段を勢いよく上ってきた彼は、やはり目元をその大きなツバで隠している。

 シルクハットは、どこからか取り出したステッキを素早く回転させたあと、空中に浮かんでいた魔法使い目がけ、高く跳びあがった。ステッキの持ち手で浮遊する箒を捕まえると、魔法使いのバランスは崩される。彼が大理石に着地するのとほぼ同時に、魔法使いも綺麗に着地した。

 「やあやあ。久しぶりだねー」

 魔法使いはシルクハット、もとい、御者に笑いかける。

 何が起こったのかよくわからないメルチェ。どうして御者がここに?

 「あ~あ。怒らせちゃった~」

 そのとき、またしてもメルチェの知っている声が飛んできた。声の主は相も変わらずあくびが出そうな口調である。マフラーをふわふわ泳がせて、白い三角の耳を前脚で掻いた。

 エシャ! と、お約束の呼びかけをしようと思った瞬間。広い踊り場に、鋭い音が響き渡る。

 「危ないなあ。突然何するの?」

 御者が魔法使いに切りかかったようだった。ステッキと箒の柄が十字を作って、互いに引く気はない。

 「こっちのセリフだ、魔法使い!」

 声を荒げた御者が、また魔法使いを切りつけた。

 そして一旦離れたかと思ったが、両者の間はまたすぐに埋まる。御者が何度も何度もステッキを振りかざし、いくつもの残像が、絶えず魔法使いの前を往復した。魔法使いもそれに合わせて後ろに下がっていく。そんな最中でも、魔法使いは何が可笑しいのか不敵な笑みを浮かべていた。御者はそれが気に入らない。

 「俺たちの目的なんて知ってるくせにねー」

 悪魔の言葉に御者が怯む。

 その一瞬を見逃さなかった魔法使いは、後退をやめて姿勢を屈めた。視界から魔法使いが消え、しまったと思ったときにはもう遅く。強く箒で足払いをくらった。そのまま勢いよく前方に突っ込み、硬い大理石に打ちつけられた御者。

 「はーあ、やだやだ。茶番はさ」

 魔法使いが倒れたシルクハットを見下す。小馬鹿にして笑い、箒の柄を指で弾いた。すると線になった光が現れ、重そうだった箒は見る見るうちに短く縮む。それは短剣に姿を変え、魔法使いの手に戻ってきた。魔法使いは剣の先を御者に向ける。

 「……放っておけと、言ったはずだろう」

 シルクハットから赤い目が覗いた。

 しかしそれも束の間、御者はまた目元を隠して立ち上がる。再びステッキを正面に突き出し、目の前にいる悪魔と距離をとった。

 月の光が差している。真夜中の闇を掻き乱し、今宵の舞踏を誘っている。クラシック音楽はここからでは聴こえない。けれど、最上階ではきっと、まだ人々は酔っているのだろうと思った。メルチェにはなんとなくわかっていた。

 「エシャ、どうしよう。二人をとめなくちゃ」

 灰かぶりのメルチェは何もできないまま、ずっと御者と魔法使いの戦いを見ていた。

 二人がなぜ戦っているのか、わからなかった。けれど、御者があの悪魔に傷付けられる前にとめなくてはと思った。しかし、メルチェには戦いを止める力も、魔法も、知恵もない。

 「……メルチェ。君はまだ気が付かないんだね~?」

 猫が不思議なことを言っている間にも、二人の睨み合いは続く。

 御者のステッキが黒光りするのに対し、魔法使いの短剣は白い輝きを反射させる。金色のライトがまだまばゆく、逆光の中で、殺意はじっとりと温度を増していく。

 「こっちも仕事だからね。邪魔をするなら消えてもらうよ!」

 先手を切ったのは魔法使い。威勢よく刃を走らせ、そのたびに御者はそれをかわす。しかし、攻撃され続けているうちに距離は縮まり、あっという間に悪魔の微笑がそこにある。御者がステッキを振りかざす。それは短剣と交わり、また音を立てて返された。

 「そんなにあの子が大事なの?」

 魔法使いの言葉に、御者は表情を変えずにいる。

 「言わなくちゃわからないのかい?」

 そう答えてステッキを振るった御者。魔法使いは反射的に防御、綺麗な顔を殴られずに済んだ。

 「ふーん。アンタらの言う“あのお方”よりも、か?」

 その質問に御者は黙っていた。しかしステッキを持つ手は休まない。なんだか意地になっているようにも見えた。

 「ほら、この子の前で言ってみろ!」

 刹那、魔法使いがステッキを振り払う。

 メルチェはやはり戦いをとめるすべを見つけられず、床に座り込んだままだった。二人は何かを言い合っている。けれどその内容は剣の交わる音で消されて聞こえなかった。

 「ねえエシャ、どうしてあの二人は戦ってるの? 何を話しているの?」

 メルチェは気になって仕方なかった。どうしてかはわからないけれど、なんとなく、あのシルクハットには傷付いてほしくなかったのだ。優しくて、不思議な雰囲気のある御者――なぜだか、不思議の国で出会った少年のことを重ね合わせてしまっていた。

 「メルチェはまだ聞かない方がいいと思うよ~」

 メルチェをちらりと見たエシャ。そのとき、彼の尻尾が左右に揺れた。

 するとどうだろう。メルチェにひどい睡魔が襲いかかってきた。突然のことに、メルチェは驚きながらも抵抗できない。鉄のように重くなった瞼で、視界はどんどん狭くなっていく。この感覚、今日不思議の国で眠くなったときと同じ――――

 あっけなく眠りに落ちてしまったメルチェの耳には、エシャの子守唄だけが聴こえていた。

 それでもまだ、御者と魔法使いは剣を交え合っている。

 「そのシルクハット、そろそろ脱いだら?」

 魔法使いの言葉を無視し、御者はシルクハットを押さえながら後ろへ跳んだ。ほどよい間隔が生まれ、しかしまた接近し始める魔法使い。

 「お前には関係ない」

 「そっかそっかー。長いお耳が飛び出しちゃうもんねー」

 魔法使いが御者を挑発した。楽しそうに声を出して笑い、短剣で御者の鼻先寸前を裂きにかかる。御者のステッキも魔法使いを狙い、またライトに照らされる。

 「その耳さー。“あのお方”がお前を拾ってくれてなかったら、今頃短くなってたと思うけど。それなのに――」

 「黙れ!」

 短剣が飛んだ。

 ステッキが魔法使いの手を勢いよくかざしたのを最後に、踊り場からは急に音が消える。落下してきた短剣の刃が、大理石の床に高い声を上げて突き刺さった。魔法使いは静かに笑みを漏らす。

 「くくく……怒らないでよ」

 そしてコートの内側から杖を取り出し、白い髪を手で払った。

 「今日は挨拶しに来ただけだから。眠ってるメルチェによろしくねー。それじゃ」

 魔法使いは杖を大きく振るう。すると、彼の体は虹の煌めきに包まれ、足元から光になって消えていった。

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