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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第9章 泡と銃声
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人魚旧街地

 今日のところは一泊しようと決まってから、レビウはいつも通りになった。いや、いつもより、少しだけ明るく振舞っているように見えた。アシッドも、気を遣っているのか本当に気にしていないのか、いつも通りの表情だった。なのでメルチェも深く考えないようにして、レビウがレビウのタイミングで話をしてくれるのを待つことにした。

 「ところで、港町には宿が見当たらなかったけど……どこに泊まるの?」

 三人はまだ駅舎の中にいた。気が付けばまた次の列車がやってきていて、改札周辺は人の波になる。

 「そっか、メルチェはこのへんに来たことないんだよね」

 宿のことを聞いたメルチェに、レビウが優しく微笑んだ。「早く行こうぜ」とごはんが食べたくて急かすアシッドを「はいはい」とあしらうと、レビウは駅舎の地下道へと続く階段を降りていく。

 「駅から出ないの?」

 「ふふ。いいからおいで。きっとびっくりするよ」

 メルチェは戸惑いながらも言われるがままにレビウとアシッドについていった。

 地下道は駅舎の端の方にあって、うんと深くまで階段が続いている。ひんやりとして地上よりもさらに寒く、町にあったのと同じオレンジ色のランプが天井からぶらさがっていた。コツコツと、革靴とブーツの足音が響く。人通りは意外にも多く、他にもたくさんの足音が反響する。それと一緒に、どこからか水滴の落ちる音もした。

 「潮の香り……」

 長い通路を進み、出口の光が見えてくれば、メルチェの鼻先を海のにおいがくすぐり出した。そのまま三人はトンネルのような地下道を抜ける。ぱあっと目の前が明るくなったとき、メルチェは思わず金色の瞳を輝かせた。

 「ほらメルチェ」

 レビウがにこりと笑う。


 「ここが人魚旧街地だよ」


 そこは、海の底だった。 


 水色や薄紫、青に染まった、ここは水中? そう思ったけれど、息はできるまま。

 頭上では空の代わりに夕焼け色の水面が網目を作って揺れており、足元には白い星の砂道が敷かれていた。小さい貝殻が砂を踏むたびに埋もれ、転ばないように気を付けながら、蟹の赤ちゃんがトコトコ歩く。その一本道はずっと遠くまで伸びていて、道の両脇には変わった風貌の建物が連なっていた。よく見ると、様々な珊瑚や岩で作られているようだ。まるでペンキで塗装されたようにカラフルで、石の垣根や海藻の植えられたプランターなども飾られている。

 「なんて素敵な街……」

 くるくるとあたりを見回していると、上の方では人魚や魚たちが泳いでいることに気が付いた。街の上方は水中なのか。どこが境目かはわからないけれど、街の通りは空気のあるトンネルのようになっていて、息ができるようだった。

 「人魚旧街地は、大昔に人魚が住んでいた街なんだって」

 ようこそと書かれた貝殻のアーチを潜ったとき、レビウが言った。

 「昔はここも水中だったってこと?」

 「うん。人魚は人魚族に――半身魚の姿と人間の姿に自由に変身できるように――なってから、この街を人間でも住めるように作り変えたんだ」


 海底の、宝石のような街。

 大昔の、人魚が住んでいた街。


 一直線にブリランテ王国の港まで続いた街並みは確かに古く、年季が入っている。このカラフルな建物たちは、昔人魚たちが海の中で作り出したものだった。人魚が人魚族となり、人間の姿でも海底で暮らしたいものたちが、街並みを囲むように、硝子を混ぜた硬い泡でトンネルを築いた。そして中の海水を抜いて、空気が吸える海底のエリアとして開拓したのだ。

 「へえ。ここって、こんなふうになってたんだな」

 魚を焼くいい匂いがするレストランを覗き込みながら、感心したようにつぶやくアシッド。

 「アシッドも来るの初めてなの?」

 「おう。列車の中から見たことはあったけど、この駅で降りたことなかったからな」

 桃源郷のような街並みを眺めるアシッドの隣、メルチェはそんな言葉を聞いてチラリとレビウの方を見た。レビウはメルチェと目が合うと、にこっと小さな笑みを見せ、「僕も降りるのは初めてだよ」と言った。

 人魚旧街地は観光名所として有名で、レビウもアシッドも遠目から見たり噂を聞いたり写真を見たりしたことはあったけれど、ちゃんと街を歩くのは初めてだった。メルチェは三人で初めての出来事を経験することができて、なんだか嬉しくなった。

 しばらく通りを歩いていたけれど、街並みは一向に終わらない。ずっとずっと遠く、みんなが列車や船で向かうほど先のブリランテまで続いているので当たり前だった。街をすべてまわりきるには一日必要だろう。

 メルチェは寒い山道を歩いてきたことも重なって、途中で歩き疲れてきてしまった。珊瑚が花壇のように植えられた時計広場が見えたとき、「ちょっと休憩しましょう」と言いかけた。けれど、レビウの足が止まったことに気が付いて、やっぱりやめた。そんなことを言う必要がなくなったからだ。そこは一軒の宿屋の前。

 「ここで泊まろう」

 レビウの言葉に、メルチェとアシッドは思わず顔を見合わせた。

 「お、お前……ここ……」

 するとアシッドが焦りながら口をつぐませる。


 「高級ホテルだぞ!」


 けれどすぐに大声を出した。

 「まあ、いいじゃないか。僕が出すから」

 「そんなこと言ってもよ。いくらコッツ・ブロワで稼いだからってこんなとこ、大丈夫なのかよ」

 「そ、そうよレビウ。無理してない?」

 レビウが選んだホテルは、一目で見てもわかるほどに豪華な装いだった。

 たくさんの珊瑚で上品な模様が組まれた白壁。キラキラとした真珠が埋め込まれ、シーグラスと共に煌めいている。金の窓枠。入口に立つ石のオブジェ。そしてなにより、人魚旧街地に並んでいるどの建物よりも、ひと際大きかった。

 メルチェはそびえたつ美しいホテルを見上げ、アシッドと一緒にお金の心配をしてしまう。けれど少し高揚してもいた。

 「無理してないよ。ほんとに大丈夫だから、安心して」

 二人の反応を見ておかしそうに笑ったレビウの顔を、アシッドが鋭い目つきでじっと見つめる。レビウもその碧眼を見つめ返し、余裕そうな顔をした。アシッドとレビウはしばらくそうして互いを見合っていたが、赤い瞳の強さを感じたアシッドが、ついに「……わかった」と目を逸らす。

 「そんなに言うなら、喜んで泊まってやるよ!」

 そして嬉しそうに叫んだ。

 お金の心配をしていたのは本当なのだろうけれど、それ以上に本当は高級ホテルに泊まってみたい気持ちがあったのだろうと、レビウはまたおかしくなってしまう。

 アシッドが意気揚々と宿屋に入っていくのを横目に、メルチェは「ほんとにいいの?」とレビウに尋ねた。

 「もちろん。いいホテル、一度泊まってみたかったんだ」

 レビウはそう言ってにっこりした後、小さな声で「最後だし」と付け足した。そしてそのまま宿に入っていってしまい、メルチェはそれ以上何も聞けなかった。

 だけど本当は、最後とはどういう意味で言ったのか、きちんと説明してほしかった。

 最後。最後って、ブリランテまでの旅での宿が、最後って意味だよね? そう聞いて、そうだよと返してもらって、安心したかった。何度も、そばにいると言ってくれた。約束した。けれど、メルチェはこれからレビウがどこかへ行ってしまいそうな気がしてならなかった。最後だし、と言った顔が、とても寂しそうな笑顔をしていたから。


 .


 「うおー! 広えー!」

 「アシッド、恥ずかしいから静かにして」

 宿の中は、外観に負けないくらい上品で豪華な空間だった。

 吹き抜けになった高い天井に、巻貝のシャンデリアが飾られている。上の方の階まで、客室のドアが円を作るように並んでいるのが見えた。壁は外で見たのと同じく様々な種類の珊瑚で構成されていたけれど、近くで見ると、すべて白色でも少しずつ違う白色をしていて、その重なり合った色合いがとても綺麗だった。ところどころ、偏光に輝く貝殻が吊るされている。

 「いらっしゃいませ」

 フロントへ行くと、天女のごとく美しい女性が出迎えてくれた。髪には珊瑚の簪や真珠の飾りが刺さっており、「お泊りですか?」と品のある笑顔で尋ねてくる。

 「はい。一泊、三人で」

 「かしこまりました」

 女性はしなやかな手つきで部屋の鍵を取り出した。鍵は子供イルカの抜けた乳歯で作られているらしく、その陶器のような輝きに、メルチェは思わずうっとりとしてしまった。

 「ほら、行くぞ!」

 そうしていると、アシッドが背後から素早く鍵を奪い取る。

 「あ! アシッド!」

 駆け出したその背中を、メルチェが慌てて追いかけた。

 「ちょっと、二人とも……!」

 バタバタと楽しそうな二人の後を、呆れながら、けれどそんなことすら胸に刻みながら、レビウも急いで追いかけていった。

 部屋は、なんと最上階のいい部屋だった。海水の力で稼働するエレベーターに乗ると、あっという間に上へ上へと連れていかれる。先程受付を済ませたフロントがどんどん遠くなり、吹き抜けたロビーの景色を一望することができた。

 扉が開くと、チンとベルが鳴り、三人はわくわくしながらエレベーターを出た。絨毯の廊下を少し歩き、すぐに自分たちの部屋へとたどり着く。

 「ここよ!」

 平たい珊瑚のドアノブに鍵を差し込んで回す。笑顔を見合わせながらゆっくり扉を開けると――


 そこには、見たこともないような景色が広がっていた。


 「うわあ……」

 「こりゃあすげえな」

 感嘆の声を上げるレビウとアシッド。メルチェは金色の瞳を大きくさせて、部屋の奥の大きな窓に駆け寄っていく。

 「すごいすごい! 向こうの方までよく見えるわ!」

 窓からは、さっきまで歩いていたカラフルな街並みはもちろん、街のまわりを囲む珊瑚礁の森や、海藻の群生地など、海底を彩る美しい世界が広がっているのが眺められた。しかも、窓硝子の外側は水中だ。マジックアワーに染められた波の光や、泡のビーズ、その中を気持ちよさそうに泳ぐ魚たちの姿を見ることができた。このホテルの上層階は街を囲んでいる空気のトンネルを貫いていて、そのため、最上階からは海中を覗くことができるのだ。

 「なんて素敵な景色なの。こんなの見たことない!」

 メルチェは濃赤の海藻で編んだカーテンをギリギリまで壁に寄せて、人魚旧街地の、その向こうの景色にまで釘付けになっている。

 「ほんとに。まるで水族館だ」

 レビウも窓の傍までやってきて、そう微笑んだとき、小魚の群れが視界を遮った。渦を巻いて泳ぐそれらは全員で一つの大きな魚のようで、息を揃えて浅瀬へと消えていく。けれど、彼らが去った後にも何匹もの魚が窓の近くまで寄ってきた。泳ぐのが早い魚や遅い魚、水色の硬い皮を持った大きな魚に、蛍光色をした小さな魚。他にもエイやサメが優雅に泳いでいるのが遠くに見えた。

 メルチェとレビウが目を輝かせる後ろで、アシッドはじゅるりとよだれをすすっている。綺麗な景色だとは思うが、腹ペコの狼にとってはどの魚もおいしそうに見えてしまうのだ。

 「たくさんの種類の生き物がいるのね。こんなところにヒトデも貼りついてる」

 「ふふ、可愛いね。あ、メルチェ、あそこにも何かいるよ!」

 「ほんとだわ。何かしら――きゃっ!」

 二人がはしゃいでいたときだった。突然、目の前に美しい女の人が現れた。

 オレンジ色の長い髪。白い肌。メルチェは思わず声を上げてびっくりする。レビウが肩を抱いてくれたが、その様子を見て女の人は水中でいたずらに笑った。そして颯爽と海面へ浮上していく。泡と共に長い髪が漂う。腰から下には尻尾が付いていた。桃色の鱗。まるでスパンコールだ。


 「人魚!」


 メルチェが窓越しにそう叫ぶと、透き通った尾鰭が手を振った。気泡がキラキラと沸き上がり、幻を見ているかのよう。

 「今の見た!? すごいわ。人魚なんて水族館にもいないもの!」

 嬉しそうなメルチェを見て、レビウはにっこりとした。アシッドはレビウの顔を見て、嬉しそうだなと思った。


 ――コンコンコン。


 外の景色に翻弄されていると、扉の向こうからノックが聞こえる。

 「はあい」

 メルチェがるんるん気分で駆けていき、扉を開けた。すると。

 「失礼いたします。ルームサービスをお持ちいたしました」

 そこに立っていたのはホテルマンだった。耳の部分が(えら)になっており、彼が人魚族だということはすぐにわかった。

 ホテルマンは銀色のワゴンを押しながら部屋の中に入ってくる。ワゴンにはクロスがかけられていたが、その下からはおいしそうな香りが立ち込めていた。

 「飯か!」

 アシッドが嬉しそうに尻尾を振る。

 「さっき、受付でルームサービスを頼んでおいたんだ」

 微笑むレビウの背中を、「やるじゃねえか!」とアシッドが叩いた。そんな様子を横目に見ながら、メルチェも早くクロスをめくりたくて仕方のない気分になる。食事の準備をし始めたホテルマンに勧められ、三人は窓際に用意された席に着席した。 

 食器を並べるホテルマンの手元を眺める。メルチェはしばらくそわそわしていたが、向かい合った位置に座っているアシッドが身体を揺らしながら尻尾をぶんぶん振っていたので、思わず笑ってしまった。その隣でレビウが行儀よく座っている。

 「ご夕食の準備が整いましたので、クロスをめくらせていただきます」

 ついに、夕食の準備ができた。

 メルチェも、レビウも、アシッドも、こくんと頷いてテーブルの上を凝視する。ホテルマンがクロスをめくる。すると。

 あたたかい湯気と共に、おいしそうな香りが部屋に充満した――


 「お、おいしそう~!」


 三人が声を揃えてそう言うと、ホテルマンはにっこり笑う。

 「こちら、貝とオレンジのサラダでございます。特性ドレッシングをかけてお召し上がりください。こちらは海老のポタージュ。そして生魚のライム添えです。その隣にございますのは白身魚のポワレ。上にのっているのは玉ねぎのムースとなっております」

 三人は目の前の豪華な料理に目を輝かせながら一生懸命料理の説明を聞いた。最後に、かごに入ったバケットをテーブルの隅に置いたホテルマンは、食後にデザートと紅茶を持ってくることを告げ、部屋を去っていった。

 「こ、こんなの……もったいなくて食べられないわ」

 「さすが一流ホテル、食事も一流だね」

 「さあて、何から食うかな~!」

 テーブル一面に並べられた様々な料理たちは、まるで芸術作品のようだった。

 海底の石を磨いて作られた食器に、綺麗に切られた魚、放物線を描くソース。メルチェはどれから手を付けるか迷いに迷って、まずは海老のポタージュを飲むことにした。

 金色のスプーンでとろりとしたスープを救い上げると、磯の香りが鼻を抜ける。舌にまとわりつくその味わいは、一口飲み込むだけで、何匹もの海老の旨味がぎゅっと濃縮されていることがわかった。

 「ん~!」

 メルチェはあまりのおいしさに頬が落ちそうになる。

 その顔を見ていたアシッドが「変な顔」とつぶやいた。そんな狼はすでに白身魚のポワレを丸呑みした後だ。パリッと焼かれた皮と、白身の油がムースと混ざり合い、その繊細な味の絡まりが、丸呑みしたにも関わらずずっと口の中に残っている。

 レビウはマナー通りにカトラリーを使いながら、前菜である貝とオレンジのサラダを食べていた。シャキシャキの野菜とフレッシュなオレンジの酸味。貝はパンパンに中身が詰まっている。オイルの効いたドレッシングが風味をさらに底上げした。

 「おいしいね」

 「うん! すっごくおいしい!」

 ご機嫌のメルチェを見て、レビウはとても嬉しい気持ちになった。やっぱりこの宿に泊まってよかったと思った。

 もうほとんどお皿を空にしてしまったアシッドの隣、レビウは生魚にライムを絞る。それを見たメルチェも、つられて生魚にフォークを刺した。斜めに切られた半透明の身。端っこが銀色に輝いていて、本当に美しい。生魚を食べるのは初めてだった。新鮮な魚の獲れる地域でしかされていない食べ方だ。メルチェが思い切って一口食べると、滑らかな舌触りと共に、さっぱりとしたライムの味に包まれた魚の甘みが伝わってくる。

 「私、生のお魚すごく好きだわ……!」

 メルチェは、アシッドがここの魚がおいしいと言っていたことを思い出した。生で食べるとその言葉の意味がよくわかる。

 「人魚旧街地は魚が名産なんだよ。ブリランテや、他の街にも出荷されてるんだ」

 レビウが同じように生魚を食べながら言った。

 レビウとアシッドはここから出荷された魚を食べたことがあったのだが、現地で食べたことはなかった。現地の獲れたてはさらにおいしい。アシッドは自分の分の料理を食べ終わり、レビウのバケットをこっそり盗む。

 その後は海の塩で味付けしたジェラートが運ばれてきて、三人はお腹がいっぱいになってしまった。上手に淹れられた紅茶もおいしく、けれどメルチェは、高級ホテルでもレビウの淹れる紅茶には負けるな、と思った。

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