残された人たち 3
メルチェたちは一度シャトーへ戻り、タルモとリーシュたちへ町の状況や見てきたことを報告した。メルチェはずっと着ていた血のついたドレスを脱いだ。いつもの服に着替えると少しだけ安心して、自分のことがもっと嫌になった。
昼過ぎから遺体の回収が始まった。
シャトーに籠っていた住民たちも変わり果てた町へと繰り出し、みんな泣きながら遺体を訓練場のグラウンドへと運んだ。遺体の回収は夜まで続き、明日の朝には火葬が行われることになった。
様々な土地の人が集まるコッツ・ブロワでは、本来、亡くなった人の故郷の方法で遺体が葬られるが、あまりにも数が多いため、腐らないうちに一番早く遺体を骨にしてあげられる火葬が行われることになったのだ。
「ああ、ロン……ごめんな……お前、不安がってたのになあ……」
クロエが一番に運んできたロンの無惨な死体を見て、バルバラクは地面に膝をつく。
時刻は午後二十時。空には満天の星影が瞬きを繰り返していた。なんだかいつもよりも星が多い気がして、それはグラウンド一面に並べられたみんなの魂の数だけあればいいなと思った。門の近くに大きな焚火が燃えている。ぱちぱちと音を立てる焔は、敵軍の放つ魔法の火や兵士たちの流した血の色よりも美しく優しい赤をしていて、明日を隠す濃い闇を照らしているようにも見えた。
「俺が……俺が一緒に戦ってやれてたら……ロン……ロン、ごめんなあ……!」
バルバラクの髭の生えた顎に涙が伝う。
夕方頃、戦場にならず無事だったコッツ・ブロワの北部から、みんなで着替えや食べ物を持ち寄った。そのとき薔薇や果実も摘んできて、たくさんの死体のまわりにそれを供えた。
ロンの寝かされた布の上にも、色とりどりの薔薇が添えられている。彼の好物だったオレンジや、ユズの実。ロンはやはり安らかな顔をしていて、本当に眠っているだけなのではないかと錯覚してしまう。ちぎれた身体に、クロエのカーディガンがかかったままだった。
「いつもうるさかったくせに、こんなに静かになっちゃってさ……」
テオドルが声を震わせながらまた一本薔薇を供えた。泣き崩れるバルバラクの背中に手を置き、一緒に涙を流している。
その様子を、少し離れた場所からクロエとカメリアが眺めていた。
カメリアはロンの死を知り、とてつもない虚無感に襲われた。いつも笑顔で明るい、優しい人。後夜祭で自分を宿まで送ってくれたときの横顔や、雨の道端でコートをかけてくれたときのことを思い出す。どうして彼が。そう思わずにはいられなかった。もっと話をしたかった。きっと、彼ももっと生きていたかったに違いない。
カメリアはロンの死に顔を見て唇を嚙み締めた。彼の汚れた頬に、焚火の炎が色を落としている。
「……カメリア」
ふと、ずっと黙っていたクロエが口を開いた。
「な、なに……?」
カメリアは目線だけでクロエを見た。クロエは随分とやつれている。泣いて、吐いて、それでも兵士たちの治療をして、一睡もしていなかった。それはみんな同じだったけれど、この町への愛が深い彼女は特につらい二日間だっただろう。
「ロンが、最期、なんか言ってたわよ。頑張れば選んでもらえるとか、なんとか」
ぼんやりとクロエの顔を見ていたカメリアは、その言葉を聞いて涙を堪えきれなくなった。
――選ばれないもの同士頑張るっす!
そう言っていたロンの笑顔を今でも覚えていた。泣き崩れるカメリア。しゃがみ込み、当分立ち上がることはできなかった。
メルチェは、カメリアたちよりももっと離れたところでロンを見ていた。ロンの死に顔は穏やかで、けれどメルチェは身体の怪我にしか目がいかなかった。痛かっただろう。つらかっただろう。いつも子犬のように駆け回っていたロンは、出会ったときからずっと優しかった。死んでしまったなんて、考えられない。
「……最期に手を握って貰えて、ロンさんは嬉しかったでしょうね」
メルチェの後ろ、小さな声でソワンが言った。
ソワンはレンズの汚れた眼鏡を上げ直しもせず、下を向いて俯いた。ソワンは、本部の安置所でもこのグラウンドでも、ジャスターの死体に近付こうとしなかった。一つ花を添えただけで、死体を避けているようにも見えた。
「ソ、ソワ……」
「何も言わないでください、わかってます。ありがとう」
メルチェは、力なくソワンを呼び止めようとした。
ソワンもジャスターの手を握ってあげたかったに決まっていた。けれど彼女は何の言葉を聞くこともなく、暗い様子で去って行った。メルチェはその場に立ちすくむ。
自分は、声をかけておいて何と言うつもりだったのだろう。何も言えることなんてないのに。
さっきのソワンと同じように俯くと、グラウンドの赤く染まった砂の粒が金雲母のように輝いていた。何を言っても、意味はない。ジャスターは戻ってこない。ソワンはそれを理解して、メルチェの気持ちだけを受け取ってくれたのだ。それに気付いたメルチェは、無力だと、そう思った。
「……ジャスターなら、なんて声をかけた?」
星が瞬く。答えは出なかった。
.
「眠れないのかい?」
深夜。
疲れて眠ってしまう人と、朝まで死体のそばに留まっている人が半々だった。メルチェはどちらでもなく、壊れた塀の近く、ベンチに座って空を見上げている。昼間に一人にしてほしいと言われていたレビウは、メルチェを横目で見つめつつも声をかけることはしなかった。けれど夜はやはり心配だったので、眠ってしまったアシッドを放って、メルチェを探しに来たのだ。
「……うん、そうね。なんだか全然眠る気にならなくて…………」
メルチェはちらりと一瞬レビウを見たが、すぐに正面を向き直した。レビウはメルチェの隣に座り、そんなメルチェを見つめていた。
「みんな、もういなくなっちゃったのよね。もう二度と会えないだなんて、全然、考えられない」
さっきまで晴れ渡っていた夜空には雲がかかっている。青く、煙のように立ち込めるそれは小さな星々を覆い隠していた。けれど風が吹くと雲は流れ、また空は広くなる。そのたびに夜が暗くなったり、明るくなったりした。
「そうだね。実感できないよね」
レビウは変わらずメルチェを見ていたが、メルチェは笑いもせず、泣きもしていない。心がどこかへ行ってしまったようだった。
ベンチからは広いグラウンドが見渡せた。大きな焚火も。地面に座ったまま眠ってしまったリーシュの横で、タルモが火を絶やさないよう薪を調整している。炎は天まで燃え上がり、死体の傍らで別れを惜しむ人々の影をゆらめかせた。その影はどこまでもどこまでも遠く、夜の端っこまで伸びている気がした。グラウンドにはもうたくさんの薔薇や果実が供えられている。ここから見ると花畑のようで、明日の朝にはみんな燃えてしまうのだと思うと不思議な気持ちだった。まだずっと、みんなで一緒にいたいと、誰もが願っていた。
「メルチェ」
そんな景色を眺めているメルチェの名前を、思わず呼んだ。「なに?」とこちらを見ないまま返事をする金色の瞳に炎の橙が灯り、その瞳は夕焼けのように思えた。
「――わっ」
ふいに、メルチェが声を上げる。
急に身体を持っていかれたからだ。
メルチェは驚いて固まってしまった。抱きしめられたと理解するまでに数秒かかった。
「メルチェ、大丈夫だよ」
「な、なに? レビウ、どうしたの?」
「大丈夫」
「だから、私はそんな――」
「大丈夫、こっちを見て」
くっついた身体をそっと離し、じっとメルチェを見つめるレビウ。その赤眼に見つめられたメルチェは、今夜の焚火を見ているようだった。
しゃべらなくなったメルチェを、レビウはもう一度抱きしめた。メルチェはレビウの腕の中でじっとしている。やわらかくて、なんだかすごく安心した。とくん、とくん、と心臓の音が聞こえる。自分の鼓動か、レビウの鼓動かわからない。けれど、生きているのだと思った。知らぬ間にかたく凍てついていた、胸の奥が少し溶かされる。失くしていた心が、戻ってくるような感覚だった。
「……あったかい」
メルチェはつぶやく。
トントンと背中を叩いてくれるリズムが心地いい。
「僕はここにいる」
レビウは言った。
今朝、宿屋の階段で座って話していたときに言っていたのと同じセリフだった。
メルチェが目を瞑ると、そのときの真剣な顔のレビウが浮かんでくる。いつだって、優しい言葉をかけてくれる。目を開けると、そこには記憶の中じゃない本物のレビウがいた。ここにいる。そんな言葉が底の方まで沁みわたっていった。いなくなってしまった人は戻ってこない。けれど、まだ。ここにいる人だって、たくさんいる。
「レビウは、ここにいる……」
抱きしめられたままメルチェが言った。腕を回し、抱きしめ返す。
二人の体温は夜風に吹かれてもあたたかいままだった。寄り添ったまま、メルチェは少しだけ眠った。
.
朝になり、日の光で目を覚ましたメルチェは、ずっと寄り添ってくれていたレビウの体温で身体を冷やさずにすんだのだと気が付く。
グラウンドにはメルチェの目を覚まさせた朝日が黄色く差し込み、照り返しでひどく眩しかった。青空に、カラフルな薔薇や果実がよく映えている。そんな供え物も、寝かされたみんなの姿も、もうすぐ焼けてなくなってしまうと思うと、やっぱりなんだか変な気分だった。
「……レビウ」
メルチェがぼそりとつぶやく。
すると、レビウがぱちりと瞼を開けた。どうやら目を瞑っていただけらしい。肩にもたれかかっていたメルチェが慌てて身体を起こすと、レビウはうーんと伸びをしながら「おはよう、メルチェ」と言った。
焚火のそばで、数人の住民たちが炊き出しをしていた。被害のない北部に住んでいる人たちが、食べ物を持ち寄って朝食を作ってくれたのだ。パンにスープ。早くから起きていた人たちはもう受け取って食べ始めていた。メルチェとレビウも列に並んで朝食を食べる。昨日の朝からずっと何も食べていなかったからか、お腹の中に食べ物の溜まっていく感覚が直に感じられた。いろんな野菜が煮込まれたスープはあたたかく、とてもおいしかった。
「メルチェ!」
食べ終わった食器を返し、何か手伝いたくてみんなの分の食器を洗っていると、後ろから声を掛けられた。
「! ラズ……!」
そこにいたのは木苺屋のラズだった。
「メルチェ、怪我とかしてないみたいでよかったよ~」
メルチェは食器を洗う手を止め、「ラズも」と返事をした。レビウが代わりにメルチェの分の食器を洗い流している。
「大丈夫かなって、心配してたんだ。ようやく姿を見れたから声掛けちゃった」
「ありがとう、ラズ。私も顔が見れてよかったわ。エミナも大丈夫なの?」
「うん、平気だよ。お腹の赤ちゃんも。今はグラウンドへ行ってる」
ラズは少し悲しそうな顔をして微笑んだ。
エミナは、死んでしまった町の仲間たちに最後のお別れをしに行っているようだった。死んでしまった一人一人に、死を悲しんでいる人がいる。メルチェはまた落ち込んでしまいそうになったが、ぐっと両手を握って持ちこたえた。
「メルチェも、お別れを言いたい人がいるなら後悔しないようにね」
ラズは小さく手を振って去っていった。レビウも会釈をする。後悔のないように。メルチェはラズの言葉を反芻した。
すべての洗い物を終えた二人は、いまだ続いている炊き出しの元へと食器を返しに行く。寝ていた人たちももうほとんどの人が起き、炊き出しを受け取っていた。レビウはようやく狼のことを思い出し、あたりを見回したがまだ起きてきていないようだった。
「メルチェ、僕はアシッドを起こしてくるよ」
炊き出しがなくなる前に起こさなきゃ後から面倒だからね、とレビウが笑った。
「わ、私も……!」
走り出すレビウを呼び止めるかのようにメルチェが言うと、レビウは「メルチェは先に行ってて」と返した。
先に。メルチェはドキンとする。
どうしてわかったんだろうという顔をしていると、立ち止まったレビウはまた優しく笑って、「行くんでしょ、ジャスターのところ」と今度こそアシッドを呼びに本部の方へ走っていった。メルチェは少しの間だけレビウの背中を見つめていたけれど、覚悟を決めてグラウンドへと歩き出す。
並べられた死体のまわりには人がいっぱいだった。火葬の時間が迫っている。みんな、最後の挨拶を交わしていた。
「……ジャスター」
ジャスターのところには誰もいなかった。
昨日は生き残った兵士やタルモとリーシュ、教会の子供たちが泣きながら花を添えていたが、今日はみんな他の人にも別れを告げに行っているようだった。
メルチェは分けてもらった橙色の薔薇を、焼け焦げていない右半分の顔のそばにそっと置く。安らかな顔か、苦しい顔か、火傷の跡で表情はわからなかったけれど、綺麗に伸びた右の目の睫毛だけは白い頬に影を落としていた。
「ジャスター、ありがとうね。今まで……本当に」
メルチェの首元の赤いリボンがそよ風に揺らされる。それと一緒に、さっき供えた橙色の薔薇も優しく揺れた。橙色は、ジャスターの色だとメルチェは思った。あたたかくて、眩しくて、太陽みたいな。メルチェにとってジャスターはすごく大切な友達だった。メルチェにきょうだいはいなかったけれど、なんだかお姉さんのようだとも思っていた。かっこよくて、みんなのことを思っている、そんなジャスターが憧れだった。
「私、守られてばっかりだけど、絶対にみんなを守れるようになるから。見ててね、ジャスター」
メルチェがそう言ったとき、ようやくレビウとアシッドがやってきた。二人もジャスターに最後の別れを告げ、そのあとはロンや他の兵士たちの顔も見に行った。いつまで経ってもソワンがジャスターの元へ来ることはなかった。
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「みんな、いいか?」
午前九時。
火葬の時間がやってきた。
グラウンドへの太陽の照り返しがましになり、その代わりに限界まで燃やされた焚火の炎がめらめらと離れていても熱かった。瓦礫だらけになったこのあたりで、訓練場のグラウンドだけが薔薇や果実の彩りを光らせている。さっきまで通路となる空間を挟んで等間隔に並べられていた死体は、供え物に囲まれて隙間なく寝かせられていた。着火剤となる藁を布団のように被せられ、タルモは焚火から松明に火を移す。
「もう……本当に燃やしちまうんだな……」
炊き出しを無事に食べ終わったアシッドは、食べ物を食べたあとにも関わらず、うかない顔をしていた。自分と杯を交わした相手がいなくなる悲しみは、どれだけ野蛮な狼でもメルチェたちと変わらなかった。
「……」
メルチェとレビウも黙ってグラウンドを見つめている。
「……」
人だかりの後ろの方で、ソワンがじっと死体の海を眺めていた。
「じゃあ、点けるぞ」
タルモが藁に火を近づける。
「駄目!」
その瞬間、クロエがグラウンドへと走り出した。
「やっぱり駄目! 燃やさないで!」
クロエはタルモの持っている大きな松明を取り上げようと縋りつく。
「ちょっ……クロエ、危な……」
「嫌だ! 嫌だよロン! みんな! ああああー!!!!」
取り乱すクロエを、仕方なさそうにテオドルが押さえ込んでいた。けれど、その目には涙が浮かんでいる。
タルモは松明を持ったまま立ち尽くしていた。
自分だって、大切な町の仲間に火をつけるなんて、したくない。したくないよ。タルモの目からも涙が流れてしまう。松明がゴロンと落とされた瞬間、ワッと住民たちがグラウンドに駆け出した。みんな遺体に縋りついて、本当の本当に最後の瞬間を名残惜しみ始める。
ソワンはそんな光景を遠くから冷めた目で眺めていた。
自分は行かない。……行けない。旅人の自分にもうできることはない。怪我人の治療も終わっているし、故郷へ帰ってゆっくりしよう。そう、そうすればきっと、こんな後悔なんて、時間が解決してくれるに違いない――
「ソワン!」
ハッとした。
大きな声で、メルチェが叫んだ。
この場から立ち去ろうとしていたソワンは、一歩、二歩、ゆっくりと歩き出す。そのたびに、親友との思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
本当は、誰よりもジャスターの死がつらかった。
だけど、彼女の命を救えなかった。
見殺しにしたと思われたって仕方がない。どんな顔でジャスターの死を悲しめばいいのかわからなかった。死体を見るのが怖かった。いつまでも自分の隣で笑ってくれるのだと、ずっと思っていた。
「ジャスター……ジャスター……!」
ソワンは小さな身体で必死に人混みを掻き分けていった。ジャスターの寝かせられている位置は、本当はずっと見ていたので知っていた。ジャスターを見つけると勢いよく縋りつき、焼け焦げた方の手も焼け焦げていない方の手も両方強く握りしめる。
「ジャスター、ジャスター、ごめん……ごめんねジャスター……痛かったね、熱かったね、寂しかったね……ごめん、ごめん、ジャスター……ごめ……」
誰よりも大きな、ソワンの泣き声が響き渡っていた。共鳴するように人々は嘆き、それは結局何時間も続くことになった。昼をまわったあたりで、死体が腐らない前に燃やしてあげようと、タルモが一人一人を泣きながら説得していた。泣き腫らして赤くなった目を擦りながら、人々は少しずつその場を離れていった。
炎はとびきり朱く、美しく燃えた。
花や果実が灰になり、皮膚の焼けるにおいがした。青空に立ち込める煙はやがて雲になり、ジャスターが煙草を吸っていたときの吐息のように消えてなくなる。
みんなはすすり泣きながら炎を眺めていた。誰もが人を思い、町を思っていた。風に吹かれて、何かが燃えた跡の灰とグラウンドの乾いた砂が雪のように降ってきた。すべての死体が燃えるのには時間がかかり、もう何時間も炎を見つめている。
「メルチェさん」
レビウとアシッドと地面に座っていたメルチェ。
いろいろ考えたあと、一周回って何も考えられなくなってぼーっとしていたところを、芯のある声でハッとさせられる。振り向くと、そこにはソワンが立っていた。
「ソワン……!」
「さっきは、ありがとうございました。最後にジャスターの手を握らせてくれて」
ソワンは俯きつつも、微笑みながらそう言った。メルチェは立ち上がり、「ううん、そんなのいいのよ」と本心を言う。
灰は、グラウンドの砂と混ざってしまっていた。他にも、雲になったり、風になったり、きっと星にもなってしまったのだろうと思った。
「……軍隊にいたとき、わたし、戦闘が下手だったんです」
一緒に炎を眺めていると、唐突にソワンが言った。
メルチェは相槌を打たずにソワンの方を見る。その顔は凛としていて、まっすぐで、聡明なまなざしを持っているいつものソワンの顔だった。
「一度、油断しているときに敵に襲われたことがあって。ジャスターが助けてくれました。受け身も反撃もできずに怖くなって固まってしまったわたしに、何やってんのって、ジャスターが言ったんです」
メルチェは黙って話を聞いている。ソワンもそれから黙ってしまって、次の言葉を口にするまで少し時間がかかった。
「訓練場でジャスターの状態を見たとき……この怪我ではもう無理だって、すぐにわかった」
メルチェはそれを聞いて、ソワンが言葉を詰まらせていた意味がわかった。改めて顔を見ると、少し眉を寄せているのが、風に揺らされた前髪の隙間から伺える。
「本当はその場で縋りついて泣いてしまいたかった。他の人の治療も投げ出して、わたしを置いていかないでって叫びたかった……だけど……」
はらりと、花びらのように灰が舞った。
「だけど、何やってんのって。声が。ジャスターの声が聞こえた気がして。わたし……」
メルチェは泣き出したソワンを抱きしめた。
やっぱり何も言えなかったけれど、メルチェは抱きしめられたときのあたたかさを知っていた。ソワンは泣きじゃくり、その声をレビウとアシッドが座ったままで聞いていた。
炎はまだまだ燃える一方だった。気付けば空は黄色くなって、すぐに夕焼けがやってきた。人々は炎を眺めながら眠った。夜が来て、朝が来る。生きている人には、残された人には明日がやってくる。メルチェはきっとこの日のことを忘れないと誓った。絶対に強くなってみんなを守れる人になると誓った。
朝、みんなで拾った骨は白い木々のようだった。
ジャスターの骨はソワンが故郷へ持って帰ることになり、それ以外の骨は西の方に墓場を作って埋めることになった。
その作業と同時に、すぐに町の復興作業が始まった。まずは壊れた建物の瓦礫や道のタイルを回収する。レンガや木などはまだ使えそうなものがあれば仕分けして、建物を立て直すのに再利用された。焼けた木々や土は耕し直し、最終的にはまた果樹を育てるための畑にするとのことだった。メルチェたち三人もソワンも、瓦礫を集め、仕分けをし、土を耕した。他にも炊き出しの準備をしたり片付けをしたり、住民たちに紛れて町の復興に尽力した。
そんな中、戦争がメルチェを狙って起きたものだという噂が広まっていた。
ひそひそと内緒話をする人や、メルチェに直接心無いことを言う人もいた。そのたびにメルチェはみんなに謝った。タルモやリーシュ、クロエまでもがメルチェのせいではないと割って入って怒ってくれたけれど、メルチェは自分を責める人の気持ちが痛いくらいにわかっていた。レビウとアシッドは心配してくれていたが、メルチェは大丈夫だった。強がりではなく、本当に大丈夫だった。町の人たちの言葉を受け入れ、弱音を吐いたりもしなかった。なぜなら、強くなると覚悟を決めていたから。その金色のまなざしに、だんだんとメルチェの悪口を言う人はいなくなっていった。
そして、出発の日がやってくる。
「メルチェ。あなたが何を話しに来たのかはわかっているわ。だけど、だけどねメルチェ……」
朝食の炊き出しを行っているシャトーの庭で、リーシュがメルチェの両肩を掴む。メルチェは困ったように微笑んで、首を左右に振った。
「ごめんなさい、リーシュ。ありがとう。だけど、私がいることでまたこの町が狙われるかもしれない。だから、私は行くわ」
あれから数週間、町の瓦礫の片付けがあらかた落ち着き、建物を建てたり畑を作り直せるようになった段階で、メルチェたちは町を去ることに決めた。できることならずっと町の復興を手伝っていたかったけれど、また魔法使いが攻め込んでくるかもしれないし、レビウやアシッドのブリランテまでの旅はまだ終わっていないのだ。
「メルチェはこの町の姫だ。いつでも戻ってきなさい」
泣きそうな顔のリーシュを抱き寄せ、タルモが言った。メルチェたちは「ありがとう、お元気で」とそんな夫婦に別れを告げる。
「……レビウ!」
シャトーの庭を去ろうとしたとき、タルモが兎の名前を呼んだ。
レビウが振り向くと、「白兎の……」と何かを言いかけて、彼は言葉を飲み込む。ゆっくりと微笑みながら首を振り、「町のために戦ってくれてありがとう」と言った。
美しい薔薇の町。
果実の林。
あたたかい人々。
楽しかった舞踏会。
メルチェたちはこの町での思い出を、殺風景になってしまった道を歩きながら思い出す。いつかまた、できれば近いうちに、またこの町の人々が笑えればいい。前と同じではなくても、また綺麗な果実や薔薇を咲かせられればいい。メルチェはそう思った。薔薇の木のトンネル。花の咲いた庭。赤い屋根の一軒家。そうだよね、おばあさま。メルチェは何度か魔女の家を覗きに行っていたけれど、舞踏会の前日以来、彼女に会うことはなかった。
「メルチェだー!」
「メルチェー!」
教会の前に来たとき、子供たちに囲まれた。子供たちはいい子ばかりで、あんな怖い思いをしたにも関わらず、こんなにも無邪気で明るい笑顔を見せてくれる。
「ごめんね。私、もう……」
メルチェが心を痛めながら別れの挨拶をしようとしたときだった。一人の子が、「今ね、みんなで教会つくりの作戦立ててたのー!」と手に持ったピカピカの石を突き出してみせる。石にはペンキで落書きがされていた。よく見ると、みんなそれぞれ自分の石を抱きしめている。
「町を出るの?」
子供たちの石を眺めていると、聞き覚えのある、けれど今日はお茶らけていない、エンターテイナーの声が聞こえてきた。
「オルエッタ……!」
オルエッタだ。彼もまた、仕事の合間にコッツ・ブロワを訪れては、町の復興の手助けをしていた。なんでも最近は子供たちと教会の再構築を計画しているらしく、この色の塗られた石も、すべてオルエッタの差し金だった。
「ええ。今から町を出るところなの」
「オルエッタにも世話になったね」
黄色いスーツを輝かせる彼に、メルチェとレビウが返事をする。その後ろでアシッドが子供たちに捕まっていた。
オルエッタは名残惜しそうに「そっかー」と悲しむモーションをする。メルチェはくすっと笑い、「またねオルエッタ」と手を振った。
「メルチェ!」
すると、教会を出ようとした三人を、オルエッタが呼び止める。名前を呼ばれたメルチェは首を傾げ、ぴょこんと跳ねた薄紫の長耳を見た。
「僕ね、メルチェがコッツ・ブロワの姫に選ばれたとき、ぴったりだって思ったんだ。町の人との距離が近くて、明るくて。これからこの町と、メルチェ自身ももっと素敵に育っていくんだろうなって、そういう未来が見えたっていうか」
なんだか嬉しいことを言ってくれているようだった。メルチェは胸の奥がぎゅっとして、思わずくしゃけた表情になる。
「だから、落ち着いたらでいいからさ。この子たちの作った教会、いつか絶対見に来てよ」
そして彼から提案された素敵なアイデアに、わざわざオルエッタの前まで走って行った。
「絶対、絶対見に来るわ」
力強く取った手を、オルエッタも握り返した。
橋を渡り、コッツの雨を浴びる。傘は宿主へ返してしまったため、メルチェたちは急いで山を越えなければならなかった。幸い今日の雨は小雨で、傘がいらない霧のような雨だ。コッツの北側は町が美しいままで、まるで戦争が起こったことなんて知らないようだった。
丸くて大きい葉っぱの果樹に、たわわに実った果実。土に敷かれた白いタイルは、完成されたパズルのようにメルチェたちの行く道を導いていた。けれど、高台が見えてくると、タイルはその続きを放棄した。
赤い土を踏んで山へと入る。ゆるやかな坂道の両脇に、水色の草が伸びている。しばらく足を進めて振り返ると、ここからもう町は見えなかった。メルチェたちは進んでいく。これから先どんなことがあっても、進んでいく。メルチェは振り返るのを止め、前を向き直した。




