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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第8章 深緋の雨
54/65

残された人たち 2

 雨が、町に残った血や泥を洗い流していた。

 コッツの道にできた水たまりは真っ赤で、兵士たちはその上に無残に倒れている。血が乾かずに流れ続けたせいで、青い顔をして死んでいる人が多かった。激しい雨が降っているのに、このあたりで傘をさしているのはメルチェとレビウだけ。倒れている兵士たち一人一人に傘をさしてあげたかったけれど、生憎そんな数の傘を持ち合わせてはいなかった。

 メルチェは見つけた死体を丁寧に道の端や壊れていない建物の軒下へと移動させ、仰向けに寝かせてあげていた。レビウもそれを手伝う。二人の間に目立った会話はなかった。メルチェはいつになく無口で、けれど泣いているわけでもなく、ただただ重い死体を運んでは、またコッツの変わり果てた遊歩道を歩いた。

 「……いないわね。生きてる人」

 自分たちが泊まっていた宿屋の前までやってきたとき、ふと、メルチェがつぶやいた。

 「そう、だね。雨で体温が下がって、それで亡くなってしまった人が多いのかもしれない」

 目を合わせずにレビウが言った。

 メルチェとレビウは立ち止まり、焼け焦げてしまった宿屋を見上げる。矢が刺さってボロボロになってしまった白壁。何かしらの爆発で破壊されてしまったフロント。床には壁の残骸と、先代が集めていたというランプの硝子が粉々になって散らばっていた。そんな中、螺旋階段になっていた、中心の大きな果樹だけが形を残して佇んでいる。

 「この樹、強いね」

 ずっと真顔のままのメルチェに、レビウが話しかけた。

 「そうね……」

 今度は顔を覗き込んでみたけれど、やはりメルチェは真顔のままだ。レビウが思わずその表情を見つめてしまっていると、それに気付いたメルチェもレビウの方を見た。

 「どうしたの?」

 にこっと笑う。けれど、いつものような無邪気な笑顔ではない、精一杯の作り笑いだということはレビウでなくても誰にでもわかった。レビウは左右に首を振り、「なんでもないよ」と同じように微笑む。

 メルチェは、焼け焦げた町や横たわったたくさんの兵士を見て、胸が押し潰されてしまいそうになっていた。何も、守れなかった。何も、できなかった。自分のせいで、みんなは死んだ。リーシュはメルチェのせいではないと言ってくれていたけれど、メルチェはとてもそうは思えなかった。

 雨は絶えず降り続け、兵士の死体だけでなく、メルチェたちの身体も冷やしていった。ぬかるんだ地面が二人の靴を汚す。レビウの二の腕に巻いた包帯が湿ってほどけ、それを見たメルチェは、新しい包帯を巻き直すよと言った。レビウはこれくらい大丈夫だと遠慮したが、悪化してはいけないからと、メルチェは半ば強引にレビウを宿屋の中へと引っ張った。

 宿屋は、玄関やフロントは爆破されていたがそれ以外の内部はほとんど無事で、二人は螺旋階段の二段目にを腰をかけた。メルチェがカバンから包帯を取り出し、レビウの湿った包帯をほどくと、血の滲んだガーゼがぽろりと剥がれる。縫合した部分は、死体など重いものを運んだりしたためか少し開いてしまっているような気がした。メルチェは慎重にガーゼを替えて、これ以上傷口が開いてしまわないよう、新しい包帯をきつく結んだ。

 「……メルチェ」

 手当てが終わり、道具を仕舞っているメルチェの名前をレビウが呼ぶ。

 「なあに?」

 メルチェはまだまだ余っている包帯をくるくると片付けながら、顔を上げて首を傾げた。レビウはそんなメルチェの目をまっすぐ見つめる。

 「つらいときは頼ってほしい」

 そして、そう言った。

 真剣な顔をしているレビウの瞳に、少し動揺しているようなメルチェが映っている。メルチェは「どうしたの、急に」と小さな声で答えてみせたが、レビウは真剣な顔を止めない。

 「メルチェが自分に責任を感じていること、わかってる。リーシュも言っていたようにこの戦争は君のせいではないけれど、それでもメルチェが自分のせいだと思ってしまうこと、わかってるんだ」

 片付けをするメルチェの手は動いていない。「そ、それは……」と、歯切れ悪くつぶやいた。

 「だけど、だからって。メルチェが、自分の気持ちを押し込める必要はないんだよ」

 口ごもるメルチェに対し、レビウははっきりと言った。

 外で降り続いている雨が、壊れたフロントから宿屋の床を濡らしている。雨音が激しく、メルチェのくしゃくしゃになってしまった心情を塗りつぶした。そんなメルチェの瞳を見つめたまま、レビウは続ける。

 「みんなと同じように、つらいって言って、悲しんだっていいんだよ。町の人の前で言いづらいなら、ここに僕がいる」

 メルチェはレビウから目を逸らせない。まっすぐで、何よりも自分を大切に思ってくれている気持ちが簡単に伝わってきた。

 「メルチェ、僕がいるよ。メルチェのそばにいる」

 それは、言い聞かせているような口調だった。

 レビウは揺れ動くメルチェの瞳を見つめていたが、瞬きをした隙にメルチェがパッと目を逸らした。

 メルチェは、レビウの言葉が嬉しかった。けれど、そんな気持ちになってしまうことにすら罪悪感があった。メルチェのせいじゃない。そう言ってくれて嬉しい。嬉しいけれど、その言葉は、どうしても今は心に入ってこなかった。自分のせいじゃないなんて、そんなわけない。町のみんなのように悲しむ資格なんて、自分にはない。

 「……そうよね。ありがとう」

 メルチェは口だけのお礼を言った。自分を思ってくれている気持ちだけを受け取って、残りの気持ちは自分の中に閉じ込めた。

 「……」

 レビウはメルチェがまだ自分を責めていることをお見通しだった。けれどもう、何も言わない。これ以上メルチェに無理をさせるわけにはいかなかったからだ。

 「……そろそろ、捜索に戻りましょうか」

 カバンの中に道具を片付け終わったメルチェが言った。レビウも「そうだね」と頷き立ち上がる。ズボンについた土をパンパンと両手で払い、自分たちの部屋がある三階の方、螺旋階段の上を見上げた。三人でここへ来たときは、新しい町にワクワクしたなあ……

 「――あれ?」

 そんなふうに、少しだけ過去の思い出に浸っていたときだった。

 ふと、メルチェが階段を見る。すると、一段一段に泥がついていることに気が付いた。泥は同じ感覚で階段の上まで続いている。

 「足跡……?」

 メルチェがそうつぶやくと、レビウはハッとする。

 「これ、靴の跡じゃない。動物の……狼の足跡だ!」

 大声を出した後、メルチェとレビウは顔を見合わせ、急いで階段を駆け上がった。足跡は三階の角部屋まで続いており、扉は開きっぱなしになっている。


 「アシッド!」


 部屋は昨日の朝、シャトーへ出掛けたときのままになっていた。

 違うのは、下から飛んできたのであろう矢に硝子が割られ、そこからびゅうびゅうと雨風が吹いているところ。そして、部屋に並んだ三つのベッドの内、アシッドが寝ていたベッドだけがこんもりと盛り上がっているところだ。

 メルチェとレビウが駆け寄って布団をめくる。


 するとそこには、毛皮を赤く濡らした獣――アシッドが丸まっていた。


 「ア、アシッド……!」

 口元を押さえるメルチェの横で、レビウが狼の身体を触る。

 「大丈夫だ。脈はある」

 その言葉にほっと胸を撫でおろした。

 けれど彼の寝転ぶ白いシーツは血が滲み、赤黒く変色していた。怪我をしているのだろう。手当てをしようとメルチェがカバンを地面に置く。がさごそと消毒液やガーゼを取り出していると、その音に混じって布団の擦れる音がした。

 「……んあ? レビウに……メルチェ?」

 いつも通りの低い声。

 「アシッド!」

 目を覚ました狼は、毎朝やっているように大きなあくびをしながら伸びをした。その悠長な様子に、メルチェとレビウはただただ唖然と彼を見つめて固まっている。

 「なんだ、わざわざ迎えに来たのかよ?」

 呑気な言葉。メルチェとレビウは固まったまま黙っていた。

 アシッドは、敵軍が消えたあと、シャトーまで戻るのが面倒で宿屋で一眠りしていたらしい。少ししたらきちんとみんなの元へ帰るつもりだったようだが、思いの外爆睡してしまったようで、こんな時間になってしまったのだ。そんなことはまったく知らずにアシッドの身を案じ続けていたメルチェとレビウ。「はーあ。よく寝たぜ」と、またアシッドが伸びをしたとき、メルチェは胸の奥から怒りが込み上げてきた。

 「な、なによそれ。私たちが、一体どれだけ……」


 「どれだけ心配したと思ってるんだよ!」


 すると、突然の怒鳴り声。


 メルチェが言おうとしたことを、レビウが代わりに言ってみせたのだ。

 驚くメルチェ。肩を震わせて拳を握りしめているレビウの怒り顔に、アシッドも目を丸くしている。アシッドは、レビウが怒鳴ったところを初めて見た。びっくりした心臓をバクバクさせながら、「お、怒ってんのか?」と尋ねる。

 「怒ってないよ。ほら、怪我見せて」

 けれど、レビウは怒っていないと言い張る。

 「すぐ戻らなくて悪かったって。ちょっとしたら出発しようと思……」

 「毛皮だと手当てしにくいから早く人間の姿になって」

 「お、おう……」

 どう見ても怒っている。

 レビウは、メルチェの準備してあった消毒液を手に取って、冷たい言い方で「早くして!」と命令した。アシッドはたじたじしながら素直に言いつけを聞いている。

 その掛け合いを見ていたメルチェは、こんな状況なのになんだかいつも通りの光景を見られて、少しほっとしたような気持ちになった。アシッドが無事で、本当によかった。怒っているけれど、きっとレビウもそう思っていることだろう。

 アシッドは、レビウに言われた通りに人間の姿に戻り、服を脱ごうとした。マントを外し、ヨレヨレのシャツをめくる。

 すると、どうだろう。

 「――!」


 ズタズタに斬られた背中。


 その傷を見て、メルチェは心臓がズキンとした。

 傷は、数は多いが浅いもので、血も止まっていた。致命傷ではない。けれど、おそらく何度も斬りつけられている。

 メルチェは、自分のせいでアシッドがこの傷を負ったのだと思った。自分が狙われていたせいで戦わせてしまったのだから。こんなに傷付けられて、どれだけ痛かっただろう。眠りこけてしまうのも無理はなかった。メルチェはさっきアシッドのことを叱りかけてしまったことを後悔する。

 「甲冑、つけてなかったのかい?」

 「あんなん重くてしょってられるかよ」

 傷口を消毒をしてあげているレビウに、アシッドが気だるく返事をしていた。

 メルチェは少し離れて座り、治療光景を黙って見つめている。浮かない顔だ。レビウはメルチェがまた落ち込んでしまっていることに気が付いていたが、何も言えなかった。

 「よし。これで大丈夫」

 治療が終わり、アシッドは上半身が包帯でぐるぐる巻きになった。

 この程度の怪我で大袈裟じゃないかとソワソワするアシッド。けれど、ずっと深刻な顔をしているメルチェやレビウを見て、本当に心配させてしまっていたのだと気が付いた。髪をガシガシ掻いた後、二人の頭をぽんと叩き、「悪かったな」とつぶやく。メルチェとレビウは顔を見合わせ、少し笑った。


 .


 アシッドも一緒に、三人で宿を出る。

 その後も、相変わらず雨は激しいままだった。やはり町に生きている人はおらず、今度はメルチェとアシッドが二人で死体を軒下へと運んだ。レビウも手伝おうとしたが、怪我がこれ以上開いてはいけないと、手伝わせてもらえなかった。

 一通りコッツを探索し終わり、南の橋を渡る。傘を持っていないアシッドがレビウの傘を半分――否、七割程――占領していたので、レビウは右肩がぐっしょり濡れていた。三人は傘を畳み、ブロワの町を歩く。アシッドはブロワにもこれほど被害が広がっていたことを知らなかった。朽ちた薔薇を尻目に、チッと舌打ちをする。

 「ここもこんなことになってんのかよ」

 綺麗だった町の面影はほとんどなく、アシッドはメルチェとレビウが自分を心配していた意味がやっとわかった。こんなに被害が出ている中、シャトーへ戻っていない人の無事を願うのはあたりまえだ。自分の行動を少し反省する。

 「……なんだか騒がしくない?」

 訓練場の近くを通ったときだった。キョロキョロしながら、メルチェが言った。

 その言葉を聞いてレビウとアシッドも耳をすませば、ずっと静かだった町に、たしかに人の話し声が遠く聞こえてくる。ガヤガヤとしたその音は、訓練場が近付いてくるにつれ大きくなっていった。

 「訓練場に人がいるんだ……!」

 レビウは、訓練場の塀の向こうを指さした。三人は急いで入口の門まで走って行く。

 訓練場は、いつもの変わらぬだだっ広いグラウンドが広がっていた。人の姿はない。けれど話し声を頼りに進んでいくと、声はグラウンドの端にある建物から聞こえてきているようだった。

 「ここだ」

 それは、軍の本部となっている建物だった。兵士たちの寮もあり、コッツ・ブロワの中ではシャトーの次に大きい建物だ。ロンたちもここに住んでいた。窓があるが、カーテンが閉まっていて中が見えない。メルチェは迷わず扉のノブに手をかけた。

 扉を開けると、そこには――――


 たくさんの怪我人たちが、溢れかえっていた。


 「!?」


 血と薬品のにおい。

 呻き声。

 横たわった兵士たち。


 それにまぎれて、ソワンとクロエが走り回っていた。

 どうやらこのあたりで怪我をした兵士たちは訓練場に避難しにきていたらしく、たくさんの重症者たちが床に座り込んでいる。ソワンとクロエはブロワを中心に怪我人を探していたため、自然とここへ辿り着いたのだろう。シャトーにいる怪我人の数よりはさすがに少なく思えるが、それでも床を埋め尽くすほどの人数だ。メルチェは思わず口を抑える。

 「こ、これ……」

 「メルチェさんにレビウさん! それに、アシッドさん……! 無事だったんですね!」

 そのとき、三人が来たことに気が付いたソワンがパッと顔を上げた。

 「突っ立ってる暇あるなら手伝ってよ!」

 ソワンのの後ろからはそう叫ぶクロエ。

 メルチェはハッとして、返事をするのも忘れたまま兵士たちの治療に加勢した。レビウもそれに続く。いつもは面倒臭がりなアシッドも、さすがに今回ばかりはレビウの道具を借りて治療を手伝っていた。

 訓練場の兵士たちも、シャトーの兵士たちと同じくひどい怪我のものが多かった。シャトーの怪我人と違うのは、すぐに処置をすることができなかったため傷口が悪化しているケースが多いことだ。流れた血は黒く固まり、こびりついている。メルチェはお湯につけたタオルで兵士たちの肌を洗った。念入りに消毒し、ソワンが順番に回ってくるのを待った。

 途中で三人が加勢したこともあって、兵士たちの処置は数時間で落ち着いた。けれどこの数時間はずっと動きっぱなしだった。それにシャトーのときほど処置の手が足りておらず、怪我の状態が悪い人も多かったので、全員を助けることはできなかった。メルチェは、また人が死んでいくところを何度も見た。悲しくて、悔しくて、だけど、死んでいった人やその人たちの家族はもっと悲しくて悔しいのだろうと思った。

 死体の安置所となっている二階の会議室でみんなの顔を見る。

 安らかな顔をしている人もいれば、苦しい顔のまま亡くなってしまった人もいた。布が足りず、その顔を隠してあげることができない。ごめんなさい、と、心の中で小さく謝り続けることしかできない。

 レビウは、そんなメルチェの姿を部屋の入口で見つめていた。

 メルチェはゆっくりと一人一人の顔を見ながら部屋の奥まで進んでいく。泣いているのかと思う瞬間もあったが、彼女が泣くことは一度もなかった。やはり、悲しみを押し殺しているように感じた。レビウはメルチェのことがとても心配だった。このまま、心が死んでしまわないだろうかと。たまらなくなって、メルチェ、と、声をかけようとする。


 そのとき、急にメルチェの足が止まった。


 「……メルチェ?」


 メルチェは、そのままいつまで経っても動かない。

 「……?」

 不思議に思ったレビウが会議室に足を踏み入れた。

 安置所の会議室はカーテンが閉められていて、灯りも点いておらず薄暗かった。広い部屋に綺麗に並べられた死体の花道。コツコツと、ピータイルにレビウの革靴の音が響いている。

 メルチェのそばにやってくると、レビウは「メルチェ?」ともう一度彼女の名前を呼んだ。メルチェは動かない。顔を覗き込むと、目を大きくしているのが見えた。唇は渇いており、金色の瞳に光は宿っていない。

 メルチェは、ある一人の死体の前で立ちすくんだまま固まっていた。レビウはざわざわとした嫌な予感を胸中に感じ取りながら、メルチェと同じように、その死体へと目線を移した。


 「……ジャス、ター?」


 その死体は、ジャスターと思われるものだった。


 全身が、火傷の跡でただれている。

 左半身は頭皮から前脚までがひどく焼け焦げ、綺麗に手入れされていた栗色の髪も燃えてしまっていた。腰には矢の刺さった跡。毛並みに黒い血が大量にこびりついていた。半身半馬のケンタウロスの体型でなければ、誰かわからなくなっていたかもしれない。それほどに、ひどい遺体だった。

 「ジャ……、…………」

 メルチェはその一文字だけを口にした。するとそのとき、心のどこかで「そんなわけない」と唱えていた言葉が聞こえなくなった。目の前が暗くなっていく。ドクンと鳴った心臓が、握られ、潰され、もう二度と動かなくなるような感覚だった。


 信じたくない。

 そんなわけない。

 だけど、これは、ジャスターだ。ジャスターの死体なんだ。

 そうわかると、すべての感情が空っぽになっていった。

 ジャスターが死んだ。

 みんなに優しくて、強くて、かっこいい、ジャスターが死んだんだ。


 「! メルチェ……」

 ストン、とその場に腰が落ちる。

 何も考えられなかった。そんなわけないと、自分以外に、誰かに言ってほしかった。けれど誰もそんなこと言ってくれなかった。レビウも、あとから部屋に入ってきたアシッドも、みんなジャスターの死体の前で固まっていた。アシッドが初めに「嘘だろ、おい」と言ったきり、誰も何も言わなかった。

 「……ありえないわよね」

 しばらくして、もう一人部屋に入ってきた。ピンクの髪。ワンピース。クロエだ。

 三人は愕然としながらゆっくり顔を動かす。ありえない、と言ったのがジャスターが死んだことに対してだと思ったアシッドは、「……ほんとにな」と少し間をあけてから言った。すると、クロエもジャスターの死体の前までやってきて、誰の顔も見ずに「生きてたの」と言った。

 「え……」

 レビウが思わず声を漏らす。

 「クロエたちがここに来て見つけたときは、まだかすかに息してた。生きてたのよ。でも……」

 クロエはぐっと両手の拳を握った。

 「ソワンが。もう助からないから他を優先しろって。友達でしょって言ったら、そんなの関係ないって」

 それきり、クロエも何も言わなくなった。

 コチコチと壁に設置されたシンプルな時計が針を刻む。けれど、メルチェの時は止まったままだった。

 「ソワンが正しいさ」

 また、部屋に誰かが入ってきた。

 「仲がいいとか、他人だとかは関係ない。助かる人から助けていく。自分の感情に振り回されず、こんな状況でも冷静に人の命の判断をする。彼女は医者の鑑だ」

 入ってきたと思ったが、入口に立っているだけだった。逆光でシルエットがくっきりと見える。大男だ。片腕がなくなっている。

 「バルバラクさん……」

 よく見ると、手入れのされていない濃いもみあげがあった。軍の隊長をしているバルバラクだ。

 バルバラクの言ったことを、メルチェは受け入れられなかった。ソワンの気持ちを考えると、耐えられなかった。ソワンはジャスターの友達としてではなく、医者として動いたのだ。より多くの命を助けるために、親友のはずのジャスターの治療を優先しなかった。それは、どんなに。

 「どんなに……つらいことだったの……」

 メルチェはぼそりとつぶやいた。

 ジャスターを死なせてしまったのも、ソワンにそんなつらい選択をさせてしまったのも、すべて自分のせいだと思った。

 「ふん……感情なんてないんじゃないの」

 メルチェのつぶやきを聞いて、クロエは機嫌が悪そうに言った。けれどいつものように威勢はなく、吐き捨てるような言い方だった。

 「つらくないわけがないんだ、ソワンが。ジャスターを失うことが誰よりも悲しいはずなのに、医者として仕事を全うしたんだ。この町の兵士を何人も救ってくれた」

 するとバルバラクがソワンを庇った。それを聞いて、クロエは何も言わず足早に部屋を出ていく。バルバラクの、怪我をしていない方の身体にぶつかっていった。本当は、きっとクロエもわかっていた。けれど、自分の悲しみをどう処理していいのかわからないのだろう。

 メルチェは、きっとジャスターならソワンの選択を讃えるだろうと思った。そして、メルチェのせいじゃないよ、と、言ってくれるのだろうと思った。気持ちの優しい、人のことを誰より思える人だったから。

 けれど、メルチェは。

 メルチェの身体は沈んでいく。深く、深く沈んで立ち上がれる気がしなかった。暗い夜がずっと明けず、闇の中に引きずり込まれていくようだった。

 その場を動こうとしないメルチェに、レビウとアシッドは外の空気を吸いに行こうと言った。けれど断られ、一人にしてほしいと言われた。二人はメルチェを置いて外へと出た。訓練場の乾ききった土が風にのせられて、どこまでも遠くへ飛んで行った。空は青く、雲一つない。

 「……あのあと、大丈夫だったのかよ」

 本部の建物の壁沿いに置かれたベンチに、アシッドが腰かけて言った。

 「ああ、なんとか間に合った」

 レビウも静かに隣に座る。

 レビウとアシッドがまだ戦場で戦っていたとき、さっき別れたばかりのタルモが急いだ様子で戻ってきたのだ。目に大怪我を負いながら、「メルチェが危ない」と言っていた。白兎の敵兵に聞いたと。それからレビウは急いでシャトーへと向かったのだ。

 「そうかよ。メルチェを守れてよかったな」

 よかったな。

 本当は、そう言っていいのかどうか、アシッドにはわからなかった。メルチェはずっと暗い顔をしているし、ジャスターや、他にもたくさんの人が死んでしまった。町の半分は壊滅しているし、これから死体の回収が始まる。そうしたら、顔見知りの死をさらに知ることになるだろう。けれどとりあえず、メルチェが生きていたことだけをよかったなと言った。

 「よくないよ」

 すると、レビウがアシッドの言葉を否定する。

 「守れなかった。心まで守れなければ、意味がない」

 それが答えだった。アシッドは何も返事をしなかった。

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