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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第7章 姫は虹光の中で
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お姫様たち

 瑠璃色の山肌をくだるように、霧雨が霞掛かっているのが見える。

 昼前の窓辺からは、地上に降りそそぐ雨が白い糸すじのようになって弾けている様子が伺えた。部屋の中も外の廊下も森閑としている。うつらうつらと天井の模様を見ていると、微かに、階段をあがってくる足音が聞こえてきた。これは、メルチェの足音だ。

 「……起きてる?」

 内緒話をするような、ささやき声で目を覚ます。

 昨日の夜、後夜祭は深夜まで開催された。結局、長い時間どんちゃん騒ぎをして、帰ったのは夜中の三時頃だった。倒れるように眠りについて、レビウは一度早朝に目を覚ましたが、メルチェもアシッドもまだ起きていなかったため、思わず二度寝をしてしまったのだ。

 「おはようメルチェ。起きてたんだね」

 目を擦りながら起き上がるレビウ。メルチェは「まだ寝てていいのよ」と部屋の入口に立ったまま、布団をかけるジェスチャーをした。

 「いや、もう起きるよ。今何時だ……?」

 時計を見ると、もうすぐお昼だった。こんな時間まで寝てしまったのは久しぶりだ。

 「お昼ごはんの用意しなくちゃ」

 大きいいびきをかいているアシッドを横目に、レビウは立ち上がる。すると、メルチェが動揺しながら両手を振った。

 「そ、そのことなんだけど!」

 レビウは不思議そうに首を傾げる。

 「ちょっと遅いんだけど、十三時になったらアシッドを起こして下のレストランまで来てほしいの」

 よく見ると、メルチェはエプロンをしていた。指には絆創膏も貼ってある。もしかして、とレビウは思った。

 「……わかった!」

 けれど何も聞かずに微笑む。

 メルチェは「じゃあ、あとでね!」と張り切った様子で扉を閉めた。するとすぐに、スキップする足音が階段を降りていくのが聞こえた。

 昼下がり、雨打際に雫の落ちる音がする。シーツから石鹸の香りがして、またうたた寝してしまいそうになった。

 あれから一時間ほど経ち、約束の時間が来ようとしていた。寝起きのアシッドを連れ、レビウはドキドキしながらいつも自分が仕事をしているレストランに向かう。たしか、今日は休業日だったはず。けれど、入口には看板が立てられていた。

 「本日貸切、特別メニュー……」

 レビウが看板に書いてある下手な文字を読むと、後ろであくびをしていたアシッドも看板を覗き込み、「メルチェ特製ランチプレート、だってよ」と八重歯を見せて笑った。


 「いらっしゃいませ!」


 レストランに入店すると、エプロン姿のメルチェが出迎えてくれた。

 「お前、ままごとでもしてんのか?」

 「いいから座って!」

 アシッドがからかってもメルチェは怒らない。そのまま二人を席に案内した。深緑と雨景色がよく見える、一番いい席。テーブルには花瓶が置かれており、淡いピンク色の薔薇が刺さっている。

 「今日は、二人にお礼をしようと思って」

 メルチェは慣れない手つきで水を注いだ。アシッドが一気にそれを飲み干すと、何も言わずに、けれど何か言いたげな表情でもう一度水を注ぐ。

 「寝起きは喉が渇くんだよ」

 アシッドの髪には寝癖がついていた。メルチェは「次からセルフサービスね」と水の入ったボトルをテーブルに置く。

 「じゃあ、ちょっと待ってて」

 そして、キッチンの奥へと走っていった。

 待っている間、レビウはカウンターの向こう側でせっせと何かを準備するメルチェの姿をじっと見つめていた。一生懸命に、慌ただしくキッチンの中を往復している。

 「お前、いつも見過ぎじゃね?」

 すると、アシッドが暇そうにおしぼりを丸めながら咎めてきた。レビウは「別にいいじゃないか」とメルチェから目を離し、グラスになみなみ入った水をすする。

 「そんなに見張ってなくても、アイツはどこにも行かねえよ」

 テーブルの上には水滴で輪っかができていた。その上にまたグラスを置く。

 「そんなつもりじゃないよ。ただ……」

 レビウは口篭った。「ただ?」と続きを聞きたがるアシッドの瞳が、窓の外の雨を映し出し、いつもより青く光っている。

 「傷付いてほしくないから。守っていたいんだ」

 アシッドは「ふーん」とキッチンの方を見た。間違ってフランベしてしまったメルチェの前髪が燃えている。アシッドだって、傷付いてほしくはなかった。メルチェにも、レビウにも。

 「おまたせ!」

 それからしばらくして、汗だくのメルチェがついに料理を運んできた。二つの大皿を、レビウとアシッド、それぞれの前に置く。

 大皿には、丸く盛ったバターライスと、ドレッシングのかかったサラダが少量。そして、お皿のほとんどを占める、大きなハンバーグがのせられていた。ハンバーグはなぜだか変な形になっていて、焦げた表面にトマトソースがかけられている。

 「メルチェ特製ランチプレートよ!」

 レビウとアシッドは一瞬停止した。このハンバーグ……うさぎの形と、これは、猫?

 「可愛いね。おいしそう」

 レビウはとりあえず思ったことを口にした。メルチェが作ったものはなんだって可愛いし、なんだって最高だ。

 「なんだこれ、犬か?」

 しかし、アシッドも思ったことをそのまま口にした。メルチェはブブーッと両手でバツを作り、「惜しい! 狼よ」と答えを教えてくれた。

 「狼い?」

 「そう! 兎と、狼」

 レビウとアシッドは顔を見合わせる。

 もう一度プレートを見ると、レビウのハンバーグには長い耳が、アシッドのハンバーグには三角の耳がついていた。メルチェは兎と狼に、それぞれ兎と狼のハンバーグを作ったのだ。

 「二人とも、いつも私と仲良くしてくれてありがとう」

 レビウがきちんとナプキンをつけたタイミングで、メルチェが口を開いた。

 「なんだよ急に」

 一口でハンバーグを食べようとしていたアシッドはその手を止める。

 「私、二人のおかげで自分がここにいてもいいんだって思えるようになったの。三人で旅をするのが本当に楽しくて」

 メルチェは、自分の夢を応援してくれた二人にお礼がしたかった。いつも自分を守ってくれる二人に。居場所をくれた二人に。

 「だから、ありがとう!」

 とびきりの笑顔。レビウとアシッドも、言わずもがな笑顔になった。

 「さあーて、冷めちまう前に食おうぜ」

 アシッドはハンバーグを一口で食べるのをやめ、味わうために二口で食べることにした。荒い手つきで肉を真っ二つに切る。

 「いただきます」

 レビウはメルチェが自分たちのためにごはんを作ってくれたことが嬉しくて、胸がいっぱいだった。兎の形をしたハンバーグは、食べてなくなってしまうことを考えるとなんだか可哀想でもったいない。

 「おお! けっこういけんじゃねえか!」

 レビウが食べるのを躊躇っていると、アシッドが口にソースをつけながら賞賛した。メルチェは「本当!?」と顔を輝かせる。

 レビウも、せっかく作ってくれたんだから熱いうちに食べたいと思い、ついに耳の部分をナイフで切った。透明の肉汁が溢れ出し、果肉の入ったソースと混ざり合う。湯気の上がるそれを一口食べると、トマトの酸味がまず一番にやってきた。そのあと、少ししょっぱい味付けと、肉肉しい食感が口いっぱいに広がって、溢れそびれた肉汁が舌を包み込んだ。

 「おいしい! すっごくおいしいよ!」

 レビウはそう言ってメルチェを見上げた。メルチェはまた笑顔になって喜んだあと、「いっぱい食べてね!」と二人がハンバーグを頬張る姿を幸せそうに眺めていた。


 .


 メルチェ特製ランチプレートを食べ終わったあとは、お皿を洗うメルチェをレビウが手伝っていた。二人でソースのこびりついた大きなフライパンを洗っていたとき、先に部屋へと戻っていたアシッドが、再びレストランへやってきた。

 「アシッド、どうしたの?」

 「お前に来客だとよ」

 来客? と思ったとき、アシッドの後ろから顔を出したのはオルエッタだった。

 「メールチェ!」

 黄色いスーツを艶々させて一回転する。シルクハットを脱いでお辞儀をすると、短い片耳が露わになった。

 「オルエッタじゃない! 遊びに来てくれたの?」

 メルチェはエプロンで手を拭いて、オルエッタの元へと走っていった。レビウも一旦洗い物をやめ、蛇口の水を止める。

 「やーやーこんにちはこんにちは! 昨日は楽しめたかい?」

 オルエッタはシルクハットを被り直し、メルチェの肩をぽんと叩いた。メルチェは「もちろんよ」と元気に返事をする。すると、彼はニパッと笑い、手のひらをくるりと翻した。すると、マジックのように二つ折りの厚紙が現れ、それをメルチェに手渡す。

 「そんな君に、シャトーからお手紙でーす!」

 シャトーからの手紙。

 裏面にはタルモとリーシュの名前が書いてあった。

 「こ、これ……!」

 「読んでみたらー?」

 どくんと心臓が飛び跳ねた。

 手紙を開くと、鳩の柄の便箋に、今日中にシャトーまで来て欲しいという内容が書かれていた。メルチェは指先を震わせて、みんなの顔を見る。

 「行っておいで」

 カウンター越しにレビウが言った。

 「今度は、僕が晩ごはんを準備して待ってるよ」

 残りの洗い物もやっておくから、と優しい笑みを見せる。

 「……ありがとう。私、行ってくるわ!」

 メルチェは急いでエプロンを脱ぎ、壁に飾られていた掛け鏡で身だしなみを整えた。「いってらっしゃい」と見送ってくれた三人に手を振って、メルチェは宿を飛び出す。自転車に跨り、雨の降るコッツを駆け抜けていった。

 この呼び出しが姫オーディションの結果を知らせるものだということは誰もがわかっていた。まさかこんなに早く結果がわかるなんて思ってもいなかったけれど――メルチェは高鳴る鼓動を抑え、シャトーへと急ぐ。

 「ごめんください」

 メルチェは門の前に自転車を停め、思い切って呼び鈴を鳴らした。少し間を開けてから玄関の扉が開く。そして、リーシュが天女のような微笑みで顔を覗かせた。

 「いらっしゃい、メルチェ」

 リーシュの表情はいつもと変わらなかった。水色のドレスに散りばめられたラメがちらちらと日光を反射する。リーシュはメルチェが緊張しているのがすぐにわかった。なので、玄関に入るとき、メルチェの背中に手を添えてくれた。彼女は背丈も小さく身体も華奢だが、いつでも頼れる、気丈な雰囲気を感じさせる人だ。

 白い大理石に陶器のような家具たち。彫刻の施された階段の手すり。シャトーの中は今日も綺麗だ。二階に上がれば、案内されたのはオーディションの説明を受けたあの客間だった。日の差す窓辺にタルモが立っている。

 町の景色を眺めていた彼は、メルチェが部屋に入ってきたことに気が付くとゆっくり振り向いた。

 「メルチェ、よく来たな」

 タルモの挨拶に、メルチェもスカートの裾を広げて挨拶を返す。

 夫婦はメルチェをソファに座らせた。ソファは前に座ったときと変わらずふかふかで、座り心地がよかった。

 「えっと……ここへ呼んだ理由は、もう察しているよな」

 対面するソファに同じように座ったタルモ。彼も少し緊張しているようだ。リーシュがくすっと笑うと、メルチェはタルモの言葉にこくんと頷いた。

 「まずは、お疲れ様。昨日のダンス、とても素晴らしかったよ」

 「四人とも、それぞれ個性が出ていて素敵だったわ。町のみんなも喜んでくれていたし」

 和やかな会話にメルチェは少しほっとする。「とんでもないわ」と笑みをこぼすと、タルモとリーシュもにっこり笑った。

 「それでね、メルチェ。わたしたち、二人で誰を姫に選ぼうか話し合ったの」

 けれど、本題に入ったところでまたメルチェは顔がかたくなってしまった。指先が冷たくなって、心臓がドキドキ鳴る。客間は静かだったので、鼓動が二人に聞こえてしまいそうだった。

 「……だけど。話し合わなくても、答えはすぐに出たんだ。なぜなら、二人ともまったく同じ意見だったからだ」

 タルモがまっすぐにメルチェを見つめた。

 メルチェの鼓動は、やはり鳴りやまなかった。


 「メルチェ」


 同じように、タルモの瞳を見つめる。


 「君に、コッツ・ブロワの姫になって欲しい」


 その言葉を聞いて、時が止まったような気がした。


 メルチェは目を大きくする。すると、タルモは微笑みながら照れたように髭を触った。

 「この町にぴったりなのが誰かと考えたとき……一番に浮かんだのは、メルチェだった」

 出窓の枠の形が、部屋にくっきりと影を落としている。太陽は西に傾き始め、日差しは黄色から朱色へ変化しようとしていた。

 「ねえ、みんなと、この町で一緒に暮らしましょう。もちろん、木苺屋さんのお仕事を続けてもいいし、旅だって、ブリランテまで続けてくれて構わない。そのあとで、コッツ・ブロワに姫として戻ってきてくれたら嬉しいわ」

 リーシュががメルチェの顔を見ると、金色の瞳が波を打ってゆらめいているのがわかった。どうかしら、とメルチェに問う。メルチェは、これが現実に起こっていることなのかわからなかった。まるで夢のようで、信じられない。意識がぼんやりとしてきて、前に座っている夫婦の笑顔を見つめることしかできなかった。

 「私が……姫?」

 いつまでも動揺しているメルチェに、タルモは「もしかして嫌になったか」と恐る恐る聞く。すると、メルチェは「そんなことない!」と慌てて否定して立ち上がった。

 「なりたい! コッツ・ブロワの姫に、ならせてください!」

 なんだか喉がカラカラで、思わず変な声になってしまった。勢い余ったメルチェが恥ずかしがっていると、タルモはふっと笑みを漏らして、「決まりだな」と手を叩く。

 「やったー!」

 すると、リーシュが子供のようにはしゃぎだした。タルモもふう、と一息吐いて、緊張が解けたように姿勢を崩す。

 「さっそく祝賀会の予定を進めましょう! ドレスはどんなものにしようかしら? 何色が好き? 舞踏会で着ていたドレスも素敵だったからあれも着ましょうか。お色直し用に何着かあってもいいと思うの!」

 突っ立ったままのメルチェに駆け寄るリーシュ。心の底から嬉しそうな、無邪気な笑顔。

 リーシュは、ドレスの他にも、料理や飾りつけやパフォーマンスの話を早口でしゃべってきた。一通り満足するまで語り終わった後、ちょっとカタログをとってくるわ! と、急いで客間から出ていく。

 「……」

 メルチェは、まだ自分が姫に選ばれた実感がなかった。鼓動は早いし、けれどほっとしたような気分でもあって。だけど少し興奮していて、指先はまだ冷たい。ドキドキが止まらなかった。

 私が、姫。

 ずっと憧れていた、姫……

 「リーシュはずっと姫を迎えるのを楽しみにしていたんだ。もちろん、私も」

 メルチェが頬を赤くして考えていると、ソファに座ったままのタルモが口を開いた。

 「私たちは、メルチェがこの町を大切にしてくれているのが嬉しかったんだ。木苺屋の仕事も、教会の子供たちも。あの舞踏会でだって、町のみんなを幸せにしてくれた」

 タルモは立ち上がり、またメルチェの瞳をじっと見つめた。そして「ありがとう」と言うと、メルチェの両手をとって、かたく握った。タルモの手は大きく、分厚く、そしてあたたかかった。じんわりと体温が伝わってきて、メルチェの心まで熱くなる。

 「――私こそ、二人に選んでもらえて本当に光栄だわ……!」

 メルチェはタルモの両手を握り返した。

 これからこの二人のことを、この町のことを、うんと幸せにしよう。そう思った。


 メルチェが強く決心した、そのときだった。


 「メルチェー!」


 唐突に元気な声が飛んでくる。

 バンと扉が開き、客間に誰かが入ってくる。そこに現れたのは、カタログを取りに行ったリーシュではなく、半身半馬の彼女だった。

 「ジャスター!?」

 栗色のロングヘアを肩から流し、メルチェとタルモの間に割り込んできたのはジャスター。目をキラキラさせて、タルモからメルチェの両手を奪って握りしめる。

 「おめでとうメルチェ! あたし、メルチェが姫になってすっごく嬉しいよ!」

 ジャスターは本当に嬉しそうだった。

 メルチェは驚きつつも、「ありがとう」と言った。素直に嬉しくて、胸がぎゅっとした。だけどその反面、自分が過去、姫に選ばれなかったときの悲しみも蘇ってくる。選ばれない側の気持ちは痛いほどわかっていた。メルチェは、自分が姫に選ばれた事実は、ジャスターが姫に選ばれなかったという事実でもあるのだと気付いた。

 返す言葉を選んでいると、女の子がもう一人部屋に入ってきた。

 「ふん。何を気い遣ってんのよ」

 ピンク色のツンテール。つっけんどんな態度。そこにいたのは、クロエだった。

 「クロエにはこんな田舎、初めから似合わなかったのよ。もっと都会のアイドルになる方が向いてるわ。アンタにはこのちっちゃい町がお似合いだけどね」

 髪を手で払い、腕を組む町のアイドル。そんな彼女に、ジャスターは「またまた、強がっちゃって~」と絡みにいく。

 「は、はあ!? 強がってなんかないし。悔しがってんのはアンタでしょ!」

 「あたしは嬉しいの方が勝ってんの! 確かに少しは悔しいけどさ。仲良かった友達が姫になるなんて、めちゃくちゃテンション上がっちゃうよ!」

 ジャスターとクロエはいつもの調子で言い合いをし始めた。メルチェはそれを見て、自分の考えていたことが馬鹿馬鹿しくなってきてしまう。自分が心配しなくとも、二人は大丈夫。彼女たちは、強くて素敵な女の子なのだ。

 それからは、リーシュも戻ってきて、改めて祝賀会のことを聞いた。

 祝賀会はメルチェが姫になったことをお披露目し、お祝いするパーティーだ。ドレスや料理、飾りのことはこれから話し合っていくことになった。日付は二週間後。それまでに、親しい友人に招待状を書いてはどうかということだった。

 メルチェは日が沈む前にシャトーを出る。ジャスターとクロエとは広場で別れ、一人で家路についた。途中で魔女の家に寄ってみたが、どうやら留守らしく、テラスに魔女の姿はなかった。雨のコッツを走り抜け、宿の前に自転車を停める。一階のレストランにはもう誰もいなかった。宿は静かで、今日は泊まっている人も全然いないようだ。ランプの吊るされた大木の螺旋階段を、ゆっくり、ゆっくりのぼってゆく。

 「ただいま……」

 部屋のドアを開けると、窓辺にレビウが立っていた。

 

 「おかえり、メルチェ」

 

 網戸からやわらかい風が吹く。雨が微かに入り込み、すべての粒に夕日が反射して、仄かに光って見えた。

 「レビウ……」

 メルチェは小さくつぶやく。レビウは綺麗な顔に微笑を浮かべ、メルチェの言葉を待っていた。

 「レビウ、私、私……」

 「うん」

 「私ね」

 「うん」

 首元の赤いリボンが揺れる。

 

 「姫になれたよ。この町の、お姫様になれた……!」


 メルチェはレビウに抱き着いた。


 「おめでとう、メルチェ!」


 レビウはメルチェを抱きしめ返し、準備していた言葉を言った。

 ふんわりと風が雨とともにレースのカーテンを揺蕩わせ、夕日が黄金色に輝く。今日のコッツは狐の嫁入りだった。檸檬色の髪が一層美しく光り、それをレビウは優しく撫でる。

 「メルチェ、頑張ったね。本当におめでとう」

 メルチェはだんだんと実感が湧いてきた。目頭がじんとなって、熱い涙が滲んでくる。

 「おーおーおー! こんなところにオヒメサマがいるじゃねえかー!」

 すると、後ろからいつもの軽口が聞こえてきた。振り向く前に頭をわしゃわしゃと撫でられる。アシッドだった。レビウとの撫で方とは全然違う。だけど、本当に褒めてくれているのがわかった。

 「もう、アシッド!」

 「よくやったなメルチェ。今日は祝い酒といくか!」

 三人は抱き合って、みんなで喜び合った。晩ごはんはレビウの作ったご馳走を食べて、アシッドはまた泥酔するほどお酒を飲んだ。だけど今日は誰も咎めたりしなかった。貸切のレストランに、夜通し笑い声が響いていた。


 .


 「へえー、やっぱりメルチェさんに決まったんすね!」

 東の高台で兵士たちが談笑している。

 軒下からは雨が滴り、高台の下に植わっている果実の葉っぱに雫が落ちた。

 「町が華々しくなるよ。祝賀会楽しみだなあ」

 メルチェが姫に選ばれたという話はすぐに町へと広がった。ロンとテオドルも姫の誕生を喜び、祝賀会を楽しみにしているようだ。

 「クロエは都会に行くって騒いでたぞ」

 高台を順番に回っていたタルモは、姫が決まったときのことを二人に話していた。ついでにクロエの話題も出すと、「ついていかなくてもいいのか、ロン」と冗談交じりに笑う。

 「え!? ついていっていいんすか!?」

 「馬鹿もんが! お前は見回りの時間だろうが!」

 都会に行きたがっているクロエの話にロンが食いつくと、高台の下からバルバラクが怒鳴ってきた。ロンは「やべーっ!」と慌ててコートを着て下へ降りていき、バルバラクの機嫌を取るためヘコヘコとお辞儀をした。

 見回りは交代制だった。時間になると、コッツをぐるっと一周し、そのあとブロワを一周して訓練場へ戻る。訓練場でトレーニングをすると、一日は終わりだ。訓練重視の日など例外はあるが、だいたいはトレーニングから始まり高台の見張り、町の見回り、そしてまたトレーニングの繰り返し。このセットを一人ずつ時間をずらして行うため、町は一日中兵士たちに守られているのだ。

 白い空から銀色の雨が降っている。コートのフードを被ると、まだらな水玉模様が浮かび上がった。パシャパシャと水たまりを踏めば汚れたブーツがまだ泥水を浴びるが、この町で数年暮らすロンはもう慣れっこだった。ずっと穏やかだったコッツ・ブロワだが、最近はまだ不審者の目撃情報も途絶えない。しっかり見回りしなければ。

 ロンが南の高台のあたりにやってきたときだった。道の端っこに、うずくまっている人がいる。

 「大丈夫っすか!?」

 雨の中、傘もささずにしゃがんでいたのは女の子だった。見たことのある衣装を着ている。着物だ。濡れた黒髪に、ロンはハッとする。

 「カメリア!?」

 その声に女の子はゆっくり顔をあげた。

 「ロン……くん?」

 ロンはコートを脱いでカメリアにかけてあげる。黙っているカメリアに、「ちゃんと洗ってるっすよ!」と焦りながら言った。

 「こんなところで何してるんすか! 風邪ひくっすよ!」

 「私……選ばれなかった」

 「え?」

 「また、駄目だった」

 長い前髪で隠れていたけれど、ロンはカメリアが泣いているのがわかった。雨の流れる頬の中、どれが涙かはわからない。だけど泣いているのだとわかった。

 「いつも、みんな私の踊りを褒めてくれるの。だけど選ばれない。私は一番になれない。いつも、私は駄目だから……」

 姫はメルチェに決まったのだと、先程聞いた話を思い出す。選ばれる人がいるということは、選ばれなかった人がいるということだ。ロンはボサボサの眉毛をガシガシ掻いて、パンと両頬を叩く。そして、カメリアの肩を正面から掴んだ。

 「みんな誰かのナンバーワンなんすよ!」

 そんなきれいごとに、カメリアは俯いたまま小さな声で返す。

 「みんなじゃないよ。少なくとも……私は違う。両親が大切なのは、私じゃなくて、私が姫になることだし……なのに姫にも選ばれないし……」

 その声は、激しくなってきた雨音にかき消されてしまうくらい小さな声だった。

 「だけどわかるんだ……メルチェが選ばれて、納得だった。私じゃ駄目だって、最初からわかってたんだ……」

 誰もが、ジャスターやクロエのように悔しさや悲しさを割り切れるわけではなかった。何度もオーディションに落ちて、何度も否定されたような気持ちになって、雨の中、立てなくなるのも当然だ。けれど、ロンはカメリアの肩を離さなかった。「でも!」とカメリアの何百倍もの声を出して、逸らされた目を見つめている。

 「前も言ったっすけど! オレはカメリアもすっげー綺麗だと思ったっすよ! しなやかで清楚で……」

 「でもロンくんはクロエちゃんを選ぶでしょう?」

 ロンの奮闘も敵わず、カメリアはやはり目を逸らして俯いたままだった。しかも唐突に放たれた衝撃的な一言に、ロンは「なぜそれを!」と明らかに動揺し始める。

 「みんな言ってるし、知ってるよ。クロエちゃん可愛いもんね。華があって」

 カメリアはなんだかやけになっているようだった。ずっとネガティブな感情を吐露し続ける彼女に、「だー! もう!」とついに我慢の限界がきたロン。優しくしてくれたのに、少し嫌なことを言ってしまったかと、カメリアはチラリとついにこちらを見る。

 「そんなこと言ったらオレだって選ばれたことなんかないっすよ!? クロエちゃんは冷たいし、兵士の中でも一切モテないし! いつもテオドルが選ばれるっす! アイツ軽いのに!」

 すると、ロンは烈火のごとく日常の鬱憤を吐き出し始めた。

 「ロンくんは明るくて立派だよ。私なんて、後ろ向きだから……」

 自分も選ばれないと言うロンだったが、カメリアはロンと自分は全然違うと感じているようだった。明るくて前向きなロンと、暗くて後ろ向きな自分。言われたことしかできなくて、言われたことをやっても駄目で。こんなことを考えているのもよくないと、心ではわかっている。だけど、いつも考え始めたら止まらない。ロンのように爽やかな性格が羨ましかった。

 「いいんすよ、カメリアはそれで!」

 けれど、ロンは当たり前のようにそう言って笑った。カメリアは思わず顔をあげる。ようやく目が合って、ロンはもう一度ニコッと笑った。雨に打たれてぺしゃんこになってしまった髪は、自分と同じ黒髪だった。

 「前向きばっかじゃ疲れるし、後ろ向きの表現が誰かを救うことだってあるっすよ! 悲しいときとか、ポジティブな言葉聞いて余計悲しくなることとかあるし……」

 そんなことをつぶやいた後、ロンは、らしくないこと言っちゃった、と少しアワアワする。

 「と、とにかく! オレはほんとにカメリアだって綺麗だと思ってるっす! 踊りも、堂々としててすげーってなったし! だからそんなとこで小さくならなくてもいいんすよ!」

 あんなに耳障りだった雨音が、聞こえなくなった。

 カメリアに聞こえるのはロンのハツラツとした声だけだ。自分にコートをかけてくれたせいでびしょ濡れのロンは、どんなに冷たい雨に打たれても、どんなにネガティブな言葉を聞いても、その明るさがかすむことはない。

 「選ばれないもの同士頑張るっす!」

 そのセリフを聞いて、カメリアは思い切り泣き出した。雨の中でも、さすがに誰にでもわかるほど大声で。

 ロンは「選ばれないっていうのはあれっすよ! 違くて!」とまた慌てふためいていたが、カメリアが泣いたのは悲しいからではなかった。コッツの雨が優しく涙を洗い流す。泣き終わったら、今よりも少しだけ違う自分になれているような、そんな気がした。

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