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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第7章 姫は虹光の中で
43/65

舞踏会へようこそ!

 オーディション当日。

 ブロワの空は高く、青く、清々しく晴れ渡る。空気は澄んで、町を囲む遠くの山々に雨雲がかかっているのがよく見えた。彩り豊かな薔薇の花びらが、交互に重なり合っては泡のように木を飾り、特にシャトーを囲む白い薔薇の庭園は、まるで楽園のようだった。

 舞踏会はシャトーの最上階で開催される予定で、教会の子供たちが飾りつけをした広いホールは、たくさんの人で溢れかえっていた。町の住人や子供たち。兵士のみんなやお店をやっている人たちは、今日のために仕事を休んだ。その中には木苺屋のラズとエミナの姿もある。コッツからもブロワからも町中の人々が集って、みんな、舞踏会を心待ちにしているようだった。

 「すごい人の数だわ……」

 その光景を見たメルチェは緊張しっぱなしだった。カチコチの背中をレビウが優しくさする。その隣では、「怖気ついたならやめとくかあ?」と、アシッドが意地悪を言っておもしろがった。

 時刻は午後十三時。舞踏会の始まりまであと一時間を切っていた。

 「そろそろ行ってくるわね。二人とも、また会場で!」

 ざわざわとオーディションの開始を待つ会場。「頑張って!」と最後のエールを送ったレビウに手を振って、メルチェは姫候補たちの集まる控室へと走っていった。

 「着替えの場所は……ここね」

 控室。深呼吸をして扉を開けると、部屋ではジャスターとクロエが身支度をしていた。

 「メルチェ、ついにこの日が来たね~!」

 メルチェがやってきたことに気付いたジャスターが、珍しく巻いた髪をふわふわさせながら声をかけてくれる。いつもだって綺麗に化粧をしている彼女だが、今日は特に気合いの入ったメイクをしていた。マスカラやアイラインを引いてくっきりとした目元。オレンジのリップが艶めいている。

 「ジャスター! 髪もお化粧もすごく綺麗ね」

 「えへへ、ありがとー! さすがに張り切っちゃったよ」

 メルチェの褒め言葉に嬉しくなって顔を緩ませるジャスター。「メルチェもやってあげよっか?」と、メイクブラシを手に取った。化粧をした経験のないメルチェは「いいの!?」と目を輝かせて喜ぶ。

 「敵に塩を送るなんて、馬鹿じゃないの?」

 その様子を傍観していたクロエが、派手なポニーテールを手で払い、ふんっと鼻で笑った。ツインテールの印象があった彼女だが、今日の髪型もよく似合っている。

 「みんなが全力で挑んで、みんなのいいところを全部伝えた上で一番になった方が、本当の一番って感じがしない?」

 クロエの言葉を聞いて、ジャスターは微笑み返した。

 一瞬、二人の間にバチっと火花が散った気がしたメルチェ。

 不服そうに組んでいた足を組み替えたクロエは、ジャスターに何も言い返すことなくふいっとそっぽを向いた。ジャスターは「困ったちゃんだねえ」と鏡台の前に座ったメルチェに化粧をし始める。

 「そういえばカメリアは?」

 「あれ、いない? あたしが来たときはいたんだけどなあ」

 しばらくしてメイクが終わった。そのあと髪を結ってもらっていたときに、メルチェが控室を見回してカメリアのことを問う。キョロキョロとするメルチェの頭を、「動かないで!」とつむじのあたりから編み込みをしているジャスターが押さえてきた。

 「お手洗いに走っていくの見たけど」

 身支度を終え、暇そうにジュースを飲んでいるクロエ。ストローをくわえたままそう言うと、「できた!」とジャスターが大声を出した。

 「ありがとう、ジャスター!」

 二つの編み込みがうなじの上でひとつのお団子にまとめられ、ついに髪型が完成したとき、メルチェは立ち上がった。満足げに鏡を見ると、そこにはいつもよりもうんと可愛くなった――ような気がする――自分の姿。メルチェが嬉しそうににっこり笑うと、ジャスターもにっこり笑う。

 「カメリア、トイレだって」

 「それにしては帰ってくるの遅いけどね」

 「私、ちょっと見てくるわ」

 ジャスターと一緒にメイク道具の片づけをした後、メルチェはそう言って、カメリアを探しにお手洗いへと向かった。

 「……カメリア?」

 廊下の端っこにある、装飾の施された豪華な扉。メルチェは恐る恐る声をかける。鍵がかかっているようだが、ノックをしても返事はなかった。心配になって何度か名前を呼んだとき、中から「います……」と蚊の鳴くような声がする。

 「カメリア大丈夫?」

 「大丈夫……間に合うように行くから……」

 緊張で体調が悪くなってしまったようだ。声が震えている。

 メルチェは心配で一緒についていてあげようと思ったが、カメリアはしきりに大丈夫だと言い張り、メルチェも自分の着替えがまだだったため仕方なく控室へと戻った。


 .

 

 「コッツ・ブロワのみなさん。お集まりいただき、どうもありがとう」


 ホールでは開会式が始まっていた。

 ホールの真ん中には、タルモとリーシュがきらびやかな正装で立っている。それを囲むように大勢の町民たちが輪を作り、壁際はたくさんの人で埋まっていた。天井一面に張られた天窓からは黄色い日差しが差し込んで、その様子を、姫候補の四人がこっそり袖から覗いている。

 「今日は、コッツ・ブロワの姫になるかもしれない女の子たちが踊りを披露してくれるのよ。オーディションという目的もあるけれど……一番は、町のみんなが楽しめる日になればいいなって思ってる」

 真っ赤なマーメイドドレスを着たリーシュが、宝石のついたイヤリングを揺らした。騒がしい兵士や子供たちを中心に、会場は沸き上がる。レビウとアシッドもまわりに合わせて拍手をした。

 「先程、くじ引きでダンスの順番を決めてもらった。まずはじめにクロエ」

 リーシュに代わって舞踏会の説明をし始めたタルモ。トップバッターの名前を呼ぶと、会場のどこかから「クロエちゃーん!」と大声が飛んできた。この声はロンだろう。クスクスと会場から笑いが起きるのを袖で聞いていたクロエは、うんざりとしたような顔になる。

 「次に、ジャスター」

 レビウとアシッドの後ろの方で背伸びをしたのはソワン。もちろん彼女もオーディションを見に来ていた。子供のような背丈のソワンは、この人混みの中、ホールの中心を見るのは大変そうだ。

 「三番目に、カメリア」

 聞きなれない名前に、会場は静まり返る。「誰ー?」と尋ねたのは子供たちだ。

 「そして最後に、メルチェ」

 「メルチェー! 頑張ってー!」

 また、輪の中から声が上がった。

 レビウとアシッドが驚いてまわりを見回すと、麦わら帽子を被ったエルフの大男が両手を振っている。木苺屋の旦那、ラズだ。隣では妊婦のエミナが「恥ずかしいからやめな!」と彼を叱る。純粋にロンの真似をしたラズの天然さに、袖で見ていたメルチェは思わず笑ってしまった。


 「――では、さっそく舞踏会を始めよう」


 そう言ったタルモとリーシュが輪の中に下がる。

 盛り上がっていた会場は徐々に静かになり、この日のために呼んだ小規模オーケストラの人たちが足早にホールへと入ってきた。用意された椅子に座った彼らは一曲目の譜面を立てかけ、楽器を準備する。

 「それじゃあ行ってくるわ。アンタたち、クロエが可愛すぎるからって辞退とかしないでよね!」

 隠れていた扉の裏で、クロエが勝気に笑った。

 するわけないでしょ、とメルチェたちが返事をする前に、クロエはホールへと歩き出す。

 「クロエちゃん! クロエちゃーん!」

 華やかな衣装を身にまとい現れたコッツ・ブロワのアイドルに、先程よりも大きな声でロンが叫んだ。クロエがホールの真ん中へたどり着くまでに、ロンに続いて何人もの人がクロエの名前を呼ぶ。すごい人気だ。みんなからの熱い声援に、クロエは自信に満ち満ちた表情で笑ってみせた。


 曲が鳴る。


 出だしからアップテンポなリズムにのって、クロエがくるくる回り始めた。ふんわりと広がるのは、フリルのついたオフショルダー。この日のために、両親が徹夜で仕立ててくれたドレスだった。ボリュームのあるスカートにはカラフルな薔薇の刺繍が施されている。赤や青、黄色や緑、花びらの細部まで手縫いされた薔薇たちは、クロエの魅力を最大限まで引き出していた。

 「クロエ……!」

 ポップな曲調に合わせ、桃色のポニーテルが揺らぐ。最前列で涙を浮かべて娘のダンスを見守る両親に、晴れやかな笑顔で手を振った。まるで本物のアイドルのようだ。

 「可愛い……可愛すぎるっす……」

 その隣、ただのファンが両親よりも号泣している。いつも通り無視しようかとも思ったが、一緒にいるテオドルにも気持ち悪がられていて可哀想だったので、本日限り、最初で最後のファンサービスをしてあげた。投げキッスだ。ざわめく会場で、ロンは鼻血を出して倒れる。可愛らしい振り付けはお人形のような顔立ちのクロエにぴったりで、ロンだけでなく、ダンスを見ていた人々みんなを魅了した。

 鉄琴が跳ねるように高い音を立てる。最後にウィンドチャイムが鳴って、キラキラとした雰囲気で曲は終わった。大きな拍手が起こり、クロエ自身もキラキラとした笑顔で手を振った。

 「これは強敵なんじゃねえの?」

 止まない拍手に、アシッドがレビウの顔を見る。

 「さすが、町のアイドルだね」

 レビウもアシッドの顔を見た。


 みんなに手を振りながらはけていったクロエ。彼女がいなくなると、会場も少しずつ落ち着いていった。タルモとリーシュが「ありがとう」とお礼を言う。次のダンスが始まろうとしていた。

 「よっしゃ、行くよ!」

 オーケストラが二曲目の楽譜を用意する。

 ジャスターは深呼吸をし、出馬合図を待っていた。

 会場はまだ一曲目が終わったところだというのに熱気に包まれている。次の曲が始まる前に、ソワンが最前列へ行こうと必死に人混みをかき分けていた。少し前に進むと、馴染みのある二人がいる。

 「ソワンじゃねえか」

 レビウとアシッドだった。おかっぱ頭をくしゃくしゃにしている彼女にアシッドが声をかける。

 二人は、ソワンが背が低くて前を見ることができないのだとすぐにわかった。このままでは、よく見えないままジャスターのダンスが始まってしまう。

 「アシッド!」

 「仕方ねえなあ……」

 レビウが狼を焚きつけた。アシッドはソワンの腕を掴む。

 「えっ!?」

 そのまま、小さな身体は狼に持ち上げられた。肩に乗せられ、視界が一気にひらける。

 「ずるーい! ぼくもぼくもー!」

 「わたしもー!」

 すると、近くで埋もれていた子供がアシッドのまわりに集まり始めた。くすっと笑ったレビウを睨み、「はいはい」と近くに寄ってきた子供たちをひょいと脇に抱きかかえる。さすがにまわりの人たちの邪魔になるので、そのまま一番後ろの壁際まで下がっていった。両肩にソワンと子供を抱える狼は、まるで子守をしているようだ。

 「アシッドさん、すみません」

 ソワンが恥ずかしそうに謝った。

 「まあ、ジャスターのやつも、お前には絶対見てもらいたいだろうからな」

 そう言ったアシッドは、ソワンの反対側ではしゃぐ子供に耳を遊ばれている。面倒くさそうに「お前ら静かにしろ!」と牙をむいて怒鳴った。けれど子供たちは余計にはしゃぐだけ。ソワンはレビウと同じようにくすっと笑ってしまった。

 肩の上からはホールの景色がよく見えた。

 ドーナツ状になった人混みも、広々としたホールの真ん中も――


 「あ……!」


 そして、大理石の上、蹄を鳴らして出てきた彼女のことも。


 栗色の美しい巻き髪をたなびかせ、二番目に現れたのはジャスターだった。

 渋い色をしたハイネックのコートを身に着け、にこにこしながら走ってくる。金のボタンが二列留められていて、黒いネクタイを締めた姿は、まるで軍服のようだった。綺麗な毛並みの尻尾には、ネクタイと同じデザインのリボンが結ばれている。

 ジャスターは女性らしくもかっこいいポーズで足を止めた。彼女が目を瞑ったとき、オーケストラが演奏を開始する。クラリネットが主旋律をゆく音楽は、ソワンも聞き覚えのあるものだった。

 「また懐かしい曲を……」

 「知ってんのか?」

 「故郷で有名な曲なんです」

 どこか情熱的なその曲は、流れるように奏でられる。疾走感のあるメロディ。ジャスターは鍛えた馬脚を活かしてホール中を疾走した。人々の目の前を颯爽と駆け巡り、長い腕を広げて腰をそらす。風が巻き起こり、クロエとはまた違った逞しくも美しいしなやかさに、会場の目は釘付けになった。

 「!」

 ジャスターがソワンたちのいる人混みの前を通ったとき、ぱちっと目が合った。肩車をされているせいだろう。みんなよりも飛びぬけて見えやすい位置にいるため、向こうからもこちらがよく見えるのだ。ジャスターは思わず笑った。いつもはしっかりもののソワンが、狼の肩に担がれているのがなんだか可愛らしかった。

 「今笑われたな」

 「笑われましたね……」

 ソワンは赤面しながら眼鏡を上げる。けれど、恥ずかしくなったついでに、両手で大きく手を振ってみた。いつもの彼女ならこんなことはしない。が、大勢の前で堂々と力走するジャスターが眩しくて、かっこよくて、思わず、らしくないことをしてしまった。それを見たジャスターはもっと眩しい笑顔になる。一瞬その場に留まり、四足の脚でスキップした。

 曲が終盤に差し掛かると、ジャスターはコートを脱ぎ捨てた。大人っぽい黒のチューブトップス姿になった彼女は前脚を高く上げ、その迫力に会場から上がる歓声。曲は最後まで烈々たる旋律を奏で、一番盛り上がったところで音が止んだ。一瞬だけしんとなり、すぐに拍手が起こる。

 「かっこいいー!」

 「ジャスター!」

 輪の真ん中でみんなに手を振るジャスター。

 名前を呼ばれて嬉しそうにしている彼女を見て、ソワンはなんだか泣きそうになってしまった。


 「次は……カメリアって言ってたっけ?」

 「旅人さん?」

 「カメリアって誰?」

 会場は静まることを知らず、ずっと騒々しいままだった。

 しばらくはクロエやジャスターの話題で盛り上がっていたが、だんだんと、次の踊り手の話題が増えてくる。カメリアという名前を知る人はほとんどおらず、タルモの紹介で初めて聞いたその名の女の子が、どんなダンスを踊るのかは誰にも予想できなかった。

 「あー疲れた」

 レビウの元に、腕を回しながらアシッドが戻ってくる。

 「すみませんアシッドさん。おかげですごく楽しめました」

 ソワンも一緒だ。彼女の高揚した顔を見る限り、どうやらアシッドはいい仕事をしたらしい。

 「おかえり二人とも。ジャスターかっこよかったね」

 「酒飲んでばっかりかと思ったら、意外とあのピンク頭とも張り合えてるんじゃねえの」

 「ふふ。その言葉、あとで本人にも言ってあげてください」

 三人が談笑していると、会場が急に静黙してきた。どうやら三番目の姫候補が登場したらしい。

 レビウたちはわずかに空いている隙間を通り、一番前の列までやってこれた。見ると、ホールの端から、見慣れない衣装を着た黒づくめの女の子がゆっくりと歩いてきている。彼女がカメリアだろう。猫背で俯くその姿は、元気に登場したクロエやジャスターとは正反対だった。

 「アイツ、大丈夫かあ?」

 アシッドがつぶやいたとき、女の子は長い裾に引っ掛かり、途中でつまずいて転びそうになる。会場からはヒソヒソと話し声が聞こえた。その真ん中で、ポーズを決めることもなく、カメリアは立ち止まった。

 オーケストラの中から数人が席を外す。残った人たちは弦楽器の人たちだ。フルートの人もいる。さっきまで演奏していた楽器をケースに直し、後ろから出て来た見慣れない楽器に持ち替えた。

 カメリアは、真ん中でずっとオドオドしていた。


 だから、曲が始まったとき。

 こんなにも美しい舞いを見せられるなんて、誰も思っていなかったのだ。


 スローテンポな音楽が流れ出した瞬間、カメリアの表情が切り替わる。

 「!?」

 会場のみんなが驚いた。

 舞い始めたカメリアは、まるで鶴のように、颯のように、ここにいる誰よりも雅やかだった。

 聞いたことのない、惚れ惚れとするような音色を醸し出す弦楽器。軽やかな曲節にのって響くのは鈴の音と笛の音。なめらかな曲に合わせて、カメリアはゆっくりと花が散っていくように四肢を動かす。着付けられた黒の着物の長い袖が夜の川のようだった。天に手を伸ばすと、袖に描かれた鞠や雲の金彩が輝いた。背中には赤い帯。まるで薔薇――いや、これは、椿だ。

 「……」

 会場の人々は言葉一つ発せなかった。全員が息を飲んでカメリアの踊りを見ていた。得も言われぬ舞い姿だった。

 「すごい……」

 袖から見守っていたメルチェも思わずつぶやいた。緊張していて体調も良くなさそうだったのに、こんなにも美しく踊れるなんて。

 カメリアは最後までたおやかに舞ってみせた。最後は細い指で顎を撫で、広げた扇にキスをして、妖美な空気を纏ったまま静止する。楽器の響きが会場中に反響して、みんながしばらくその余韻に浸っていた。

 「……」

 舞いが終わっても静寂を貫く会場に、カメリアはだんだんと元のカメリアへ戻ってくる。委縮し、猫背で、俯いた、オドオドとしたカメリアに。みんなハッとして、拍手することを忘れていたことに気が付いた。遅れてやってきた拍手に、カメリアはホッとしたような顔をして、ぺこりとお辞儀をすると急いで袖へと戻っていった。

 「なんですか、あの子。異様な雰囲気でしたね」

 拍手が鳴り止んだ頃、ソワンが驚いた様子でレビウとアシッドの顔を見る。

 「東の地方の踊りだよ。だけどあれは……多分、普段から踊ってる人なんじゃないかな」

 レビウは昔、本で資料を見たことがあった。あの舞いも、踊りも、楽器たちも、遠く東にある地方が発祥だ。カメリアの出身なのだろうか。それにしてもあの技術は、ひと月練習して得られるものじゃない。レビウの説明に、アシッドが「プロってことかよ」と苦い顔をした。

 「アイツ、メルチェ。さすがにプレッシャー感じてんじゃねえの」

 「ただでさえトリですからね……」

 今まで見てきた三人の踊りは、どれも見事なものだった。まわりには誰が姫に選ばれるか予想している人たちもいたが、意見が割れているようだ。こんなレベルの高い争いのラストを飾らなければならないなんて、メルチェはどれだけ不安を感じているだろう。アシッドとソワンは心配そうな面持ちだった。

 「大丈夫だよ」

 けれど、レビウはそう言って笑った。

 「メルチェは大丈夫」

 そして、思い出す。

 毎日、メルチェが仕事のある日もない日も朝早くから練習に励んでいたこと。帰ってきてからも、部屋でステップのメモを見返したり、手の振りを繰り返していたこと。培ってきた努力はきっとメルチェの自信になってくれる。きっと、大丈夫。レビウはそう信じていた。


 .


 「いよいよだわ……」

 とうとう自分の番がやってきた。メルチェは袖で一人、大きく深呼吸をする。

 足が震えていた。身体が熱いのに指先は冷たくて、緊張しているのがわかった。こんなに大勢の前に出るのは初めてだ。それも、華麗に踊り切った三人の後に……考えれば考えるほど、口から心臓が出そうになった。

 「大丈夫……大丈夫……!」

 ぎゅっと目を瞑り、胸の前で手を握る。瞼の裏で、みんなの顔を思い出した。

 ひと月ダンスのレッスンを見てくれた魔女。昨日の夜、自分を応援しようと綺麗な景色を見せてくれたり、温泉に連れて行ってくれたレビウとアシッド。

 「大丈夫!」

 メルチェは顔を上げて両頬を叩いた。会場から合図が出る。

 「来たぞ!」

 オーケストラの人たちが最後の楽譜を譜面台に立てかけた。そのタイミングで、メルチェがホールに登場する。アシッドが思わず「おい! メルチェー!」と叫んだ。まるでロンみたいだ。笑顔を見せるメルチェに、アシッドは安心する。

 「それにしても……」

 ソワンが、ほう、と、ため息を吐いた。

 「なんて素敵な衣装なんですか」

 メルチェが着ているドレスは、誰もが見たこともない衣装だった。魔女が少女だったときの、それはもう大昔のドレスだから無理はないだろう。

 会場の雰囲気は、メルチェが出てきただけで変わっていた。もうこの町にメルチェを知っている人はたくさんいたが、みんな、天真爛漫ないつもの彼女とは違うことに気が付いていたからだ。

 白いドレスを身に纏った彼女は、淡く、儚く、透き通って見えた。

 まるで――


 「花嫁みたいだ……」


 レビウがつぶやく。

 それと同時に、演奏が始まった。


 曲は、小鳥のさえずりのようなピアノでスタートした。

 メルチェは右足を一歩前にクロスさせ、両手を広げる。切なげなワルツ。三拍子に合わせてパフスリーブのチュールがふんわりと広がり、天使の羽に見えた。バレリーナのように一回転すると、後ろの裾が長くなったオーロラのようなスカートが、重なるレースをひらつかせる。軽やかにステップを踏みながらホールを駆け回ると、白鳥が羽ばたくごとく、それはそれは優美な姿。右のステップと左のステップは変わっていて、爪先から降りたり踵から降りたりした。

 「メルチェ、別人みたい」

 「すっごく綺麗!」

 会場は春の陽気に包まれたかのようだった。みんなメルチェの絢爛なダンスに心を奪われて、思わずため息を漏らす。

 弦楽器の音色が重なり合うと、次はフルートのソロパートだ。メルチェが細やかなステップを見事踏み切ってみせると、会場からは声が上がった。そのあと振り付けはゆっくりで、メルチェは観客の前まで駆け寄って、目の前で踊ってみせる。麗らかな笑顔を見せたメルチェに、みんなが夢中になった。

 「メルチェ……」

 レビウは、自分の近くまでやってきたメルチェの名前を思わず呼ぶ。無意識だった。あまりにもきらびやかなメルチェの姿。それを見ていると、自分がその瞳に映っているのか、なぜだか無性に不安になった。

 「レビウ!」

 けれどその不安を拭い去ってくれるかのように、メルチェもレビウの名前を呼んだ。その首元に、自分がプレゼントした赤いリボン。レビウは胸の奥がぎゅっとなる。

 「メルチェー!」

 曲のテンポがまた軽快になってきた。そのとき、近くで見ていた子供がメルチェの手を握った。いつも教会で遊んでいる子供だった。メルチェがその手を握り返すと、まわりにいた子供たちも一斉に駆け寄ってくる。

 「あ、こら……!」

 そばにいた大人が注意しようと手を伸ばした。

 けれど――


 「おいで!」


 メルチェは屈託のない笑顔でそう言った。

 腕を広げると、子供たちがワーッとはしゃぎながらメルチェに集っていく。近くにいた子供だけでなく、会場中の人だかりの中からたくさんの子供がホールの真ん中に走り出した。みんなは手を繋いで輪になって、メルチェの踏むステップを真似して踊る。曲は終盤に差し掛かっていた。ピアノも弦楽器もフルートも、すべての人々を祝福するような、明るい旋律を奏でている。

 「いいなあー! オレたちも行くっすか!?」

 目をキラキラさせながら、鼻にティッシュを詰めたロンがテオドルの腕を掴んだ。鼻血はもう止まっている。

 「何言ってんの。今はそんな……」

 「いいわね、行きましょう!」

 テオドルが呆れ笑いでロンをたしなめようとすると、リーシュがドレスの裾を持ち上げて駆け出した。

 「おい、リーシュ!」

 タルモが驚いた様子で慌てて止めるが、「やったー!」と続けて走り出したロンに、「ぼくも!」「わたしも!」と、他にもたくさんの人々がメルチェの作った輪に入っていく。

 「早く早くー!」

 ハイヒールを脱ぎ捨てたリーシュがタルモを呼んだ。

 「まったく……」

 タルモは呆れながら、けれど優しい笑みでリーシュの後を追いかけた。

 「レビウ! 俺たちも行くぞ!」

 ダンスを終えたクロエやジャスター――に連れらされたソワン――までもが輪の中へ入っていったとき、アシッドも走り出す。曲はもうラストスパートだった。階段を上り下りするようなフルートのタンギングも、幾重にも重なり合った弦楽器のハーモニーも、スキップをするようにメロディを奏でる。

 「ぼ、僕は……」

 けれど、レビウの足は動かなかった。

 みんなの中心になっているメルチェ。日差しに照らされ女神のように輝くその姿を見ていると、なんだか自分とは別の世界にいってしまったような気がした。眩しい笑顔。光の中がよく似合っていた。そんな彼女のそばにいたいだなんて。僕は、もう。そんなこと――――


 「レビウ!」


 そのとき、名前を呼ばれる。

 光彩の中でメルチェが手を伸ばしていた。


 「……メルチェ」


 レビウはハッとする。

 手を取ると、その手はとてもあたたかかった。

 メルチェが嬉しそうに微笑む。

 レビウは目を丸くして、けれどそのあと、結局同じように微笑んだ。


 メルチェが作り出した大きな輪は、ホールに収まりきらない規模になっていた。

 踊る足取りは軽快で、メルチェがくるりと回転するとレビウもくるりと回される。手を繋いだその隣の人も、その隣の人も、波のように輪が動く。ひっきりなしに振り回される身体は止まることを知らず、みんなの笑い声が曲と一緒に響いていた。メルチェは楽しくて楽しくて仕方がなかった。赤い靴が狂ったようにステップを踏む。けれどそれは操られているからではない。

 天窓から空を見ると、今日もあの庭でくたびれたトルソーがダンスを踊っている気がした。きっとその横のテラスでは、ゆりかごのような椅子に揺られながら魔女が笑っているのだろう。メルチェは思った。

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