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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第7章 姫は虹光の中で
39/65

舞踏準備

 薔薇に降りた朝露が、晴れた空を映し出している。

 市場は賑やかで、広場への近道でそこを通ったメルチェは、とても早朝だとは思えなかった。

 焼きたてのにおいが漂うパン屋のテント、ソーセージがぶら下がった肉屋の屋台。コッツで採れた果物を並べるカラフルなお店もあった。レビウの朝食でお腹を満たしていたメルチェはそれらを軽快に通り過ぎるが、朝ごはんを食べずに出てきていたならどうなっていたかわからない。

 今日はシャトーで姫オーディションの説明を受ける。

 ようやく広場へ辿り着いたメルチェは、柳の木の下で深呼吸をした。池の近くの青い薔薇木が、美しい蕾をつけている。その向こう、大きな門の先にある、シャトーは今日も眩しいほどの純白だった。

 「おはようメルチェ。よく来たわね」

 門をくぐり庭園を進むと、玄関の前でリーシュが待っていた。

 「お招きいただいて、どうもありがとう!」

 赤い口紅を引いた彼女は、元気よく挨拶をしたメルチェに「何よ改まって」と、微笑みながらイヤリングを揺らす。

 「さあ、どうぞ」

 さっそく、シャトーの中へと案内された。玄関までは来たことがあるけれど、中へ入るのは初めてだ。

 綺麗に磨かれた大理石の床に、外と同じく、眩しいほど純白な美しい家具たち――お屋敷の中は落ち着いた雰囲気もありながら、どこかキラキラとしていた。猫足のソファやテーブル、敷かれた絨毯には金の糸で刺繍が施されている。

 廊下を進み、繊細なデザインの手すりがついた、大きな階段を上がる。

 二階に着くと、リーシュは手前の大きな扉を開けた。客間だった。アロマの香りが充満する部屋。大きな出窓にたくさんの薔薇が飾られ、カーテンから日差しが漏れている。

 ソファには、足を組むクロエと二日酔いのジャスター。そして、もう一人。

 綺麗な黒髪の女の子が、俯いて座っていた。

 「おまたせ、みんな。これで全員揃ったわ」

 リーシュが嬉しそうにメルチェの方を見る。

 メルチェはそわそわしながらスカートの皺を整えた。みんなの方を見ると、ジャスターが密かに手を振ってくれたので、自分も小さくそれに返す。

 「揃ったか」

 リーシュがメルチェを座らせていると、タルモが入ってきた。

 いつも着ている軍服ではなく、白いジャケットに金色の肩当てから伸びたマント。喉元には赤い宝石のついたネクタイが締められており、どうやら正装のようだった。

 「まるで王様みたいね」

 クロエがニヤニヤして言った。

 「うるさいな。俺だって慣れないんだよ」

 タルモは恥ずかしそうに髭を掻いた。


 「じゃあ、はじめようか」

 横一列になった女の子たちの向かい側、机を挟んでタルモとリーシュはソファに腰を下ろした。

 「まずは自己紹介をしましょう!」

 ご機嫌な奥様がにこにこしながら主人の顔を見ると、彼は「好きにしてくれ」と言ったように微笑む。

 メルチェは少し緊張していた。

 顔を合わせたことのある人がほとんどとはいえ、こういった改まった場で会うのは力が入る。変な表情になっていないか? 髪型が崩れてはいないか? ドキドキしながら何を言おうか考える。

 「そうね、それじゃあわたしから」

 メルチェがぐるぐる考えていると、リーシュが張り切った様子で立ち上がった。

 「わたしはリーシュ。タルモの妻で、この町の……妃とでも言いましょうか。今日は集まってくれてありがとう。みんなに会えるのを楽しみにしていたから、とても嬉しいわ」

 妃はそう言って、パープルのしなやかなドレスを輝かせた。肩に落ちた細い巻き髪を耳にかけ、嬉しそうに笑う姿は美しい。まるで天女のようだとメルチェは思った。

 「次はあなたよ」

 「あ、ああ」

 そんな天女に催促され、次に立ち上がったのはタルモ。ネクタイをぐっと締め直し、えーっと、と前置きしてから自己紹介を始める。

 「私はタルモ。この町の王であり、軍の大将をやっている。どうぞよろしく」

 姫候補たちそれぞれの目を見る彼だったが、うんうん、と頷く女の子の中でただ一人、黒髪の少女とだけは目が合わなかった。

 「じゃあ次は……メルチェから順番にいきましょ! 簡単でいいからね。みんな立って!」

 ドキンと心臓が跳ね上がる。

 四人の女の子を立たせたリーシュは、両手を頬に添えてわくわくした目を見せる。

 メルチェはそんな彼女とタルモの顔を交互に見た後、こくんと頷き、とびきりの笑顔を咲かせてみせた。

 「私はメルチェ! ブリランテまでの旅の途中でこの町に寄って、今は木苺屋さんでお仕事をさせてもらっているわ。町の人にはとても優しくしてもらっていて、何かで返せたらなって。どうぞよろしくお願いします」

 さっきから考えていた言葉をスラスラと言えた。

 みんなが拍手してくれる中、メルチェは満足げに一礼した。

 「ありがとうメルチェ。じゃあ次は……」

 「はい!」

 大きな返事で一同の視線を集めたのは、半身半馬の彼女である。

 「あたしはジャスター! 元々はタルモ将軍と同じく軍人をしていました。戦争が終わり、自分の人生を楽しむために姫を目指して旅をしています! よろしくお願いします!」

 パチパチパチ、と拍手の途中、タルモが「元軍人か! どこから来たんだ?」と興味ありげに尋ねる。

 「カタラクスの方から!」

 「カタラクス!? あの辺は戦争が多くて大変だっただろう。よく生き残ってここへ来てくれたな」

 「そんなそんな! こちらこそ、お会いできて光栄です」

 タルモの言葉に、ジャスターはビシッと敬礼する。

 いつもは美人で優しい彼女だが、このときは凛々しくかっこいい姿に見えた。

 「次はクロエね」

 ジャスターが作った空気を一変するように、一人の少女が前へ出る。

 ピンク色のふわふわとした髪をツインテールに結び、とっておきの赤いワンピースをおろしてきた彼女は、自信に満ち満ちた表情で勝ち気に笑う。

 「クロエよ。みんな知ってると思うけど、この町のアイドルと言っても過言ではないわ。コッツ・ブロワを一番知っているのも、一番愛しているのもクロエなの。勝敗はすぐに決まるだろうけど、短い間よろしくね」

 胸元まで落ちた髪をぱさりと払って言い切ったクロエ。一同はぽかんとしていたが、彼女らしいといえば彼女らしいその自己紹介を聞き終わり、きちんと拍手で返す。

 「たしかに、ブロワ育ちのクロエには期待しかないわね」

 にっこり笑ってそう言ったリーシュに、クロエは「ふん」と鼻を鳴らしながら両腕を組んだ。


 「じゃあ最後は……あなたね」


 後ろでまとめられた、烏色の長い髪。

 ぱつんと切られた前髪は鼻のあたりまであり、顔はよく見えない。

 なんとなく分けられた右側の分け目から、控えめな目つきをした黒い瞳が見えた。


 初めて見る彼女は、とてもとても小さな声で「カメリア、です」と言ったきりしゃべらなくなってしまった。

 歳はメルチェよりいくつか上だろうか。スラリとした華奢な身体に、白地に朱色の柄の着物を身に付けている。緑の帯は背中で派手に結ばれて、本人の佇まいとは真逆のようだった。

 「えっと、カメリア。素敵な名前ね。どこから来てくれたの?」

 「トンネルの向こうの隣町から……です」

 さっきまで饒舌だったリーシュも気を遣いながら会話を繋ごうとする。が、オドオドした様子で俯くカメリアは、目を合わせようとしない。

 「ちょっとアンタ。やる気あるの?」

 すると、隣でその姿を見ていたクロエがイライラしながら肘で小突いた。

 「こら、クロエ!」

 さらに萎縮してしまったカメリアを庇うように、タルモがクロエを叱る。

 「ご、ごめんなさい。わ、私、緊張してしまって」

 前髪を触り、手で顔を隠すようにしながらカメリアが謝った。「自分のペースでいいのよ」と優しい言葉をかけるリーシュに、ハラハラしながらクロエをなだめるメルチェとジャスター。

 「みんなの名前も聞けたことだし、オーディションについてお話しましょうか!」

 足まで伸びた長い袖を震わせるカメリアを気にかけながら、リーシュが手を叩いた。賛同する一同に、クロエは小さく舌打ちをした。

 ソファに座り直した姫候補の女の子たちは、リーシュ特性の紅茶とクッキーを出してもらう。ハーブの香る茶葉と、花の形をした、ジャムの乗ったクッキー。「いいにおい!」と鼻先をくんくんさせるジャスターの隣で、メルチェは初めて会った日に庭園で食べたクッキーを思い出していた。

 「このお花も育ててるの?」

 生地に練り込まれた色とりどりの花びらを眺め、メルチェが尋ねる。

 「そうよ。薔薇以外にも、いろんなお花を育てているのよ」

 嬉しそうに答えるリーシュ。

 そのあと、「タルモがね」と付け足した。

 「王様が!?」

 驚いた様子のジャスター。タルモは頷きながらも恥ずかしそうに紅茶をすする。

 「まずは、わたしたちの話からするわね」

 各々のクッキーを摘んでいた姫候補たちはサッと手を止めた。タルモと目を合わせたリーシュは、太ももの辺りで彼と手を繋ぐ。

 「わたしたちは、子供に恵まれなかったの。そういう身体だってお医者様に言われたの」

 悲しそうな顔で笑うリーシュ。タルモは繋いでいた手を離し、今度は妻の肩を抱いた。

 「それでもどうしても子供のような存在が欲しくて、姫を募集することにしたの。わたしたちの生活と町を彩る、明るい存在。それが、今回のオーディションを開いた理由」

 朝日がレースのカーテンを通り抜け、部屋の埃を照らしていた。飾られた花々からは蜜の香りが漂い、部屋で焚かれたアロマのにおいと混ざり合う。

 「オーディションの内容は、舞踏会だ。みんなにはダンスをしてもらう」

 タルモはリーシュの肩を抱いていた手をそのままに、「曲も振り付けも自分で選んで、自分らしさをアピールして欲しい」と女の子たちの顔をそれぞれ見ながら言った。

 メルチェたちはそんな王様と目を合わせていたが、「まさに姫って感じ〜」とクロエが言ったのを境に、緊張の糸を緩ませ瞬きをする。ジャスターが手を振って小刻みに踊る仕草をしてみせた。カメリアは相変わらず俯いたままだ。

 「オーディションという形になってしまうが、みんなに優劣をつけるつもりはない。選ぶ基準は、私たち夫婦や、この町コッツ・ブロワと合っているかどうか。それだけだよ」

 そして、メルチェはこくんと頷いた。

 自分自身をアピールするような舞踏会。まだ何のイメージも浮かばないけれど、このあたたかい町の姫になれるように精一杯頑張ろうと思った。それはジャスターもクロエも同じだろう。

 「それじゃあ、今日はみんな帰ってよし! オーディションは今日からちょうどひと月後。昼の十四時からだからね」

 リーシュがパンと手を叩き、今日はお開きになった。

 「はーあ! かたっくるしいったら」

 大きな目をぱちぱちさせながらクロエが伸びをした。ソファに足を組んで座り直し、「これ新作?」とジャムクッキーを口に放り込む。リーシュは「そうそう、これがね……」と新作クッキーの説明をし始めた。ジャスターはタルモと当時自分たちが参戦していた戦争の話をしており、かなり盛り上がっているようだ。

 「……カメリア、だよね」

 メルチェは、どうしたらいいかわからなくなっている様子だった黒髪の女の子――カメリアに声をかけた。

 「私はメルチェ。コッツの方に宿をとっているんだけど、カメリアは?」

 「わ、私も……」

 「そうなのね! じゃあ一緒に帰りましょう!」

 メルチェはカメリアの前髪で見えなくなっている目ににっこり笑いかける。リーシュとタルモ、クロエとジャスターにも挨拶をし、部屋を後にした。カメリアは終始メルチェの後ろに隠れるように、ぺこぺことお辞儀だけをしていた。

 シャトーを出て広場に着くと、今日もキッチンカーがやってきていた。コッツの西の高台のそばでオレンジを栽培しているお店が、マーマレードやマフィンを売っているようだ。メルチェはカメリアに「甘いもの食べて帰らない?」と提案し、バイト代でマフィンを二つ買った。

 「はい! どうぞ」

 「あ、ありがとう……」

 二人は広場のベンチに座って可愛い包装紙を開けた。マフィンにはシロップ漬けのオレンジが輪切りになって飾られており、ひとくち齧ると甘酸っぱい果実の味が口いっぱいに広がる。齧るたびにボロボロとマフィンの生地が落ちてしまったが、その食べかすを寄ってきた鳩が残さず掃除した。

 「おいしい?」

 あたたかな日差しが差し込む中、マフィンを黙って頬張るカメリアにメルチェが聞いた。ベンチの後ろに茂っている薔薇の花弁が落ちて、近くを通り過ぎる町の人が踏んでいく。

 「……おいしい」

 メルチェの問いにカメリアはそう答えると、途端にぽろりと涙を流した。

 「え!?」

 戸惑うメルチェの隣、涙が止まることはなく。マフィンを両手で持ったまま、カメリアは俯いて泣き出してしまった。長い前髪がマフィンの上についてしまっていたが、二人ともそれどころではなかった。

 「カ、カメリア、大丈夫!?」

 「ごめんなさい……私、私……」

 メルチェは持っていたレースのハンカチをカメリアに渡した。カメリアは片手にマフィンを持ったまま、ハンカチを受け取った。

 涙が止まるのを待つ間、メルチェはマフィンを完食してしまった。広場のキッチンカーに親子が並んでいる。昼下がりのこの時間、人通りはまあまあで、風も和やかだ。空は今日もまるく晴れていた。気温は高く、噴水の水場に子供が足をつけている。

 カメリアは少しずつ落ち着きを取り戻した。少しずつマフィンを食べ、メルチェに借りたハンカチを折りたたんで返してくれる。

 「ごめんね……緊張していて、私いつもぜんぶ駄目で……」

 軽く分けた髪の隙間から、黒い瞳が見えた。涼しい目元。頬は雪のように白い。メルチェは、カメリアの顔をもっとよく見たくなった。

 「そんなことないわ。私も緊張してたし」

 メルチェの言葉に、カメリアは「ありがとう。優しいね」と返す。

 マフィンを食べ終えた二人はコッツへと歩き出し、橋を渡るまではカメリアの着物が綺麗だという話をメルチェが一方的にしていた。カメリアの履いた下駄がカランコロンと氷のような音を立て、タイルの道を鳴らしていく。

 「カメリアはどうしてこの町の姫になりたいと思ったの?」

 橋を渡って傘を開いた頃、メルチェが定番の質問をした。カメリアはすぐに答える。

 「両親に言われて。両親は、遠い母国の文化を広めるのが夢みたい」

 まるで他人事のようだった。

 「そうなのね。カメリアの夢は違うの?」

 メルチェがさらに質問すると、カメリアは戸惑いだす。

 「両親の夢が、私の夢だから……」

 メルチェはカメリアがまた泣いてしまわないかハラハラした。けれど彼女が泣き出すことはなく、足元が雨水で汚れていないうちに宿の前に着いたようだ。

 「私、ここ……」

 カメリアはコッツで一番立派な宿に泊まっていた。雨避けの屋根がついたエントランスに入り、傘を畳む。宿の入口にはぼんやりと黄色いランタンが灯っていた。

 「お互い頑張りましょうね!」

 メルチェがエントランスの外から手を振ると、カメリアは髪を耳にかけてお辞儀をした。さっきよりもよく見えたその顔は、薄い顔つきだがとても美人だった。笑ってくれていて、メルチェは嬉しい気持ちになった。


.


 宿に戻ると、レビウとアシッドが仕事の休憩をとっていた。

 「メルチェ! おかえり」

 部屋の扉を開けると、レビウが笑顔で出迎えてくれる。雨で濡れてしまった身体を拭くため、タオルを手渡してくれた。

 「思ったより遅かったんだね。休憩時間だし迎えに行こうかと思ってたところ」

 「コイツお前の話ばっかでめちゃくちゃ騒がしかったわ」

 「う、うるさいな! 今日は雨が強くて昼でも視界が悪いから……!」

 ハンモックにどかんと寝転ぶアシッドがレビウをからかう。メルチェはタオルで髪を拭きながら思わず笑ってしまった。

 レビウの言うように、今日のコッツの雨は強く、いつも網戸にしている窓も今日は閉めてしまっていた。バルコニーに繋がった大きな窓に、大粒の雨が音を立てながらぶつかる。メルチェはタオルにくるまったまま窓際のフローリングに寝そべって、雨粒が風で叩きつけられては硝子を伝って落ちていく様子を見上げていた。バルコニーのまわりに植えられた大きな林檎の木が身をしならせて揺れている。その向こうには白い雨雲が広がり、まだまだ雨を降らせていた。

 「メルチェ、僕たちそろそろ行くよ」

 お昼ごはんのサンドイッチを食べ終わったレビウが、制服に着替えながらメルチェに声をかける。アシッドがあくびをしながら「もうそんな時間かよ~」と気だるそうに言った。ハンモックから立ち上がる気はなさそうだ。

 「二人とも頑張ってね」

 床に転がったままのメルチェが手を振る。レビウは「またあとでね」と言いながら、だらけるアシッドを無理やり立たせ、急いで部屋から出て行った。部屋の外では「休憩時間過ぎてるよ!」とアシッドが怒られているのが聞こえる。けれど、すぐにあたりは静かになって、目を瞑ると雨音だけがメルチェの耳に心地よく響いた。

 「……舞踏会、どうしよう」

 照明をつけていないので部屋は薄暗かった。メルチェは姫オーディションのことを考える。

 タルモは曲も振り付けも自分で選んで、自分らしさをアピールして欲しいと言っていた。けれど、メルチェには思いつく曲も振り付けも持ち合わせていなかった。

 自分らしさってなんだろう。難しい。みんなはどんなふうに踊るんだろうか。ジャスターは身体を鍛えているし、運動も得意だから踊りも難なくできそうだ。クロエは華やかだからどんなダンスを踊っても様になるだろう。カメリアも自信はなさげだが着物があんなに似合っていたし、しっとりとした曲で踊れば映えそうだ。私は――――

 「私は……」

 メルチェは目を瞑ったままつぶやいた。雨音が遠ざかっていく。代わりに聞こえてくるのは風でさざめく若葉の音。小鳥が歌を歌い、晴れた青空に飛び立つ。草壁のトンネルを抜けて、手入れされた庭と赤い屋根の家が見えた。畑に植えられた薬草や色とりどりの小花が揺れている。近くで誰かがステップを踏んでいるからだ。少女はひらりひらりとスカートを泳がせて、見たこともない素敵なダンスを踊っていた。その足には赤い靴。ぴかぴかに磨かれて、宝石のように輝いていた。

 メルチェはぼんやりとする意識の中で、ああ、こんなダンスを踊りたい。誰もが幸せになるような、春の日差しのようなダンスを、と思った。

 「メルチェ?」

 ハッとする。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。部屋の明かりがつき、煌々とランプが空間を照らしている。外はもう真っ暗で、レビウとアシッドも仕事を終えたようだ。

 「ずっと眠っていたのかい?」

 目をこすりながら起き上がるメルチェに、レビウがエプロンを畳みながら聞いた。

 「うん、そうみたい」

 床で寝てしまったメルチェは身体がバキバキだった。肩を回すメルチェに、疲れた様子のアシッドが「気楽で羨ましいぜ」と嫌味を言う。

 「なによ。こっちだって大変なのよ!」

 「大変って何がだよ」

 ムッとするメルチェにアシッドはハンモックに腰掛けながら言った。今やハンモックは狼の特等席となっている。

 「オーディションの内容よ。舞踏会なの。それぞれ自分を表現できるダンスを踊りなさいって」

 メルチェは腰に手を当てて説明した。自分から聞いておいてアシッドは興味がなさそうだ。エプロンと制服を片付け終わったレビウが「何か思いついているのかい?」と尋ねる。

 「さっぱり。考えてたら寝ちゃったの」

 困った顔をするメルチェ。レビウはふふっと笑った。

 「……気晴らしに、みんなで散歩にでも行く?」

 そして、素敵な提案をした。

 ぱあっと明るい笑顔になるメルチェの横で、アシッドがゲッとした表情になる。

 夜は出歩かないようにと言われていたメルチェは、いつも夜になると退屈していたのだ。その様子を見ていたレビウは、自分たちがついていける日にこの提案をしようと、ずっと考えていた。

 「行きましょう! 夜のお散歩!」

 「俺はぜってえ行かねえぞ!」

 「三人で!」

 疲れて動きたくないアシッドの尻尾を掴んでぶんぶん振り回すメルチェ。言いだしたら聞かないことを知っている。アシッドはうんざりしながら「わーったよ!」と毎度のごとく折れるほかなかった。

 外に出る準備をした三人は宿を出る。雨は昼間よりもうんと弱まり、暗がりでは見えなくなっているくらいだった。まさか止んでいるのかと思ったが、傘を広げるとパタパタと雨の弾ける音がした。コッツで雨が止むことなどないのだ。

 昼の大雨でできたいつもよりも深い水たまりを、メルチェはぴょんとジャンプ飛び越えてみせる。得意げになっていると、アシッドがブーツで水たまりを蹴ってきた。大きな飛沫の餌食になったメルチェは、スカートがびしょ濡れだ。

 「ちょっとー! 何するのよ!」

 「風呂入る前なんだからなんともねえだろ」

 パシャパシャと水の浸みた靴で走り回るメルチェとアシッド。「転ばないようにね!」と注意するレビウだが、メルチェが水たまりを蹴り返した瞬間、アシッドに腕を引っ張られる。壁にされてしまったレビウもびしょ濡れになった。

 「きゃー! レビウ、ごめんなさい! どうしよう!」

 青い顔をして焦りだすメルチェの様子を、狼は大喜びしながら笑っている。レビウは驚いたが、徐々に笑いがこみ上げてきて、狼と一緒に笑いだす。

 「ひどいわレビウ! 私ほんとに心配してるのに!」

 「あはは、ごめんメルチェ。大丈夫だよ」

 「お前のまぬけ面が面白かったってよ」

 「そんなこと言ってない!」

 ふざけ倒すアシッドの言葉をレビウが強めに訂正する。悔しくなったメルチェは二人を困らせてやろうと思い、「もういい!」と拗ねてしまったふりをした。本当はそこまで怒っていなかったが、いいタイミングでアシッドにも水飛沫をお見舞いしてやろうと企んでいた。

 「ご、ごめんメルチェ!」

 果樹林の方に走り出したメルチェ。それを追いかけようと、レビウも走り出す。

 そのときだった。

 林の向こう、山の麓で何かが動いた。

 「待って! メルチェ!」

 怪しい挙動。兵士たちが言っていた、盗賊かもしれない。レビウは本気でメルチェを呼び止めたが、じゃれ合っていると思ったままのメルチェはその足を止めない。

 「メルチェ! 止まって!」

 レビウの様子がおかしいと気付いたアシッドが、「おい! メルチェ!」と叫んだ。

 「?」

 その声に足を止めて振り向いたメルチェ。その後ろ、木と木の間にまた人影が見えた。レビウが傘を捨ててメルチェの手を引く。勢いよく抱きしめられたメルチェは何が起こったのかわからなかった。アシッドは暗闇でもよく見えるその目で怪しい人影を見逃さない。

 「待て!」

 吠えられた人影は急いで走り去ろうとする。アシッドも傘を捨て、濡れることなど気にもせずに果樹林の向こうへ走り出した。町の境目となっている小さな柵を飛び越え、山の麓を見回したが、そこには誰もいない。諦めて二人の元へ帰ろうとしたとき、パッと明るいライトで顔を照らされた。

 「おい、誰だ!」

 それは高台からの光だった。警戒した低い声でアシッドを呼び止め、上から甲冑の大男が飛び降りてきた。

 「うわああ! 違う違う! 俺は違えよ!」

 大きく金属の音を立て、甲冑の男が地面へと着地する。アシッドは長い槍を突き付けられて、身動きがとれずにいた。濡れ衣を着せられる悲しき狼の元へ、メルチェとレビウが急いでかけつける。

 「こ、この人は私たちの仲間です!」

 焦りながらもアシッドの前で両手を広げるメルチェ。すると男はすぐに槍を下げてくれ、頭にはめた甲冑を脱いだ。

 「メルチェ?」

 「タルモ!」

 甲冑の男は山の見回りから高台へ戻ってきたタルモだった。

 「びっくりした。二人ともメルチェの友達か」

 タルモはふうーっと安心したようなため息を吐きながらレビウとアシッドを交互に見た。「そうなの」と雨に濡れながら二人を紹介し、メルチェたちは果樹林を抜けて町に入り直す。道に投げ捨てられた傘を拾うと、アシッドが「マジでちびるかと思ったぜ……」とつぶやいていた。 

 「ところで、三人ともなんでこんな時間に町の外へ……」

 タルモが甲冑をガシャリといわせながら野蛮そうな狼のことをじろりと見る。アシッドは何も悪いことをしていないのにギクリとしてしまった。

 「散歩をしていたら、山の中から、怪しい人影がこっちを見ていたんです」

 レビウがタルモの質問に答える。

 「捕まえようとアシッドが追いかけたら逃げていきました」

 メルチェはみんなでごはんに行ったとき、二人の兵士から聞いた話――最近怪しいやつらが山の中から町を見ていること――を思い出し、レビウとアシッドが自分を守ってくれたのだと思った。医者から、呪いの影響で暗闇では気を付けるように言われていたのに、なんて軽薄な行動をとってしまったのだろう。二人がいなかったら……メルチェは最悪な想像をし、深く反省した。

 「そうだったのか。それは怖い思いをしたな」

 タルモは手の甲冑を脱ぎ、三人の頭を順番にぽんぽんぽんと撫でてくれた。レビウとメルチェはホッとした気持ちになったが、アシッドは「俺はガキじゃねえよ」と照れ臭そうにその手を振り払った。タルモは「そうだな、すまない」と言いつつも、いつも面倒を見ている教会の子供たちとなんら変わらないように感じた。

 「あの、バルバラク隊長に少し話を聞きました。僕たちでよければ、何かあれば力になります」

 レビウが濡れた長耳をぱたぱたとさせながら言った。

 その言葉を聞いたタルモはクスリと微笑み、「旅人さんたちに心配なく町にいてもらえるよう、俺たちももっと頑張るよ」と言った。

 「とりあえず、訓練をもっと厳しくしないとな」

 顎髭を撫でるタルモに、メルチェは厳しい訓練にヒイヒイ言うロンの姿を思い浮かべてしまった。

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