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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第7章 姫は虹光の中で
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木苺屋さん 3

 働き始めた三人は、朝から夕方まで多忙な日々を送っていた。

 初めの数日は慣れない業務に疲れ果て、帰ってくるなり爆睡するほどだったが、少しすれば身体も慣れてきた。

 起きる時間も休日もバラバラな三人。けれど夕飯は必ず揃って食べた。

 メルチェは毎朝レビウの働くレストランでモーニングを食べ、借りっぱなしの自転車に乗って店へ向かう。

 気持ちのいい並木道。飾りつけたように実ったフルーツたちが、日を重ねるごとに熟していく。サラサラと降る霧雨は、爽やかな朝を包み込んでいた。

 「おはようございます!」

 「おはようメルチェ!」

 店に着いて挨拶をする。

 ラズが縫ってくれた可愛いエプロンを身につけて、今日の配達先を確認。

 メルチェの担当はブロワ地区が中心だった。喫茶店やレストラン、パン屋などはお得意様で、木苺を使ったメニューを出している。ちなみに、パン屋にはこの前買ったフルーツサンドが並んでいる。

 自転車に跨り、雨を弾いてあっという間に橋を渡った。ブロワの大通りは今日も賑わっている。

 「メルチェ、今日も元気だね!」

 「ええ、おかげさまで!」

 配達先含め、町の人々はメルチェに声をかけてくれるようになった。

 旅人というだけで目立つものだが、ひと月先まで木苺屋を手伝うらしい、という噂はあっという間に広まり、そのあたりから配達を頼む人が急増した。明るくて元気な旅人は売り上げに貢献できているらしい。

 「メルチェ、今日はどこ行った話するのー?」

 「木苺食べたーい!」

 メルチェは木漏れ日の落ちる小道に自転車を停めた。

 配達がなくても毎日寄っているのは教会だった。自分のお給料で買った木苺を子供たちに配り、旅の出来事を話す。

 メルチェが来る時間にはたくさんの子供たちが集まって、旅の話は少し流行った。時々配達へ行く高台の兵士たちにも伝わっているほどだ。

 仕事終わりは、ほとんど毎日、レビウが迎えに来てくれた。

 「もう随分と町の人に覚えてもらってるんじゃない?」

 彼の仕事が遅番のとき――ディナー担当の日など――は代わりにアシッドが迎えに来てくれた。「レビウのやつ、俺をこき使いやがって……」とボヤきながらもサボらず来てくれ、メルチェも言い返しつつ感謝している。

 「メルチェに届けて貰いたくて配達を頼む人がたくさんいるって、エミナさんに聞いたよ」

 「本当!?」

 赤いギンガムチェックの傘がくるりと回る。二人の踏む道がパシャパシャと音を立てた。

 メルチェは帰り道、レビウと今日一日の話をすることが何よりも楽しみだった。どんな話もニコニコしながら聞いてくれる彼の長い耳が、歩くたびにぴょこぴょこ揺れる。

 「メルチェが頑張ってるからだね」

 レビウの言葉にメルチェは少し照れてしまう。仕事はうまくいくことばかりではなく、転んだり、お会計を間違えてしまったり、ミスしてしまうこともある。そのたびにメルチェは落ち込んでしまうけれど、一日の終わり、レビウが自分の頑張りを褒めてくれると、それだけですべての疲れが吹っ飛んでしまうのだ。

 「でも、レビウの方が……」

 メルチェはレビウの嬉しい言葉に浮かれつつ、そう言った。

 赤い目を見つめると、最近聞くようになったあの噂を思い出す。


 コッツの宿のレストランで、綺麗な兎の少年が働いている。


 メルチェが町中でそんな話を聞くようになった頃、寂れていた宿屋のロビーは人がよく出入りするようになった。

 レストランは泊まらなくても利用できるので、レビウ目当てに訪れる人が急増したのだ。レビウのおいしい料理はもちろん、その見た目に女の人から人気が集まっているようだった。若い女の子や日中暇なマダムなど、いろんな人がカウンター越しにレビウを見に来ていた。メルチェは、レビウの素敵なところを町の人たちにわかってもらえたのは嬉しいけれど、彼にファンがついてしまったことは少し複雑だった。

 「僕はそんな……キッチンだから接客はしてないし、僕というよりも旅人への物珍しさだよ」

 「でも、カウンター越しに微笑んだりしてるんでしょう?」

 謙遜するレビウに、メルチェは頬を膨らました。

 「えっ!? そんなことしてないよ。ど、どうしてだい?」

 「だって、私がモーニング食べてるときにはよくホールの方を見てるし……」

 「それはメルチェが――」

 いるからじゃないか。

 驚きと戸惑いが止まらないレビウがそう言いかけたとき、メルチェが「なんてね!」と笑った。

 「接客なんてしてなくても、レビウの柔らかい雰囲気とお料理は、人を惹き寄せる魅力があるもの」

 本当に思っていることを言ったが、まだレビウとは目を合わせられなかった。

 今までだったら、こんな気持ちにならなかったのに。

 レビウが人気者なら嬉しいし、他の人にもレビウのいいところを言って回りたいくらいだったのに。今もそれは変わらないけれど、自分にするみたいに、自分の知らないところであの優しい顔をしているところを想像したら、胸の奥が苦しくなった。

 「僕は、メルチェが来てるときにしかカウンター側に行かないよ」

 すると、隣でレビウが言った。

 メルチェがパッと顔を上げると、彼の顔は傘で隠れてしまっている。

 「メルチェが来る時間だけ、目が合うかなって、カウンター側で調理してるだけ」

 その言葉に、メルチェの顔はとても熱くなった。

 そしてなぜだか、砂漠の病院で自分のことを抱きしめてくれた、震える腕を思い出した。

 「なんてね」

 傘をチラリと覗き込むと、レビウは優しい顔で微笑んでいる。

 そんな目の下、丸い頬がメルチェと同じでほんのり赤く染まっていた。



 .



 あたりは静かで、鳥と風の音以外は何も聞こえない。

 空が真っ青に晴れ渡る下、あたたかい風に、薔薇の葉が揺らされている。

 この日、メルチェは道に迷っていた。

 「こんな場所があるなんて……」

 ブロワの北方は初めて来る地域だった。広場周辺や南方の行楽街とは違い、廃墟が多く、人通りはないに等しい。立ち並ぶ赤レンガの倉庫群。その間の路地を抜けた裏手、影になった小道。石畳がところどころ剥げていて、あまり手入れはされていない。古びた空家に草が生い茂り、住んでいる人もほとんどいないだろう。倉庫の扉は固く閉ざされ、南京錠が錆びついている。随分と使われていないようだった。薔薇の蔦がびっしりと張りめぐっている。

 「ほんとにここが配達先の近くなのかしら」

 メルチェはエミナに貰った地図を片手に、自転車を押していく。

 地図の出来はなかなかに悪く、くしゃけたメモ用紙に描かれた大雑把な線を見て、今度からラズに頼もうと決心する。

 しばらく歩くと、背の高い植木の壁が行手を塞いだ。

 「行き止まり?」

 小さな薔薇がポンポンとついた草の壁を見てメルチェは俯いた。すると、壁の下方に、何やら空洞が空いている。

 小さな抜け穴だ。

 メルチェがぎりぎり通れるくらいのサイズで、まるで小さな、薔薇の木のトンネルだった。

 「きっと、秘密の近道だわ!」

 メルチェの好奇心が奮い立った。

 自転車を停め、薔薇の棘に気をつけながらも迷いなく潜り込んでいく。トンネルは思ったよりも長く、背をかがめてくぐっていたので、外に出る頃には腰が痛くなった。

 「ここは……」

 ひらけた場所は、小さな庭園だった。

 連なった薔薇のアーチの先に、赤い屋根の家が建っている。

 足元の畑には色とりどりの小花や薬草。鼻に抜けるのはハーブの香り。子供の蝶々がひらり、ひらりと漂って、まるでガーゼのハンカチのようだった。


 「どうしたんだい、こんなところで」


 すると、しわがれた声が聞こえた。

 一軒家のテラスから、本を閉じる音がする。見ると、ゆりかごのような椅子に腰掛けた、小さな老婆がこちらを見ていた。

 「こんにちは、おばあさま」

 メルチェはハッとし、急いで挨拶をする。

 「勝手に入ってごめんなさい。人のお庭だったなんて知らなくて……」

 民家の庭にたどり着いてしまったのだと気付いたメルチェは、申し訳なさそうにお辞儀をした。

 「あらあら、そうかい」

 テラスに駆け寄ると、老婆はにこにこしながら一点を見つめている。目が見えていないようだ。黒目は焦点が定まっておらず、白濁していた。

 「素敵なお庭ね。おばあさまは、一人で暮らしているの?」

 そんな老婆に、メルチェは明るく話しかける。

 「ああ、そうさ。ずーっと長い間、一人で暮らしているよ。魔法が使えるから、困らないのさ」

 すると老婆もそれに応える。

 しわがれた声がゆっくりと話すたび、たるんだ喉に浮き出た骨が、同じようにゆっくり動いた。

 「魔法が使えるのね、すごいわ! でも、一人暮らしで寂しくないの?」

 「一人の方がなにかと気楽だよ。家族と呼んでいた人たちはもう死んでしまったしね」

 メルチェは「あ……ごめんなさい」と、しおらしくなる。

 「くくく……かまわないさ。仲なんて良くなかったからね」

 老婆は妖しく笑った後、メルチェの頭を撫でた。

 ゆりかごの椅子に本を置き、ゆらゆらと少し漕いでみせる。よく見ると、両足は義足だった。皺の寄った肌に馴染まない金属の骨組みが、鈍色に光っている。

 「お前さん、変な気に纏われているね」

 メルチェが老婆の足に気を取られていると、ふと、そんな言葉が飛んできた。

 変な気。

 一瞬何のことかと首を傾げたが、もしかしてあのことか、とすぐにハッとする。

 「えっと、呪いをかけられちゃったみたいなの。お医者様に処置はしてもらったんだけど、まだ解ききれていなくて……」

 「いや、呪われているのはお前さんじゃないよ」

 老婆が言った。

 あたりはやけに静かで、生温い風が、畑の土のにおいを運んでくるだけだった。

 「私じゃない?」

 メルチェは老婆の言葉に疑問を返した。

 「そうさ。呪われているのはお前さんの近くにいる人だね」

 サーッと、自分の血が冷たくなっていくのを感じた。足元を見つめるメルチェに、老婆は続ける。

 「自分の一番大切な人が呪われる呪いだよ。そういう意味ではお前さんも呪われていることにはなるが……直接呪いをかけられたのは、すぐそばの別人さ」


 レビウだ、と思った。


 砂漠の、むしばむような暑さを思い出す。

 病室で抱きしめてくれたこと。私のことを一番大切だと、言ってくれた言葉。

 私じゃなくて、レビウにかけられた呪い――

 「ど、どうしたらいい? どうすれば呪いは解けるの?」

 「さあ……かけた本人以外には到底わからないね」

 そんな、とメルチェは動揺する。

 呪いはレビウにかけられていたということ? レビウが私を大切に思ってくれているから、私も呪われた? 医者に診てもらったのは自分だけだ。レビウは大丈夫なの? 一体誰がこんなこと――

 「思い当たる人がいるようだね。きっと、黒い長耳の少年だろう」

 メルチェの思考を遮るように、老婆が言った。

 「……どうして知っているの?」

 ドクン、ドクン、と自分の心臓の音が聞こえる。

 指先が冷たい。緊張しているの? だってこんなこと、誰が想定するの。

 このしわがれた声。怪我をした足。魔法。呪い。メルチェには思い当たることがあった。


 日の当たる大広間。可憐に光る赤い靴。

 

 「あなた、砂の宮殿の――……!」


 メルチェの中で、疑問が一本に繋がった。

 そうだ、この声は砂漠の宮殿に閉じ込められたとき、大広間で出会ったあの魔女の声だ。真っ黒な顔をして、真っ黒なドレスを着た、ダンスを踊った、赤い靴の魔女。

 「どうしてここに……!」

 「そう身構えなさるな」

 後退りしたメルチェに向かい、老婆は力無い様子で「悪かったね」と頭を下げた。

 「信じてもらえるかはわからないが、弁明させておくれ。私の魔法は、あのとき悪用されていたんだ」

 メルチェは警戒を解かない。

 自分や仲間を傷付けた魔女の言葉なんて、本人の言うように、すぐには信じられるわけがなかった。ていのいい言い訳をされても、怖かった記憶が消えるわけではない。

 「悪用なんて、誰がどうやってするのよ」

 「わからないさ。ただ、強力な魔法に支配されていたのはわかる」

 老婆はゆっくりと、痩せ細った両手を自分の胸に持っていく。小さい身体がさらにぎゅっと小さくなる姿は、強大な力を持った、あの魔女とは到底思えなかった。

 「苦しかった。でも、すぐに解放されたよ。お前さんが、魔法を解いた」

 老婆はそう言って、見えていないはずの目を見開く。

 「私が……?」

 「そうさ。お前さんの強い心と気持ちが私の悪用された魔法とぶつかって、勝ち残った。悪用してきた悪い魔法を解いたんだ」

 あのとき、メルチェはレビウのことを考えていた。レビウが自分の特別だと、レビウのことを守りたいと、強く思ったのだ。その瞬間、たしかに魔女は濁流へと変わった。

 「それと、そこにいる猫ちゃんのおかげだね」

 続けて言った老婆の言葉に、メルチェはハッとする。

 「エシャがいるの!?」

 そして思わず声を上げた。

 「くく……魔法の使えないものには見えないようにしているのかい。恥ずかしがり屋さんだこと」

 メルチェは「そんな!」と残念がり、キョロキョロとあたりを見渡している。どうやら老婆によると、エシャは宮殿で魔法を解く際、こっそり手助けをしてくれていたようだった。

 「人を傷付けるような魔法……呪いなんて、使っちゃいけないんだ。魔法は人を幸せにするものでないといけない」

 そして、老婆は優しい声で言った。

 「私の足は葬られたよ。お前さんが私の呪いを解いたおかげでね。お礼を言わせてくれ。ありがとう」

 メルチェは少し難しい気分ではあったが、その言葉がどうしても嘘には聞こえず、目を合わせないまま頷いた。

 「……あなたは、あの宮殿も作ったんでしょう? たくさんの人が目をキラキラさせてたわ。もう、十分みんなを幸せにしているんじゃないのかしら」

 老婆はメルチェの言葉にくくっと笑い、「生意気な小娘だね」とまたメルチェの頭を撫でる。ざあっと吹いた風が、メルチェの持っている地図をパタパタと羽ばたかせた。

 「――そうだ! 配達、忘れてた!」

 メルチェは腕にかけた籠の中で眠る、木苺の存在を思い出す。

 「ああ、それは、私宛だよ」

 すると老婆がにっこり笑って言った。

 「お前さんがこの町に来たことは知っていた。話がしたくて配達を頼んだのさ」

 メルチェは呆れてしまった。やっぱり、どれだけ小さくても魔女は魔女だと思った。けれど、怖かった思い出は、今日のおかげでそれだけではなくなったこと、よかったなとも思った。

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