木苺屋さん 1
素敵な朝食でお腹を満たしたメルチェは、町へと出掛けることにした。昨日に引き続き、今日も広げられた傘がなんだか嬉しそうだ。雨音は強くなったり弱くなったりしたが、やはりやむことはなく、コッツで傘を畳む機会はない。
「あら……?」
青々とした果樹のトンネル、まんまるい果実がたわわにぶら下がる景色を堪能していると、メルチェはふいに立ち止まった。
果樹園を抜けた先、草原の手前のタイルの道に一人の男性がへたりこんでいるのだ。そばには横になった自転車と、かごに入った小さな果実がいくつも地面にぶち撒かれている。
「たいへん!」
メルチェは急いで駆け寄った。水たまりに転がった果実を拾い始めた男性の手助けをする。
「大丈夫かしら?」
「わわっ、ごめんねえ……! ありがとう、お嬢ちゃん」
おっとりとした話し方の男性は、泥のついた顔でふにゃっと苦笑した。彼はエルフ族だった。横に伸びた尖がり耳を赤くしている。
「落ちたやつはもう駄目だなあ」
拾い集めた果実は木苺だった。
ビーズのように光る粒が、いくつもぎゅっとなっている。輝かしくてやわらかいその宝石は、一粒一粒、大切に育てられていることが食べずともわかった。
しかし拾い上げた木苺たちは土がついて濡れてしまっていたり、潰れてしまっていたりした。男性は悲しそうにため息を吐く。メルチェと目を合わせると、またもや少し苦笑した。
「拾うの手伝ってくれてありがとうねえ! えっと、きみは……」
「私はメルチェ。昨日この町へやってきたところなの」
「おお、旅人さんかあ!」
男性はよいしょと立ち上がり、今度は頬を上げてにっこりした。
「おれはラズ。夫婦で木苺屋をやってるんだ」
そう言った男性――ラズは、倒れていた赤い自転車を持ち上げる。
メルチェは驚いた。
さっきまでは屈んでいたせいで気付かなかったけれど、ラズはとても大きかった。そのクマのような図体は、穏やかそうな表情をした優しい顔つきとなんだかアンバランスだ。
「配達の途中だったんだけど、自転車が小さいから漕ぎにくくて転んじゃったよ~」
ラズの言葉に、自転車が小さいんじゃなくてラズが大きいんじゃ……と思ってしまうメルチェ。だけど彼を纏うポカポカとしたあたたかい空気が、そんなことはどうでもよくさせた。
「さ~て。木苺を店まで替えに行かないと……残ったやつはあとで届けて……」
ラズは自転車の前かごに汚れた木苺たちを入れる。荷台に乗せた箱の中身は無事らしく、小雨の降る中、ひいふうみい、と生き残ったパックの数を数えた。
「じゃあメルチェ、よかったら今度おれたちのお店にも来てね。歓迎するよ~!」
自転車に跨るラズに、「ぜひ!」と手を振ろうとしたメルチェ。
けれどどうしてもラズの大きい後ろ姿が気になって、すぐに返事ができなかった。ワンテンポ遅れてしまったが、メルチェは思いきって一つアイデアを提案してみた――
「あの! 私でよかったら、配達のお手伝いをできないかしら?」
驚いたラズ。急ブレーキを踏んでまた転びそうになる。
「ええ!? ど、どうしたの?」
「だって、これからお店へ戻ってまた配達に戻ってって、きっと大変だわ。私、今時間を持て余しているところなの。迷惑じゃなければぜひお手伝いさせてほしくて」
突然の申し出に、ラズはエルフ耳をぽりぽりかいた。
「でも、きみ旅人さんでしょ? 町のお客さんに、そんなこと頼めないよ!」
優しく眉を下げる彼に、メルチェはブンブンと首を振る。
「本当に暇してるの! なにかお仕事を探しているくらいなのよ。町を探検したい気持ちもあったし、ラズさえよければなんだけど……どうかしら?」
ギンガムチェックの傘を握るメルチェ。そんな少女を見て、ラズは嬉しそうに駆け寄った。
「すっごくありがたいよメルチェ! それならぜひお願いさせて!」
その言葉に、メルチェの顔もパアッと輝く。
「それじゃあ、ブロワと高台への配達をお願いしようかな! 教会と、仕立て屋さんと、東の高台」
「教会は見たことがあるわ! 広場の近くよね」
「そうそう! 広場がわかれば、仕立て屋もわかると思うよ。すぐ近くだから」
ラズはジャンパーの胸ポケットからメモを取り出し、それぞれのパックの値段と、最後に向かう東の高台までの道順を書いて渡してくれた。雨に濡れて、メモはかなりヨレヨレだった。ペンが滲む。
「それじゃあ、お願いさせてもらうよ。本当にありがとうねえ!」
頷くメルチェにラズはまたにっこりと笑い、「よかったらこの自転車乗っていって!」と愛車を譲った。よく見るとハンドルの部分に傘を立てる場所がある。
ラズは自転車にメルチェの傘を取り付けてくれた。赤い自転車と赤いギンガムチェックの傘が、よく似合っていてなんだか可愛い。
「配達が終わったら南の高台まで戻ってきてくれるといいよ。お店の真ん前なんだ」
メルチェが自転車に跨ると、ラズが山の方を指差して言った。メルチェたちがやってきた砂漠のある方向だ。白いレンガを積み上げた古い高台がある。
「わかったわ! 迷ったりして、時間がかかったらごめんなさい」
「ううん! コッツは地面が滑るから、ブロワまで行くのに気を付けてね」
ラズは泥だらけになった自分の服を指差して言った。その説得力のある姿が少し可笑しくて、メルチェは思わず笑ってしまった。
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教会では、今日も子どもたちが元気いっぱいに遊びまわっていた。高らかに晴れたブロワの空は、青く澄み渡っている。
「えっと、ここで……いいのよね」
メルチェは少し緊張していた。
薔薇の植わる門の前に自転車を停めて、荷台の箱からワンパック、木苺の入ったかごを取り出す。
「こんにちは。牧師様かシスターの方はいるかしら?」
教会前の芝を踏み、メルチェは明るく挨拶をした。すると、花を摘んでいる子どもと目線が合い、子どもは目をまんまるくする。そして、
「旅人さんだー!」
と叫んだ。
「えっ、旅人さん!?」
「うわー! ほんとだー! 旅人さんだー!」
その子の一声で、まわりで走りまわっていた子や石遊びをしていた子たちが急に集まってきた。
かくれんぼをしていた子までもがルールそっちのけで出てきてしまい、メルチェのまわりはあっという間に小さな保育園状態だ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
子どもたちの勢いに圧倒されるメルチェ。
こんなにたくさんの子どもたちに囲まれたのは初めてで、思わず木苺を落としてしまいそうになる。
「ねえねえ旅人さん! お名前なんて言うのー!」
グイと洋服の裾をひっぱる子どもに、メルチェは「私の名前はメルチェっていうのよ」としゃがんで答える。
すると今度は「メルチェー! どこから来たのー!」と別の子が聞き、それにも「海の見える港町から、洞窟や砂漠を越えて来たのよ」とメルチェは答えた。
「海!? 洞窟!? なにそれ!」
「砂漠にも行ったことないよー! すごーい!」
子どもたちはめずらしい旅人と、その旅路に夢中だった。
メルチェは広い世界に憧れていた頃の自分を思い出し、なんだか懐かしい気持ちになる。
「海も砂漠も、すっごく広いのよ。洞窟はずっと夜みたいだったけど、光るお花が咲いていたわ!」
はしゃぎきっている子どもたちの中心で、メルチェは得意げにお姉さんぶっている。旅の話は大人気で、「これなあにー?」と一人の子が言うまで、メルチェは木苺の存在を忘れてしまうところだった。
「いけない! 木苺屋さんのお手伝いをしているところだったの! これ、教会にって頼まれて」
メルチェがかごいっぱいの木苺を見せると、やんちゃな男の子がつまみ食いをしようと手を伸ばす。すると、元気な女の子が「だめ!」とそれを阻止した。
「ふふ、また持って来てあげるわね! 今日は、誰か大人の人を呼んでくれる?」
優しくお願いしたメルチェに、何人かの子が返事をしながら教会の中へと駆けて行った。数人の子が、つられてあとから追いかける。
「アンタが噂の旅人?」
走っていく子どもたちの様子を、微笑ましく眺めているときだった。
甘ったるいような、棘のあるような、独特な声が突然飛んでくる。振り向くと、さっき入ってきた教会の庭の入口に人影が見える。
「そうよ、初めまして!」
メルチェは元気に挨拶をした。しかし、声の主は返事をしない。
聞こえなかったのかな? と思っていると、メルチェを睨みながらこちらへズンズンと歩いて来た。女の子だ。
「アンタもこの町の姫を狙ってるって聞いたけど?」
そして向かい合う形で立ち止まる。
「もしかして、あなたも姫候補?」
メルチェが笑顔でそう聞くと、女の子は「勘違いしないで!」と甲高い声で怒鳴った。
「候補なんかじゃなくて、クロエは姫になるのよ。この町で生まれ育ったんだから、当然でしょ?」
自分のことをクロエと呼ぶ彼女は、お人形のように可愛らしい少女だった。
ぱっちりとした大きな目、小さな顔にぷっくりとした赤い唇――
腰まであるカーリーな髪は淡いピンク色。耳の横でツインテールにされており、ハートのイヤリングと一緒に揺れていた。フリルやリボンのたくさんついたワンピースを見事に着こなし、それがまた彼女のお人形らしさを強くする。
「あなた、すっごく美人さんね!」
メルチェはその可憐さに、両手を合わせてクロエを褒めた。
するとクロエは「当たり前じゃない」と偉そうに言ったあと、「アンタは全然垢抜けないわね。野暮ったい田舎娘って感じ」とおさげの姿を見て鼻で笑った。
メルチェは心底驚いた。初対面の人にまさかそんなことを言われるなんて。普段めちゃくちゃにからかってくるあの狼だって、もう少しましな言い方をするのに……
「こら、クロエ。お前はまたそうやって」
メルチェが唖然としていると、教会の方から今度は低い声が聞こえてきた。
見ると、茶色いコートの軍服を着た、筋肉質な男性が子どもたちに引っ張られて来ている。
「あー! またクロエがいけない言葉使ってるー!」
「メルチェのこといじめたんだ!」
「お姉さんなのに駄目なんだよー!」
「はあ!? うるさいわよアンタたち!」
子どもたちが一斉にクロエを囲み始めた頃、それを横目に軍服の男性がメルチェに頭を下げた。
「不快な思いをさせただろう、すまなかったな」
彼の姿にメルチェは驚き、「全然大丈夫よ!」と焦って両手を振りかざす。
「ラズのところの手伝いをしてくれているんだね。木苺受け取ったよ、ありがとう」
頭を上げた男性は掻き揚げられた短髪を少し整えた。手入れされた短い顎鬚が、その髪と同じベージュの色だ。牧師さん……では、なさそうだ。
「えっと、あなたは……」
「ああ、私はタルモ。この町の兵士をまとめる将軍役をやっている」
その名前を聞いて、メルチェはハッとした。
「タルモって、もしかしてこの町の王様の!?」
タルモ――昨日、ロンが言っていた名前だ。リーシュの夫で、シャトーの白薔薇を真心込めて育てているというあの――
「ははは、そういえばリーシュには会ったんだよな。知られていてもおかしくないか」
「驚いたわ! まさかこんなところでお会いできるなんて……お初にお目にかかります、タルモ様」
「そんな、様付けはやめてくれ。リーシュと結婚するまではただの兵士だったんだ。私のことを様付けするのは部下だけだよ」
タルモが困ったようにそう言うと、
「そうよ、タルモのことなんかタルモでいいのよ」
二人の会話にクロエが突っ込んできた。
「お前なあ……」
「ていうか、アンタ木苺屋のおつかいだったのね。クロエのうち宛にもあるでしょ? さっさと渡しなさいよ」
出会ってから終始高飛車な態度のお嬢様に、メルチェは圧倒されてついていけない。
タルモは「クロエ」と呆れながら彼女を咎めると、「クロエのうちは仕立て屋なんだ」とメルチェに耳打ちしてくれた。
メルチェは「そうだったの!」と目を丸くさせ、急いで荷台の木苺を取りに行く。するとクロエがパラソルつきの赤い自転車を見て、「なにそれ、ダサすぎ」と毒を吐いた。
メルチェはせっせと傘を取り付けてくれたラズの姿を思い出し、さすがにカチンときてしまったが、メルチェが怒る前に、タルモが「クロエ!」と強めに怒った。
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教会を出て次は東の高台へ行くと言うと、ちょうどシスターが買い物から帰ってきた。留守番をしていたタルモがメルチェを高台まで案内してくれることになった。
タルモは王様や兵士の頭である将軍のほか、教会の手伝いもしているらしい。牧師やシスターが年寄りで出掛けられない家へと訪問している間、タルモが子どもたちの面倒を見ているのだとか。
「あの子たちは、この町の子なの?」
メルチェが尋ねる。
「ああ、そうだよ。教会の庭はこの町の子どもたちの遊び場になってる」
そう笑って答えたタルモは、パラソルつきの自転車を押してくれている。
ブロワの空は昼下がりの陽気に包まれて、気持ちのいい青だった。ポカポカとしたひだまりが傘の水滴を乾かす。
カフェや店屋の並んだ賑やかな通りを歩いていると、薔薇の花のグリーンカーテンを下げたカフェテリアから、甘い香りが漂ってきた。その隣に小さな仕立て屋がある。「ここがクロエのうちだよ」とタルモが言った。
「クロエのこと、すまなかった。あいつはものすごく口が悪くてな。あいつの両親も手を焼いているところなんだ」
困ったように話すタルモは、無意識に自分の顎髭を触った。メルチェは「そうなのね」と笑った。
「クロエの両親は戦争で店を焼かれて、ボロボロになりながらここへと疎開してきたんだ」
仕立て屋のショーウィンドウに飾られているシルクのワンピースを眺めながらタルモが言った。すると眉を下げたメルチェの表情を見て、
「そのあと授かった一人娘のわがままを、少しばかり甘やかしすぎたらしい」
と可笑しそうに付け足してくる。苦笑しているタルモ。メルチェは高飛車なクロエの様子を思い出し、クスッとしてしまった。
「この町ではもう百五十年ほど戦争がない。だから、平和を求めて、いろいろな事情を持つ人々がいろいろな場所からやって来る。私も戦場から来た」
仕立て屋を曲がったすぐの雑貨屋で、外を掃いていた店員が「やっほータルモ!」と手を挙げる。
タルモはメルチェをめずらしそうに眺める店員に手を挙げ返し、「タルモも?」と聞くメルチェに
「ああ。若い頃にね」
と答えると、この町へやってきたときのことを話してくれた。
タルモは、若い時代のほとんどを遠くの街の軍隊で過ごしてきたらしい。戦争が終わり、緑豊かなところで暮らしたい気持ちからコッツ・ブロワへとやってきた。
「ここへは私のように、戦後、癒しを求めて移住してきたり、戦地を逃れてきたりするやつが結構いてね。そういう元軍人たちで、この町を警備する新しい隊を築いているんだ」
メルチェは甲冑を纏ったロンの姿を思い出した。きっと、彼も過去には戦地を踏んできたのだろう。
「それじゃあ、この町はすごく安全ね!」
「ははは、そうであるために尽力はしているつもりだよ」
タルモが目尻をくしゃつかせて笑う。
本来ならば王様――町の長は守られるような存在であるのに、その立場にありながら自ら率先して町と民を守っていく彼は、素晴らしい王様だとメルチェは思った。




