果実と花の町
赤い土の、山道を下る。
果樹が連なる畑の先に、小さな田舎町が見えてきた。雨はそのあたりから降り出して、三人は慌てて駆けだした。
「うわっ、冷てえな! お前、水たまり踏むなよ!」
「ごめーん!」
果樹林からは甘酸っぱい香りが漂い、メルチェは足元がぬかるんでことを忘れてしまう。泥がついたショートブーツを、あとで洗わなければならないことも。
「レビウの靴下、ドロドロね」
「革靴の中も水浸しだよ」
「ズボンの裾とかもやべえなこれ」
林を抜ける。低木の作る細道を下りていくとき、近くの馬小屋に人影が見えた。
「旅人さんか?」
声をかけてきたのは、レインコートを着た初老の男性だった。
足をとめた旅人たち。彼らに雨がしたたる様子を、男性はまじまじと見やっている。
「コッツ・ブロワの方ですか?」
レビウが恐る恐る尋ねた。
すると、男性は使い込んだ手袋の片手を外し、雨をぬぐいながら質問に答えた。
「そうさ。もうちと歩くが、こっちで雨宿りしていってよ。俺のうち、すぐそこよ」
男性は果樹園の終わり、町の始まりにある高台の向こうを指さした。三人は顔を見合わる。そしてお互いがぐっしょりと濡れてしまっていることを確認した。
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男性のうちは宿屋だった。
「おじゃまします……」
小雨を腕で防ぎながら“灯木亭”と看板の掛けられた扉を開ける。入るとそこはロビーになっていて、けれど、なんだか薄暗かった。三人がどうしてこんなに暗いのかと思ったとき、ふと頭上を見上げると、なんと室内にも関わらずそこには大きな果樹がそびえ立っていた。宿は木を中心に建てられているようで、葉っぱもついたそれは、三階まで貫かれている。その太い幹を囲むように、木造の螺旋階段がぐるぐると設置されていた。
「すごーい! とっても大きな木!」
大木を軸にした大胆なホテルに、メルチェは興奮気味だ。レビウとアシッドも驚きながらロビーを見回す。
フロントカウンターは、なんと木の中にあった。どうやら根元の幹が空洞になっていて、それを利用して作られているようだ。こじんまりとしてやはり薄暗いが、その代わり、オレンジや青の光がストロボのように煌めいている。三階の天井で茂る枝々に、モザイクガラスで作られたランプがたくさんぶら下がっているのだ。まるで秘密基地のようだった。
「可愛いランプ! こんな宿屋さん見たことないわ!」
メルチェが目をキラキラさせていると、先程案内してくれた男性――宿屋の店主が、カウンターの奥からタオルを持ってきてくれた。
「先代の集めてたランプじゃあ、飾ってんのよ」
三人はそれぞれタオルを受け取り、髪や肌をまんべんなく拭いた。
「ねえ、見て見て」
レビウが店主にタオルを返していると、メルチェが彼の濡れたカッターシャツをつまんだ。メルチェが指をさす先は、フロントの隣。
そこにはレストランがあった。
寂れてはいるが、ちゃんとオープンしているらしい。入口の手前には黒板が立てかけられており、メニューがずらりと書かれている。
「宿屋さんのモーニングを食べるの、夢だったの!」
メルチェはさらに目を輝かせる。
「泊まっていきね」
店主がにやりと笑った。
レビウは「そういうことか」と呆れて笑う。ありがたい気持ちが半分と、商売上手だなあという気持ちが半分生まれた。
レビウがフロントでチェックインを済ませている間、メルチェとアシッドはロビーにあるランプの数を先に数え終わった方が勝ちだというくだらない勝負を始めていた。けれどランプの数は底知れず、まるで夜空の星を数えているかのような気分になった。
二人の勝負が引き分けになったとき、店主がカウンターの下からなにやら物を引っ張り出してくる。
「コッツ・ブロワでいるんなら、傘は必需品!」
それは薄っぺらい傘だった。
誰が何回使ったのかわからない、それぞれ違う色と柄をした傘。
店主は三人の名前を順番に聞いていき、傘の持ち手にそれぞれ名前を書いたテープを貼って渡してくれた。少し強引な人だけど、それはそれでちょっとありがたくもあった。
「この町は、ほんとにずっと雨が降ってるの?」
赤いギンガムチェックの傘を広げたメルチェが、宿屋の店主に聞いてみた。
室内で開くな、と苛ついたアシッドがメルチェの頭をポコンと叩く。
「そうよ~。コッツじゃあ、ずっと雨、やんだことないよ。そのおかげで果実がいーっぱい実るからね」
店主の言葉で、行き道に見た、山の麓の果樹林を思い出す。
「ちなみに、ブロワじゃあ薔薇がすんごい綺麗じゃあ、また見に行ってってよ」
付け加えられた町の情報に、今度はレビウが口を開いた。
「コッツ・ブロワって二つの町なんですか?」
「いんや、コッツ地区とブロワ地区に分かれてるだけよ」
すると間髪入れずに店主が答える。どうやら旅人からのテンプレートな質問のようだ。
「よく聞きんや」
店主はカウンターから身を乗り出す。
「コッツは毎日雨が降っとって果実が育つ。ブロワは毎日晴れとってどこでも花が満開よ。コッツは川を挟んでブロワを囲んでるじゃあ、ぐるっとよ!」
店主の返答に、レビウとメルチェはポカンとしている。
「マジで訛ってんな」
紺色の傘を受け取ったアシッドは小声でぼやいた。
コッツ・ブロワ。
コッツ地区とブロワ地区、二つの地区で構成されている町。
コッツ地区は雨の降り続く地域であるが、さまざまな果実が豊富に育つ。
対してブロワ地区は年中ずっと晴れており、果実の代わりに、色とりどりの薔薇が咲き乱れているらしい。
ブロワ地区は町の中心部であり、その地区を円形の川がぐるっと囲んでいる。そして川を渡るとコッツ地区。つまり川を挟んでコッツ地区がブロワ地区をドーナツのように囲んでいるのだ。さらにそのコッツのまわりは、メルチェたちが歩いてきた山間部となっている。
「不思議な町ね。ブロワの薔薇も見てみたいわ!」
例に限らずメルチェが言った。
「ハイハイ、始まったよ……山道歩き終わったとこなのによ」
その好奇心旺盛な瞳に嫌気がさすアシッド。
「ふふ。せっかくだし出掛けようか」
そしてレビウの一言で、三人は町の探索へ行くことになった。だるそうに傘を広げた狼も、結局ついてきてくれる、いつものパターンである。
メルチェはルンルン気分で宿屋から出た。外で広げたチェックの傘が、しばらくぶりに空を見た。
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町は小雨だった。
ドーナツ型になった、コッツの町をまわって見てみたい。相変わらずのメルチェの提案で、三人は雨の中傘を回しながら歩く。冷えた体が少し寒かった。
「メルチェ、これ着ておきなよ」
レビウがメルチェにジャケットを渡す。
「えっ……!」
息を吸うような彼の優しさに、メルチェの頬は熱くなる。上着がなくてもよさそうだ。
「だ、大丈夫! 私は平気よ、レビウ!」
「病み上がりだから心配だよ。ブラウスだけじゃ薄着だし」
「でも、レビウだってシャツだけじゃ薄着だわ」
「僕はアシッドのマントを借りるから」
「おい」
コッツの民家はどこもかしこも三角屋根で、橙色の瓦をしていた。柱や出窓の枠組みは濃い黄色。白い塗壁には、雨筋のあとが幾十にもなって重なっている。
そんな民家には、どこのうちにも畑があった。それぞれいろんな種類の果実がたわわに実っていて、深緑の大きな葉っぱに、まんまるい雨の粒が弾けて落ちる。
「人通りは少ないけど、意外とコッツ地区に住んでる人も多いんだね」
「本当ね。みんなお天気が好きなのかと思ってたけど、雨は雨でいいのかも」
自然が豊かで、青果屋が多いようだった。道の土は赤く、白いタイルが歩道を作っている。メルチェがキョロキョロと町を見渡していると、パタパタと小さい雨粒が傘を叩き、まるで何人もの妖精が足音を立てて歩いているように聞こえた。
「お前は能天気だけどな」
そんな心地いい音をぶち壊す狼の悪口。
「うるさいわねー!」
騒ぎながらアシッドを追いかけると、バシャバシャとまた水飛沫が靴や洋服を汚した。
「二人とも、いい加減にしないと洗濯が大変に……」
じゃれ合う二人をとめようとするレビウ。
しかし、その瞬間。
「あっ、わりい!」
わざとなのかたまたまなのか、アシッドが思いきり泥水を踏みつけた。そして半笑いで逃げていく。
レビウのハイソックスが完全に茶色く染まってしまったところを目の当たりにしたメルチェは、ばつの悪い気持ちになった。
「もう! 待て、この狼!」
怒ったような顔をして、レビウがアシッドを追いかけ始めた。跳ねるように駆けていき、彼もまた飛沫を上げる。
メルチェはなんだか可笑しくなって、風を含む傘の抵抗感と戦いながら、一緒になって狼狩りを再開した。バシャバシャと水飛沫が靴を濡らす。追いかけっこはしばらく続き、三人が息を切らすころには体はずぶ濡れだった。
気が付けば、川沿いまで来ていた。透き通るような硝子の水。川底の石の色までよく見えて、魚も泳いでいた。浅そうだったが、流れのせいで雨粒の波紋は消されてしまう。
「おい、見てみろよ」
狼の声で視線を上げた。
そこには、なんとも不思議な薔薇の町。
メルチェたちは驚いた。
宿屋の店主が言っていた通り、川を境に雨雲はキッパリなくなっていたのだ。川向こうでは美しい空が円形に広がり、まるで台風の目のようだ。
「すごいすごい、快晴ね!」
「ほんとに。嘘みたいだ」
コッツ地区やそのまわりを囲む山の向こうまでも分厚い雲が空を覆っているというのに、町の真ん中の雲だけが、すっぽりとくり抜かれている。
三人はブロワに繋がる橋の上で傘を畳んだ。白レンガの橋は人の足跡で濡れており、けれどそれを渡り終われば、タイルの道を濡らすものなどなにもなかった。空は高く晴れ渡り、やわらかい太陽の日差しはまるで春の陽気だった。
「あたたかくて気持ちいいね」
レビウがにこりと笑った。メルチェもにこりと笑い返し、気持ちまであたたかくなった。アシッドは眠くなって大きなあくびをした。
ブロワはコッツよりも「町」という雰囲気だった。
人通りがあり、建物も多い。
青色の瓦屋根。柱と窓枠は鮮やかな水色で、白壁には雨の筋がない代わり、薔薇の枝葉がどこまでも手を伸ばしていた。可憐に広げられた花びらたちはとてもカラフル。まるでイルミネーションのように町中を彩り、デコレーションする。お店にも民家にも街灯にもどこにでも、薔薇の花が茂っていた。
「まるで大きな庭園ね! それにとってもいい香り!」
「これだけ咲いてたら、花の香りも濃いみたいだね」
「なんか甘くて旨そうな匂いだな……腹が減ってきたぜ」
じゅるりとよだれを垂らすアシッド。野蛮な狼なんて放っておいて、メルチェはスキップしながら鼻で空気を吸い込んだ。
「ねえ見て。素敵な教会!」
花の匂いを嗅ぐ顔が間抜けだと狼が笑いかけたとき、メルチェは目の前の小さな教会を指さした。教会は古びていたが青いステンドグラスが特徴的で、庭では子どもたちが遊んでいた。レンガの壁に張りめぐる紫色の薔薇がとても上品に見える。
「あんな教会で結婚式なんか挙げられたら……」
「ガキがしょうもねえこと考えてんじゃねえよ」
メルチェが妄想を捗らせていると、アシッドが呆れたようにからかってきた。「なによー!」と反抗しつつ、レビウの方をちらりと見る。レビウは「素敵だね」と笑っていたが、誰かと結婚したいなんて考えたことはあるのだろうか。と、少し気になった。
教会の横を通り過ぎると、広場のようなひらけた場所に出た。
小さな池があって、そこにも薔薇は咲いており、水草に混じって棘のある蔦が絡まっていた。鏡のような水面に、花びらたちが何枚も、何枚も、スケートを滑って遊んでいる。
「橋の向こうにシャトーがあるわ」
メルチェが池に駆け寄ると、水色の湾曲した橋の向こう、花を纏った大きな門が見えた。
手入れされた庭の先に、綺麗なお屋敷が建っている。白いシャトーだ。平たい屋根も、庭の薔薇も、すべてが純白。出窓がたくさんついていて、シンプルだけど上品だった。
「随分と立派なシャトーだね。もしかしたら、町のお偉いさんのお家かな」
「だったらご挨拶しなくちゃ」
「勝手に入ったら怒られるんじゃねえの」
「それもそうかしら」
池に垂れ込む、しだれた柳の下で悩むメルチェ。春のようなそよ風が檸檬色の前髪を揺らしたとき、その背後、ガシャリと音がした。
「……?」
レビウの長耳が動く。
メルチェとアシッドは気付いていないようだった。レビウが捉えた金属音のようなそれは、一度鳴ったきりしばらく沈黙を貫いていた。しかし、なにか感じる。これは視線? 誰かが、こっちを見ている……?
ガシャリ。ガシャリ。
また音が鳴り始めた。近付いてくる。少しずつ、少しずつ。
レビウがパッと振り向くと――
「うっわああ!」
ガシャガシャガシャ!
と、金属音の中で尻餅をつく少年がいた。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
驚かせてしまったことに驚いたレビウ。
転んだ少年に手を伸ばすと、少年は「いてて…… 」と腰をさすった。甲冑を見に付けており、胴具や手具がかさばるたびにガシャリと音を立てる。どうやら若い兵士のようだ。
「かたじけないっす」
腕の甲冑をすっぽり外し、少年はレビウの手を借りて立ち上がった。
「えーっと、その荷物……旅人さんっすか?」
「そ、そうだよ。ついさっきこの町へ着いたんだ」
少年はしばらくレビウのことを眺めていたが、後ろに立つ狼男に気付いた瞬間、すかさず一歩後ろへ下がり、ちょっとキツめに防具を握る。
「久々なんすよ! この町にちゃんとした旅人なんて!」
旅行の人なら来てるけど……と続けるちんちくりんの少年は、なんとか甲冑のおかげで体格がよく見えている。が、狼のことを気にしているのがあきらかで、ブルブルと腰が引けていた。アシッドはにやりと三白眼を細め、八重歯を見せる。
「あっ、挨拶! 行くんすか!? ここのお屋敷、タルモ様がいらっしゃるんで! もしかしてそっちの子は姫候補!?」
やはり圧倒的にびびっている。
アシッドはもっと可笑しくなってもっと鋭い牙を見せようとしてみたが、アシッドが口を開くよりも先に、メルチェがすかさず口を開いた。
「姫!? オーディションがあるの!?」
ちんちくりんがちんちくりんに質問している。
その様が面白く、アシッドはこれ以上狼っぽさを見せつけるのはやめにした。隣のレビウが呆れた様子で「悪趣味だなあ……」とつぶやいている。
「そうっすよ! まだちょっと先っすけど、詳しく聞いてきたらいいっす!」
兵士は無垢な笑顔を見せるメルチェに安心したようで、頭の甲冑もすっぽり外した。生えっぱなしの黒髪と、ボサボサの太眉が露わになる。思ったよりも幼い顔つきで、無邪気な笑顔が印象的だった。
兵士はシャトーの主人に許可を取り、門を開けてくれた。
ここの庭園は、町で一番美しい薔薇が咲くと有名のようだった。なんでもタルモ様という人が朝早くから硝子のジョウロに水を汲み、薔薇の花一輪一輪に話しかけながら水をやっているらしい。
「失礼いたしまーす!」
兵士の大きな声が庭中に響き、扉が開いた。
すると、中から顔を出したのは花のように美しい、たいへん可憐な奥様だった。
「あら、あなたたちが旅人さんね。ようこそ、コッツ・ブロワへ」
白薔薇のように透き通った肌。妖美で艶のある、ジャムのように濃い瞳。後ろでハーフアップされた髪は細く、毛先が透けて光って見える。背丈はかなり小さいが、それでも強いオーラを感じさせる、不思議な女性だった。
メルチェたちを見てにこっと微笑んだ彼女は、そのあと兵士の方を見て「ロン、案内ご苦労さま」と、もう一度優しく微笑んだ。
「とんでもないっす!」
兵士の名前はロンというらしく、また無邪気に笑って返事をした。
まるで人懐っこい子犬のように、見えないしっぽをブンブンさせるロンだが、そんな彼に女性が続ける。
「こんな町中まで甲冑でパトロール? たいへんねえ。それを着るのって戦うときか、山の中だけなのに」
その言葉に、ロンがギクッと動きを止めた。
「え、こ、これは、そのっすねぇ……」
「甲冑はいざというときのために手入れしておかなきゃ駄目よ。教会の子どもたちに見せたいのはわかるけど――」
「あーあーあー! いや! そういうんじゃないっすよ! てかやばいっす! オレはこれから業務があるんでした! じゃっ、失礼しまーっす!」
なにやら格好悪いことをバラされそうになったロンは、甲冑をガシャガシャ言わせながら走り去っていった。足が異様に早い。まるでボールを追いかける犬のようだった。戻っては来ないだろうが。
「うふふ。可愛い子でしょう?」
その様子を眺めつつ、女性がにっこり笑ってみせた。耳についた薔薇のイヤリングが大きく揺れて、なんだか色っぽい。
「えっと、初めまして。タルモ様」
大人の女性を前に、緊張しながらメルチェが言った。
丁寧にスカートをあげてお辞儀をするも、女性はきょとんとした顔をする。しかし、すぐにわけを理解した様子で吹き出した。
「あらあら、もしかしてこの薔薇を育ててるのがわたしだと思ったのかしら。うふふ。そうよね、ごめんなさい」
細い目をもっと細くして笑う彼女。紅を引いた口元を隠す指先に、イヤリングとおそろいのデザインをした指輪が通されている。
「タルモはわたしの夫なの。薔薇を育てているのもね。わたしはリーシュ。よろしくね」
自分のしていた勘違いに、メルチェは恥ずかしくなって顔を赤くした。けれどすぐにリーシュの名前を間違えていた罪悪感が押し寄せて、続けて顔を青くした。
「ごめんなさい、リーシュ様」と慌てて謝ったメルチェを見て、リーシュは「うふふ。可愛い子ね」と上品に笑った。




