寛解 1
病院は思っていたよりもこじんまりとしていて、見つけるのに手間取った。
オアシスにある建物はすべてが黄色い砂壁でできた屋根の平たい建物で、見た目には違いがわかりづらい。建物と建物が重なった路地の奥、サボテンやナツメヤシなどさまざまな植物が茂っており、病院に辿り着くのに時間がかかった。
レビウは終始泣くのを我慢した子どものような表情でメルチェを抱いていた。アシッドはいつもの軽口を言う気にすらならない。
兎と狼が病院の入口をくぐったとき、空はもう夕焼け色だった。「ごめんください」と大きな声で人を呼ぶと、カウンターで書き物をしていた年増の看護師がレビウの腕の中にいる少女に気付き、急いで椅子から立ち上がる。
「どうしたの?」
「水をたくさん飲んでいるんです。呼吸も十分にできていなくて」
レビウは看護師にメルチェをゆだねた。硝子の瓶を扱うような、丁寧な手つきだった。看護師は「わかったわ」と真剣な顔で返事をし、診察室の奥へと少女を抱えて消えていく。
「どうしよう」
「ああ?」
「メルチェが死んじゃったらどうしよう」
看護師がいなくなってすぐ、レビウは言った。
狼は馬鹿馬鹿しくなって茶化してやろうと思ったが、兎の様子を見てそんな気もなくしてしまった。メルチェを抱いていた腕が、小刻みに震えている。土にまみれた黒の革靴を見つめる瞳に光など宿っておらず、泣きも笑いもしていない。彼はめずらしく無表情だった。
「死なねえだろうが」
そんな兎に、アシッドは仕方なさそうに答える。
「しょーもないこと考えんな」
覇気のない、垂れた長耳をめくり上げた。
「うん」
レビウは小さく頷いた。
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待合室は病院らしくない装いだった。
外観同様、部屋には大量の鉢植えにサボテンなどの植物が植えられ、それらは生やしっぱなしで育っている。普通、観葉植物はソファの傍ら、ついでに置かれることが多いが、これでは観葉植物の傍ら、ついでにソファが置かれているようなものだ。緑の葉っぱを掻き分けて、ガラクタ同然の扇風機がいくつか回っている。青い羽には砂や泥がついていて、ぬるい風とともに埃が少し飛んできた。
「……魔法で眠らされていたとき、メルチェに化けた魔女が出てきたんだ」
アシッドが葉っぱを避けつつソファに座ると、レビウが低い声でつぶやいた。
「へえ。戦えたのか?」
「首を斬って夢から覚めた」
レビウの返答にアシッドは驚いた顔をする。どうやらとても意外だったらしい。たとえ偽物だったとしても、メルチェの姿に刃を向ける、レビウの姿が想像できない。
アシッドは自分の耳をガリガリ掻いた。伏し目がちになってしまったレビウの頬に、長い睫毛の影が落ち込む。こいつの顔を照らしていたのはいつもあいつだったなと考える。鋭い八重歯を覗かせて、アシッドはわざとらしくため息を吐いた。
「俺は、お前の虚像に殴られた」
自分の頬を指さす狼。それを見て、レビウはようやく笑みを漏らした。
「なにそれ。傑作だね」
「笑い事じゃねえよ。めちゃくちゃ痛かったんだからな」
「だから殴らせてって言ってたの?」
「おう、いつにする?」
「そんな遊ぶ約束みたいに言われても……」
二人がふざけて会話していると、しばらくして、診察室から看護師が出てきた。
レビウが勢いよく立ち上がると、彼女はペラペラの紙と鉛筆を持って、「なにがあったか聞かせてくれる?」と優しく尋ねた。
「宮殿で濁流が起こったんです。天井も崩れて、それに巻き込まれたみたいで」
レビウが先ほどの出来事を詳しく話した。アシッドはソファに座ったままその様子を眺めていたが、看護師は話を聞けば聞くほど不可解そうな表情へとなっていく。
レビウとアシッドは彼女の様子に段々と不安を抱き、話す口調も途切れ途切れになっていった。すると、看護師が言いづらそうに口を開いた。
「えっと、ごめんなさいね。宮殿ならいつも通り観光客でいっぱいよ」
そして発したその言葉に、兎と狼は顔をしかめる。
「そんなはずねえ。見てみろ、俺らもびしょ濡れだろうが」
アシッドが立ち上がった。
彼の言う通り、二人の体は水に濡れ、泥もついて最悪だった。腰を下ろされていたソファにも泥水が染みて、看護師の気分も最悪だった。
「でも、宮殿でそんなことが起きていたら今頃オアシスは大騒ぎよ。ほら、宮殿ならここから見えるでしょう。自分たちの目で確認してみなさいな」
二人の様子に戸惑いながらも看護師は近くの窓を指さした。この場所は小高い丘になっているため、オアシスの景色を一望できるのだ。まわりに生えた植物たちが多少邪魔だが、大きな葉っぱの隙間から、宮殿の様子もしっかり見える。
兎と狼はまさかといった様子で、恐る恐る、窓の外を覗いてみた。
「そ、そんな……!」
濁流なんてない。
天井も落ちていない。
宮殿は美しいままだった。
「はあ!? なんだよこれ、どういうことだ!」
宮殿の拝観時間はまだまだ終わっていなかったらしく、たくさんの観光客が列を作って入館を待っていた。外観におかしいところなんて微塵もなく、豪華な装飾や膨らんだ屋根の色、綺麗に手入れの行き届いた土壁や扉が夕焼けの日の色を照り返し、人々は惚れ惚れとそれらに見入っている。
「あなたたちも検査を受ける? 記憶が飛んでしまっているのかも」
「違います! 僕たち、確かに――――」
「幻じゃよ」
すると突然、しわがれた声が聞こえた。
見ると、髭を生やした老人が診察室から顔を出している。白衣を着ており、どうやら医者のようだ。
「幻って……魔術のことですか?」
「話をするから、こちらへおいで」
手招きする医者のもとまで、看護師に連れられながら二人は向かう。窓のない廊下は暗く、植物も育っていない。
「さあさ、こちらへ」
診察室はとても狭かった。肉厚なサボテンと扇風機が一台、ベッドも一台。メルチェはそこに寝かされて、顔色は悪いままだった。檸檬色のおさげが片方、枕から落ちてぶら下がる。
「この子は水を飲んだと言っていたな。じゃけどな、そんな症状はどこにもない」
レビウはメルチェの手をそっと握った。冷たくて、怖かった。アシッドは丸椅子を占領し、まるで自分が診察を受ける患者のようだ。
「代わりに別の症状がみえおるわい。呪いのな、呪術の作用じゃ」
扇風機から風の音がうるさい。レビウが目を丸くしていると、その間に医者は扇風機のスイッチを切った。乾燥した手がアシッドの前を横切る。
「馬鹿げた話だぜ。やっぱ、呪いの噂は本当だったってことか」
狼は呆れた様子で八重歯を見せた。
「どうかのう。普通、魔法はかけた本人が死ねばなくなってしまう。じゃが、そこの宮殿が残っているのはなぜだと思う?」
看護師が病室のパーテーションを大きく広げた。
アシッドはレビウと顔を見合わせ、首を傾げてから医者の顔を見直した。メルチェの額に汗が流れる。
「生きているからじゃよ。四人姉妹のうちたった一人、もう千年ほどな」
医者は遠い昔、宮殿の魔女の呪いに当てられた患者を診たことがあった。呪術の症状は医療だけでどうにかなるものでなく、魔法の使える医者か魔力を持った人か物かが必要になる。その患者は目がただれ、ここへ来たときにはもう手遅れの状態で、数日後には死んでしまったようだった。
もちろん医者はその話を黙っていたが、レビウが不穏さを感じ取ったのか、「でも!」と大きな声を出す。
「魔女の呪いは誰かが一番に彼女を思っていれば解かれるはずです! メルチェの呪いが解けないはずがないんです! だって、メルチェのことは、僕が、僕が……!」
必死に身を乗り出して訴える兎。狼が「おい、落ち着けよ」とその身を押さえた。赤い瞳を静かに眺め、なんて目をする少年だ、と医者は思った。
「それがの、魔女の呪いじゃないんじゃよ」
そして、気の毒そうにそう言った。
「見たこともない強い呪いじゃ。わしの力だけではどうにもならん」
着古したクタクタの白衣を払い、メルチェの額にゆっくり触れる。すると、黒い模様やどこかの言語の形をした文字が細い煙のようになって湧き上がり、皴だらけの指をしびれさせた。これは、かつて診療した魔女の呪いとはまったく違うものだ。
「……おいジジイ、お前医者だろ。患者のこと見捨てんのか?」
諦めたような物言いをされて頭にきた狼は牙をむく。兎はというと、その隣で相変わらず祈るような強い眼差しをしていた。
医者は薄くなった髪を掻き、「わしの力だけでは、という話じゃよ」と付け足した。
「魔解剤を作る知識はあるが、わしに魔力はない。少しでも魔法の使える人が必要じゃ」
そう言って、看護師に目配せをした。
彼女はこくりと頷いて背後の棚の戸を開ける。古いファイルを探し出し、何冊も束ねて持った。どうやらそれは名簿のようで、魔法を使える医者を探してくれるらしかった。狼が納得したように牙を仕舞う。看護師がダイヤルを回しつつ、受話器に耳を当てたときだった。
「あの。これじゃ駄目ですか?」
レビウがなにかを指さした。それは、ベッドで横たわるメルチェのおさげ。結び目を飾っているビーズの髪飾りだった。
「そういえばそれ、さっき水ん中で光ってたやつじゃねえか」
「メルチェのお守りにと思って、前に渡してあったんだ。少しだけど、僕の魔力を込めてある」
アシッドは初めて聞く話に「へー」と髪飾りを見る。
「ふむ、魔力を……」
医者もメルチェのおさげに近付き、まじまじと髪飾りを観察した。檸檬色の毛先に寄り添う、偏光に光る珠のような粒たち。
「守護の魔法かね」
「そうです」
「そうか。これならいけるかもしれん」
医者は看護師に専門用語ばかりの指示をたくさん出した。看護師は返事をした後に手際よく動き出し、いろんな棚や引き出しからいろんな道具を取り出した。医者は用意された道具や薬品をカルテや資料と照らし合わせて何やら確認を重ねている。
「お前さんたち。時間がかかると思うから、今日はここで休んでいきなさい。空いている病室を貸してやろう」
医者はそう言って、看護師に病室への案内を任した。看護師は微笑みながらもしっかりとした様子で了承し、二人を診察室から退くように促した。レビウはメルチェのそばを離れたくなかったようだが、そそくさと立ち上がるアシッドに引き続き名残惜しそうに部屋を出た。
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砂漠の夕日は美しく、まっさらな砂の大地に黄金色の光が広がって、薄紫の陰影が丘に凹凸を描く。雲は薄くたなびいて、まるであの寝室の光沢の出るシーツのようだった。
「近付いてきたな、ブリランテ」
病室の硬いベッドの上で、アシッドが寝ころびながらくつろいでいる。
「そうだね」と返事をしたレビウは、窓から見える砂漠の日没に身を照らし、ルビーの眼差しでどこか遠くを眺めていた。
「お前らって、なんで王国まで行くんだよ。興味ないから聞いてなかったけど」
「興味ないなら今も聞かなくていいだろう」
「俺だけお前らに事情知られてんの不公平じゃねえか」
「なんだよそれ」
呆れながらも笑ってしまうレビウ。ベッドのリクライニング機能を堪能している狼の質問に、少し間を空けて答えた。
「……メルチェは、僕の旅に着いて来たいって言ってくれて」
港町の夜、広場のベンチ、二人で地図を広げたことを思い出す。あの日見たドレス姿のメルチェはすごく綺麗だったなあ、と記憶の中に浮かぶのはそんなことばかり。
「それで、僕は……」
しかし、そこからレビウは黙ってしまった。
オアシスの夕暮れはとても涼しく、昼間の猛暑が嘘のようだった。あれも幻だったのかもしれない。日はすぐに沈み、砂漠中を紺碧に染め上げた。ラクダの影もサボテンも湖も、すべてが夕闇に溶け込み、そう思っているうちに星が幾千も輝き始める。
「言いたくねえならいいけどよ」
いつまでも口を開かないレビウを不思議に思いつつ、アシッドはめずらしく気を遣った。彼には意外と大人な面がある。兎は「ごめん」と小さくつぶやいたあと、「でも、いつか言わせてほしい」と狼の青い目を見て言った。
「……それって、あのときの怪我と関係あんのか?」
しかし、次に放たれた言葉にすぐさま目を逸らしてしまう。
「……ある」
「ふーん。なんか大変そうだな」
アシッドはベッドから半身を起こして伸びをした。レビウの耳を指で弾くと、「ガキのくせしてよ」とからかった。
「まあ、お前はなんでも一人でやろうとするけど、もっとまわりを頼ってもいいんじゃねえの」
すると、そう言ったアシッドの顔をレビウはまた見直し、「メルチェにも同じこと言われた」と苦笑した。乾いた夜風がリボンを揺らす。
「僕は結構頼ってるつもりなんだけどな。すごく、信頼もしてるし……」
レビウがそう言うとアシッドは満足げに笑った。
レビウは両耳の間から髪をわしゃわしゃと撫でられ、「わっ! なにするんだよ!」と少し慌てる。大きな手のひらがやけにあたたかく感じ、レビウは胸が熱くなった。悔しいので、言わなかったが。
砂漠の夜は暗く、冷たく、けれどそのぶん明るいものがよく見えた。オレンジの灯りがオアシスの湖に反射して、幾千の星とともに光っている。その星の数は、砂漠の砂の数にも劣らないのではないかと、レビウはなんとなく思った。




