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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第6章 四人の魔女と砂の迷宮
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この世で一番

 大広間から放り出されたハイリスは、一階のホールまで降りてきていた。

 背中を引っ張ってきた力は広間を出ても弱まらず、ここにきてようやくその引力から解放された。それまでにハイリスが二階の長い廊下を後ろ向きで滑り抜けることになったのは、言うまでもないだろう。

 ホールは相変わらず不自然なほど静かだった。

 吹き抜けの踊り場になっているこの場所から、左右下に階段が下りている。踊り場に着いた三つの窓からは真っ黄色の日差しが差し込み、ホールの床を照らしていた。残り四つの窓からも、同じように日が差している。

 ゆっくりと階段を下りるハイリス。足元に敷かれたカーペットが、芝を踏むようにサクサクと音を立てた。

 ――なにかが、足りない。

 ハイリスはこの空間に違和感を感じていた。初めに来たときと確実になにかが変わっている。細い目をもっと細くして、誰もいない空間を睨む。誰もいない――――そうだ、いないのだ。

 金色の、女の像が。

 

 「うふふ。可愛い坊やが来たものね」


 するとふいに、声がした。

 瞬きをした隙に見知らぬ女が立っている。ホールの大きな窓の前。顔も髪も、手も足も輝く金色だ。着ているドレスとかぶったヴェールだけが夜よりも深い漆黒で、女は斜陽を浴びている。自身の肌が、黄金色に反射した。そして目には包帯、「4」の赤文字。

 「誰だ。お前も魔女か」

 「魔女だなんて……失礼しちゃう。ワタシは姫よ。この宮殿のね」

 警戒するハイリスに、女は紅を塗った唇で弧を描く。はっきりとした口調で姫だと言ったかと思えば、その直後、右手で指を鳴らしてみせた。するとどうだろう。宮殿の出口、扉の前に硝子の棺が現れる。入っているのは天使のような女の子。銀色の縦の巻き髪を寝かせ、緑色のドレスを身に纏っている。

 「ディア様!」

 棺の中にいた主に、執事は思わず呼びかけた。

 しかし彼女は眠っているらしく、返事がなければ動きもしない。

 「……ディア様を返せ」

 ハイリスが女を睨む。

 女は可笑しそうに、けれど静かにこちらへ近付いてきた。

 階段にいたハイリスは腰のサーブルに手を掛けて、慎重に、一段一段下りてくる。革靴が、硬い音で不穏に鳴った。


 「――駄目よ。この子には死んでもらわなきゃ」


 すると、突然なにかが飛んでくる。

 尖った刃のような、いくつもの鋭い破片。ハイリスはしゃがみこむことで咄嗟に回避した。背後の階段に刺さったそれは、硬い砂で出来た、割れた硝子のようなものだった。

 「ふうん。すごい瞬発力!」

 女は手を叩いてハイリスを褒めた。その仕草が彼の白耳を毛羽立てる。

 「この世で一番綺麗なのはワタシ。美しいのは、主役なのは、ワタシしかいらないの。お姉さまもほかの姫もいらないのよ」

 女は金髪を蛇のようになびかせた。ディアを渡す気はないらしい。返してほしければ、力尽くでやるしかないということだ。剣技が魔導に不利なのは百も承知だが、目の前の主のためならば、ハイリスはその身も惜しまぬ気持ちだった。

 「お前のことなどどうでもいい。そこをどけ」

 強く言い放ったすぐあとに、サーブルを抜いて女に向ける。

 「どかないのなら、殺る」

 兎が走り出した。

 女は笑って片手を上げる。

 女の手の中、砂の破片がいくつも生まれ、高速でハイリス目掛けて飛んでくる。しかし、ハイリスは表情を変えなければ足もとめない。バトンのようにサーブルを可憐に回し、いくつもの破片をさらに細かく斬り刻む。そしてそのまま、女に大きく剣を振るった。

 「!?」

 しかし、硬い。

 サーブルは女の肌を擦ったはずが思いきり跳ね返る。女の間近、ハイリスはヴェールの裏から起こった爆風でカウンターをくらった。砂埃が顔にかかり、それと同時に吹き飛ばされて、装飾の彫られた美しい壁に衝突する。

 「うふふふ……びっくりした?」

 女は嬉しそうだった。

 ハイリスは怯まず立ち上がる。粉っぽさのある砂が、その黒髪によく目立った。シャツやベストも汚れてしまい、どこもかしこも砂まみれだ。

 「ワタシの綺麗な体に刃をやるなんて、失礼な兎さん」

 猫撫で声の挑発を気にも留めず、ハイリスは再び走り出す。細い切っ先を女の首に振りかざし、黒いヴェールの端が跳ぶ。しかしそれだけで、金色の肌はダイヤのように硬かった。サーブルの刃が傷んでしまう。切り裂くたびに甲高い音が鳴る。女の肌に、悔しそうな少年の顔が映った。

 刹那、突然剣先に手ごたえがなくなる。

 空振り? ――否、消えたのだ。

 ハイリスが鋭い目をやると、少し離れた窓の手前に黒い影。女は移動していた。おそらく魔法だろう。

 「こっちよこっち」

 女がまた片手を払う。

 すると今度は彼女を中心に砂の波が現れる。それは大きな津波となってハイリスに襲いかかった。咄嗟に斬りかかったが砂を斬っても意味はなく、崩れて自分に落ちてくるだけ。大量の砂を吸い、思わず瞬きをした瞬間、また鋭い破片が飛んでくる。砂に足が埋まって避けづらい。ハイリスは回避しきれず、肩に一つ破片をくらってしまった。

 「いっ……!」

 肩を押さえて顔をしかめる。

 すぐに目線を上げたが、女はまた別の窓の前へと移動していた。そこから二つ目の波を作り、ホール中に砂の絨毯を敷いていく。

 ディアの入った硝子の棺が埋まってしまう前に、なんとか女を倒さなければ。ハイリスはサーブルを握ろうとする。が、肩に入った傷のせいで十分に力が入らない。腕の筋がやられたか。予想はしていたつもりだが、凄まじい魔力とパワーだ。

 「クソが」

 素早くサーブルを持ち替える。利き手ではないが、仕方ない。

 女はまた移動していた。今度は吹き抜けた踊り場の窓の前、砂の破片の雨を降らせる。ハイリスがサーブルでそれらを斬ると、粉々の粒子となって霧のように広がった。視界が悪い。ハイリスは目の前の霧を大きく払い、剣で風を斬って空気を泳がす。

 そのとき、剣先が何かにかすった。

 窓のカーテンを結ぶタッセルだ。

 人形の形をしたそれはサーブルの刃に紐を切られて床へと落ちた。砂に沈むのとほぼ同時に、タッセルを失った分厚いカーテンが扇のごとく広がる。窓が隠れ、差し込んでいた砂漠の斜陽が防がれた。ホールにある窓――そこから差し込むスポットライトの、七つあるうちその一つがなくなったのだ。

 ハイリスは思い返した。女はいつでも輝いている。日光を浴び、黄金の肌をビカビカさせる。

 あいつは、窓の前にしか現れない。

 「……なるほどな」

 ハイリスが考え事を終わらせたとき、砂の破片が飛んできた。背を逸らせて避けた後、女を見やる。

 女は踊り場からホールへ降りて、棺を挟み、ハイリスから一番遠い窓の前に立っていた。相変わらず光を浴びて、窓の形をした光の床に、長くて黒い、女の影が不気味に伸びる。

 「何をぼうっとしているの?」

 よそ見をするな。

 そう言うかのように女は風を巻き上げた。砂と破片が混ざり合い、竜巻がいくつも生まれて向かってくる。ホールに砂嵐が吹き荒れた。勢いよく物が飛ぶ。硝子の棺がガタガタ揺れる。

 ハイリスは砂に足を持っていかれそうになりながらも窓際に沿って歩いた。さっき閉めた窓の、隣の窓の前に立つ。

 竜巻はハイリスはもちろんあたりのものを巻き込んで、どんどん嵐を激しくしていく。その背は天井にすら到達し、吹き抜けの踊り場にある窓と、ハイリスの後ろの窓に激突した。タッセルが吹き飛ぶ。カーテンがオーロラのように波を打ち、ひだを広げ、窓の光を遮る。

 カーテンは全部で三つ閉ざされた。

 ホールに落ちた窓の光はあと四つ。

 竜巻に巻き上げられたハイリスは、天井へと叩きつけられ、その後すぐに踊り場へと落下した。肋骨が数本やられたが、もし階段の下に落ちていたら、全身の骨が折れていたことだろう。ラッキーだ。ハイリスは立ち上がる。

 砂の少ない踊り場は歩きやすかった。自分の服に入った砂が、一歩進むたび大量に床へと流れ出る。血も垂れていたが、外傷は肩以外なんてことない。打撲や肋骨など、体の内側の方が心配だったが、ハイリスの表情はそのままだった。冷たく鋭い目を伏せて、カーテンに抱き着く小人を睨む。躊躇なく小さな腕を斬り落とすと、人形はまた砂床へといなくなった。また一つカーテンが閉まり、開いているのはホールの階段下、二つのカーテンだけとなった。


 「……坊や、何をしているの?」


 そのうちの一つ、棺に近い方の窓辺で、女が日を浴びていた。

 ハイリスの思った通り、女は日の当たる床にしか現れない。ほとんどのカーテンが閉まってしまった今、女が立つことができるのはカーテンの開いている二か所の窓の前だけだ。

 「日の当たる場所は、日の明るさの似合う人が行くものだ」

 階段を下りながら兎が言った。

 ホールはもう随分と暗い。砂嵐はやんでおり、ホールはただの砂漠になっていた。天井に灯っていたシャンデリアは先ほどの竜巻に割られてしまい、この場を照らすのは二つの大窓からの日光だけ。ホールに差し込む黄色の柱は、まるで舞台に落ちるスポットライトのようだった。

 ハイリスは静かに佇む女の向かい、階段を下りた先の、彼女が立っていない窓際までやってくる。光の手前で立ち止まり、彼は日差しに当たらない。暗い日陰でサーブルを構え、そして、剣先で、ゆっくりと、六つ目のタッセルを切り落とした。カーテンが閉まる。

 「暗闇が怖いのか」

 暗がりに溶けた白耳が、冷たい声でそう聞いた。

 「人に認められないと生きていけないのか」

 しゃべったせいか血の味がする。口の中に入った砂利が、その傷口をさらに抉った。

 一方女は、たった一つのスポットライトを浴びていて、まるで主役を任された、名女優のようだった。しかし、もう彼女は動けない。舞台は狭く、幕が下りるのは明白だった。

 「お前は、醜いな」

 兎の言葉に笑わなくなる女。

 ハイリスはサーブルを構えた。

 銀色の切っ先が斜陽に触れたその瞬間、鬼の形相になった女が手を振り上げた。

 最後のタッセルが解かれたのとほとんど同時に、少年の視界がぐらりと揺れる。女によって生成された、特別鋭い砂の破片が、ハイリスの首元に勢いよく命中していた。女の向こう、棺の中を見つめた彼は、サーブルをタッセルと共に投げ捨てた。痛みを感じる一秒前に、刺さった破片を引き抜いて、力いっぱい振りかざす。血が飛び散る。砂が舞う。

 最後のカーテンが閉まったすぐに完全な暗闇が訪れ、ハイリスの振るった破片の先が、女の首を斬り裂いた。

 

 「痛い――――!」

 

 女は首を押さえて身悶えた。

 砂を踏んでふらついている。黄金の輝きを失い、肌の色が黄色くなって、真っ暗になった天井を仰ぐ。

 「光! 光はどこ! ワタシは、どこに――」

 手を伸ばし、言葉を言いきらないまま、彼女の体は砂となった。細い体はあっという間に崩れ去り、黒いドレスとヴェールが残る。それらもしだいに暗闇の黒に溶けていき、冷たいただの抜け殻となった。

 「はあ……」

 ハイリスは深く息を吐いた。静かになった途端、傷口がさらに熱くなり、痛みがよくわかってくる。着ていたベストを脱ぐと、慣れた手つきで細く畳んで肩から首を止血する。キツく結ぶ際、肋骨が痛んで少し手間取った。気が遠くなりかけて、彼は一瞬目を瞑る。しかしすぐに持ち直し、ハイリスはよろめきながらもディアの寝ている硝子の棺に駆け寄った。

 「ディア様……」

 激闘の中にあったはずが、棺は透き通ったままだった。氷のような、綺麗な蓋に手を触れる。すると棺は砂になって崩れて散った。

 ディアの体を受け止めたハイリスは、静かに寝息を立てるその姿を確認し、ようやく訪れた再会を噛み締めた。輝く銀髪、白い肌、色素の薄い長い睫毛に赤い頬。呼吸も安定しているし、ただ眠っているだけだ。ハイリスは心底安心した。

 痛む体になんとかたえて、すぐにここから脱出しよう。ハイリスがそう思ったときだった。


 背後から、凄まじい音が鳴る。


 何事かと振り向こうとしたがそんな間も無く、濁流はすぐに押し寄せた。ハイリスは咄嗟にディアを抱きかかえるが、逃げる隙など与えられることはなく。大量の泥水が津波となってホールに流れ、二人の体を飲み込んだ。


 ――残念、今回もおあずけか。


 泥だらけの水の中、聞き覚えのある声が、どこかでそう言った気がした。

 瞬間、宮殿の入口が思いきり開く。

 濁流は外に流れ出たかと思えばどういうわけか乾いた地面に吸い込まれ、あっという間に消え去った。

 宮殿の外に押し出された二人。ハイリスはディアを抱えたまま地面に倒れ込んだ。水に濡れたどろどろの手で必死にディアの髪を掻き分ける。

 「ディア様……!」

 頬や睫毛についた砂を必死に拭うと、ディアがもぞもぞとくすぐったそうな仕草を見せる。穏やかに胸を上下させ、息も脈も問題ない。

 「よかった……」


 「ハイリス、ディア様は見つかったのかい」


 ディアの髪や服を整えていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。

 声変わりの途中のような、やわらかくてかたい、強くて弱い、この声は、レビウのものだ。

 ハイリスが振り向くと、そこにいたのは、ずぶ濡れの兎と狼、そして、ぐったりとしたおさげ髪の女の子だった。

 あの大広間で一体何があったのか。

 顔色を悪くして動かない少女を目にし、ハイリスの心臓がどくりと鳴る。剣技を鍛えていた自分ですら負傷しているというのに、ただの少女が無傷なわけがなかった。ハイリスは「頼んだよ」というレビウの言葉を思い出し、ばつの悪い顔になる。

 「その、おさげは……」

 「うわっ! お前もボロボロじゃねえか」

 事情を聞こうとしたとき、ハイリスの言葉を遮って、アシッドが思わず驚いた。彼の白い耳は汚れており、体も傷だらけ、血も滲み、いつもの隙のない姿とは大違いだったのだ。

 「なんだ、大袈裟な」

 落ち着き払っている本人とは裏腹に、アシッドは「大袈裟じゃねえよ」ともはや引いている様子である。

 「お前も、医者行った方がいいと思うぜ」

 アシッドの言葉にハイリスは、メルチェを医者へと連れていこうとしていることを察した。

 「ほかの使いに報告が済めば行く。お前たちは先に行け」

 レビウとアシッドは互いに顔を見合わせた後、なんとなく頷いて、「じゃあ」と言ったあとまた足早に去っていった。

 「……」

 ハイリスは、泥がついて汚れたディアを抱きしめた。

 光沢のある銀髪に、真っ赤な血が少し滲んだ。

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