舞踏会へようこそ
日の当たる大広間。可憐に光る赤い靴。
メルチェは魔女に手を取られ、あれからずっと踊り続けていた。
どれくらい時間が経っただろう。いや、本当はそれほど経っていないのかもしれない。とにかく、メルチェの体力は限界だった。
ひっきりなしに振り回される体はとまることを知らず、脚はちぎれるほどに痛い。時折天井に届きそうな魔女の背丈まで持ち上げられるため、そのたびに腕や肩が外れそうに軋んだ。そのあとの振り付けは回りながらの急降下。足の裏が焼けるように熱い。大広間中をそんなふうに回り続けていると、メルチェの脳は揺さぶられ、体力の消耗とともに気持ち悪さが襲ってくる。
「くくく……つらいねえ、つらいねえ」
メルチェの顔が歪むたび、魔女は嬉しそうに笑った。悔しくて、その言葉の直後はなんとか上を向いて彼女と向き合うことができるが、苦しくなってすぐに下を向いてしまう。魔女のドレスの裾から赤い靴が覗くのを数えきれないほど見た。
そのうちに気付いたが、魔女の足首には包帯が巻かれていた。そこに書かれた「3」という赤い文字。
「……あ、あなた、足を怪我しているの?」
メルチェが魔女に問いかけた。
踊り続けるだけでは気が狂ってしまう――話をしようという、せめてもの抵抗だった。
「怪我? 怪我ねえ。怪我といえば、怪我だけどねえ」
よくわからない返事が返ってくる。
「3って、どういう意味?」
メルチェがめげずに会話を作る。
「三番目という意味さ。四人姉妹のうち、三番目」
次はよくわかる返事が返ってきた。メルチェはなるほどと素直に思う。
足取りは軽快だった。魔女がくるりと回転すると、メルチェもくるりと回される。右のステップと左のステップは変わっていて、爪先から降りたり踵から降りたりした。
「姉妹がいるのね。羨ましいわ」
メルチェが気を遣って言った。
すると魔女はそれを聞き、ぴくりと肩を動かした。ダンスステップが一瞬狂う。真っ黒な顔をもっと真っ黒に染め上げて、握った手に強い力がかけられる。甲の骨が悲鳴を上げた。
「羨ましくなんてあるものか!」
そして突然、叫んだ。
「ふざけるな! ふざけるな! 腹立たしい! 腹立たしい!」
低いしわがれた声に合わせ、流れる音楽も不協和音になってしまう。メルチェの体が持ち上がった。そのまま降ろされることはなく、魔女の顔の近くまで持ってこられる。宙ぶらりんになった足がしきりに広間の空気を切り裂き、スカートが勢いよくひらめいて、窓から差し込む斜陽を浴びた。
「私にかかった呪いはずっと解けない! なぜだかわかるか!」
メルチェは恐ろしくなった。顔を背けたくなるが、目を離すことができない。見つめ返さなければ許されないような、禍々しいオーラに圧倒されていた。
「私を一番大切に思うやつなぞ、いないからだ!」
魔女はダンスのステップをいっそう激しくさせる。メルチェの足も腕もマリオネットのように操られ、しまいには体が壊れてしまいそうだった。
「こっちこそお前が羨ましいよ。呪いを解かれる自信があるから、私と踊ると言ったんだろう?」
魔女の皮肉に、メルチェはおさげを振り乱しながら訴えた。
「それは、違うわ!」
自信なんてない。だけど、ディアのもとへは絶対にハイリスが向かうべきだと思った。
そしてもう一つ、魔女の相手をすると言った理由がメルチェにはあった。大広間の床を蹴り、魔女の顔をじっと見つめる。
「自分のことは、自分で解決しなくちゃいけないって思ったから」
太陽は随分と傾いていた。
日光と砂漠を遮るものはなにもなく、大広間の温度もぐんぐん上がる。赤い靴がヒールの音を鳴らすたび、二人の体は曲に合わせて絶えず左右し、繋いだ両腕の輪っかも、荒波を泳ぐ船のように揺らされた。
レビウには特別な、大切な人がいた――
ハイリスの言葉についてずっと考えていた。
メルチェはレビウのことをなにも知らなかった。けれどさっき、彼には特別な人がいたということを知った。それも、彼の目指すブリランテに。
レビウの特別な人は、どんな人なのだろう。考えても意味のないことはわかっていたけれど、考えずにはいられなかった。考えると、胸がズキズキと痛む。自分ではない誰かを思うレビウ。自分の知らないレビウ。それを想像すると、ものすごく苦しい気持ちになった。
レビウは自分のことを話さない。レビウのことをなにも知らない。わかっていたはずのことなのに、ハイリスにその事実をはっきりと突きつけられて、こんなにも悲しくなってしまうなんて……
それもこれも、全部自分が弱いせいだと思った。
「ほう……解決、ねえ。はたしてお前さんにできるかな?」
魔女が煽るように言った。
二人は大広間を駆けめぐる。踊って踊って踊り狂い、望んでなくとも四肢が動いた。
「わからない。だけど私が弱いから。だから、レビウは私を放っておけないのかもしれない。私が……私が頼りないから、レビウはなにも相談できないのかもしれない」
守られなくても、助けてもらわなくても、自分で解決したかった。自分のことは、自分自身でなんとかしたかった。今のこの状況――魔女の呪いも、レビウへの……この気持ちも。
「自分でなんとかできるようになったら……レビウは安心して、大切な人のところへ行ってしまうのかしら」
胸が張り裂けそうに痛かった。
足よりも、腕よりも、心が一番痛かった。
「さっきからごちゃごちゃ、なにを言っているんだお前は!」
魔女が思いきり腕を振り上げる。メルチェの体も振り上げられた。
「だけど、それでもいい。私、レビウが幸せになれるのなら、それでいいわ」
そのときようやく気が付いた。
ああ、そうか。そうだったんだ。
レビウは私の特別になっていたんだ、と。
そうか、私は――――
「レビウのことが、好きなんだ」
窓の向こう、オレンジ色の砂漠に広い世界が広がっていた。
自分がレビウの特別でなくたっていい。そんなことは関係ない。私の一番大切な人がレビウだったんだ。だから、彼について知らないことがあるのがこんなにも苦しくて、情けない。だから彼の力になれないのが、こんなにももどかしい。
メルチェは心の中で思い浮かべた。屋敷のキッチンで一人泣く、幼い兎の少年を。緑いっぱいの温室で、嬉しそうにリボンを揺らす少年を。
そして、いつもそばにいてくれる、彼の優しい微笑みを。
「守られてばかりじゃ駄目。私だって、レビウのことを守りたい!」
そのとき、金色の瞳から一滴の涙がこぼれた。
小さな雫が床に落ちて弾けた刹那、そこから大量の水が噴き出してくる。
「……!?」
足元が水浸しになって驚いたのも束の間、真っ黒だった魔女の顔からも滝のように水があふれ出した。メルチェは水流に飲み込まれ、濡れた室内が砂となって崩れ始める。砂と水が勢いよく混ざり合い、凄まじいスピードで大広間を満たしていった。
そして、ついに天井が落ちる。
メルチェは濁流に巻き込まれた。激しく分厚い水の中、必死にもがくが意味はなかった。顔や体にたくさん砂の粒が当たる。まるで銃撃を受けているようだ。重たい土砂に押し潰されて、息ができない。
――身動きがとれず、意識が遠のいたときだった。
メルチェの髪についた、ビーズの髪飾りがほのかに光る。
これは、レビウに貰った髪飾り。
濁流に包まれた暗闇の中で、徐々に光は強くなっていく。すると、どこからかすごい速度で水を掻き分けるなにかがやってきた。兎だ。小さい体は土砂の塊を切り返し、まるで魚のようだった。メルチェの体をすぐさま抱えたかと思えば、瓦礫を避けてあっという間に浮上していく。
「おい、こっちだ!」
水面で待っていたのは狼。
水の中だけでなく、水上も嵐の海のように荒れていた。天井が崩れるのと同時に大広間へ落ちてきた二人はここで合流する。
「まずい、メルチェ息してないかも」
「上がるとこがねえ。とりあえず外に出るぞ」
狼の言葉に兎は了承した。
メルチェを抱えたレビウを抱え、アシッドは壁際を目指して泳いでいく。その間も天井からはバラバラと砂やその塊が崩れ落ち、頭の上に降り注いだ。ぐったりとして動かないメルチェ。その顔にできるだけ水がかからないよう、レビウは彼女をしっかりと抱きしめる。
「窓だ!」
大洪水となった広間の端に到達した二人は硝子の窓に目を付けた。こんな濁流でもびくともしないなんておかしいとは思ったが、藁にもすがる状況で、アシッドは太い窓枠を掴んで壁によじ登った。
「いくぞ!」
そして、硝子を思いきり蹴った。
すると駄目元のつもりが、なんと一回目の蹴りで硝子は割れて砂と化す。三人は水の勢いのままに外へと投げ出され、泥水と一緒に地面へと落下した。
「メルチェ、メルチェ……!」
ぬかるんだ地面の上、アシッドが「いってえ」と腰をさするが、レビウはすぐに飛び起きてメルチェの肩を何度も叩く。反応がない。次は頬も軽く叩いてみた。しかしメルチェは動かない。砂のついた檸檬色の髪が肌に張りつき、根を張っているようだった。
「病院へ……病院へ行こう」
レビウが俯きながら言った。アシッドは頷いた。
レビウはびしょびしょの腕でびしょびしょのメルチェを抱え、彼女の泥のついた首元を見た。ぎゅっと口を結び、しかしすぐに首を振った。長耳についた砂と水が飛び散る。アシッドとともに病院へと急いだ。
二人の足跡は焼けた砂の道を濡らす。色を変えて細く続き、灼熱の太陽がそれを見さげていた。




