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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第6章 四人の魔女と砂の迷宮
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誘惑と思惑


 さっきまで寝室の鉄格子の前にいたはずなのに――――


 気付けば知らない空間に一人きりだったレビウは、慎重に部屋を見渡していた。

 不可思議なことばかり起きるこの宮殿にさまざまな疑念を抱きつつ、更なる仕掛けを踏まないようゆっくりと歩みを進める。

 部屋は小さかった。寝室の半分以下の広さだろうか。ドレッサーやクローゼットなどが詰め詰めに並んでいる。そんな中、家具に埋もれそうになっている一枚の扉を発見する。

 レビウがステッキを構えながらドアノブに手をかけた。

 そのときだった。誰かが反対側から扉を開ける。


 「レビウ! やっぱりここにいたのね!」

 

 「――メルチェ!?」


 メルチェだった。驚いた顔をして、金色の瞳を輝かせている。

 「よかった……! 怪我はない?」

 レビウはステッキを下ろしてメルチェに駆け寄った。

 こくりと頷くメルチェの髪を優しく、だけどしっかり撫でながら、レビウは鉄格子を越さずに彼女に触れられたことをとても嬉しく感じた。

 「ハイリスは?」

 そういえば、とレビウが尋ねた。

 「途中ではぐれちゃったの」

 メルチェがレビウの腕をぎゅっと掴む。メルチェの方からこんなふうに近付いてくるのはめずらしかったので、レビウは少しドキッとしてしまった。よほど心細かったのかもしれない。

 「怖かったかい?」

 「うん、早く会いたかった」

 兎の問いかけに、メルチェは嬉しそうに笑って答える。

 「もう大丈夫だからね。一緒にここから出よう」

 そんな彼女につられ、レビウもにっこり微笑んだ。

 部屋に窓はなかった。隅に突っ立つ古時計が微かに音を立てながら秒針を刻み、それ以外の音は一切遮断されているようだった。静かで、閉鎖的な、居心地の悪い部屋。

 レビウは自分と腕を組んだままのメルチェに「この部屋はなにもないと思う」と言った。すると、メルチェはハッとした顔をする。

 「私ね、さっき出口を見つけたの!」

 そう言って扉の向こうを指さした。先ほどメルチェがやってきた部屋だ。「こっちよ」と組んでいたレビウの腕を引っ張って足早に歩き始める。

 次の部屋も、同じような狭くて家具の詰まった部屋だった。先ほどのような薄い扉が一枚あって、メルチェはまた扉を開けて、隣の部屋へと進んでいく。次の部屋も、その次の部屋も、狭くて静かで家具に押し潰されそうな、居心地の悪い部屋ばかりだった。

 数枚目の扉を開けたとき、レビウが「なんだか、歩き慣れてるね」と言った。メルチェは少し振り向いて、「結構歩きまわったもの。一人で心細かったな」と返した。


 「ここよ」


 誘導されて来たのは寝室だった。

 アシッドとはぐれた広い寝室とはまた別のようで、ランプやベッドは同じデザインに感じるが、部屋が狭いせいか四つあったものはすべて一つになっている。小さな部屋に、大きな天板付きのベッドが、なんだかアンバランスだと感じた。

 「早く来て」

 メルチェがベッドに座る。

 美しい絹のシーツに光沢が落ち、真っ赤なカーテンがひだを作って待っていた。異国のランプが相も変わらず妖しい光を映し出し、少女の肌を淡く照らす。薄桃色のスカートの裾が皴になってしまうことを気にしてか、メルチェは洋服の布を伸ばして整え、レビウが横に来れるようベッドの端に少し寄ってみせた。ぽんぽんと隣を叩き、こちらを笑って見つめている。

 レビウは微かに違和感を覚えていた。

 勘違いだろうか。さっきからずっとなにかがおかしい。この空間も、目の前のメルチェも、やたらと静かで落ち着いていて、どこか不自然だ。だけど、この感覚が正しいのかもわからない。この閉鎖された空間では、まるで地に足が着いていないような、自分の意識すらおかしい気がしてくる。

 「レビウ、どうしたの?」

 どの部屋にもある古時計の音を後ろに、レビウは小さく口を開けた。

 「……メルチェ。どうして、さっきの部屋に僕がいるってわかったんだい?」

 メルチェはそれを聞いてきょとんとする。

 「なーんだ。そんなの簡単よ」

 ゆっくりと口角を上げたかと思えば、ふふふ、と楽しそうに声を漏らす。ベッドからぴょんと降りれば兎の近くに寄っていき、上目遣いで頬を染めた。


 「だって私、レビウのことが――」


 「待って!」


 しかし、レビウは咄嗟に言葉を遮る。

 「ご、ごめん。違うんだ」

 焦った顔をする兎に、メルチェの口角はわかりやすく下がってしまった。

 「なんで? どうして? 私じゃ駄目なの?」

 レビウの腕をまた掴み、少女は泣きそうな表情で押し迫る。潤んだ金色の瞳が砕けた鏡のようになって部屋中の光を集めた。

 「レビウだって、同じ気持ちでしょう?」

 メルチェはじっと赤目を見つめる。夕日のように澄んだ瞳孔。少女が手を伸ばすことによって濃い影がくっきり落ちた。

 レビウは戸惑いながら「それは、そうだよ、そうだけど」と曖昧なセリフを口にする。メルチェは涙を浮かべることをやめ、今度はわずかに微笑みながら密着してきた。

 「この言葉の続きを、本当は聞きたいと思ってる。違う?」

 迫られて迫られて、ベッドに腰が落ちる。まるで、誘惑されているようだった。

 再びシーツに光沢が泳ぐ。レビウの目の前にいる少女は、瞳の色も、檸檬色の髪も、すべてがメルチェそのものだった。ピンクの唇、やわい肌。ブラウスもスカートもいつもレビウが目に焼きつけるほど見つめていた姿だったが、たった一つだけ、違うところがあった。赤いリボンのなくなった首元に、なにか巻かれている。包帯だった。見慣れないそれには「2」という赤い文字。

 高鳴る鼓動を確認するように、メルチェが白いカッターシャツの上からレビウの左胸に手を置いた。


 「小さい頃からずーっと欲しかったモノ。私があげるよ。ねえ、レビウ」


 自分の首に腕がまわされる。

 唇と唇が触れかけた、そのときだった。


 「違う」


 レビウがメルチェの口を押さえた。

 「メルチェじゃない」

 腕の中からすり抜ける。素早く立ち上がって間合いを取り、メルチェの姿をした誰かのことをじっと見つめる。

 「ひどい……私のこと嫌いになっちゃったの?」

 ぽろぽろと金色の瞳から涙が溢れる。その声は、弱ったメルチェの言い方にそっくりだった。痛む心に首を振り、レビウは黒のジャケットを着直す。

 「悪質だね。よりによってメルチェの姿に化けるだなんて……」

 はあ、と深いため息を吐いた。それは自分を落ち着かせているようにも見えた。

 「もしかして、これって呪い?」

 レビウはにこっと笑う。いまだベッドに座ったままの少女と目が合い、彼女も可愛くにこっと笑った。

 部屋は変わらず静かだった。古時計の音が響くだけで。狭くて、居心地の悪い、不自然な空間だった。

 レビウは停滞したこの場所から脱出する術を黙って考えている。柔和でも、張り詰めてもいないただの空気を吸いながら、今もどこかで不安になっているであろう本物のメルチェを強く思っていた。

 心細いだろうな。いつも一緒の仲間と別れて、自分を怒鳴ったような、慣れない男と二人きりだなんて。宮殿の噂も怖がってたし……

 レビウはメルチェに会いたくてたまらなかった。早く、会って抱きしめたい。できることならこれから先も、ずっと離れず、守っていたい。

 呪いの話をして、サンドイッチをぼろぼろにしていた彼女を思い出したときだった。

 レビウは一つ、頭に浮かんだことがあった。

 いつしか本で読んだような読んでいないような。御伽話みたいなもの。

 「…………」

 長い間ニコニコしてベッドに座っている少女を見たあと、レビウは壁に掛かったいくつもの剣に視線をあてる。剣も宮殿を拝観するにおいて砂漠の宝とされていたもので、白銀の眩しい色が鋭くなるまで研がれていた。

 レビウは自分の言った言葉を思い返した。

 砂の宮殿の呪術――――呪いを解くためには、“自分を一番大切に思ってくれる人の気持ちがなければ”ならない。


 “それか、呪術をかけた人が死ぬか”、だ。


 レビウは少女を見つめ、そのまま目を離さずにゆっくりと壁際の剣を取った。剣は予想以上に重くて硬く、剣先は少しでも指が触れれば肌の表面を容易に切り裂いてしまいそうだった。

 両手でそれを構えたレビウは、大きく深呼吸を重ねる。動悸が激しい。手先が震え、息がどんどんできなくなる。頼む、正解であってくれ。お願いだから。

 そんな兎の顔を見て、少女は今までで一番の笑顔を見せた。


 レビウは大きく振りかぶり、彼女の首を、斬った。


 「うわあああ!!」


 喉が潰れるほどに叫んだ刹那、意識が一気に晴れ渡る。

 「うおっ、レビウ!? お前大丈夫か!?」

 気付けば目の前にアシッドがいた。

 ここは、寝室? さっきの場所じゃない、初めにいた場所だ。ランプが四つ、ベッドが四つ、大きな掛け鏡に頑丈な鉄格子。なんだ、さっきのは、夢? 上手くいったのか?

 レビウの手が震えている。首を斬った感触が生々しく、包帯越しに、刃に肉の食い込む感覚がまだ残っている。


 もし本物のメルチェだったら……どうする?


 息を切らすレビウの脳内はその思いでいっぱいだった。

 メルチェが操られていたのだとしたら? 斬ったのがメルチェだったら? 仮に本物ではなかったとして、現実のメルチェに影響があったら? メルチェが今、もしかしたら僕の手で――――

 「おい、レビウ? 顔色悪いぞ」

 大量の汗をかくレビウの顔を、アシッドが覗き込んだ。

 「あ、ああ……大丈夫…………」

 なんだかアシッドを久しぶりに見た気がする。

 見慣れた藍色の目に見つめられ、レビウは少しずつ落ち着きを取り戻した。

 「お前急に倒れてさ。俺が担いでやってたんだぞ」

 「そ、そうだったんだ……魔法で眠らされていたみたいだ。世話をかけたね」

 レビウはふう、と息を吐く。

 「しかもお前そのあと……」

 「なに?」

 「……いや、なんでもねえけど。とりあえず一発殴らせろよ」

 「はあ?」

 アシッドはあれから鏡に吸い込まれ、強く床を転がって頭を打ったかと思えばこの部屋に戻ってきていた。すると眠ったままのレビウが倒れていて、声を掛けようとする間もなく大声を出して飛び起きて――――

 あの女が何者だったのか、あのランプの消えた部屋は、砕けたレビウはなんだったのか。アシッドは少し考えて、掛け鏡の中に閉じ込められていたのかもと一瞬思ったが、よくわからないので考えることをやめた。

 「てかよ。まだ開かねえんだわ、鉄格子」

 そして、アシッドは現在の問題について考えることにした。

 「どうするよ?」

 否、考えさせることにした。

 「厄介だね」

 レビウは伸びをしながら苦笑する。こんな思いをしてもなお、呪いは完全に解かれたわけではないということか。

 二人は改めて鉄格子の前に立つ。鈍色に図太く居座ったままのそれは、やっぱり何度叩いても頑丈で、上を見ても下を見ても格子を動かせる仕掛けも隙もありはしなかった。

 「もー、うぜえなマジで!」

 ひとまず寝室に戻り、アシッドが悪口を言ったときだった。


 鈍い、大きな音がした。


 何事かと思った瞬間、床が揺れ始める。

 宮殿が地盤ごと揺らされているようだった。テーブルの上のランプや背の高い家具がみんな一緒に揺れ始め、レビウとアシッドもまともに立っていられなくなる。

 揺れにたえていると、それまでびくともしなかった鉄格子が砂になって崩れ落ちるのが見えた。二人は顔を見合わせたが、刹那、他の家具も魔法が解けてしまったかのように砂となって崩れ始めた。

 ランプ、テーブル、タンスにベッド、さまざまなものが黄色い砂になっていく中、レビウとアシッドは自分たちの足が動かなくなっていることに気付く。床だ。足元も砂と化し、沈んでいるのだ。

 「やべえ、なんだよこれ!」

 アシッドが必死に体を動かす。しかしなんの意味もなく、みるみるうちに二人の体は砂に飲まれる。

 「息を! 息をとめるんだ!」

 レビウが叫んだのを最後に、二人の頭に着いた耳は砂の中へと消えていった。

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