赤い靴
メルチェとハイリスは宮殿を調べ直すために二階の部屋を探索していた。先ほどのこともあり、沈黙がたえがたいほど気まずかったメルチェは、懸命に会話を施そうとする。
「ディアも舞踏会へ出たりするの?」
「ああ」
「二人はこの宮殿よりも大きなお城に住んでいるんでしょう?」
「まあ……」
「そんなお城の執事だなんて、すごいわね!」
「……」
「……」
メルチェの努力もむなしく、すべての言葉は不発に終わった。「レビウとはいつからお友達なの?」という一番気になる会話を展開させようと意気込んだが、そのときハイリスが、はあとため息を吐いたので、メルチェは大人しく部屋の机やタンスの中を調べだした。
二階は宮殿で最も広いフロアだった。
長い廊下もさることながら、部屋数がやたらと多い。絵画の飾られたギャラリーを通り抜け、客間のような部屋や広い書斎に給湯室……二人は黙々と家具や壁などに仕掛けがないかチェックする。
メルチェにとっては、とても苦痛な時間だった。
レビウとアシッドが、普段どれだけ自分の心を支えてくれていたのか身に沁みてわかる。洞窟や砂漠を長時間歩いたことだってとてもつらかったが、三人で話したりふざけたりして過ごしていたから、今思えばどうってことのない道のりだった。
「ね、ねえハイリス」
メルチェが再び口を開く。
「レビウとは、いつからお友達だったの?」
結局沈黙にたえられなくなり、聞きたかったことを思いきって聞いてみた。
少し先で壁のチェックをしていたハイリスがちらりと一瞬こちらを見る。
「……わからない。気付いたときには一緒だった」
チェックを終えたハイリスは冷たい声でそう答えて次の部屋へと入っていった。
「そ、そうなのね! じゃあ、小さい頃のレビウってどんな感じだったの?」
まともな返事が返ってきたことを喜んだメルチェは、兎のあとを追いかけながら次の質問を飛ばす。
入った部屋は衣装部屋だった。大広間に隣接している場所なので、舞踏控室の代わりにもなっていたようだ。派手で煌びやかなドレスや帽子が、大きなクローゼットいっぱいぎゅうぎゅうに詰められている。
「レビウは、昔から弱いやつだった」
ここでもまた壁の点検を始めたハイリスは、今まで聞いた中でも特に冷たい声で言い放った。メルチェはきょとんとして、「弱い?」と聞き返す。
「弱いだろ。剣技と魔導の心得はあるが、それだけだ。心が弱くてなっていない」
いつも以上にツンとした様子に、メルチェは少しムッとする。その態度にはもはや慣れつつあったが、レビウのことを悪く言うような、そんな物言いが気に食わなかった。
「優しいのよ。私はレビウを弱いだなんて思わないわ。それに、たとえ弱かったとしてもいいじゃない」
たくさんの衣装の山を掻き分けながらメルチェが言い返す。衣装はどれも古くて埃っぽく、否、砂っぽく、めくるたびに空気が汚れてむせ返ってしまうほどだった。
そんな中、ハイリスはメルチェの言葉を聞くなり「笑えるな」と小さくつぶやき嘲笑した。
「お前はレビウのなにを知っている」
「え?」
「なぜブリランテへ行こうとしているのか、なぜ魔法が使えなくなったのか、あいつがお前に話したことはあるか」
メルチェはハイリスの言葉を聞いて固まった。それは、自分が一番気にしていたことだった。
実際、メルチェはレビウの素性をなにも知らない。レビウは会ったときからメルチェのことを知っていたようだが、メルチェはそうではなかった。自分が困っているときに彼は決まって助けてくれるが、彼がなにかを考えているとき、メルチェを頼ってくれることはない。
「そ、そんなこと……」
「知らないだろう。当然だ」
ハイリスはいつにもなく冷淡だった。メルチェは言い返せない。
ある程度壁のチェックが終わったのか、ハイリスは手をとめてこちらを見た。眉間に皴を寄せるメルチェの横顔に、「それから」と会話の続きを投げつける。
「お前、自惚れていないか?」
「自惚れ……?」
「レビウのことをなにも知らないくせに、自分がレビウの特別だと自惚れていないかと聞いている」
色褪せた大量のドレスを見つめ、メルチェは動けなくなった。
「レビウには特別な……大切な人がいた。ブリランテに」
メルチェはその言葉に目の前がぐるぐるしてくる。メルチェの様子を見て、ハイリスはまたため息を吐いた。
そんなこと、考えたこともなかった。
レビウは出会ったときから私のことを大切にしてくれるから。受け入れてくれるから。たしかに旅には無理に着いてきたし、甘えていたかもしれない。自分がレビウにとって特別な存在だと、思っていたかもしれない。レビウのことをなにも知らない。ブリランテに大切な人がいたなんて、初めて聞いた。その人に会うために旅をしているの? その人に会いたいの?
そう考えると、なせだか胸の奥がぎゅっとして、痛くてたまらなかった。
「……ふん」
硬直したままのメルチェを見て、ハイリスが鼻を鳴らした。
そのときだった。
「……?」
どこかから、小さくクラシック音楽が流れ始める。ハイリスは顔をしかめ、メルチェもゆっくりと顔を上げる。
「聴こえるか?」
「ええ……大広間かしら」
スローペースで優雅な曲調のそれは、耳を澄まさなければわからないほどの音量である。
メルチェとハイリスは恐る恐る衣装部屋の扉から大広間へと抜けた。広間は先ほど来たときとなんら変わらない風貌だった。強いて言えば、少し日が傾いたくらいだろうか。
二人はクラシックが微かに響く広間を見てまわり、また壁や床などの仕掛けを調べ尽くした。
「なにもないわね」
メルチェが汗をぬぐいながら言った。
日差しが入っているからか広間はじんわりと暑く、ここが砂漠の真ん中であることを思い出させる。窓の外には蜃気楼が見えており、ゆらゆらと空を震えさせていた。
ふう、と息を吐いたハイリスが「戻るぞ」と偉そうに言った。メルチェは何も言わずあとに続く。
「それにしても、どこから音楽が……」
そうつぶやいたときだった。
大広間から出ようとした二人の目の前で、大きな両開きの扉がバタンと閉まる。
その瞬間、小さく聞こえ続けていたクラシックもぴたりと止まった。
「……!?」
驚いたハイリスが急いで扉を開けようとするが、開かない。
「ハ、ハイリス…………」
すると、後ろからメルチェがか細い声を出した。
「なんだ」
ハイリスが苛立って振り向くと、肩を強張らせるメルチェの向こう、大広間の真ん中に、見知らぬ女が立っている。
「あ、あの人……」
「あんなやつ……さっきまで……」
「……いなかったわ」
女は細身で背が高く、真っ黒なドレスに赤い靴を履いていた。その暗い佇まいは、日の差す美しい舞踏場に不似合いだ。
二人は顔を見合わせる。怪訝な表情をしたハイリスが、もっとひどいしかめっ面になる。
女を含め、三人はしばらくの間黙って突っ立っていたが、少しして、メルチェが小さな声で「この宮殿、出るらしいの」と言った。下手したらまた怒鳴られるかもしれないと身構えていたが、ハイリスはなにも言わなかった。
「……いで」
すると、女がなにかをつぶやいた。メルチェとハイリスはドキッとする。
――動けない。
「おいで。一緒に踊ろう」
しわがれた声がそう言った。
途端、鼓膜が破けてしまいそうな爆音でクラシックが鳴り響く。
バイオリンなどの弦楽器を中心に、たくさんの音がサラダボウルのように混ざり合う。美しい旋律なのだろうが、音が大きすぎてメルチェとハイリスはそれを楽しむことができない。思わず耳を塞ぐ。
「あたしと踊ろうじゃないか! 足がちぎれてなくなるまでねえ!」
音楽よりも大きい声で女が叫んだ。
するとメルチェとハイリスの体は引っ張られるようにして中央の女のもとへと吸い寄せられていく。
「嫌! やめて!」
二人が必死に抵抗するも力及ばず、ついに女の前へと連れてこられた。女は後ろを向いていて、顔が見えない。
クラシックがまたぴたりととまる。
「……ディア様を攫ったのはお前か」
息を切らしながらも、しっかりとした口調でハイリスが言った。
「あのお姫様かい? さあね。私は知らないよ。姉さんか妹の仕業じゃないかい?」
「誰も姫だと言っていないのになぜわかる。本当は知っているんじゃないのか」
女と話している隙に、ハイリスは体勢を持ち直して腰のサーブルに手をかけた。
「くくく……鋭いね。でも私は場所を知っているだけだよ」
「教えろ、今すぐに」
そして剣を抜く。音を立てずにサーブルを構えたハイリスに倣って、メルチェもいつでも立ち上がれる姿勢を作った。
「別に構わないよ。その代わり……」
女がゆっくりと振り向く。
その顔は、真っ黒だった。
「兎さんとお嬢さん、どちらかダンスの相手になっておくれ」
大広間は相も変わらず暑かった。明るくて、黄色の太陽が床を執拗に照らしている。ただ、女のそばだけが異様に寒い。
ダンスの相手――――
ここに残ればもう出られはしないだろうと、ハイリスは勘付いていた。それはメルチェも同じことだ。この女は魔女で、噂は本当だったのだ。
ハイリスはちらりと背後の扉を見る。おそらく自分たちは強い魔法でこの空間に閉じ込められているのだろう。力づくでは開けることができない。逃げても無駄だ。かといって、この魔女に剣技で打ち勝つことも不可能だろう。レビウも初め言っていたが、こんな宮殿を作り上げられるのは強力な魔力の持ち主だけだ。そんな魔女に物理で攻撃を仕掛けても、魔法で防御を張られるのみ。こちらは近接攻撃しかできないが、魔法だったらどこへでも届く。圧倒的に不利になる。……となれば。
ここから出る方法はただ一つ。このおさげをおいていくこと。
ハイリスは次にまたちらりとメルチェの方を見た。メルチェはぎゅっとスカートの裾を掴み、深刻な顔で黙っている。
レビウには悪いが、自分にも守るものがある。知ったことはない。だってこいつを守る筋合いなんてないのだから。むしろこちらからすれば好都合――――
「……私がお相手するわ」
メルチェが言った。
「え……?」
脳内でたくさんの思考を巡らせていたハイリスは、それを遮った予想外の言葉に困惑する。
「ちょっと待て。お前、それがどういう意味かわかってるのか?」
ハイリスはメルチェに向かって強く言った。
「わかってるわ。だけどどちらかが残るしかないじゃない」
「それはそうだが……もっと慎重に考えたらどうだ」
メルチェをおいていこうと考えていたくせに、口から出てきたのはメルチェをとめるような言葉だった。ハイリスはメルチェがあっさりと残る選択をしたように感じ、その浅はかさに呆れてしまったのだ。
「そうね。だけど、守られてばかりじゃいけないって思うから」
「はあ……?」
二人のやり取りを、魔女は静かに見守っているようだった。顔がないのに、ニコニコしているのがなぜだかわかった。
ハイリスはメルチェの言葉に悩んでしまっていた。
おいていってやろうとは思っていたが、まさか自分から言い出すなんて。ひょっとして、策があるのか? いや、そんなようには見えない。事の重大さを理解していないのだろうか。それとも、レビウに大切な人がいる話を聞いて自分自身がどうでもよくなってしまったか。
ハイリスがまた思考をめぐらせていると、メルチェが「それに、私じゃ駄目だから」と言った。その言葉の意味がわからず、ハイリスは顔をしかめる。そのあとにまた「ディアの呪いを解くのはハイリスじゃなきゃ」と付け加えられたが、それでも意味がわからない。
「どういう意味だ」
「噂よ。宮殿の呪いを解くには、呪われた人を一番に思う気持ちが必要らしいの」
メルチェは呪いの噂話をしていたときに、レビウの言っていたことを覚えていた。呪いを解くためには、自分を一番に大切に思ってくれる人の気持ちがなければならない。
「ハイリスは、ディアを一番大切に思っているでしょう?」
メルチェの問いかけに、ハイリスは胸を張って「当然だ」と答えた。
「だから、ディアの呪いはあなたが解いてあげて。その代わり……」
「その代わり?」
「レビウに呪いがかかったら、私が解くわ」
ハイリスはメルチェの瞳が輝くのを見た。金色に乱反射したそれは、彼女の強い決意を感じさせた。
しかし、また彼は人の言葉を鼻で笑う。
「お前の呪いは解かれないのに?」
何度話しても意地の悪い兎だった。レビウの一番はお前じゃない、という意味だろう。けれど、メルチェはもう固まらなかった。にこりと笑ったまま、なにも言わずにハイリスをじっと見ている。
「ほう、肝の据わったお嬢さんだ」
魔女がしわがれた声で割り込んだ。その瞬間、バタンとまた大きな音が聞こえた。
振り向くと、広間の扉が開いている。
「ハイリス、ディアをよろしくね」
メルチェが言うと、ハイリスの体はすごい力で後ろから引っ張られた。
魔女の前へ連れてこられたときのように、今度は出口へ向かって力が働いているようだ。ハイリスはあっという間に大広間の外へと放り出され、その姿が見えなくなった頃、扉は再びバタンと閉まる。
メルチェは魔女に向かってスカートを広げてお辞儀した。魔女が笑っているのが、またもやなぜかわかった。
「ダンスの学はあるのかい?」
魔女の言葉に、メルチェは「少しだけ」と見栄を張った。ダンスなんて、イロクの夜にレビウと踊ったあの拙いステップしか知らない。メルチェは駄目元でそれを踊ってみた。魔女は可笑しそうに笑う。
「なってない……なってないぞ!」
魔女の嘲混じりの言葉に合わせ、クラシックが再び音を上げた。それは再生ボタンを急に押された蓄音機のようにめちゃくちゃなタイミングだった。当然音も大きく、けれど、さっきほどではない。メルチェはそのワルツを聴いて素晴らしい曲だと惚れ惚れした。魔女はそんなメルチェの手を乱暴に取る。狂ったように踊り出し、まるで壊れたおもちゃのようだ。
「どうした。威勢がいいのは最初だけか」
唐突に始まった激しい舞踏にメルチェは戸惑う。
「そんなことないわ!」
が、すぐにそう返事をした。
掴まれた手が潰されそうに痛かった。背の高い魔女に持ち上げられ、足がもつれて宙ぶらりんになる。怖かった。けれど、メルチェの心は強くあった。甘えてばかりじゃいけない。守られてばかりじゃ頼ってもらえないのかもしれないと、そう思ったから。




