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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第6章 四人の魔女と砂の迷宮
24/65

寝室

 メルチェたちは最上階に辿り着いたところだった。

 このフロアに部屋は一つだけ。四人の姫君の寝室だった部屋だ。

 天板付きの大きなベッドが四つ、部屋の四隅に置かれている。それらすべてに緋色のカーテンがかけられ、カーテンには金色のリボンがぶら下がっていた。枕元には変わったデザインのナイトテーブルや古びたランプが添えてある。壁には鳥の羽に近い、見たことのない柄が青い線で描かれていた。

 「なんか、気味わりいな」

 なんとなく感じていたメルチェの気持ちをアシッドが代弁する。

 メルチェの頭の中には今更呪いの噂が浮かんできて、脳内すべてを占領していた。気味が悪いとはっきり言われてしまうと、どんどんそんな気が増してきて、体の芯がゾクゾクしてきてしまう。

 「窓がなくて閉鎖的だからかな。あの鏡もなんだかめずらしいし」

 レビウが前を見つめて言った。

 メルチェたちが入ってきた扉のすぐ正面、つまり対面する壁には大きな掛け鏡が飾ってあった。鏡は恐ろしいほど美しく、曇り一つない。まるで壁の向こうにも部屋があるようだ。

 「すげえ幻術が使えるってことは、すげえ呪術が使えてもおかしくないよなあ?」

 メルチェを肘で小突きながらアシッドがレビウに聞く。

 「まあ、そういう場合もあるけど……」

 レビウがちらりとメルチェを見ると、アシッドにつつかれていることなんて気付かないほどに固まってしまっていた。青ざめた顔は全然笑っておらず、どこか一点を見つめて動かない。

 メルチェは今振り向いたらいけないような気がした。誰かにどこかから見られているような気もした。さっきまであんなに暑くて楽しかったのに、今やもう悪寒しか感じない。

 レビウとアシッドは目を見合わせて肩をすくめた。「そろそろ出ようか」レビウがそう言おうとしたとき。


 背後の扉が、思いきり音を立てて開け放たれた。


 「きゃああ!」

 びっくりしたメルチェが叫び声を上げると、その声にびっくりしたアシッドも「うわっ!」と声を上げる。メルチェに腕を掴まれたレビウが恐る恐る振り向くと――――


 そこにはメルチェよりも青い顔をした、白兎が立っていた。


 「ああ……なんだ、ハイリスじゃないか。どうしたんだい?」

 レビウが安心して胸を撫で下ろすと、ハイリスは顔を蒼白させたまま、「ディア様が、ディア様が……」と言葉を詰まらせた。相当動揺しているらしく、いつもは前髪の分け目までピシッと整えられた一つ結びの黒髪が、滝のような汗で激しく乱れている。

 「ほ、本当にどうしたの。落ち着いて」

 なにやらただ事じゃない雰囲気を感じ取ったレビウがハイリスをなだめた。しかし、その体の震えも険しい表情も穏やかにはならない。メルチェとアシッドはさっきとは別の意味で驚いていたが、彼の様子に心配な気持ちが強くなっていく。


 「ディア様がいなくなった!」


 ハイリスが大きな声で言った。

 「ずっとそばにいたのに、俺は、俺は……!」

 その言葉に三人は顔を見合わせる。

 「入れ違いになってんじゃねえの?」

 アシッドが言った。

 「あいつも赤ちゃんじゃねえんだから、一人で馬車に戻れるだろ」

 「馬車も、市場も、宮殿の出入口も、全フロアすべて確認した。今も数人の従者が待機したり巡回したりしている。でもいない……いないんだよ!」

 ハイリスがあまりに取り乱しているので、アシッドは言葉を掛けることが面倒になって途中で返事をしなくなった。レビウは事情を聞きながらあれやこれやと様々な可能性や策を出していく。

 しかしハイリスは気が動転していることもあってか考え方が否定的だ。もっとも、国の姫がいなくなったという非常事態にすべての従者が全力を尽くしているとなると、第三者が考え付くことは試行済みなのかもしれないが。

 そんな中、メルチェはずっと考えていた。いまだに頭から離れてくれない、不可思議な可能性。非科学的で、論理的ではない、ただの噂だけど、もしも本当だったら。幻術だけでなく、この宮殿の歴史ある王女たちが、呪術の使い手でもあったならば――――


 「……呪い?」


 小さな声でメルチェがつぶやいた。

 兎と狼がきょとんとする。メルチェは言うつもりのなかったことがポロリと口から出てしまったらしく、自分の声に気付いてハッとした。

 「なんだと……?」

 すると、ハイリスが低い声を出してメルチェの方を見た。目が合うと、その白い長耳は微かに毛羽だっている。

 「ディア様が呪われるわけないだろうが……」

 そう言った瞬間、あんなにも青かった顔が一気に赤くなり、鋭い切れ目でハイリスはメルチェを睨みつけた。


 「ディア様はお前のような考えなしの能天気とは違うんだよ!」


 突然の怒号に一同は驚く。

 思いもよらない怒鳴り声を浴びたメルチェは、そこまで怒らせてしまったのかと声を震わせながら「ごめんなさい」と小さく謝った。その縮んだ肩を、レビウが素早く抱きしめる。

 「ディア様がいなくなって動揺するのはわかるけど、人に当たるのは間違いだ」

 めずらしく強い言い方だった。

 「レビウ、私が変なこと言ったからよ。ハイリスは……」

 ディアを大切に思っているだけ。

 メルチェはそう言おうとしたが、燃えるような赤目をしているレビウを見ると何も言えなくなった。

 ハイリスは両手をぐっと握って目を伏せて、しばらく口をつぐんでいた。そんなハイリスを、レビウは瞬きもせずにじっと見つめている。

 アシッドはレビウがとても怒っていることに気が付いていた。あーあと言ってハイリスの背中をトンと押す。

 「お前、執事が姫を一人にするはずないとかデカい口叩いてたじゃねえか。しっかりしろよ」

 いつもは兎よりも乱暴な狼の物言いが、今だけはとてもやわらかく聞こえた。

 ハイリスはメルチェをちらりと見たあと、またすぐに顔を伏せ、床を見たまま「悪かった」と言った。

 その態度にレビウはまだ納得いっていないようだったが、メルチェがにこっと笑ってみせたので、もうなにも言わないことにした。

 「……探しましょう。ディアのこと!」

 メルチェが言った。

 ハイリスは思わず顔を上げる。目が合ったメルチェは「私も心配だし」と微笑んだ。 

 「うん、そうだね。ディア様が心配だ」

 レビウも控えめに笑い、アシッドはやれやれと仕方なさそうに耳をかいた。

 「……恩に着る」

 ハイリスは泣きそうな顔をして頭を下げた。


 .


 宮殿の拝観時間の終わりが近付いているのか、あたりは誰もいなかった。

 さっきまであんなに人がいたのに……とメルチェはキョロキョロしながら考えた。こんなにも貸し切り状態ならば、人がいればすぐに見つけられそうだ。お手洗いかどこかに行っているのではないかと化粧室を捜索するも、そういうわけではなかったようだ。

 「こっちにはいないわ」

 「となると、下の階か外かだね」

 この最上階はメルチェたちのいる豪華な寝室だけで、他の部屋はない。化粧室にいないとなると、レビウの言うように下の階か宮殿の外ということになる。

 「下の階は捜索済みだ。一旦宮殿から出る」

 ハイリスが目を合わせずに言った。一同は頷きながら出入り口の扉を開ける。

 寝室から出るとき、メルチェはなんとなく部屋の奥の鏡を横目で見た。やはり鏡は美しく、それでいて恐ろしかった。絵画の額縁のような、くすんだ金の太枠が、向こう側の自分たちを閉じ込めている。部屋に灯った妖しいランプが点滅する。

 メルチェがまた少し怖くなって目を逸らした、その瞬間。


 ――鏡の奥が、キラリと光った気がした。


 「危ない!」


 突然、レビウがメルチェの肩を強く押す。

 それと同時に、ガラガラという大きな音を立てて何かが頭上から滑り落ちてきた。

 「うわっ! なんだよこれ!」

 「鉄格子……!?」

 扉の上から落ちてきたのは、大きくて頑丈な鉄格子だった。

 メルチェはレビウのおかげで階段の踊り場側に避けることができたが、鉄格子は寝室と階段を二つの空間に分け、寝室側にいたレビウとアシッドは格子の向こう側にいってしまった。

 「メルチェ!」

 レビウが慌てて格子に駆け寄る。

 「レビウ、レビウ……!」

 突然の出来事に、メルチェが泣きそうになりながら兎の名前を呼んだ。格子の隙間からお互いの手を伸ばし、強く握る。しかし鉄の檻は異常なまでに硬く、冷たく、鈍色の黒光りを見せながら二人の間を隔てていた。

 「おいおさげ、そこをどけ」

 すると、メルチェの後ろから声がした。

 振り向くと、ハイリスが腰にかけていた、サーブルのような細く鋭い剣を突き出していた。彼はメルチェと同じく、こちらの階段側にいた。

 メルチェが急いで鉄格子の前から退くと、ハイリスはサーブルの切っ先を振りかざし、鉄格子を攻撃してみせた。しかし格子には傷一つつかず、その剣の先が少し欠けただけだった。レビウのステッキでもそれは同じことで、とびきり力の強いアシッドが体当たりしても、鉄格子は壊れるどころか揺れ動くこともなかった。

 「なんだこの柵、びくともしねえぜ」

 「……仕方ない、二手に分かれよう。ディア様を探しながら、この宮殿から脱出する方法を見つけるんだ」

 そのとき、レビウが言った。

 メルチェが不安そうな顔をするので、彼の心は苦しくなる。

 「宮殿内にこんなからくりじみた罠があるということは、もしかしたらディア様もどこかに捕まっているのかもしれない。何かきっと手掛かりがあるはずだ。だけど、もし何もわからなくて、自分の身も危なくなったときは……二人だけでもここから出てくれ」

 真剣なレビウの言葉とまなざしに、メルチェの不安はいっそう加速される。同じく鉄格子の向こうに立つアシッドの顔を、メルチェはパッと見上げた。

 「なんつー顔してんだよ」

 自分がどんな顔をしていたのかはわからないが、頬の筋肉が硬直して強張っていることはわかる。薄暗い寝室の不気味な空気が、この現状をより不穏なものに感じさせていた。

 そんなメルチェの手を、レビウはまたそっと格子越しに取る。

 「メルチェ、僕たちもきっとあとから行くから」

 「レビウ、私……」

 「大丈夫だよ。僕もアシッドもそんなにやわじゃない。それに、メルチェだって」

 その言葉と手のあたたかさに、メルチェは少しだけ不安が和らいだ。レビウの優しい微笑みがそばにある。彼のことを、誰よりも信じている。それだけが今の唯一の支えだった。

 メルチェがこくんと頷いたとき、どちらともなく二人の手がゆっくり離れた。

 「ハイリス、メルチェを頼んだよ。傷付けたら許さないから」

 サーブルの先を気にしているハイリスにレビウが言った。

 ハイリスは「わかってる」と雪のような冷たい声で返事をする。

 「じゃあ、気を付けてね」

 不安そうな表情が抜けないメルチェはそう言って、足早に階段を降りるハイリスを追いかけていった。檸檬色の頭はすぐに見えなくなったが、レビウはしばらく格子の向こうの景色を眺めていた。

 「あの白兎とメルチェ、大丈夫なのか?」

 レビウのなんともいえない面持ちを見て、アシッドが言った。

 「……ハイリスは剣技も強いし、仮にもアイツの仕事は執事だ。信じるしかないよ」

 にこっと余裕そうに笑ったレビウは、いまだに格子の向こうを見つめている。

 「とか言いつつ?」

 「心配でたまらない」

 レビウの笑顔が苦笑になった瞬間、アシッドはやってやったと言わんばかりにニヤついた。

 「同郷らしいな。仲良いのか?」

 アシッドが次にそう問いかけたとき、レビウの表情が一瞬曇った。しかしすぐに「幼馴染だよ、一応。別にハイリス自体は悪いやつじゃないけど」といつものしっかりとした表情に戻った。アシッドは「けど、ねえ」と続きの言葉を催促する。

 「メルチェを守ってくれるかはわからない。だから早く合流しなくちゃ」

 レビウの瞳は相変わらず炎のように赤かった。それは薄暗闇を照らす灯火のようだ。階段を下りた先の部屋で、本当ならば自分がメルチェを守っていたかった。何歩か譲ってアシッドだったとしても構わない。なぜハイリスなのか。あいつは……

 レビウは横に頭を振った。今更そんなことを考えても仕方がない。今は一刻もこのフロアから脱出して、メルチェと合流しなければ。

 レビウは手のひらで両頬を勢いよく叩き、寝室にいるアシッドの方へと振り向いた。


 「――――え?」


 すると、どうだろう。

 さっきまで寝室だったはずの空間が、見たことのない狭い一室に変わっている。同じなのは壁紙や床の模様だけで、部屋の広さも家具の種類もその配置も、まったくの別物だった。ここは一体どこなのだろう。

 そして、アシッドもいなくなっている。

 「アシッド! どこだ、アシッド!」

 呼んでも返事が返ってくることはなかった。レビウはステッキを構えながらゆっくりと部屋を見渡し、一歩、その空間へと踏み出した。

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