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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第6章 四人の魔女と砂の迷宮
22/65

砂漠


 思ったよりも崩れやすく、焼けるように熱い。


 砂漠の渇きは言い難いほど体を蝕んでいた。

 メルチェたちはもうずっと砂の世界を彷徨っていた。こんなことなら暗くて冷たい洞窟の方がいくらかましだと、三人は何度も思った。雲一つない空、なに一つない砂丘。太陽は我が物顔でこの世を照らし続けている。

 漆黒のジャケットを脱いだレビウが、たまらなくなってカッターシャツの袖をまくる。靴下も革靴も脱ぎ捨ててしまいたかったが、裸足になるとそれはそれで足の裏がどうにかなってしまいそうだ。

 ブーツを履いたメルチェも同じ気持ちでいて、リボンのなくなったブラウスのボタンを二つほど開け、必死に手で仰いでいる。ほとんど意味はないが。

 「水……飲みてえ……」

 アシッドが低い声でつぶやいた。

 「だからさっき、一気に飲まない方がいいって言っただろう」

 途切れ途切れの息をする合間、レビウが呆れながら返す。

 「メルチェ、お前の水、結構残ってたよな」

 「本当に怒るわよ……」

 「一口だけだって、な。俺が頭下げてんだぞ」

 「下がってないじゃない」

 天を仰ぎながら水を乞うアシッドを横目に、メルチェは自分の水筒を抱きしめた。アシッドの一口がメルチェの何倍でもあることは、言わずもがな誰だってわかることだ。

 三人はいくつもの砂の山を登っては下りるを繰り返していた。時々とても遠くの方にラクダの列が見えることはあっても、それ以外の生き物は見当たらなかった。

 肌に汗が滲み、それを洋服が吸収するのを感じる。自分たちだけがこの砂の大海に飲み込まれているようで、もう一生ここで泳ぎ続けるのではないかとメルチェは心配になった。泣きそうなくらい不安だったが、乾いた体にとっては涙を流すのも勿体ないくらいだった。

 「足跡だ」

 レビウが言った。

 「足跡?」

 メルチェが覗き込む。

 「休憩地……オアシスが近いんだと思う!」

 どこからか長く伸びてきていた足跡が、三人の足跡と繋がった。

 足跡は丸いものがたくさん重なっていた。人間のものと、おそらくラクダのものだろう。ラクダ乗り場のあるオアシスの存在を知っていたレビウは、メルチェの汗ばんだ手を取り、「あっちに続いてる!」と歩くスピードをあげる。

 文句や弱音を吐かずに先頭を歩き続けていた兎だが、嬉しそうに足跡を追う様子を見て、メルチェはなんだか可笑しくなってしまった。

 「やっと水にありつけるぜ!」

 その二人の横をアシッドがもっと足早に抜かしていく。さっきまでヘトヘトに重い足取りだったのが嘘のようだ。坂になった砂道を大股で登り、「早くしろよ!」と急かす。残りの水で少しだけ喉を潤し、アシッドを追いかけた。

 砂丘の頂上に着いたとき、三人は太陽の下で手を取り合って喜んだ。


 この丘を下ったところに、オアシスはあった。


 四角い建物やナツメヤシ、サボテンなどが大きな湖を囲んでいる。湖のほとりにはカラフルなボートが並び、その脇の小道には人の歩く姿もしばしば見られた。

 そんな小さな村の隣には、豪華な宮殿。

 砂と同じ色をした、丸くて大きい屋根が印象的だった。先が尖っていて、ホイップクリームのようだ。壁に施された装飾はレースの模様。それは屋根の下や窓際などに刻まれていて、遠くからでもその優美さが伺えた。

 メルチェは水にも宮殿にも目を輝かせる。レビウとアシッドも、オアシスの景色を見て心なしかさっきよりも暑さが和らいだような気がした。

 三人は急いで砂丘を下り、村まで走った。

 「よっしゃあ!」

 アシッドは走りながらマントを脱ぎ捨て、ナツメヤシの林を抜けていく。砂埃と一緒に舞ってきたマントを、後ろにいたレビウがキャッチした。空っぽの水筒の蓋を開け、思いきり湖に飛び込む。その水飛沫を彼のマントで防御した。

 「冷てえー!」

 水面に顔を出した狼は重い前髪を掻き上げる。伸びっぱなした焦げ茶の髪が、水に濡れてボリュームを失っていた。頭についた三角の耳だけがその形を保っている。

 「あの狼の兄ちゃん、よっぽど砂漠がキツかったみてえだな」

 近くにいたボート乗り場の老人が笑う。

 メルチェとレビウも笑いながら湖のそばに寄った。二人は水筒の中身を飲み干し新しい水を入れた。水筒を沈めるときに触れた水が、皮膚の繊維から浸み込んでくるようだった。一気に喉を流れた水は、今まで飲んだ水の中で一番おいしかった。さっきまで渇きを凌いでいたぬるい水とは違い、指や爪先、体の内臓のすべてを冷やしてくれている感覚がする。

 「ぷはあ~! 生き返るってこういうことね!」

 「うん、本当に!」

 メルチェの心からの言葉に、レビウは汗で額に貼りついた赤茶の髪をぬぐって言った。

 オアシスは遠くで見るよりも思いのほか賑わっていて、観光地になっているようだった。ボート乗り場の老人が、宮殿の中を拝観できるようになったからだと教えてくれた。

 湖のまわりにはボート乗り場以外にも、いくつかの屋台やラクダ乗り場、汗を流せる簡易的なシャワーブースなどがみられた。アシッドのように湖で泳ぐ人々や、宮殿のパンフレットを手にしている人もいる。

 メルチェとレビウは、狼が気持ちよさそうに泳いでいる間にシャワーブースを借りた。二人が服を着直した頃にアシッドが戻ってくる。彼の服やそれぞれの髪は、相変わらずの灼熱さによってすぐに乾いてしまった。


 .


 「宮殿、見に行かない?」

 大きなサボテンの日陰で遅めの昼食を食べているとき、メルチェが言った。

 「そうだね。せっかくだし」

 レビウはメルチェに同意したあと、アシッドにもにっこり笑いかける。アシッドは「はいはい」と面倒臭そうに返事をした。しかしすぐにハッとなにかを思い出した顔をする。

 「……でもあの宮殿、出るらしいぞ」

 「えっ!?」

 アシッドの怪しい物言いにメルチェは思わず反応する。さっき屋台で買ったサボテンフライのサンドイッチが、その手の中で形を崩した。

 「ボート乗り場の爺さんに聞いたんだよ。昔、宮殿には四人姉妹の姫君がいたらしい……そいつらが宮殿に来るヤツらを軒並み呪ってるって噂だ……」

 「や、やめてよ! ねえレビウ、平気よね」

 怖くなったメルチェがレビウに助けを求める。レビウは優しく微笑んでいたが、ふと何かを考える素振りをして、食べていたホットスナックの手を止める。

 「……いや、僕も聞いたことがある。砂の都は呪術が盛んだったって」

 からかわれていると思ったメルチェは「レビウまで!」と大きな声で反応したが、もしかしたら本当なのかも、と少しずつ不安になってきた。

 「なんでも、自分を一番大切に思ってくれる人の気持ちがなければ、呪いを解くことができないらしい」

 「友達いなかったら終わりだな」

 「それか、呪術をかけた人が死ぬかだね」

 いつしか本で読んだような読んでいないような。まあ、御伽話みたいなものだよ、とレビウがメルチェの方を見ると、メルチェは口角を下げて青くなっていた。

 サボテンサンドはもうパンが潰れ、中身がかなりはみ出してしまっている。

 「……ごめんねメルチェ。行くのやめる?」

 反省するレビウの問いかけに、メルチェは少しだけ考えたあと、首を横に振ってみせた。そして隣にそびえる宮殿を見上げる。

 「ううん、行くわ! 砂の宮殿なんて滅多に見れないもの」

 メルチェがふふっと笑う。アシッドは「おもしろくねえな」と怯えなくなったメルチェのおさげを弾いた。そして、「食い物見てくる」と屋台の通りへ歩き出す。

 「今食べたばかりじゃないか」

 「足りねえよ」

 レビウの言葉にそう返し、オレンジや赤のテントが並ぶ方へと消えていった。

 メルチェは食べづらくなったサンドイッチに苦戦していた。


 .


 アシッドは屋台を吟味する。

 明るい色のテント屋根とカウンターの間から、もくもくと湯気を上げて焼かれているチキン。ビビッドカラーの変わった果物を炒め、麺と混ぜたもの。メルチェが先ほど食べていたサボテンフライの店もある。サンドイッチだけでなく、串揚げなどもあるようだ。

 旨そうだな、とよだれをすすりながら、なんなのかわからない小動物の丸焼きを買った。

 尻尾を振って大口を空けた瞬間、後ろから「あの、そこの狼さん」と聞き覚えのある声がした。アシッドが自分のことかわからないままとりあえず振り向くと、目の前――というか胸あたりの高さに、緑色のドレスを着た銀髪のお姫様が立っていた。


 「おお、ディアじゃねえか!」


 アシッドは思わず驚く。予想外の人物と、砂の屋台通りにそぐわぬ煌びやかさに。

 「やっぱりアシッドさんだ……!」

 ディアは大きな目をさらに大きくして笑った。

 白のケープは着ておらず、いつものポンパドールで幾分か涼しそうに見えた。アシッドとの遭遇に喜んでいる様子で、天使の笑顔は空の太陽よりも眩しく感じる。

 「なんでお姫様がこんなあっちい砂漠なんかにいるんだよ」

 「帰る途中だったんですけど、馬車から宮殿が見えて……どうしても拝観したくて寄ってもらったんです」

 聞いておきながら「ふーん」と興味なさそうな返事をするアシッド。そして、お人形のように小さなディアの口に、持っていた肉の丸焼きを突っ込んだ。戸惑いつつもディアが肉を噛みちぎると、アシッドがそれを離してくれる。もごもごとほっぺをいっぱいにしているその姿を見ると、姫といっても、そのあたりの普通の少女となんら変わりないんだな、と思えた。

 アシッドはほとんど残っている肉塊を一口で平らげ、さっきから気になっていたことを尋ねてみた。

 「つーか、あのいけすかない白兎は一緒じゃねえのか?」

 「……いけすかなくて悪かったな」

 アシッドが執事の有無を尋ねたとき、背後から冷たい声が飛んでくる。

 「うわっ、いたのかよ!」と大声を上げるアシッドを押しのけ、あの冷徹な白兎が現れた。

 「最初からずっといたぞ。執事が姫様を一人にしておくわけがないだろう」

 ハイリスはため息を吐きながらディアの口元をハンカチで拭いた。「野蛮な狼め……」とつぶやく彼は汗一つかいていない。カッターシャツは長袖で、レビウのように袖もまくっていないのに、貴族の馬車はさぞかし涼しかったんだろうとアシッドは恨めしくなった。

 「そういえば、お前ら宮殿見に行くんだろ? メルチェもさっき行きたいって言ってたぜ」

 「メルチェも!?」

 貴族という言葉で宮殿を思い出したアシッド。その言葉にディアが声を上げる。ハイリスは「余計なことを」と言わんばかりにアシッドを睨みつけた。嫌な予感をさせながら自分の主に目をやると、ディアはエメラルドの瞳を輝かせながらこちらを見ている。

 「……ディア様。本日、私たちにはあまり時間がございません。初めにお伝えしたよう、宮殿すべてのフロアではなく、ニ階の展示室までしか行くことはできませんよ。たとえ、お友達がいてもです。よろしいですね?」

 何かを諦めた様子の執事は、まるで母親のような口調で釘を刺す。

 「ええ、もちろん……! ありがとうハイリス!」

 わかっているのかいないのか、ディアは無邪気な笑顔を咲かせて返事をした。


 .


 サボテンの影が少し長くなった頃、アシッドが戻ってきた。

 メルチェとレビウは途中で貰った宮殿のパンフレットに夢中になっていたようで、もう呪いの噂なんて忘れてしまっている。

 アシッドの後ろからディアが現れたとき、メルチェはとても驚いた。けれど、それと同じくらいに嬉しくなった。

 「ディア!?」

 「メルチェ!」

 両手を取り合った二人はそのままくるりと一回転したあと抱き合った。

 ディアが先ほどアシッドに話したことと同じような説明を繰り返す。少し離れた位置にいるハイリスと目が合ったレビウは、複雑そうに微笑んだ。

 「……なあ。お前さあ」

 アシッドが、隣にいるハイリスにこっそり話しかける。

 「仲悪いのかなんなのか知らねえけど、あんまりレビウに変なこと言うなよ」

 彼なりの忠告だった。

 シャロイにいたときにも感じていた、二人の兎の間にある冷たい空気。アシッドはレビウのことを気にかけていた。レビウはハイリスに会うと少し気まずそうな顔をするのだ。それに宿を出るときだって、ハイリスになにか言葉をかけられてから様子がおかしくなった。アシッドはレビウのことが心配だった。

 そんな言葉に、思わず眉をしかめたハイリス。

 「ふん、仲が悪いわけじゃない。同郷だ。あいつのためを思って言っている」

 「あのなあ。お前はレビウじゃねえんだから、あいつのためになるかどうかなんてわかんねえだろーが」

 アシッドはハイリスの言っている意味も二人の関係もいまいち想像できないままだった。ただ、ハイリスによってレビウの元気が損なわれることは確かだ。それがあいつのためになるなんて、全然信じられなかった。ハイリスは何も言わなかった。難しい顔をして、遠くの方を見ていた。


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