ナイト
古城はとても美しかった。
ピカピカに磨かれた石の壁や床。ツヤツヤと黒光りをして、まるで宝石でできているかのようだ。窓には繊細な模様を描いたステンドグラス。外からの灯りが鮮やかな硝子の色と混ざり、不思議な色の影を落としている。
姫候補の女の子たちは、そんな城内に見惚れながらも思い思いにチェスの駒を探し始めていた。銀色の猫脚をしたクローゼットの中、冷たい食器棚の上、物がごちゃごちゃと置かれた洗面台のあたり……
参加者たちは、どの女の子も個性があって魅力的な女の子ばかりだった。ただ、彼女たちには二つだけ共通点がある。一つ目は、みんなが真剣に駒を探しているということ。二つ目は、みんなメルチェを見かけると、「この子はなにをしているの?」と言わんばかりの表情をすることだ。
「ねえ、そこのおさげさん」
その中の一人がついにメルチェに声をかけた。
「あら、こんばんは!」
メルチェはスカートを上げて挨拶をする。
「あなたさっきから何をしているの? もっと奥まで探さないと見つからないわよ」
綺麗な白髪の少女だった。
どうやら、少女はライバルであるメルチェに助言をしてくれたようだ。けれどメルチェはにこっと笑っただけで、「ありがとう! でも私は大丈夫だから」と言った。
さっきからメルチェが何をしているのかというと――
しきりにすべての扉を開け閉めし、ありとあらゆる部屋の中を確認しているのだ。駒を探すには部屋に入って隅々まで探索する必要がある。メルチェのように部屋を覗き見るだけでは不十分であるし、白髪の少女が言ったことは的確だった。
「おかまいなく!」
ところが、メルチェはそんなことわかりきっているようだった。それでもなぜだかたくさんの部屋を確認し、駒を探さず次の部屋へ向かう。駒を探しているのではない。けれど、なにか別のものを探しているかのようだった。
「心配してくれてありがとう」と白髪の少女にお礼を言ったメルチェ。少女は、また独自の行動に戻ったメルチェを冷めた表情で見つめる。
「ふーん……なにか考えがあるってわけ。ま、そんなことどうでもいいんだけどね」
その言葉とともに、彼女の白髪が毛羽だった。
細い目の奥、怪しい光が宿っていた。
.
「メールチェっ!」
二階のエリアに突入したメルチェの背後、明るく元気な女性が抱き着いてきた。
「わ! ジャスター!」
「会えたね!」と明るい笑顔を咲かせたのは、酒屋で出会ったジャスターだった。昨夜と同様、サラサラのロングヘアをなびかせている。違ったのは、薄いキャミソールがよそ行きのブラウスになっていることくらいだ。
「やっと会えたよー。もう結構見つけたの?」
「いや、私は……」
「もしかして見つかってないの?」
ジャスターはハッとした表情を見せる。
「これ、一つあげるよ」
同じ姫を目指しているというのに、彼女は自分の持っていた駒の一つ・ビショップを差し出した。
「ジャスター……」
「あっ、ナイトは駄目だよ! なんか馬の形に親近感湧いちゃってさ……」
そう言う彼女は蹄を軽快に鳴らせてみせた。
姫を夢見てオーディションに励んでいるジャスターの手前、メルチェは言いづらそうに、けれど真面目な顔をして言った。
「ごめんね、ジャスター。私、眠ったままのお姫様のことがどうしても気になってて……」
差し出されたビショップに手を伸ばす気配もなく、メルチェは静かに打ち明けた。
「眠ったままのって……王様の娘さん?」
「うん、そう。もうこのお城にはお姫様がいるのに、新しく姫を決めるのってどうなのかなって。主催の理由が、オーディションのチラシに書かかれてたのを読んで。それから考えてたの。眠ってるお姫様を起こせないかなって」
そう、メルチェは、眠り姫のいる部屋を懸命に探していたのだった。
「目が覚めたときに、自分の居場所がなくなってるのは寂しいじゃない」
「メルチェ……」
ジャスターはメルチェの面持ちにビショップの駒を引き返す。そして、その考えに同意したように微笑んだ。
そのときだった。
ガターン!
「なに!?」
音を立て、メルチェのそばに立っていた大きな本棚が思いきり倒れた。
メルチェはスレスレのところでその下敷きにならずに済んだが、もう一歩後ろに立っていたらどうなっていたことか。
「あっぶなー! メルチェ、大丈夫!?」
ジャスターがメルチェの肩を抱く。「こ、怖かった~」と涙目のメルチェの力が抜けた直後、今度はカタカタカタ……と物音がし始める。二人が顔を見合わせたとき、先ほどの本棚から落下したいくつもの分厚い本がメルチェのもとに飛んできた。
「危ない!」
ジャスターの声とともに二人して伏せる。
本は硬い石の壁に傷を付け、意志を失ったかのように転がった。
「えっと……なにがなんだかわからないけど、ちょっとやばそうだね」
本たちがまたうごめき始めているのを確認し、ジャスターが立ち上がる。
「メルチェ、外へ出よう!」
その瞬間、メルチェの手を引っ張り駆け出したジャスター。
彼女の足は速く、室内なのに長い廊下で風を切って進んでいく。ビュンビュンと空気の裂ける音が聞こえ、メルチェは必死に足を動かす。
「ジャ、ジャスター!」
ジャスターはこれでもメルチェにスピードを合わせてくれているようだった。が、さすが馬脚を持つケンタウロス――そのスピードにただの少女がついていけるわけがなく。メルチェの足がもつれかけたときだった。
「わっ!?」
ジャスターが声を上げてつまずいた。
どうやらなにかに足が引っかかったらしい。立ち止まるジャスター。メルチェは息を切らしてその場に膝をついた。
慌てて振り返って確認すると、そこには――
「た、大変……!」
廊下には、横たわる少女。綺麗な白髪だった。動かない。
「どうしよう……怪我させちゃった……!?」
自分の脚力を理解しているのか、人にぶつかってしまったことでジャスターは顔面蒼白になっていた。メルチェも不安になる。そして、少女の体にそっと触れようとした、そのときだった。
「——なんちゃって」
少女が急に指を弾く。
すると、廊下の遥か向こうから猛スピードで本が飛んできた。先ほど攻撃してきたのと同じ本だ。
驚いたメルチェが悲鳴を上げてしゃがんだ瞬間、今度は壁に掛かっていたランプや額縁が一斉に落下。「なに!?」と、メルチェとジャスターが混乱する中、白髪の少女がゆらりと立ち上がった。
「くくく……すばしっこいなあ」
少女はどこかで見たことのあるような、細い目をしていた。
「メルチェ、走って!」
少女が手を振りかざそうとしたとき、ジャスターが叫んだ。
ハッとしたメルチェが瞬時に駆け出したのと同時に、少女の合図でランプや本、額縁などさまざまな装飾品が空中を切っていく。
「ねえちょっと、魔法はこんな使い方しちゃ駄目だよ!」
メルチェが追っ手を撒きながら突き当りの階段を上って行ったのを確認し、ジャスターはすぐさま少女を体当たりで確保した。
――が、不思議なことに、その体つきは少女のものとは思えないくらい筋肉質だった。
自分のようにケンタウロスや狼族であるならわかるのだが……
「君がいたから本領発揮できなかったよ」
ジャスターが考え込んでいると、少女は白髪を手で払いながらなにかの呪文を唱えた。そうすると、みるみるうちに彼女の姿は長身の男の姿に変化していく。白髪だけが、さっきの少女と同じ白金のように輝いていた。
「あ、あなた――」
「部外者にまで知られると面倒だな。今回は諦めるよ」
怪しい笑顔をみせたのは白髪の少女――ではなく、変身していた白髪の男。以前、舞踏会の夜にメルチェを騙した魔法使いだった。
光に包まれ消えていく彼の姿に、ジャスターはしばらく呆然としていた。
.
メルチェは階段を上り続けていた。
それは螺旋になっていて、ここが最上階のある塔なんだと理解する。いつしか追っ手は来なくなったが、なぜだが導かれるようにしてひたすら歩みを進めていた。
そして、ついに最後の一段を上り終えたとき――
月光のかかる金の棺を目にしたのだった。
「綺麗……」
塔の最上階は思っていたよりも小さかった。そして、静かだ。
ピカピカの石造りは変わらないが、本館に置かれていたような暖色のランプやステンドグラス、煌びやかな家具たちは見当たらない。そこにあるのはただただひっそりと置かれた黄金の棺だけ。薄い硝子窓が大きく開き、そこから満月がくっきり見えた。そのおかげで、この部屋は灯りがなくても十分に明るく感じられる。
メルチェはゆっくり棺のもとへ近付いていった。その装飾は埃一つかぶらず輝いている。淵には大きな宝石と小さな宝石が列をなして模様を作っていた。
――わずかに、その蓋の端が開いていた。
思わず手をかけて開けてしまう。
「お姫様だ……」
メルチェは惚れ惚れしてつぶやいた。
棺の中には、それはそれは美しい女の人が眠っていたのだ。
ブロンドの髪は大きくウェーブを描き、白いレースのネグリジェを着た自身の体を覆っている。血管の青い線まで浮いて見えるような肌。手の骨は細く、ピカピカの爪がついた指には、クイーンの駒を模した指輪が――――
「誰かいるのか! ここは立ち入り禁止だぞ!」
突然響き渡った低い声に、メルチェはびっくりして顔を上げた。急ぎ足でこちらへ向かってくる足音に焦って立ち上がろうとしたとき、誰かにグイッと引っ張られる。
「――え!?」
気が付いたときには棺の中。
眠っていたはずの姫がぱっちり目を開けて、メルチェの口元に指をかざしていた。「どうして……」なんて、狭くなった棺の中でそう言いかけたメルチェの瞼を塞ぐ。
「ここに来たってバレたら殺されちゃうわよ」
姫は綺麗な歌の旋律を口早に唱え、そっとメルチェを抱きしめた。するとどうだろう。メルチェはあっという間に夢の中。すっかり眠ってしまった彼女を寝かせ、姫は棺の外へ降り立った。
「姫!」
「はい、なんですか。わたしですよ」
やってきたのは王様だった。そう、さっきオーディションの開幕で挨拶をしていた王様だ。
「よかった、誰もいないのだな」
安心して抱きしめてくる王様を、姫は怪訝な顔をして引き離した。
「王……なぜ、新しい姫を」
そして、そう問いかけた。
「そんなの決まっているだろう。お前と一生添い遂げるためだよ」
「どういうことです?」
「お前は娘だ。姫として、いずれはどこかの王子にやらねばならん。しかし別の姫を定め、お前を眠っていることにしておけば、ずっとそばにいられるんだよ」
あまりにもおぞましい考えに、姫の体に鳥肌が立つ。
「だから、何年間もわたしをここへ軟禁していたのですか」
「そうだ。とても大事だからだ」
「違う! あなたはわたしの魔力を奪いたいだけでしょう!」
「大事にしたいんだ! 信じてくれ!」
何度目かの掛け合いで王が言い放ったとき、どこかから「ははは」と笑う声がした。
「誰だ!?」
王が咄嗟に振り替える。
しかし誰もいない。しん……と静まりかえった最上階の狭い部屋、張り詰めた空気が充満する。王様は無人の景色を見つめたあと、しばらくすると、やっぱりいつもとなにも変わらない部屋に思えてきて、気のせいかと胸を撫で下ろした。すると、再び「ふふっ」という声が聞こえる。
「――わりい、笑っちまった」
痺れを切らし、螺旋階段の壁の向こうから姿を現したのは狼だった。
「もう、お前はいつも……」
仕方ないなといった様子で、兎も狼のあとに続く。
二人とも盗み聞きしていたらしく、洋服についた埃を手で払った。
「何者だ!」
血走った目で問いかける王様。それを尻目に「メルチェについてきて正解だったな」「ほんとだね」と会話を交わす。姫は何度も瞬きをして、予想もしていなかった展開に驚いているようだ。
「何が目的だ!」
「まあまあ、落ち着けって」
とんでもないネズミが入り込んだ、と、娘との隠れ家が見つかってしまった王様は必死な様子だった。それをてきとうにあしらうアシッド。落ち着かせたいのか煽りたいのか、その態度ではいまいちわからない。
警戒態勢を崩さない王様に、レビウがにこっと笑みを浮かべて前に出た。
「僕たちはただ、そこで眠っているうちのお姫様に手を貸したかっただけだよ」
その瞬間、アシッドが素早く王様の隣をくぐり抜ける。
「なに!?」と驚いた王様が振り向くと、さっきまで自分の腕の中にいた可愛い可愛い愛娘が、野蛮な狼の肩に担がれている。姫も何が起こったのかわからないまま、強引な狼に「どういうこと!?」と何度も尋ねている。
「とりあえずお宅の姫は連れ出させてもらうぜ」
そう言うと、アシッドは風のように窓枠に飛び乗った。
「嘘でしょ。無理よ、ここからは」
「外に出たいんだろ。腹括れよお姫様」
姫は動悸を激しくさせて、狼の肩越しに父を見た。
歪んだ愛情は、自分にとって枷だった。こうなるともう、どこの誰かもわからない狼の言葉を信じる方がましかもしれない。姫はぎゅっと目を瞑る。
「ま、待て!」
王様が阻止しようとしたのも束の間、アシッドは「そんじゃ」と手をひらつかせて窓の向こうへ真っ逆さま。
慌てて追いかけようと王様が外を覗き込むも、屋根の段差を上手く利用して軽やかに降りていく狼に、老体の王様がついていけるはずもなく。「無駄だよ」と言ったレビウを、王様は鋭く睨み上げた。
「お前ら、出てこい!」
すると、その声を聞いて部屋の奥から数人の兵士が駆けつけてきた。頑丈な鎧を身に纏い、冷たく差した鈍色の光は石の壁を照らしている。
「なんだ、僕なんかより捨て駒じゃないか」
レビウが微笑みながら挑発した。王様の身体がワナワナと震える。
「こっ、この……この兎を叩きのめせ!」
兎がにっこり笑った瞬間、王の怒号と共に兵士が襲いかかってきた。
「――間違えた、僕はナイトだったっけ」
レビウはステッキを高く振るった。それは兵士の長い剣とぶつかり合って火花を散らす。剣は薄い白銀の色を輝かせ、綺麗な月を映していた。すると後ろからまた違う兵士が斬りかかり、兎は大きく飛躍する。兵士の顔面を踏み台にして石の壁を蹴った。
二人の兵士がごっつんこしている間、レビウは王様の頭上にステッキを振り下ろす。王様は所持していた短剣でそれを弾き返す。予想していた反撃に、兎は軽やかに地面へ着地した。
「姫を……娘を返してもらおうか」
王様は激しい怒りを見せながら、ゆっくりと鞘に手をかけた。腕が持ち上がるのと比例して、太い剣が少しずつ露わになる。やはりそれも月光を反射させ、わざとらしい仕草で斜めに構えられた。レビウは深い息を吐いた後、王様に向かって走り出す。ステッキが宙を斬る。空気を真っ二つにしながら、一歩、また一歩、じりじりと距離を詰めてゆく。
「かすりもせんな!」
王様が笑った。が、その手元から剣が弾け飛ぶ。
ステッキを華麗に回して、レビウはにやりと笑い返した。そのまま油断せずに後ろへ下がり、音を立てて落下した剣をすかさず拾う。その太さに見合う、とても重たい剣だった。邪魔になってしまったステッキを、迷わず床に投げ捨てる。
「生意気な……っ」
王様は赤いマントの下に隠していた短剣を投げつけてきた。それは夜の空間を平行に滑り、レビウの細い毛先を切って壁に突き刺さった。はらりと赤茶色の髪が散り、それと同時にまた短剣が投げられる。これ以上散髪されるわけにはいかないと、レビウは剣を構えた。鈍色の残像が泳ぐ。少しだけ息を切らせ、その吐息を闇に溶かした。
体の芯が火照りだすのを、感じた。
「チェックメイト」
兎の持つ剣先は、キングの駒の飾りがついた、太い首元を指していた。
「な、なぜ……」
王様はガクッと膝を落とした。レビウは静かに剣を下げ、先ほど放った自分のステッキを取りに行く。
「自分のエゴを、愛情だなんて」
そのまま崩れ落ちる王様にレビウは言葉を掛けかける。しかし途中で言うのをやめた。王様の耳に届くことはないからか、それともそんなことを言う資格なんてないからか。
城の外から歓声が聞こえてきた。どうやらアシッドが無事に姫を地上へ降ろしてくれたらしい。気を失っている兵士など気にも留めず、王様はヨロヨロと螺旋階段を降りて行った。姫が民衆の前に現れた今、どこへ行っても彼の逃げ場はないだろう。
レビウはふう、と肩を撫で下ろし、棺の方へ目をやった。透き通った月光が、スポットライトのよう。眠り姫はいまだ目を覚まさず、小さな寝息を立てていた。




