考え事
「おはようメルチェ!」
朝になり、よく寝たメルチェがようやく宿のロビーに降りる。カウンター横の雑誌を手に取りながら、ディアが朝の挨拶をしてくれた。
「おはようディア! 昨日は一緒に踊れなくて残念だったわ」
メルチェと楽しそうに話をするディアの様子を、近くのソファからハイリスが黙って眺めている。
宿屋の朝は清々しくも気だるげだった。天窓から差し込む眩しい日差しはやわらかなクリーム色。ロビーに舞う細かい埃を一つ一つ照らしている。一階の部屋に泊まっていたらしい別の客があくびをしながらミルクを買いに起きてきた。洗面所からは誰かが歯を磨く音。しかしそのテンポは限りなくゆっくりである。
「メルチェは今日なにをするの?」
「これから広場のクレープを買いに行こうと思ってるんだけど、アシッドがなかなか起きないのよ。二日酔いで!」
呆れながら話したメルチェ。それを聞いてクスクスと笑うディアを見て、本物のお姫様って天使みたいなんだなあ、と思った。雪のような白い肌、ほんのり染まった果実のように赤い唇。微笑むたびに揺れる銀色の髪は、朝日に包まれて一層美しく輝いている。
そんな姿に惚れ惚れとしていたメルチェだが、ハッとした表情を見せたかと思えば、すぐに「いいこと思いついた!」と大声を出す。
「よかったら一緒に行きましょう! クレープ!」
そしてディアの手を取った。
「もちろん、ハイリスも」
姫と自分をずっと見ていた執事の存在に気付いていたのか、メルチェはハイリスにもにっこりと笑いかける。ハイリスはぎょっとして思わず顔を引きつらせたが、エメラルドのような瞳をキラキラとさせるディアを見ると、諦めて黙認せざるを得なかった。
ハイリスがため息を吐いたとき、「もうおいていくよ!」「うるせえな、起きるっつってんだろ!」と二階の一室から何やら騒がしい声が聞こえてくる。
しばらくして、こめかみを押さえるアシッドをレビウが半ば引きずるような形で降りてきた。昨夜はあんなに威勢のよかった狼が、頭を抱え、階段の手すりをつたって歩いている。
「情けない姿ね、狼さん」
メルチェが嬉しそうにアシッドを揺らす。アシッドは低い声でイタイ、ヤメロとつぶやいている。これは本気のやつだと悟ったメルチェは、狼にちょっかいをだすのをやめてあげた。レビウの隣にひょいと移り、「お母さんみたいだね」と話しかける。「こんな野蛮なやつの母親なんてごめんだよ」とレビウ。笑い合う二人の様子を、ディアはまた羨ましそうに眺めていた。
「ハイリス、わがまま言ってごめんなさい」
そしてふと、そんなことを言ってみせた。驚いたハイリスは「とんでもないです」と狼狽える。
「わたしずっと外に出られなかったから……メルチェたちみたいに、旅人さんになった気分ですごく楽しいんだ」
ディアは胸に手を置きながら言った。
「それにハイリスとこんなに遠くまでお出掛けできるなんて……夢みたいだったから……」
姫の言葉を聞いた執事は胸をぎゅっとさせる。
ディアは体が弱く、街へ出掛けるなんてことは今までできなかった。そのため友達もできず、話し相手は昔から侍女の老女と執事のハイリスだけ。
少し前に侍女が亡くなり、それから元気がなくなってしまったディアは、自分の気持ちを言うことが少なくなった。外にも出られず、今までずっと一緒にいてくれた侍女もいなくなり、元気をなくしてしまったのだ。それで、あんなことまで……
そんな彼女が、自分の出先についていきたいと涙ながらに伝えてくれた。ここへ来てからは、自分のしたいことをまた言ってくれるようになった。
ハイリスはディアのわがままに困ってしまいつつも、元気を取り戻したその姿を見てどこか安心していたのだ。
「……ディア様、どうか謝らないでください」
ハイリスは跪いた。
「私はディア様がご自由に、楽しそうに笑っておられると、とても嬉しく思います。私は駄目なことは駄目と言います。だから、どうかご自分のお好きなようになさってください」
微かに微笑んだように見えた執事。その言葉に、ディアは胸がいっぱいになった。
「ありがとう、ハイリス……!」
ディアも微笑む。
見つめ合ったそのとき、ふと、互いの手のひらが目に入り、昨日の人混み、手を繋いだときのあたたかさを思い出していた。
.
街の空気は澄み、空には雲一つない。
見上げた水色の鮮やかさに、メルチェはオルエッタのトラックを思い出していた。
「クレープ以外にも、いくつかワゴンがあるね」
パステルカラーの建物が噴水を中心に円を作る広場は、遊園地さながらだった。
可愛い柄をしたワゴンが甘い香りをさせ、クレープやチュロス、ポップコーンが紙の入れ物に包まれて台の上に置かれていた。変な顔の着ぐるみが変な形の風船を配っている。すれ違う子どものほとんどがそれを手に取り、どうやら好評なようだ。
二人の女の子と二匹の兎、そして狼。変なご一行はそれぞれ何を食べるか悩んだ末に、結局みんなクレープを食べることにした。
「可愛い~! おいしそう~!」
二人の女の子は自分たちの手元にやってきたクレープをいろんな角度から眺め、気が済んだ瞬間パックッとかじりついた。
「おいしい~!」
口まわりに生クリームがいっぱいつく。豪華にデコレーションされた苺やバナナを落とさないよう、慎重に食べ進めていく。
「チョコソースもかかってるよ」
「ディア、一口交換しない? この苺のもおいしいよ!」
「ありがとう! ……おいしい!」
「でしょ~! ディアのプリンもすごい!」
「おい、待ってるやつの前で実況すんな!」
キャイキャイはしゃぐ少女たちのやりとりに、いまだ手ぶらの飢えた狼が牙をむく。「ちょっと待ってねー」とクレープ屋のおじさんが笑っていた。おじさんはバケツのような入れ物からたぷたぷの液体をすくった後、それを丸い鉄板に広げていく。乾いた生地の上、慣れた手つきで果物やクリームをトッピングし、瞬く間にクレープを巻きあげた。
「はい、お待ちどうさん」
アシッドはクレープを受け取るや否やそれを一口で丸のみし、周囲を唖然とさせた。さっきまで二日酔いでぐったりしていたはずなのに、クレープだけでは足りていないのか他のワゴンを吟味しに行く。
もうとっくにクレープを平らげたメルチェとディア。風船配りの着ぐるみのそばでピエロがチラシ配りをしていることに気付き、二人でそれを取りに行った。
取り残されたのは、二匹の兎。
「どうしてそこまであのおさげにこだわる?」
先に口を開いたのはハイリス。バタークリームのクレープをかじると、一つに束ねた黒髪が彼のうなじをくすぐった。
「もしかして、説得しに来たの?」
レビウは笑わずに聞いた。メルチェと同じ苺のクレープは、もう半分ほどしか残っていない。
「……これは命令じゃない。俺の個人的な、幼馴染としての情けだ。今からでもまだ間に合う」
白兎の口調は、昨日のバルコニーでのやりとりのような、冷たい言い方ではなかった。ハイリスの真剣な物言いに、レビウの顔はもっと笑わなくなる。
「気付いているはずだよハイリス。僕らの様子を見ていたなら、僕がもう……決心しているってこと」
「お前、本当に言っているのか? 魔力を失ってまで? 俺にはわからない」
「それでもいいよ。誰になにを言われたってこの気持ちは変わらない」
「ああ、そうか。だけど覚えておけ。お前は俺たちと同じだ。これも変わることのない現実だ」
きっぱりと言い切ったハイリスに、レビウはぐっと口をつぐんだ。
「ハイリス?」
その声にハッとする。
気付けば、ディアとメルチェが近くまで駆け寄ってきていた。
「なにをお話していたの?」
優しく笑う主の前だが、ハイリスは「いえ、大した話では……」と歯切れ悪く返事をした。薄いクレープを畳んで口に投げ込む。
「……それ、何のチラシだったの?」
一方レビウは、ピエロから貰ったのであろうカラフルなチラシを持ったメルチェに尋ねる。
「あ、こ、これね、姫候補のオーディションのだったから、貰ってきたの」
なぜだかメルチェも歯切れが悪かった。さっきまであんなに元気だったのに、どこか元気のないように感じる。
「メルチェ」
レビウが「なにかあったの?」と問いかけようとしたとき、ブワッと突風が吹く。メルチェの手からチラシが勢いよく舞い上がり、空高く遠くの方へ飛んで行ってしまった。拾いに行こうとしたレビウを、メルチェはそっと手で止めて、「もう見たし、大丈夫よ」と言った。
空は相変わらず水色だった。さっきの風のせいだろうか、変な形の風船が、ポツポツといくつか迷子になっていた。
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「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん! 今宵はあなたが姫様に!? 眠りの城のオーディショーン!」
人だかりからワッと歓声が上がる。
時刻は十八時。イロクの大門は解放され、今日はいつも以上に人波が激しい。そびえたつ石造りの古城の真下、大勢のギャラリーに囲まれて、女の子が十数人並んでいる。列の前にはマイクを持ったオルエッタ。そして、城の住人でありイロクとシャロイをとりまとめている王様が、ニコニコしながら立っていた。
「さあさあ、ついに姫様を選ぶときがやってきました! それでは初めに、このオーディションの主催者である王様よりご挨拶ー!」
高い声をしたオルエッタとは打って変わって、しわがれた低い声がマイク越しに響いてくる。
ほかの姫候補たちが愛想よく手を振ったりしている中、メルチェはなぜだか複雑そうな表情でその挨拶を聞いているようだった。らしくもなく、口角を下にやっている。
――あれから、メルチェは目に見えて様子がおかしかった。
アシッドが両手いっぱいに抱えて持ってきたチュロスもポップコーンもひと欠片しか口にせず、可愛いランチセットへの反応もいまいちだった。人と話すときは笑っくれるが、会話が途切れるとふと真顔になる。宿ではぼんやり窓の外を眺めていたし、レビウが「緊張してるの?」と話しかけても、「全然平気よ」と答えるだけ。
「え~、姫候補のみなさん。今宵はお集まりくださりありがとうございます。このお城には、眠ったままの姫がおります。私の娘ですが……もう何年も眠りから覚めないのです」
王様が長々と話を続けている。メルチェの顔は一段と曇ってゆく。レビウは心配そうに、アシッドは不思議そうにその様子をギャラリーから見守っていた。
「眠ったままの姫に代わり、新たな姫の誕生を! 今夜! 見届けたいのです!」
マイクから放たれる強い語気に、会場の熱はヒートアップ。王様はそれから少し話した後、気が済んだ様子でオルエッタにマイクを返す。
「ありがとうございましたっ! それではオーディションのルール説明をさせていただきまーす! 今からみなさんには、このお城でチェスの駒を集めて集めて集めてもらっちゃいます!」
どうやら、古城全域にチェスの駒を模したアイテム――陶器やアクセサリーなど――が隠されているらしい。また、ポールは一ポイント、ルークやビショップは二ポイントといった形で、それぞれポイント制になっている。最終的に高得点を得た者が姫となる。
「たーだーし! キングの駒を見つけた人は、なんとなんと……その場でチェックメイト!」
今までの説明を覆すぶっとんだルールに、姫候補たちを含めたくさんの人たちがざわざわと話し始めた。
「それでは準備――よろしいですか?」
しかし、オルエッタが周囲にそうやって問いかけると、さっきまで騒がしかった会場はにわかに静まう。
「オーディション……スタート!」
女の子たちが一斉に城の入口へ流れ出す。
ギャラリーが歓声を上げ、応援の声も飛び交っている。参加者の身内が旗を持っていたり、主催側の人間が紙吹雪を散らしていたりする。メルチェは城に入る扉の手前でちょっと振り返った。レビウとアシッドを探してみたが、人が多くて見つけることができなかった。
それに対し、彼らはメルチェが城に入っていくまで彼女をしっかりと見届けていた。
「メルチェ変だよな」
「そうだね」
アシッドの言葉にレビウが即答する。
先ほどに比べると多少減ってきた人混みの中、二人は何やら考え事をして仁王立ちしたままだ。
「ほっとけないか?」
狼が八重歯を覗かせる。
「あたりまえじゃないか」
兎はそれににやりと笑った。




