騒がしい夜 2
「兄ちゃん、もう許してくれっ!」
メルチェとレビウがアシッドのいる酒場へ戻ると、そんな声が聞こえてくる。
ギャラリーはまだまだたむろったままで、レビウは人だかりを埋まるように進んでいった。メルチェもあとに続く。
「俺はまだまだ腹が減ってるんだ」
見ると、腕相撲はほんの今まで続いていたようだ。男たちはクタクタのようだったが、アシッドはまだ力が有り余っているらしい。片方の袖をまくったまま偉そうに腕組みをし、元気いっぱい尻尾を振っている。勝負の結果は一目瞭然、アシッドの隣には何枚もの食器が積み重ねられていた。
「これ全部食べたの?」
レビウの問いかけに、アシッドは三白眼を見開いて、得意げに振り向く。
「おうレビウ! お前も俺と勝負しようってのか?」
「いや、遠慮しておく」
兎の返事がちっともつれないにも関わらず、狼はとてもご機嫌である。するとそのとき、酒場のキッチンからもう何度目かわからないごちそうが運ばれてきた。思わずお皿を覗き込むメルチェ。そこにはおいしそうな肉の串焼きが山のように盛られていた。熱々の特製ソースがたっぷりとかけられ、香ばしい匂いはメルチェの食欲をそそる。
「レビウ、メルチェ、晩飯まだ食ってねえんだろ?」
メルチェの目線に気付いたのかそれとも気まぐれか、アシッドは笑って尋ねてきた。二人はきょとんとしたまま顔を見合わせ、そろって頷く。それに対し「やっぱりな!」と嬉しそうな表情で立ち上がるアシッド。店員から料理を受け取り、酒場の中へと入っていった。
「ちょっとアシッド……!」
「早く来ねえと全部食っちまうぞ!」
戸惑うメルチェにアシッドが言った。どうやらこの串焼きをごちそうしてくれるようだ。レビウは機嫌がよすぎる彼の様子に笑いをこらえている。隠しきれない口元の緩みを手で押さえつつ、店の入口をくぐった。レビウに続くメルチェ。なんだかんだ、メルチェもアシッドの楽しそうな笑顔につられて笑い、おいしいごはんの匂いに気分をウキウキさせる。
「まったく、どいつもこいつも相手になりゃしねえぜ」
片付けられていないテーブルの上、誰かが置いて帰った食器の山を片手でかき分けるアシッド。無理やりあけた空間に串焼きの大皿を雑に置いた。
「言うねえ兄ちゃん!」
どこからか口笛とともにそんな声が飛んでくる。二階の席からだった。石造りの酒場は思ったよりも天井が高く、吹き抜けになっている。壁や天井にオレンジのライトがいくつも灯っており、店はあたたかい雰囲気だ。どのテーブルも騒がしく、大きな笑い声や酒瓶が盛大にとっ散らかる音など、大渋滞している。メルチェは初めての酒場の雰囲気に少し緊張していた。
「びびってんのか? チビ」
調子に乗ったアシッドがメルチェを小突く。
「び、びびってなんかいないわ!」
強がりを言い、咄嗟にテーブルの肉を頬張りだす彼女を、レビウはまた笑いをこらえながら眺めていた。そして自分も串を手に取る。
酒場の客は大きな男ばかりだった。もちろん女も混ざってはいるが、アシッドのような狼族や立派な角の生えた牛、フサフサのたてがみを纏った獅子の血をひく者たちが多くみられた。
「あれ!? すんごい可愛い女の子~!」
メルチェが三本目の串にかぶりついたときだった。後ろから、思いきり誰かに抱きつかれる。
なにが起こったかわからないメルチェは肉を喉につまらせかけたが、なんとか必死に呑み込むことができた。
「こら、ジャスター! やめなさい!」
また知らない声が聞こえたかと思えば、メルチェを拘束していた腕が離れていく。
突然で一瞬のことだったので兎も狼も驚いていたが、振り向いたメルチェも驚いた。
「こんばんは、可愛いご一行さん!」
大きなジョッキを片手に持った、大きな女性。
顔が高い位置にあり、一瞬背が高いからかと思ったが、違う。
彼女の体の半分が、馬だったからだ。
「へえ、ケンタウロスか。初めて見たぜ」
アシッドがめずらしそうに言う。
“ケンタウロス”。
それは、半身半獣の一族のことだった。
ケンタウロスはとてもめずらしい一族らしく、目を丸くするレビウも初めて会ったようだ。
「そんなに見ないでよ~! 恥ずかしいじゃん!」
ケンタウロスの女性は、ほどよく筋肉のついた腕で体を隠す。鍛えられているのは腕だけでなく、しなやかに伸びた下半身もだった。無駄がなく、絞られた体つきがたくましい。ただ、栗色の毛並みは美しく艶があり、女性らしさも備えているように感じられた。
「こんばんは!」
メルチェが挨拶をする。
「こんばんは~!」
毛並みと同じく艶のあるロングヘアが、彼女の着ている薄いキャミソールの上にさらりと落ちた。
「知らない人に絡みに行かないの。この酔っ払いが」
すると、さっきメルチェを救ってくれた声が再び聞こえてきた。
見ると、ケンタウロスの後ろから、眼鏡をかけた小さな女の子がひょこっと顔を出している。
「ソワちゃん、この子たち可愛いよ~!」
「もうわかったから、迷惑かけないでほんとに」
レビウとアシッドは――このような場所特有の――相席の予感を感じ取り、すでにぎゅうぎゅう詰めのテーブルになんとかスペースを作り出した。それに気が付いたケンタウロスは明るい表情でメルチェの横を陣取る。小さな女の子は「すみません」と言いながらそのまた隣に座った。
.
「ジャスターと!」
「ソワンです」
名乗りながらも遠慮なくテーブルの肉に手を出すケンタウロス――ジャスターの腕を、ソワンが小さな手のひらで引っぱたく。知らぬ間に酒瓶を持っている狼の隣、レビウが「息ぴったりだね」と笑ってみせた。するとソワンはぱっつり切りそろえた短い髪を耳にかけ、はあ、とため息を吐く。
「やめてくださいよ。この馬、見張ってないとすぐ女の子に抱きつくんで」
「メルチェが可愛くて声かけちゃったの!」
ソワンの苦言なんて聞き慣れているのか、ジャスターはお尻の尻尾をブンブン振ってメルチェの肩を抱く。
「可愛いだって! ちょっとアシッド、聞いた?」
メルチェは酔っ払いと同じテンションだ。
ソワンは自分の連れとメルチェの波長が合うことに気付いてしまい、もうこれ以上なにも言わないことにした。
「三人は旅人なんでしょ? なんの旅なの?」
そう質問するもすぐに、ジャスターはジョッキのおかわりをカウンターに叫ぶ。
「ブリランテに行くんだ」
追加で頼んだサラダを行儀よく食べながら、レビウが言った。「遠くまで行くんだねえ」とジャスター。その腕の中でオレンジジュースをこくこく飲むメルチェは、レビウは肉より野菜が似合うなーと考えていた。
「君たちはこの街の人?」
ジャスターと話しているはずのレビウと目が合った。メルチェに見られていることを知ったレビウは、「あたしたちはね~」と返事をする二人に気付かれないよう微笑んでくれた。メルチェはドキッとし、慌ててジュースを飲み切る。よく考えれば、兎族なのだから、野菜が似合うのは当たり前じゃない。メルチェはサラダのくだりを思い出して一人納得した。
「同じく旅人ですよ。ジャスターが姫になりたいっていうからいろんな街のオーディションをまわっていて……わたしは付き添いです」
ソワンの口から“姫”というワードが出たとき、メルチェは思わず顔を上げる。
「おーおー、うちにも似たような姫様がいらっしゃいますぜえ」
思いきり反応してしまったメルチェを、もうかなり出来上がっているアシッドがからかう。
「えー! メルチェも姫を目指してるの!? あたしもだよー!」
ジャスターの嬉しそうな表情に、メルチェもなんだか嬉しくなる。姫を目指す友達ができたのは、すでにその目標を達成した不思議の国の姫・アリス以来初めてだった。
「それじゃあ、明日のオーディションも参加するんだね!」
その言葉にメルチェは目を見開く。そういえばオルエッタがそんなことを言っていたような。
「ジャスターも?」と聞き返そうとしたとき、太い丸太のような腕が現れ、メルチェの視界を遮った。先ほど注文した酒が届いたらしく、大男がジョッキを三つ置いていった。
「あたしも参加するよ!」
なみなみ入ったピンクのしゅわしゅわを手に取って、ジャスターが言った。
「そうなのね、楽しみだわ!」
と返すメルチェの言葉を、馬鹿みたいに誇張してアシッドが真似る。
ムッとするメルチェをおもしろがりつつ、彼も今来たジョッキに手を伸ばそうとした。が、寸前のところでレビウがそれを奪い取る。したり顔でアシッドを見たかと思えば、次の瞬間ごくごくとジョッキの中身を飲み干していく。
「明日、イロクが開門してすぐにね、そこのお城に集合なんだって」
「今夜の舞台があったあたりに集まればいいの?」
そうだよー! と元気に返事をするジャスターの向かい側で、レビウがぷはっと顔を上げた。空っぽになったジョッキをアシッドに突き出して、「飲みすぎはよくないんじゃないかな」と余裕の笑みを見せる。
「……はあ~。ここが若くても酒の飲める地域でよかったなあ。子どもだと飲めないとこなんてたくさんあるんだぜ。クソ。ガキのくせによ~」
なくなった酒が恋しくてがっかりするアシッドは、三つ目のジョッキを手にしていたソワンもついでに睨んでみる。「せ、背が低いだけで、わたしはとっくに成人してますよ!」と焦る彼女は、ジャスターの腰のあたりまでしかない子どものような背丈を気にしているようだ。
「うわーっ、ワクワクしてきた!」
メルチェが思いきり立ち上がる。
「なにがだチビ、酒をよこせ酒をー!」
「ちょっとアシッド、もうやめとけって!」
メルチェとジャスターの話なんて一切聞いていなかったアシッドが大声を出し、レビウが慌ててとめる。「お祭りだー!」とつられて騒ぎ出すジャスターを、ソワンは全然とめてくれなかった。
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あの後、一人ではしゃいでいるジャスターを引きずり上げながら帰っていくソワンを見送り、メルチェとレビウもいい感じに酔っぱらったアシッドを引っ張り上げながら宿屋に戻った。
ディアとハイリスは一足先に戻ってきていたようで、それを知って安心したメルチェはすぐに眠ってしまった。疲れもあったのだろう。帰り道の時点でほとんど寝ているようなものだったアシッドと、大の字でベッドの面積を占領している。二人ともぐっすりだ。
レビウはというと、バルコニーに出て夜風にあたっていた。
空を見上げて星を眺めようとしたが、それらは眠らない街の光に負けてしまって上手く輝けないようだ。日が昇るまであと三時間足らずというところだが、イロクシティはいまだ賑やかなままである。
明日は姫のオーディションがあるらしく、メルチェが嬉しそうに話してくれた。夕方からとはいえ、僕も早く寝なくては。
レビウが部屋に戻ろうとしたとき。
「呼ばれてなくてもじゃじゃじゃじゃーん!」
眠っている宿の人を考慮してか、いつもより少しトーンの落ちた登場セリフが足元からやってきた。レビウがバルコニーから外を見下ろすと、ピンク色の歩道に三月兎の姿があった。
「もうダンスはおしまいかい?」
「んーや! うちのマドンナ・踊り子ちゃんが交代してくれたのだ」
ピースサインを見せる彼に、「オルエッタのときより賑わってるんじゃないの」と意地悪を言うが、「なに言ってんの、自分が一番楽しそうだったくせに~!」とおどけながら言い返されてしまった。レビウは悔しそうに笑う。
「……レビウはさ、本当はどーしてこんなところにいるのさ」
少し間をあけて、オルエッタが尋ねた。
レビウは少し表情を変え、うーんと言葉を探したあと、
「僕は捨て駒だから……」
と答えた。
「ふふっ。なーにー? チェスの話なんてしてないよ!」
オルエッタはケタケタと笑ったが、こちらの街は眠っているんだということを思い出し、ぱぱっと口を押えて今のケタケタ笑いをなかったことにした。レビウはそれを見て静かに笑う。
「なんでもいいけどさ。急に会えなくなったから心配してたんだ。レビウが元気そうで安心したよ」
三月兎は道化のようにくるくる回り、「それじゃあそれじゃあ、よい夢をー!」と、踊りと言えない踊りを見せながら去っていく。振り付けの一部なのか、シルクハットをとったとき、ちぎれた片耳がちらりと見えた。
「チェック」
隣のバルコニーから冷たい声がする。
「捨て駒のはずのお前が、どうしてあの子のナイトをしている」
「盗み聞きなんて悪趣味だね。ハイリス」
そこにいたのは白兎。なんとなくハイリスは起きている気がしていたので、レビウは驚かなかった。
「めずらしいじゃないか、ディア様が遠出するなんて」
「本当は俺一人で来る予定だった。ディア様がどうしてもというから……」
バルコニーには隣室と区切るための壁があり、ハイリスの姿は見えなかった。彼の見つめる先がどこなのか、レビウには知る余地もない。
「……今回はまだ様子見だ。お前、いい加減にしないと知らないからな」
白兎はそう言い、ピシャッと音を立ててバルコニーの扉を閉めた。取り残された黒兎は黙ったまま、その耳の漆黒を夜の暗さに溶かしていた。




