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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第4章 眠らない街の騎士たち
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騒がしい夜 1

 三人は大通りで宿をとった。小さな宿だったが、メルチェいわく一番可愛いデザインの宿だったそうで、ピンク色の扉を開けるなりはしゃいで階段を上がっていった。

 メルチェが宿で眠るのは初めてで、胸は高鳴るばかり。フカフカのベッド、綺麗な壁紙、ああ、窓の外はどんなふうに見えるのだろう! そんなメルチェの後を、アシッドは相も変わらず無口なままでついていく。レビウは慌ててフロントへ向かった。

 「二階の部屋でお願いします」

 騒がしい三つ編みを目で追いながらも、フロントで受付をしていた中年女性は眼鏡をかけ直す。

 「いつまで泊まるんだい?」

 「ああ、まだ決まっていなくて……」

 レビウが顎に手を添えて考えていたとき――

 「俺たちは一週間でお願いする。部屋はこの黒兎たちの隣室だ。空いているな? 決まりだ、鍵をかしてくれ」

 突然割り込んできた少年の声。

 「ハイリス!?」

 レビウはぎょっとして言った。女性は慣れた返事をしたあと、兎たちに部屋の鍵を預けた。

 「な、なんで……! それに、ディア様を民宿に泊めるなんて」

 「そのディア様のご命令だ。もちろん正体は隠してだが。なんでも、あのおさげとまだ話がしたいらしい」

 二人が睨みあっていることなんてつゆ知らず、おさげはすでに部屋の前に立っていた。レビウから――半ば取り上げる形で――受け取った鍵を、ゆっくりとドアノブに差し込む。

 「何やってんだ早く開けろよ」

 「あっ、ちょっとー!」

 もたつくメルチェにイライラしたアシッドは荒く扉を開けた。

 そして広がる部屋の景色。

 「すごーい! アシッド見て見て! 大きなベッド!」

 はしゃぐメルチェに、アシッドは「言われなくても見えてるよ」と呆れて返事をした。

 部屋は思ったよりも広々としていた。オレンジのフローリングに白の絨毯。カーテンもテーブルもソファも白で、大きなベッドだけがやわらかいたまご色をしていた。その可愛らしいカラーリングに、思わず齧りつきたくなる。

 メルチェは嬉しくなってベッドに飛び込んだ。寝床なんて、屋根裏部屋にあった壊れかけのものしか知らない。雲の上にいるような寝心地。メルチェはあまりにも幸せすぎて、思わず眠ってしまいそうになった。

 そのことに気が付いたアシッドは、クローゼットから羽毛の掛け布団を取り出してくる。そしてメルチェに投げつけた。突然のことに驚くメルチェ。布団の海に溺れてしまい、その中でもごもごと反抗するも、アシッドが布団の端を押さえているため意味がない。

 「何するのよアシッド!」

 ようやく顔だけは脱出できたメルチェ。アシッドは「まぬけだな」と言いながらさらに布団を巻きこんでいく。そのとき部屋の扉が開いた。レビウはベッドの光景を見てポカンとする。

 「喜べ、お前の王子様が助けに来たぞ」

 アシッドが笑って言った。久しぶりに狼の笑顔を見た気がした。さっきメルチェと気まずくなくなったときのように、レビウはいろんなことを気にするのが馬鹿らしく思えてきた。そしてまた彼も笑う。

 「悪い狼、成敗してやる!」

 救世主登場に嬉しがるメルチェだが、何やら兎の様子がおかしい。部屋の入口に戻り、そこからさらに一歩下がる。腰を引いた彼に、アシッドは焦りを感じた。メルチェが状況をつかめていないまま、レビウは床を蹴って走り出す。距離なんてそんなにもあるはずはなく、彼はすぐに絨毯を踏む。そしてベッドの手前で大きく跳んだ。

 「うわあああ!」

 レビウは思いきりベッドにダイブ。アシッドの上に落ち、「おまたせお姫様!」と無邪気な顔をする。兎にとってただ一人の姫であるメルチェは楽しくなって笑った。いまだ布団でぐるぐる巻きの彼女、その余白で兎と狼が掴みあってはしゃいでいる。

 「レビウ、お前どうなるかわかってんだろうな!」

 「知らないなあ。メルチェをロールケーキにした罪は重いよ!」

 騒がしい三人を乗せたベッドは元気に跳ねる。ぴょんぴょん跳ねて揺れが増す。シーツや布団が乱れていくが、そんなことはメルチェたちにとってどうでもいいことだった。今はこのベッドの上だけが世界のすべて。そんなつまらない考えで、今までの悩みがつまらないものに感じてくる。それはとても馬鹿らしく、とても素敵なことだった。メルチェは旅に出てよかったと思った。

 アシッドがレビウの耳を引っ張ったとき、メルチェが「させないわ!」と布団の中から腕を出そうとする。途端、メルチェの体がぐらりと後ろに傾いた。

 「メルチェ!」

 ベッドから落ちそうになった彼女を助けようと、レビウがすかさず行動するも間に合わない。アシッドも道連れに、三人は一緒になって布団ごと落下した。床の上で布団に埋もれるメルチェたち。なんだか滑稽だなあと一人が笑い出すと、感染するように二人も笑った。


 「うるさいぞ、お前たち」


 突然、落ち着いた声が笑い声を掻き消す。

 三人はきょとんとして起き上がった。すると、部屋の入口にはハイリスが冷めた表情で立っている。

 「仲間に入れてあげようか?」

 レビウがめずらしく煽るようなことを言った。すると、ハイリスの後ろから緑のドレス。

 「三人とも、仲良しなんだ……!」

 銀の縦巻きをふんわり揺らし、頬を染めていたのはディアだった。メルチェは彼女の名前を叫ぶと同時に立ち上がり、二人のもとまでスキップで向かう。ディアに抱き着こうとしたメルチェだが、ハッとして恐る恐る顔を覗き込む。

 「もう体調は大丈夫なの……?」

 その気遣いにディアは優しく微笑んだ。

 「うん、もう大丈夫。あ、ありがとうね……! あの、それでわたしね。ハイリスにお願いして、お隣に泊まることにしちゃったんだけど……」

 遠慮がちに大胆なことを言ったお姫様。ちらりとメルチェの表情を確認したディアに向かって、メルチェは「そうなの!?」とキラキラの笑顔を見せる。

 「じゃあ、この街にいる間はずっと一緒ね!」

 少女たちは嬉しそうに手を取り合い、花のような笑顔を咲かせていた。それを見て、ハイリスはまた何も言えなくなる。何か言いたそうにはしていたが、黙って隣室へと消えていった。


 そのときだ――街の時計台の音楽が大音量で鳴りだしたのは。


 「いけない、もう十八時か」

 音楽を聞いて慌てだすレビウは、落ちた布団を綺麗に畳みながら窓の前へ走った。

 「メルチェ、ディア様、カーテンをあけてごらん」

 二人は不思議そうな顔をして窓の前に立つ。そして音楽が鳴り終わらないうちにカーテンを開けた。

 窓の外に広がるのはシャロイの美しい街並み。

 ピンクやオレンジの屋根が海のように輝き、それは宝石のような日没だった。東の空は早くも紫に染まり、西の森に夕日が沈む。あたりはじきに暗くなり、夜があっという間に染み込むようだった。ちらりと覗く一番星。白昼はあんなに賑やかだったのに、シャロイはひどく静かになった。まだ夜が始まったばかりだというのに、ポツポツと家の灯りが消えていく。

 なんだか寂しいな、メルチェがそう思ったときだった。


 「えっ!」


 メルチェとディアは思わず窓を開けて身を乗り出す。二人が見たのは、大きな門がゆっくり開き、街の人々が石の街へと流れ込んでいく光景だった。

 「ねえ、あれってイロクシティよね!」

 メルチェに尋ねられたレビウは笑って頷く。ディアはずっと窓の外を見ていた。

 人々が門の中に足を踏み入れた瞬間、街には一気に灯りがつく。石造りの酒場や屋台、街灯、そして大きな古城、すべてにオレンジ色の光が宿り、命が注がれたようだった。大勢の人が騒いで歌って、あっという間にお祭り騒ぎだ。

 「イロクは夜になると解放される街なんだ」

 レビウはにっこり笑ってみせた。

 「メルチェ、わたしあそこに行ってみたい」

 すると、ディアが街から目を離さずに言った。エメラルドの瞳がキラキラしている。

 「行こうぜ」

 するとアシッドが即答した。どうやら彼はお腹を空かしているらしく、酒場に入りたいようだ。ディアは嬉しそうにメルチェの右手を握った。メルチェも握り返し、部屋を出ていくアシッドを追いかけた。

 「……ハイリス、聞いていたんだろう?」

 開いたままの窓の向こうへ、レビウは声をかける。返事はなかった。ただ、すぐに隣室の扉の開く音がしただけで。

 レビウも部屋のランプを消し、部屋を出ることにした。白兎の足は早く、廊下に出る頃にはもう誰もいない。壁に引っかけられた可愛い照明が、黒兎の赤目を静かに照らしていた。



 イロクシティはたくさんの人で賑わっていた。

 呼び込みの絶えない食事屋が多く連なっている中で、安っぽいアクセサリーがジャラジャラと並べられる雑貨屋、見たことのない果物を串刺しにして売っている屋台、持つ人によって色が変化するランタンを配っている店などがあった。

 石畳を歩くメルチェたちは感嘆の声をあげ、楽しそうに街を見てまわる。目に飛び込んでくるものすべてがとてもめずらしく、歩いているだけでワクワクした。石造りの平らな屋根から、いくつもの灯りがぶらさがっている。だから夜でもこの街はこんなに明るいのね、とメルチェはディアと話をしていた。人の波が激しく、話し声は少し聞こえづらい。

 「よう兄ちゃん、狼族かあ? いっちょ俺と勝負しようぜ!」

 ひと際賑やかな酒場の前、一人の大男がアシッドを見て手招きする。男は狼族だった。くわえていた煙草を吐き捨て、太い血管の通った腕を晒してみせる。どうやら腕相撲の勝負をしているらしく、飲みきった酒樽の上では男たちの熱き戦いが繰り広げられていた。

 「いってきなよ。勝負に勝ったら酒場で何か奢ってもらえばいいさ」

 レビウの言葉に酒場の男たちは盛り上がり、大男は自信満々で「いいぜ」と笑う。彼の耳が楽しそうに動いていた。

 「……手加減はなしだからな!」

 アシッドはにやりと笑った。八重歯がいつも以上に鋭く光り、彼の耳もまた楽しそうに動く。尻尾を一振り、マントを払いながらアシッドは樽の上に肘をついた。大男も張り切ってシャツを脱ぎ、肘を置く。互いの手のひらをしっかり握り合うと、途端にギャラリーが声援を飛ばし出した。いけ! やってやれ! しまいにはお金を賭けだす始末。大男は酒場では有名な力馬鹿らしく、ほとんどの人はアシッドに賭けようとしない。

 「アシッド、頑張ってー!」

 それに反抗するようにメルチェが声をかける。しかし、まわりの声が大きすぎて聞こえていないようだ。どんどん集まるギャラリーたち。見る見るうちに築き上げられた人の壁で、メルチェはその輪から外れてしまった。

 「メルチェ、またあとで見に来よう?」

 汗を流したメルチェの右手を、ディアはまた優しく握る。疲れたメルチェは苦笑しながら頷いた。


 「じゃじゃーんっ! ブリランテからやってきたエンターテイナー、みんなお待ちかねのオルエッタでーっす!」


 すると突然、聞き覚えのある声が聞こえてくる。お祭り騒ぎの街にふさわしいテンションの彼は、先ほどトラックで会った三月兎・オルエッタだ。

 声は街のあちこちに設置されているメガホンから聞こえてくる。どうやらこの通りを抜けた先、お城の下の広場から、マイクを通して流されているようだった。

 「オルエッタのところへ行きましょう!」

 メルチェはそう言って、ディアと繋いでいない方の手でレビウの手を握る。

 「はぐれないように」

 彼女の顔は少し赤い。レビウは一瞬ドキッとしたが、嬉しそうにはにかんで小さなその手を握り返した。はぐれないように。

 「……ハイリス!」

 それに気が付いたディアは、黙って後ろをついてきていたハイリスの手を取ってみる。

 ディアとハイリスはまだその短い人生の中、もう半分ほどは一緒にいるけれど、こんなふうに業務以外で触れあうことはほとんどなかった。幼い頃、眠れない夜に手を握ってもらっていたとき以来だ。ピアノのレッスンや読書、そんなかしこまった場でしか過ごしてこなかったディアにとって、まずはこのお祭りのような街にいることでさえ滅多にない経験だった。だから、少し浮かれているのかもしれない。

 メルチェとレビウの距離感を羨ましく感じたディアは、取った手を強く握った。ハイリスは驚いて、戸惑ったようにその手とディアの顔を交互に見る。

 「ディア様、私はあなたさまの執事です。このように気軽にお手に触れるなど――」

 「そんなこといいよ。ね、今日くらい」

 いつだって冷静な顔をしている白兎。もっと仲良くしたかったけれど、近付こうとしても侍従関係の壁が邪魔をして、少し寂しかった。あなたは寂しくないの? ディアは優しく微笑む。

 ハイリスは手を離せない。冷たかった手のひらが、彼女の体温であたたかくなっていくのを感じた。人混みの中、繋いだ手ばかりを見ていた。


 「今宵のイベント、そうそれはダンス・ダンス!」


 人を掻き分けて進んでいくと、オルエッタの声はだんだん近くなってくる。足を歩ませながら聞いていたイベントの内容に、メルチェとディアは顔を見合わせて表情でおしゃべりをした。

 ダンス・ダンス。

 オルエッタの説明によると、それは二人一組で踊りをすることらしい。どんどん早くなっていくステップに息を合わせてついてこれるかが、参加者の腕の見せどころのようだ。

 説明が終わってからはどこかの国の民謡が演奏され始め、会場は一気にヒートアップした。イベントが始まったようだ。変な形をしたギター、大きな石器の笛、アコーディオンやトランペットを奏でる音楽家たちが見えてきた。彼らは赤褐色の肌をしていて、ツバの広い麦わら帽子や荒い網目のポンチョを着ている。そのすぐ近くには木造の舞台。そしてその向こうに、大きくて立派なお城がそびえたっていた。

 「おっ、レビウたちじゃないのさー!」

 広場の入口まで来たとき、舞台の柵に片足で立つ三月兎がメルチェとレビウを見つけた。夕方見たときと同じ奇抜な衣装を身にまとい、薄紫の長耳を元気に伸ばしている。

 「やあオルエッタ。調子はどうだい?」

 「もちろんもちろん絶好調ー! 来てくれて嬉しいな。さあさあ舞台へ上がって!」

 オルエッタは急かすように言った。どうやらかなり忙しいらしい。

 メルチェはダンスなんて生まれて初めて踊るので、ずっとそわそわしていた。上手くできなかったらどうしよう。ディアは踊れるのだろうか。お姫様だから、舞踏会に行ったことだってあるのかもしれない。メルチェの舞踏会といえば、あの散々だった記憶しかない。もはや踊ってもいない。

 「あっ」

 ぐるぐる考え込んでいるときだった。人波の勢いで、メルチェとディアの手が離れる。それに気が付いてすぐ振り返ったが、ディアとハイリスの姿はもうなかった。

 「レビウ、どうしよう。ディアたちとはぐれちゃったわ」

 メルチェの焦る声にレビウも振り返る。けれどすぐに微笑み、メルチェの手を強く握り直した。

 「ディア様にはハイリスがついてるから、きっと大丈夫だよ。僕たちもはぐれないようにしなくちゃね」

 その言葉を聞いて、メルチェは安心したように「そうね」とうなずく。

 二人は舞台に登るための階段に辿り着いたところだった。レビウはメルチェを気にかけながら、転ばないよう段差を登る。

 舞台は思った以上に広く、何組ものペアが手を取り合ってくるくる回っていた。足音を鳴らしてステップを踏み、音楽に合わせて身を揺らす。

 「メルチェ」

 すると、レビウが繋いでいない方の手を胸に当てた。

 「僕と踊ってくれませんか?」

 彼のキザなセリフに、メルチェは思いきり照れてしまう。だけど嬉しくて、笑顔になった。

 「喜んで!」

 二人は改めて両手を取り合い、実は踊ったことがないのと戸惑うメルチェにレビウが微笑む。てきとうなステップを踏む兎の革靴を、メルチェは真剣に見つめた。懸命に彼の足を追いながら、少しずつそれを覚えていく。そして二人でくるりと回った。

 音楽に合わせて繰り返し踊っていると、メルチェはだんだん上達してくる。舞踏会のようなクラシックダンスを想像していたが、簡単なステップのリピートであることにとても安心した。腰にまわされたレビウの腕が、なんだかくすぐったい。

 「みなさん楽しんでますか! そーろそろスピードアップしちゃいましょー!」

 オルエッタの声がマイク越し、楽しそうに降ってきた。その言葉の直後、曲のテンポが少し早くなる。

 「レ、レビウっ」

 「平気だよ。ほら」

 二人は笑いながら舞台の上でステップを踏む。足元ばかり見ているメルチェの必死な顔を、レビウはずっと見つめている。できた、できなかった、難しい、と、ワンセット踊り終えるたびに感想を言うメルチェ。そんなことを言っている間にも、曲のテンポはどんどん早くなっていく。徐々にメルチェの口からは笑い声しか出てこなくなり、せわしくなっていくダンスにおいていかれないよう二人は懸命に足を動かす。繋がれた片手は、無意識に握る力が強くなっていく。ステップを踏むたびメルチェの三つ編みが跳ねるのと同じで、レビウの黒い耳も忙しそうに揺れていた。まわりのペアたちもダンスに夢中。気付けば人が増えていて、舞台の上は大混雑だ。

 「きゃあっ!」

 メルチェの足がもつれた。レビウは咄嗟に彼女の体を支え、近くなった距離に二人は何も言えなくなる。

 「あ……えっと、もう降りようか」

 兎がその目のように頬を赤くして言った。メルチェも同意して頷き、二人はたくさんの人が踊り狂っている中を掻き分けながら舞台を降りた。

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