街と兎とお姫様
街は賑やかに輝く。
メルチェ、レビウ、そしてアシッド。三人が赤タイルの地面を踏みしめたのは、太陽が南西に傾く頃だった。
森を抜けきる前から聞こえていたトランペットの音楽、心待ちにしていた楽しげな街の表情に、メルチェはときめきを隠せない様子である。
「ここがシャロイ……!」
そうして広場の噴水まで駆けていく。くるりくるりと嬉しそうに回り、彼女のスカートがピンクの花のように膨らんだ。
シャロイは遊園地のような街だった。
アコーディオン弾きにカラフルな建物、パステルカラーの道、クレープを売るワゴン。初めて見るものだらけで、すべてが夢のようだ。たくさんのバルーンが飛んでいく。コミカルな音楽にのりながら、それらは空へと吸い込まれていった。ここでは全部が夢のようで、まるで宝箱のようだった。
「見て見て! 向こうでなにかやってるわ!」
はしゃぎまわるメルチェ。レビウとアシッドは少々呆れ笑いでついていく。
メルチェはパーマ屋さんのそばに停められたおかしなトラックに駆け寄った。トラックは水色で、チェック柄のテント屋根が張ってある。
趣味の悪いピエロの着ぐるみと握手をしたあと、メルチェはテントの中へ入りトラックを覗いた。
「やあやあこんにちはっ、お嬢さーん!」
すると突然、元気な声と一緒に誰かが飛び出してきた。
「びっくりした? びっくりした!?」
それは、ふざけたように笑う青年だった。年齢はレビウとアシッドの間くらいだろうか。驚いて尻もちをついたメルチェに、パッと手を差し伸べてくれる。戸惑いつつも手をとると、青年はメルチェを勢いよく引き上げた。痛い。
立ち上がったあと、青年の姿を改めて確認する。彼は黄色のシルクハットを斜めに被っていた。そのせいで片方だけしか見えないのだ。
薄紫の、長い耳が。
「兎さん……!」
メルチェの言葉に青年はにっこりと笑う。
「そう! オイラは三月兎!」
両手の人差し指を両頬に置き、おちゃめなポーズをとってみせた。強い癖毛でモフモフになった、坊ちゃんカットがふわりと揺れる。
明るい笑顔の彼は、どこからどう見ても変な人だった。
肩に羽織られた上着はシルクハットと同じで眩しい黄色。後ろの丈が膝に届くほど長い。赤い宝石でできたボタンに変わった襟のカッターシャツを着て、首元のチョウネクタイなんてそれはそれはチョウハツ的だった。
三月兎のユニークな格好にドギマギしていると、彼は耳を跳ねさせて言った。
「今日のイベントはもう終わっちゃったんだー。ごめんねっ!」
手を合わせて謝っているつもりらしいが、メルチェにはふざけているようにしか見えない。そもそも、イベントとはいったいなんのことだろう。
「メルチェー?」
そんな話をしていると、追いかけてきた黒兎がテントへとやってくる。狼も面倒臭そうに次いでやってきた。そしてレビウが三月兎を見つけた瞬間、彼はとても驚いた顔で赤目を大きくさせる。
「オルエッタ……!」
その声と呼びかけに、三月兎もレビウの方を見て驚いた。
「嘘っ! レビウ!? レビウじゃないの!? ひっさしぶりー!」
オルエッタと呼ばれた三月兎は、歓喜の声を上げて嬉しそうに黒兎の手を取る。無邪気に笑い、掴んだレビウの腕をブンブンと上下して振り回した。レビウも痛がってはいるが、わかったわかったと返事をしながらはにかんで、どこか嬉しそうだ。
「どーしてこんなところにいるのさー!」
興奮した様子のオルエッタに、レビウは「メルチェたちと旅の途中なんだ」とにっこり答える。目配せをされたメルチェは、スカートを持ち上げてぺこりとおじぎをした。一方アシッドは、俺には関係ないといった様子。テントの外にある景色や、レンガ造りの街並みを眺めてばかりで相も変わらず無愛想だ。
「オイラはオルエッタ! ブリランテからやってきた、眩しい笑顔のエンターテイナーだよーんっ」
そんな狼に構いはせず、オルエッタは元気いっぱいに自己紹介をする。ほっぺに両手の人差し指を当て、言ったとおりの眩しい笑顔で口角をあげた。
ブリランテから。
メルチェはその言葉に一瞬ドキッとしてしまった。
話を聞いていると、オルエッタは芸人集団の一員のようだった。このトラックでさまざまな場所に訪れ、楽しいイベントを開催しているらしい。だからこんなに個性的なのね、と、メルチェは勝手に納得する。
「今回はチェスのイベントをしていたんだ。トーナメント戦で、誰でも自由参加型の!」
トラックの荷台を指差して言ったオルエッタ。見ると、設置されたカウンターには可愛らしい色のチェスボードがいっぱい重ねられている。
楽しそうね、と言いかけたときだった。
「そういえば、今この街にハイリスも来てるよっ!」
レビウの顔から笑顔が消える。
メルチェは聞き覚えのない名前とレビウの表情に首を傾げ、アシッドの方を見上げる。彼は先ほどと何も変わらず街の景色に目をやって、退屈そうに大きなあくびをしていた。大きな八重歯が見えた。
「……ハイリスは、どうしてここへ」
「さあー? ディア様とデートなんじゃない?」
「あいつに聞かれたらすごい怒られると思うけど」
「ラビットジョーク、ラビットジョーク!」
オルエッタは笑い方まで変だった。二人が話しているのを見ていると、なんとなくモヤモヤとした気分になる。誰かの名前が行ったり来たり、自分の知らないレビウがいること、それが少し不服だった。
「とりあえず、もう夕方なんだから大通りの宿屋にでも泊まりなよ。シャロイは小さい街だけどとっても楽しいし、オイラもまだいるつもり。もうすぐ姫のオーディションもあるんだよー!」
「オーディションがあるの!?」
メルチェが思わず反応する。
しん、と一瞬静まり返り、数秒後にオルエッタが吹きだした。
「あははっ! 急にどうしたのメルチェ!」
なんでも彼は笑い上戸らしく、一度笑い出したら止まらなかった。腹を抱えて笑い、そこまで笑わなくてもというほどである。顔を赤くして脹れっ面になるメルチェの頭を、レビウは優しく撫でてくれた。が、メルチェの心にはまだモヤモヤが残っていたこともあり、少し機嫌を悪くして黙っていたままだった。
.
テントから出て街を歩き始めると、スローペースな音楽が流れだした。アコーディオン弾きがこの曲を弾くと、広場で遊んでいた子どもたちは一斉に解散し始める。色をつけた石ころたちを花壇の中に隠したあとに、また明日、いつもの時間にいつもの場所で、合言葉はわかっているよ、そんなことを歌にのせながら家路を走る。
オルエッタと別れたメルチェたちは夕暮れの通りをぶらぶら歩く。空は淡い橙を広げ、赤い日に雲が薄くたなびいている。
「……メルチェ、なんか怒ってる?」
先ほどからタイルの線を踏まないよう、そんなことに集中しているメルチェだが、レビウの言葉を聞いても足の歩みを止めない。
「別に怒ってないわよ?」
「そっか……」
レビウは納得せずにそう言った。
オルエッタのトラックを出てから、なんだかそっけないように感じるのだ。ただ拗ねているだけのメルチェだが、なかなか長引きそうな不機嫌である。
「……俺はそろそろ解散するぜ」
そんな中、アシッドが突然言った。
メルチェとレビウは立ち止まる。すっかり一緒に旅をしているつもりだったが、彼はそうでなかったらしい。藍色の瞳に夕日が映る。レビウは通り沿いの店の壁にもたれかかり、なにかを考え込むように目を伏せた。
「目的地はブリランテ。僕らと同じじゃないか。そりゃあ、アシッドは急いでいるだろうけど……」
そして落ち着いた口調で言う。
アシッドもなにかを考え込んでいるようで、すぐには返事をせず口を濁した。メルチェは首元の赤い紐リボンを結び直している。アシッドの返事やレビウの次の言葉を待っていたのだが、微妙な沈黙にそろそろ居心地が悪い。
「一緒に行かないの?」
ついに発したメルチェの問いかけにも、アシッドはまだ考えをめぐらせているようだ。
「なんていうか、いろいろあるだろ」
「いろいろって?」
すぐにレビウが問いかける。
「いや……いろいろだよ」
そんなにいろいろと言われてしまったら、それ以上踏み込めなくなる。レビウとアシッドの間柄、踏み込めないことなんてないようにも見えるが、メルチェにそっぽを向かれているレビウはなんとなく自信がなくなっていた。
「……わかった」
そして長い耳を垂らして言う。メルチェは目を見開いてなにかを言おうとした。
「だけど」
しかしまだレビウの話は終わっていなかったらしく、踵を返そうとしたアシッドの尻尾を引っ張る。
「痛えな、なんだよ」
「この街を出るまでは一緒にいよう。宿屋の代金が得だろう? お互い半分になる」
レビウの提案に、アシッドは少し悩む。けれどこの先の旅のことを考え、複雑な顔をしながらも提案にのることにした。渋々頷き、三角の耳と髪をいっぺんに掻き乱す。
レビウの言葉がただの口実であること、それはわかっていた。いつの間に人といることに安心を、人と離れることに寂しさを感じるようになってしまったのだろう。かつての一匹狼は思った。彼はもう一匹ではなかったから。
そこから少し、三人の間には沈黙が続いた。拗ねていたメルチェは、普段通りレビウに声をかけるタイミングをなくしてしまったようだ。タイルの線に夢中になっているふりで精一杯である。
レビウはというと、なにかしら寂しがっているようだった。メルチェの冷たさもそうだが、アシッドのことも。呼びとめたはいいが、どうせ別れることになるだろう。当の本人はなにを考えているのかわからないし、遠くの鳥を眺めたりしている。
「……大きな門」
ふと、メルチェがつぶやいた。
見ると、三人の前にはメルチェのつぶやき通り、大きな門が立ちはだかっている。それはカラフルな建物たちの背をゆうに超えていた。
巨大な門にメルチェは触れる。それはとても頑丈で、太い鉄骨が難しい模様を作っていた。重そうな錠は門の口をしっかり閉じて、押しても引いてもびくともしない。
「向こうに別の街があるわ」
門を越えた先は石畳。今踏んでいるピンクや水色や黄色のタイルとは違い、鋼の色をしたものだ。街並みだって石造りであり、ポップな外観をしているシャロイの街並みとはまた違った印象を覚える。民家というよりは店が多く見られるが、人の気配はまったくしなかった。けれど廃街には思えない。道や建物には手入れがされているようだったし、なにより、街の奥には大きな古城がそびえたっていたからだ。
「イロクシティだよ」
レビウが口を開いた。
「イロクシティ?」
メルチェは石の街から目を離し、レビウの方を見る。レビウはなんだか久しぶりにメルチェと目が合った気がした。
「どうして門が閉まっているの?」
冷たくない声に心底安心したレビウ。やっと微笑むことができたようだ。
「すぐにわかるよ」
その笑顔にメルチェの意地も消えた。同じように小さく笑い、「楽しみだわ」と言ってみせる。ようやくいつもの二人に戻った中、アシッドの様子だけが暗いまま、さっきと変わらずにいた。彼はこの街へ来てから景色ばかりを眺めている。考え事――おそらく別の旅路を行くことについて思い込んでいるのか、あまりメルチェやレビウの顔を見ようとしない。
「……なあ、あそこに誰か倒れてないか?」
アシッドがこのセリフを言ったときも、彼は路地に消える野良犬を見ていた。その路地の手前に、銀色の髪をした緑のドレスの少女がいる。地面に倒れ込み、苦しそうに胸に手を当てていた。
「大変!」
メルチェは急いで少女の元へ走っていく。白いケープで覆われた、薄い肩を抱き上げた。
「大丈夫? どこかつらいの?」
「ご、ごめんなさ……わたし――」
少女は目を瞑って眉をしかめたまま、少しだけ唇を動かす。前髪がポンパドールになっているため、額に滲む大きな汗の粒がよく見えた。咳き込む少女の縦巻きが激しく揺れる。メルチェはどうすればいいのかわからないまま背中をさすり、息を切らす少女がただただ心配だった。
「誰か人を呼んだ方が………――あれ、レビウ、どうしたの?」
メルチェが少女を抱いたまま上を見上げると、そこには硬直している兎がいた。自分の腕の中で肩を上下させている少女を見て、驚いたような、強張ったような、そんな顔で身体を固くしている。
「あ、あなたは……」
「ディア様!」
すると突然どこからか飛んできた声。
レビウはハッとして振り返る。メルチェとアシッドもつられて振り返る。見ると、向こうから誰か走ってきたらしい。
風を切る早さでやってきたのは、純白の長い耳を生やした黒髪の少年――――
白兎。
「ご無事ですかディア様! 探しましたよ。あれほど一人で歩きまわらないようにとお伝えしましたのに!」
少年は白いベストの内ポケットから薬を取り出し、メルチェに支えられているままの少女――ディアに丁寧に飲ませた。するとディアの呼吸はじきに落ち着き、咳も出なくなっていった。少年はほっとしたように息を吐き、メルチェの手からディアを抱き上げる。そして近くのベンチへ寝かせた。
「――驚いたな」
メルチェがディアの様子を覗き込もうとしたとき、背中を向けたまま白兎が言った。
レビウがため息を吐くと、ちらりと目だけをこちらによこし、乾いた笑みを不敵に漏らす。驚いたな、なんて、驚いたのはメルチェの方だ。状況が呑み込めず、アシッドの方へ目線を向ける。さすがのアシッドも今回ばかりはメルチェの目線に答えたようだ。面倒だな、と肩をすくめた。
「……白々しいね。ハイリス」
“ハイリス”。
レビウの言ったその名前には聞き覚えがあった。ついさっき、オルエッタとの会話で出てきた名前だ。そう思えば、“ディア様”も。
「ハイリスどうしたの……?」
メルチェが思考をめぐらせていると、ベンチに寝かされていたディアが起き上がった。彼女も状況を把握していないようだ。小さな声に気が付いたレビウは、にこりとやわらかい笑顔を浮かべる。
「はじめまして、僕はレビウと申します。あなたさまの執事、ハイリスとは幼少からの付き合いです。よろしくお願いいたします、ディア姫様」
「えっ!」
レビウの固い挨拶に、メルチェはまた思いきり反応した。今まで考えていたことがすべて飛んでいく。
「お姫様!?」
ハイリスとディアの顔を交互に確認する彼女に、ハイリスは冷めた表情で頷いた。しかしメルチェは気にすることなく、金色の瞳を輝かせてディアの両手を取った。彼女の手は小さく、透けるような色白だ。
「私メルチェ! えっと、ディア様ね! すごいわ、お姫様だなんて」
「そ、そんなことないよ。わたしのところはただ父の家系が……」
「王族なの!?」
沈む夕日がメルチェの瞳を一層輝かせる。ディアは戸惑いながらも彼女のまっすぐな目の奥を見つめていた。今まで見てきた宝石なんかより、断然綺麗だと思った。
「わたしのことは、ディ、ディアでいいよ……なんて……」
ディアは一生懸命勇気を出して言ってみた。誰からも姫として一線を置かれて扱われている自分に対し、こんなにも無邪気に接してくれる女の子と出会えて嬉しかったのだ。
「ほんと!? それなら私のこともメルチェって呼んで! レビウ、アシッド、お姫様のお友達ができたわ!」
その言葉に、お姫様はもっと嬉しくなった。黒兎と狼は彼女のいつも以上の勢いに唖然としているだけだったが、白兎は気に入らない様子だった。しかし、自分の主であるディアがこんなにも嬉しそうなのだから、口を挟むなんてことはできるはずがなかった。




