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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第3章 赤ずきんと森の狼
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深い谷

 ティークのおばあさんの家は、森のはずれの谷を越えてすぐらしい。あたたかなひだまりの中、ティークとメルチェを先頭に、四人は出発する。

 「待って、レビウさん」

 そのとき、一番後ろにいたレビウをルートヴィヒが呼びとめた。彼女が神妙な面持ちで手招きをするので、レビウはアシッドに「あとから行くよ」と伝えてルートヴィヒのところへ駆けていく。ぴょこぴょこと跳ねる彼の長耳を眺め、おいていくなよと不安になる狼がいた。

 森に木漏れ日が差している。スポットライトのように地面を黄色く照らし、そんな光を浴びながら花は微風に揺れた。朝も耳にした美しい森のメロディ。相も変わらず心地がよくて、二つ折りの蝶はご機嫌に宙を舞う。

 「……足、大丈夫なの」

 ティークが尋ねた。メルチェの隣を歩きながら、ばつの悪そうな顔をしている。そんな彼女を見て、メルチェはにっこりと笑った。そして、ティークの頭を頭巾越しに撫でる。

 「心配してくれてありがとう。さっきルートヴィヒに手当てしてもらったから、もう大丈夫よ!」

 元気にピースサインをするメルチェ。すると、その指先に蝶がとまった。

 「あ、指に……」

 ティークが手を伸ばすと、蝶は再び空中へと舞い降りて、次はティークの頭巾にとまる。

 カラフルな羽は、太陽に照らされて虹色に輝いていた。カールした触覚が上下して、ティークは少しくすぐったそうにした。

 「素敵な髪飾りね」

 メルチェがそう言って笑うと、蝶はまた空へ飛び立っていく。

 優雅なその姿を眺め、メルチェとティークは自然に顔を見合わせた。なんだか楽しくなってまた笑ったメルチェに、ティークも思わずつられる。そして歯を見せて笑った。あどけない女の子がそこにはいた。

 「……そんなふうに、いつも笑ってればいいんじゃねえのか」

 ふと、後ろを歩いていたアシッドが口を開く。

 メルチェとティークは振り返った。そのうち赤い頭巾の方は、歩ませていた足を突然止める。白いワンピースの裾が揺れた。

 「ティーク……?」

 突然訪れた静寂に、メルチェは恐る恐る彼女の名前を呼ぶ。残りの二人も立ち止まった。不穏な雰囲気を感じたのか森のメロディも遠慮がちになり、風の音だけがこだまする。

 「……どうせ」

 ティークは低い声でつぶやいた。そして勢いよく顔を上げ、目元をキツくさせる。


 「どうせ、いつも可愛げがないって言いたいんでしょ!」


 強く言い放ち、唇を噛みしめた。

 驚いて目を丸くさせるアシッド。メルチェも戸惑い、なにもできずにいる。

 「もういい! アタシ一人で行ってくるから!」

 「なんでそうなるんだよ! 褒めたんだろ!」

 「うるさい! うるさい、うるさい!」

 ティークは聞く耳を持たない。アシッドが焦って誤解を解こうとしても逆効果のように思えた。

 「もう来なくていいから!」

 ティークは、そう叫んで走り出す。

 「ティーク!」

 駆けていく赤頭巾を、狼とメルチェが追いかける。

 森に慣れているティークはとてもすばしっこかった。追いつけないわけではないのに、捕まえようとしてもするりと身をかわす。木の根っこや草の道、土を蹴ってアシッドたちが追いかけにくい道を選んでいるらしい。まるで障害物競争だ。

 「くっそ、あの小娘っ」

 アシッドは、障害物を器用にクリアしながらティークに追いついていく。運動神経は人一倍にある狼。よくよく考えると、小さな女の子一人に追いつけないわけがなかった。彼は迷っていた。嫌がるティークを捕まえて、どうするというのか。無理矢理に話を聞かせたって誤解なんて解けない。だけど放っておくわけにもいかず、こんなとき、あの兎ならどうするのか。アシッドは迷っていた。

 三人は森を抜けようとしている。谷が見えてきたので、もうすぐティークのおばあさんの家に着くはずだ。障害物競争に遅れをとっているメルチェは、アシッドのなびくマントに風を感じていた。


 焼け焦げたような地面。

 奥底まで引き裂かれた亀裂。


 森のはずれの谷は、とても深かった。それはもはや二つの崖で、崖と崖を繋ぐのは古い吊り橋。渡っている途中でバランスを崩せば、奈落の底へ一直線だ。

 しかしティークは足を止めない。怯まず吊り橋を渡り始め、アシッドはぎょっとした。吊り橋はぐらりぐらりと激しく揺れる。木板の足場を踏みつけて、ついにアシッドはティークの腕を掴んだ。

 「ちょっと! 離してよ!」

 「待てって言っても止まらねえからだろ!」

 反抗するティークを押さえようとするアシッド。二人の動きが大きくなるだけ、吊り橋の揺れもどんどん大きくなる。すべてを結びとめるロープは頼りがない。ミシミシと大袈裟に音を立て、恐怖心をくすぐった。不安定な足元を踏み外せば、確実に落ちる。

 「……っ!」

 さすがに危険だと感じたアシッドは、無我夢中で抵抗しているティークの腕を思い切り引っ張った。ティークは強い力に足の感覚を奪われる。勢いにのせられて、ティークとアシッド二人の体は吊り橋を渡りきった。そして向こう側の地面へと倒れ込む。

 「何すんのよ!」

 「馬鹿かお前、あのままだと落ちてたかもしんねえんだぞ!」

 またもや喧嘩を始める二人。遅れてやってきたメルチェは彼らを止めようと吊り橋を渡ろうとした。しかし、いまだ暴れる足場に一歩踏み込んだ、その瞬間。

 「きゃああっ!」

 手当てしてもらった足首をまた捻ってしまい、バランスを崩すメルチェ。吊り橋のロープに掴まろうと腕を伸ばしたが、あと少しの距離で届かなかった。

 自分が宙に投げ出される感覚に覆われる。風が貫く。耳に、背中に、分厚い空気に飛び込む音を、ひたすらに感じていた。


 「メルチェー!」


 ――キツく瞑った瞼を開ける。

 そこには、谷の中で宙ぶらりんに漂う見慣れたショートブーツがあった。


 浮いてる?


 びっくりして上を見上げれば、歯を食いしばる兎の姿。


 「レビウ……!?」

 「引き上げるから、もうちょっとだけ我慢して……!」

 レビウはそう言ってメルチェの腕を掴んでいた。

 手を離せば落ちる。離さなくても、このままでは二人で落ちる。そう思うと指が強く食い込んだ。メルチェの顔が微かに歪み、レビウは「ああ、痛いんだろうな」と胸が痛んだ。滲み出る汗で少し滑る。

 谷は口を開けているかのようだった。メルチェを飲み込もうと、暗く濃い闇が奥深くまで沈んでいて、気味が悪い。吊り橋が揺れているせいで落下していく石ころたちは、見えない谷底へ塵のようになって消えていった。落ちてしまえばそこで最後。石ころたちと同じだ。

 「レビウ、大丈夫か!」

 向こう側でアシッドが立ち上がる。こちらへ来ようとした彼に、レビウは「駄目だ、揺れる!」と焦り気味に答えた。レビウはさらに腕の力を強くする。出来るだけ谷底を見ないようにして、ゆっくりとメルチェを引き上げる。

 「待ってね」

 不安と恐怖に硬直するメルチェの顔。少しでも安心させたいと、レビウは苦しくも笑いかける。両足を踏ん張り、重心に気を付けながら後退していく。メルチェの体が徐々に地上へ持ち上がる。足元の砂で滑らないように気を付けながら、レビウはメルチェを引き上げた。

 「怖かった……」

 ようやく地面に着くことができたメルチェ。その体は震えている。ただ、レビウが背中を撫でてくれたので、すぐに治まったようだ。アシッドとティークも胸を撫で下ろし、メルチェはもう立ち上がろうとする。すると、レビウは微笑むのをやめた。

 「メルチェ」

 そしてメルチェの足首に触れる。驚いて肩をびくつかせた。

 「まだ痛いんだろう?」

 「そ、そんなこと」

 「無理しちゃいけない」

 メルチェの我慢に気付いていたレビウは、彼女の体をひょいと持ち上げた。

 今日二度目の抱っこにメルチェはまた赤面する。照れ隠しに「レビウったらー!」なんてふざけようとしたのだが、やっぱりやめた。腕の中で見上げた彼の表情は、なんだか真剣だったのだ。何も言えずにいるうちに、レビウは吊り橋を渡って向こう側へと辿り着いていた。

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