森の家
道は一本だった。そのため、赤い木でできた家に辿り着くのはあっという間だった。
「ここが赤頭巾のおうち?」
色とりどりの花の絨毯。その真ん中に、小さな家は建っていた。白い切り株が家のまわりを囲むように並び、赤や青の実の粒をつけている。せせらぐ川には水車が回っていて、涼しげな水の音がゆっくりと森に響いていた。
「よし、行くぞ」
アシッドは何のためらいもなく花の絨毯に足を進めていく。彼の靴裏が躊躇なく草花を踏みつけ、滲み出た蜜の香りがメルチェたちの鼻先をくすぐった。
「ちょっとアシッド。もっと気を付けて歩きなさいよ」
「ああ? うっせーチビ」
「チ、チビじゃないわ!」
二人のやり取りに入っていけず置いてけぼりをくらっていたレビウだが、苦笑しつつメルチェをなだめた。なだめながらも、むきになっている彼女が可笑しくてたまらない。
「なに言ってんだ。どう見ても一番ガキだろ」
「な……! そんなことないわ! 背だってレビウと変わらないもの!」
いつまでも意地悪な狼の挑発に軽々とのってしまっているメルチェは、レビウに抱かれたままで暴れていた。悔しくて顔が赤くなってくる中、「ねっ、レビウ!」と優しい兎に同意を求めたのと同時に、家の扉が目の前で開かれた。
「あら。あなたたち、うちになにかご用かしら?」
出てきたのは、ブロンドの髪をした中年の女性だった。ファンシーなエプロンを腰に巻き、瞳に三人を映して不思議そうに首を傾げている。
「おう、赤い頭巾の小娘が――って、いってえ!」
「突然すみません」
すると、今にも噛みつきそうな狼を押しのけ、兎が丁寧な口調で前に出た。
「こちらに赤い頭巾をかぶった、小さな女の子はいらっしゃいませんか? 少しお聞きしたいことがあって……」
にこりと爽やかな微笑みで尋ねるレビウ。それに好感を持ったのか、女性もやわらかい笑顔で返す。
「ああ、うちの娘のことかしら。すぐに呼びますね」
女性は赤頭巾の母親らしく、たしかに口元や鼻などが先ほどの少女とどことなく似ていた。瞳の色だって、髪の色だって……違うのは、あのキツく釣り上った目元と刺々しい雰囲気だけだ。
「それと……」
女性は玄関に入っていこうとしたが、ふと足を止め、振り向いた。
「兎さんに抱っこされているあなたはどうしたの?」
そしてメルチェを見て問いかける。恥ずかしくなって赤面する本人に代わり、「足を怪我してしまって」とレビウが答えた。
「それならうちで手当てしましょう」
女性は笑顔のままで優しく言った。
.
家の中は焼きたてのキッシュの香りが立ち込めていた。
フカフカのソファと低いテーブル、立派な花瓶が置かれたここは客間だろうか。蔦柄の壁紙は落ち着いた雰囲気だ。すぐそばの暖炉は使われている形跡がなく、その証拠として分厚い埃をかぶっている。今は雪の季節でないので必要ないのだろう。
「あなたたちお名前は? わたしのことはルートヴィヒって呼んでちょうだい」
ルートヴィヒは棚の奥から包帯を持ってきてメルチェの足を手当てする。もてなしとして出されたスコーンとハーブティには手をつけず、レビウは手当ての様子を心配そうに見つめていた。
「私はメルチェ! 足の手当てをありがとう、ルートヴィヒ」
自己紹介をするメルチェ。レビウも微笑み、「レビウといいます」と自分の名前を言った。
対して狼の態度はそっけなく、遠慮なしにスコーンを口へ放り込んでいた。さっきキッシュの匂いがしたのにスコーンか。なんて小憎たらしいことを考えながら。彼は苛立っていたのだ。一刻も早く赤頭巾を見つけ出して手紙を取り返さなければならないのに、こんな落ち着いた壁紙の客間で美味しいスコーンを食べている暇はない。と思いつつも、アシッドはハーブティーまで飲み干した。
「おい」
すべてのスコーンを食べ終えたアシッドは、ついに立ち上がる。焦げ茶の髪を掻きながら、「娘はまだか」と低い声で言った。
「あら、ごめんなさい。今すぐ」
足の手当てをしていたせいで本題を忘れていたルートヴィヒは、そう言われると慌てて客間を出ていった。部屋の外、すぐに階段を上がる音が聞こえたかと思えば、「ティーク、ちょっと来なさい」と誰かを呼ぶ声も聞こえた。遠くドアの開く音。じきに階段を下りてくる二つの足音がした。
「お前なあっ……!」
そしてルートヴィヒが客間の扉を開けたとき。
彼女に連れてこられた赤頭巾――ティークに、アシッドは掴みかかっていた。
「ちょ、ちょっと!」
思わずびっくりしてしまうメルチェとルートヴィヒ。
光を帯びた深い藍色の瞳で、アシッドはティークを睨みつけていた。突然のことに戸惑いの表情を見せていたティークだが、彼の逆立つ狼の耳と尻尾に気付き、お得意の刺々しい目つきに変わる。レビウはアシッドのマントを引っ張って二人を引き剥がした。
「なんなのよ!」
掴まれて皺が出来た赤頭巾を整えながら、ティークは大声を出す。
テーブルの上のハーブティーからは煙のような湯気が上がっていた。それはこの客間に充満し、張り詰めた空気に溶け込んでいく。
「アンタ、さっき追いかけてきてた狼でしょ? 狼族だったの?」
「そうだよ。勘違いして逃げ回りやがって」
アシッドはため息を吐く。やはり彼の瞳はティークを睨んだまま、冷たい光を帯びさせていた。それでもティークが怯むことはない。
「ちょ、ちょっと。いったいなんの話をしているの?」
ただならない二人の様子に困惑するルートヴィヒ。自分の娘に掴みかかった狼に警戒しながらも、生意気にものを言う娘本人にも怪訝な顔を見せる。
「ママには関係ない!」
母親の心配なんてそっちのけで、ずっと棘のあるティーク。
すると、アシッドは真剣な面持ちになった。そして、ゆっくりと口を開く。鋭い八重歯がちらりと覗いた。
「……俺の手紙、返せよ」
そう言った声は震えていた。両手で作った拳には爪が食い込み、深く跡がついていた。
「はあ? 知らないわ。何よそれ」
そんな狼とは裏腹に、ティークの態度はいまだ生意気なまま。
「か、風で。お前のかごに入っちまったんだよ。あっただろ、一枚の紙切れ」
「あー……あの便箋のこと?」
ティークは思い出したような表情をしたあと、窓の外を見た。
「あれアンタのだったんだ。なにかわかんなかったから捨てちゃった!」
その瞬間。
アシッドは握りしめた拳で、近くにあった棚の上をぶちまけていた。
「ふざけんな!」
バラバラと音を立てながら、アンティークの人形たちが床に転がり落ちる。
アシッドはソファを蹴り飛ばしたかと思うと、目の前の小さな女の子に再び掴みかかった。体が震い立ち、思わず腕に力が入る。
「あれは! あの手紙は……!」
怒りに燃えつつも、その瞳は潤んでいた。どこまでも濃く染まる、夜の荒れた海のようだ。
口元の牙は鋭く光っているのを見て、メルチェは狼と出会ったときのことを思い出した。けれど、ここにいるのはあのときの狼とは別ものだ。あのときだってひどくおっかないと思ったけれど、全然違う。今ここにいるのは、本当に怒っている狼だ。それでいて、本当に悲しんでいる狼だ。
「乱暴はやめて!」
ルートヴィヒが叫んだ。
混乱しつつも娘を掴む腕を解こうとするが、力が強くてびくともしない。固まってしまっていたメルチェもハッとして、「そうよ、怪我しちゃう!」と大声を出した。しかし、狼はかたくなに怒りに支配され、ティークを離そうとしない。さすがのティークも驚きと恐怖で体が強張り、抵抗すらできないようだった。
「アシッド」
すると、レビウが立ち上がった。
ルートヴィヒとメルチェを一歩下がらせ、狼の肩を掴む。それでも狼にはティークのことしか見えていないようだった。
「お前、あれがなんなのかわかってんのか!?」
「んなの知らなっ……」
「アシッド」
「どうしてくれんだよ!」
「やめ……」
「アシッド!」
「うるせえ!」
激しい怒号を撒き散らしていた狼は、自分をとめようとする兎を振り払い、その少年にまで手を上げた。解放されたティークは喉を押さえて咳き込む。そしてレビウに思いきり殴りかかったアシッドに、メルチェは反射的に瞼を瞑った。
小柄な体が、硬い拳でぶたれてしまった痛々しい姿が目に浮かんで。
しかし、メルチェが恐る恐る目を開くと――
相も変わらず、テーブルから香る上品な匂い。
その中で、彼らは静寂に熱を冷ましていた。ティークに駆け寄ったのはルートヴィヒ。そして込み上げたやり場のない、悔しさいっぱいの拳を受けとめた、兎がいた。
「レビ、ウ……」
レビウはちゃんとわかっていた。アシッドが今どんな思いでいるのか、ちゃんとわかっていた。だけど、だからこそ、彼を止めないわけにはいかなかった。小さな女の子の首を絞める彼なんて見たくなかったし、見せたくなかったからだ。その大きな手はそんなことをするためにあるんじゃない。
レビウの赤目が、部屋のランプの光をキラキラと乱反射させる。そんなまっすぐな瞳で、彼はアシッドの泣きそうな顔を見つめていた。
「お前らしくない」
レビウの穏やかな声を聞いて、アシッドは力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。上がった息を整えながら自らの膝に顔を埋め、そんな愚かな狼の足元で、倒れっぱなしの人形たちが彼を見上げている。
「ティーク、大丈夫かい? ルートヴィヒさんもメルチェも」
冷静な表情でレビウは尋ねた。
メルチェたちはそんな問いかけに落ち着きを取り戻し、みんながなにも言わずに頷く。
「手紙、どこで捨てたか覚えてる?」
冷静なまま、けれど優しく微笑みながら、レビウはティークの顔を覗き込んだ。彼女の顔つきに棘や毒はもうない。その代わり、とても衝撃を受けているようだった。レビウはそんなティークの頭を撫でてあげる。
「おばあちゃんのお家の……暖炉に」
「燃やしちゃったのかい?」
「燃やして、ない……」
「じゃあそのままなんだね」
ティークはコクコクと首を上下させる。すると、レビウは立ち上がって黒のジャケットを整えた。
「それなら大丈夫だ。ティークにおばあさんの家まで案内してもらおう」
レビウの言葉に、ティークもアシッドも顔を上げる。不安げな二人に、今度はメルチェが明るく声をかけた。
「そうね。みんなで行きましょう!」




