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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第3章 赤ずきんと森の狼
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 森は騒がしかった。


 不規則に立ち並ぶ木々。青々と葉を茂らせ、風に煽られながら裏と表を見せている。

 枝で歌うのは小鳥。笑うのは小鹿。地面の中の虫たちだって、思い思いのささやきを口にしていた。すべての声が重なり合って、森中にメロディを奏でている。

 メルチェたちは小道を行く。芝生がはげ、土がむき出しになっているのは、人々が森を抜けているうちに自然にできたものだろう。小道の隅には時折綺麗な花が咲いていて、メルチェはそれを見つけるたびに摘み集めて束にした。

 「レビウ、私ね。目が覚めたら、レビウはきっといなくなってると思ってた」

 ふとメルチェが言った。

 暗い雰囲気ではなかったが、レビウは思わず驚いて、返事をするのを忘れてしまう。

 「だってレビウって、いつも瞬きをする瞬間に消えちゃうんだもの」

 いつも丸い目をさらに丸くしたレビウ。メルチェは冗談らしく笑った。

 「どうしたの?」

 穏やかな森の時間と同様、頭上では優しい青の空が広がっている。カーテンレースの薄い雲。急に立ち止まったレビウの上で、ひだまりは東に浮かんでいた。

 「ごめん……」

  彼の表情にメルチェは焦る。眉を寄せ、真剣に謝りだした小さな兎。まさかそんな顔をさせてしまうなんて考えてもいなかったのだ。

 「えっ!? ちょっとレビウ!? そんな、私、大丈夫よ」

 メルチェはどうすればいいのかわからず、小さな花たちを持った右手と空いた左手、両方の手を顔の前で激しく振った。しかしレビウの表情は変わらない。それどころかついに座り込んでしまった。

 「ごめん。僕、メルチェの気持ちを考えてなかった」

 「えっと、あの」

 「突然いなくなってばっかりだった」

 「レ、レビウ」

 「不安にさせたよね。ほんとにごめ……」

 「レビウ!」

 メルチェの大声に、レビウはまた目を丸くさせる。大きな赤目で彼女を見つめ、小さく首を傾けた。

 「また、私の前からいなくなっちゃう?」

 レビウはもちろん首を振る。すると、メルチェはおてんばにしては上出来な、やわらかい笑みを見せた。そして彼と同じように座り込み、正面にまわって左手をそっと伸ばす。思いきって触れた長い耳。

 「じゃあ、これからは一緒にいましょう!」

 嬉しそうに笑うメルチェ。

 兎の耳は予想以上にふわふわだった。あたたかく、やわらかく、微かに脈を打っている。純黒の毛並みは木漏れ日の光を泳がせ、なんだかいい匂いがした。

 「……もちろん。約束する!」

 「ふふっ。ええ、約束よ!」

 笑顔に戻るレビウ。幼い子供のような笑顔だった。おてんばな姫を助けに来たときの、あの颯爽とした王子のような姿はどこへ行ったのやら。なんて、そんなことはどうでもいいメルチェ。元気に立ち上がり、レビウに手を差し伸べた。


 ――と、刹那。


 小道の木々の間から、なにかが飛び出してくる。

 それは勢いよくメルチェの体と接触した。ぶつかった衝撃で互いに転び、メルチェの手の中にあった花の束は、空中に散って色とりどりの雨と化した。

 「メルチェ!」

 レビウは慌てて立ち上がり、メルチェの肩を支える。そして、ぶつかってきたものに視線を向けた。


 「君は……」


 ぶつかってきたのは、メルチェたちよりも幼い女の子だった。


 白いレースのワンピースに、磨かれたベルトシューズ。彼女の持ち物らしいバスケットとその中身は、メルチェの花たち同様地面に転がってしまっている。小さな肩。細い手首。そして、色鮮やかに染まった――赤頭巾。

 「大丈夫かい?」

 いまだ倒れこんだままの女の子を、レビウは心配する。しかし返事がない。上半身を起き上がらせたメルチェも、女の子を見つめる。動かない。怪我をしてしまったのだろうか。寒心したレビウが、女の子の肩に触れてみた――


 「やめて! 気持ち悪い!」


 が、 罵声。


 触った瞬間、レビウの手はキツく振り払われてしまった。

 赤頭巾からはみ出した、金髪のおかっぱ頭も同時に跳ねる。釣り上ったコバルトの瞳はレビウとメルチェを睨みつけ、眉も一緒に釣り上がっていた。

 「まったく。気安く触んないでよ」

 女の子の暴言に唖然としているレビウと違い、メルチェはとても腹が立っていた。ぶつかられたことにではなく、レビウを馬鹿にされたことに激しく怒りを覚えたのだ。

 「ちょっと! 心配してくれた相手になんてこと言うの!?」

 女の子に負けじと目を釣り上げるメルチェ。

 こんな状況とは裏腹に、空はとても穏やかだった。しかし森のメロディは不協和音。彼女たちの尖った声が加わったせいで、動物たちは少し迷惑そうだ。

 「心配なんて頼んでないわよ! 元々アンタたちがぼーっとしてるから悪いんでしょう!?」

 「頭にきた。いい加減にしなさいよ!」

 売り言葉に買い言葉。レビウが入る隙なんてあるはずもなく、彼女たちの口は回り続けて止まらない。もし座ったままでなかったら、殴り合いでも起きてしまいそうな勢いだ。


 「そもそもなんであんなスピードで、道でもないところを走ってくるのよ!」


 メルチェの言葉に、女の子の口がついに止まった。

 言い返す言葉が浮かばないのではなく、なにかを思い出したように釣り目を大きくさせ、勢いよく立ち上がる。

 「そうよ、こんなことしてる場合じゃないわ……!」

 女の子は青い顔をして言った。そして地面に放置されていた葡萄のワイン瓶を拾い、転がっていたバスケットに放りこむ。別れの挨拶はもちろん、ぶつかったことに対する謝罪もなく、女の子はそのまま急いだ様子で走り去ってしまった。

 どんどん小さくなっていく背中に、メルチェとレビウは嵐が過ぎたあとのような感覚になる。

 そのときだった。


 「おら小娘! どこへ行きやがった!」


 そのとき。森の奥から怒号が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声に、メルチェはびくりと肩を跳ばせる。先ほど女の子が飛び出してきた方向から、声はだんだん近くなってきていた。嫌な予感が背筋を逆撫でする。

 不安になってきたメルチェは、いつでも逃げられるよう、いい加減立ち上がろうと足に力を入れた。

 ――が。

 「立てない……」

 さっきぶつかってしまった衝撃からだろうか。足を捻ったようで、一向に立ち上がることができない。

 声の主はもうそこまで来ていた。メルチェの足も心配だが、まずはこの低い声の正体から彼女の身を守らなくては。そう思ったレビウはメルチェを庇う位置でステッキを構える。押し寄せるなにかの気配に集中し、森のメロディに混ざった新たな不協和音を、肌で、感じながら。


 「きゃああー!」


 メルチェが悲鳴を上げた。

 木の裏から、黒い影。


 思い出した。メルチェは思い出したのだ。脳内ではあのときのことが完全によみがえる。

 ケーキの香り、黒い背中、キッチンの色、尻尾、爪――――


 狼。


 二人の前に現れたのは、不思議の国で遭遇した狼だった。

 なにもないところで素晴らしくすっ転んだメルチェを食べようとした、あの狼である。その姿は昨日となにも変わりはなく。ただ、鋭い目から覗いた藍色の瞳だけは、あのときよりも少し透き通って見える気がした。

 「……って、なんだよ。レビウじゃねえか」

 「狼!」

 レビウは声の正体が知り合いだとわかり、ステッキを収める。狼はため息を吐き、レビウの耳をもてあそび始めた。鬱陶しそうに手で払うレビウ。その後ろでは、メルチェがガタガタと震えている。

 「あれ、お前あのときの」

 メルチェの存在に気が付いた狼。あなたが話すと牙が見えてしまいます。怖いです。メルチェはずっと肩を強ばらせている。よしなよ、怖がってる。レビウはそう言って、メルチェと狼の間を腕で遮った。

 「ところで。もしかして赤頭巾の女の子と鬼ごっこでもしてるの?」

 苦笑するレビウの言葉に、メルチェは思わず吹きだしてしまった。狼はすかさず彼女を睨みつける。やっぱり怖がるメルチェ。すると今度はレビウが狼を睨む。

 「なんだよ。俺はただ……」

 目を伏せ、彼の表情は柄にもなく暗かった。

 メルチェとレビウは顔を見合わせてきょとんとする。不思議そうな顔をする二人に、狼は少しためらいながらもその大きな口を開いた。

 「返して欲しいだけなんだよ、一枚の紙切れをな」

 朝の冷えた温度に比べ、森の空気はしだいにあたたかくなってきているようだった。空の青さもより濃くなって、風もあまり冷たくない。森は賑やかな来客に慣れてしまったらしい。

 「ついさっき、手紙が来たんだよ。差出人は誰だかわかんねえ。けど、そいつは自分の伝書鳩に俺の匂いかなんかを嗅がせて、俺を探して手紙を渡せって頼んでたらしい」

 狼は地面を見ながら言った。目線の先ではミミズが土を掘っている。

 「へえ……そんなこともあるんだね。手紙の内容は?」

 「……親父が倒れたんだとよ。ブリランテにある病院に運ばれたって、印刷されたフォントみてえに綺麗な字で書いてあった。俺にとって親父はたった一人の身内で……だから……」

 レビウは赤目を大きくさせ、「ごめん」と謝る。狼は顔を上げ、「別に構いやしねえよ」と言った。

 「まあ、なんだ。その手紙を持ってブリランテへ行こうと思ったんだけどよ、風に飛ばされちまって。上手いことあの小娘のかごに入っちまった。そんで取りに行ったら……」

 「自分が食べられると勘違いして、逃げちゃったってことか」

 レビウの予想に狼は頷いた。メルチェはなんだか狼を可哀想に思った。

 「ったく、あの小娘っ!」

 苛立ちを思い出したかのように、狼は牙を光らせる。

 彼の引き釣った口元と目元に、やっぱりメルチェは怯えてしまう。レビウはそんな彼女の様子を見て、狼に言った。


 「……その姿、そろそろやめてあげたら?」


 ゲッと言う狼をよそに、白い指を顎に当ててにやりとしたレビウ。めずらしく意地悪な笑みである。

 「レビウお前……俺は戻んねえぞ」

 「駄目だね」

 何やら楽しそうなレビウは、あからさまに嫌そうな顔をする狼に念を押す。一方メルチェは何の話をしているのか理解できていないまま。

 「メルチェが怖がってるままじゃ、赤頭巾探しも手伝えない」

 すると、とうとうレビウの押しに負けたのか、狼は呆れたようにため息を吐いた。

 「あーもう、わかったよ。しょうがねえなあ……」

 狼はかったるそうに片方の耳をガシガシと掻く。そして、二人がいるところから少しだけ離れてみせた。そのままゆっくりと瞼を閉じる。


 瞬間、メルチェは目を疑った。


 狼の深い青の瞳が隠れたと同時に、妖しい色の霧がふわふわと彼を覆いだしたからだ。

 それはたちまち大きな彼の背丈全体を包み込んでしまう。すると、微かに明るい光と衝撃が目を眩ませ、濃くなっていく霧は渦巻いて消えていく。


 そうして溶けていく紫の中に立っていたのは、一人の青年だった。


 小麦色の肌に、襟足が無造作に伸びた焦げ茶の髪。身長は狼と同じくらいに高く、立ち方はなんだか気だるそうである。重そうな瞼を持ち上げて、青年はメルチェを見た。三白眼になった群青の瞳。そしてなんといってもこの――

 黒い毛並みの狼耳と、フサフサの尻尾。


 「あなたって狼族だったの!?」


 メルチェが声を上げると、レビウは「そうだよ」と笑う。狼は面倒臭そうに目を逸らし、すでに乱れている髪をさらに荒らした。


 “狼族”。


 彼らも兎族と同じく、この世界に存在する種族の一つである。大きな体格で戦闘能力が高く、普通の狼の姿にも変化できることが特徴。

 狼族の変身を初めて目の当たりにするメルチェは、本当に同一人物……ではなく、同一狼? と驚いた様子だったが、よく見ると彼のマントはくたびれているし、ブーツに突っ込まれたズボンの裾はだらしない。そんな着古した汚れを気にしない本人。ああ、そう思えば、さっきの狼だ。なんて考えると、すぐに納得できているようだった。

 「なーんだ。それなら人間は食べないんじゃない!」

 彼が狼族だとわかり、すっかり安心するメルチェ。狼のところへ駆け寄るため立ち上がろうとしたが、足が痛むことを思い出して少し残念に思った。

 「俺は本物の狼ほど野蛮じゃねえよ。なあレビウ?」

 「やっぱり足は痛むかい、メルチェ」

 「おい無視か?」

 狼をてきとうにあしらいながら、レビウはメルチェの足首に触れる。メルチェは言葉でこそ「大丈夫よ」と気丈に振る舞っていたが、触れられた部分に小さな痛みが走ってしまったようで、思わず肩をびくつかせて顔をしかめた。

 レビウはなんだなんだと覗き込む狼の足元にしゃがみ込む。そしてメルチェの靴を脱がせた。すると、その足首は赤紫色になって腫れていた。

 「エシャ!」

 こんなときに限って、見えない彼は本当にいない。

 猫の魔法に頼れないことがわかると、レビウはメルチェに靴を履かせ、何のためらいもなく彼女を抱き上げた。

 「ちょ、ちょっとレビウ! 一人で歩けるから! あの、お、重いから!」

 突然のことにびっくりしてしまうメルチェ。赤面しながら降ろしてほしいと懇願するが、レビウは聞いてくれない。それどころが、ジタバタ暴れて危ない彼女を、もう一度しっかりと抱き直した。

 「ほんとに? ほんとに一人で歩けるかい?」

 優しく、けれど強気な様子で問いかけられた質問に、メルチェはなにも返せない。すると、レビウは自信ありげな笑顔でこう言った。

 「大丈夫だよ。こう見えて君よりもずっと強い」

 レビウの押しに負けたメルチェ。そういう問題じゃないんだけど……と思いつつ、メルチェはその腕の中で大人しくなった。レビウは意外と強引なところがある。少しだけ、さっきの狼の気持ちがわかった気がした。

 「まったく……キザだなお前」

 「とりあえず、赤頭巾ちゃんが走っていった方へ向かおう」

 呆れる狼にレビウは違う返事をする。メルチェは熱くなって落ち着かない体温を鎮めるのに一苦労だった。

 「そういえばお前、メルチェとかいったな」

 赤頭巾の後を追うため駆け出し始めたとき、ふと、狼がメルチェに話しかけてきた。彼の髪が風を切っている。

 「俺の名前はアシッド。ちゃーんと覚えとけよ」

 狼――もといアシッドは、きょとんとするメルチェにはにかんだ。

 微笑むレビウの腕の中、メルチェもすぐににっこり笑い、「もう覚えたわ!」と返事をした。アシッドはそんな笑顔をしばし見つめ、「間抜け面」とつぶやいたところ思い切り叩かれた。

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