英雄譚の否定
闇精霊の攻撃を受けても辛うじて即死だけは避けたハヤトは、それでも左の肺を完全に破壊されていた。貫通した胴体からは血液が流れ出して止まらない。自分を守ろうとして傷ついたハヤトをどうにかして救おうとフィールは尽力するが、慌てているのとどうすればいいのかわからないのとで結局ハヤトの傷は癒えない。
涙を流しながらハヤトに生きろと願うフィールは処置を諦めて、奇跡に期待した。傷口を押さえてどうか治ってくださいと心の中で何度も唱える。
失うことを怖がったフィールは、何一つ掬い取ることができない現実に自分は何をしていたのだろうと悲観する。熱を失っていくハヤトは、力を振り絞ってぼやける視界の中で泣いている少女に手を伸ばす。ハヤトの目には今、一体誰の顔が写っているのだろうか。
「な、くな……『クシナダ』……まだ、泣くな」
かつての主人と涙するフィールを見間違えたハヤトは、己が救えなかったモノに涙するなと懇願した。己の命を賭してでも守ると決めた者が泣くのを嫌った結果だ。ハヤトはまだ、過去に囚われているのだ。変え難い過去にしがみついたままだった。
『クシナダ』という聞いたこともない名前を言われて、フィールは少しだけ残念に思った。しかし、まだ生きていてくれたことに感謝して頬に触れるハヤトの手をつかむ。死ぬなと。ただそれだけを思って返事をする。呼びかける。願い続けた。
「先輩! 死んじゃ駄目です! 絶対に駄目です!」
「フィールさん! お兄は!?」
「辛うじて生きてます! でも、血が止まらなくて!!」
どうやらハヤトを守ることを第一に考えて、防御結界の範囲を自分たちを守るだけに狭めたらしいアキは闇精霊の攻撃に耐えしのぎつつハヤトの安否を確認した。
当然、防御結界を狭めたことにより一般生徒たちの方へと闇精霊が流れていくが、そんなことは興味が無い、心底どうでもいいことだと切り捨てた。アキはハヤトの具合を見て、相当な苦い顔を見せる。
「お兄! しっかりして!」
「先輩!!」
呼びかける声に返事がなくなった。熱も先程より大分下がっている。ハヤトの体が終わりを迎えようとしているのだ。
それを知って、フィールはどうにかしてハヤトの体を温めようとそっと体を寄せた。もちろん、そんなことで息を吹き返すことはないと知っているが、それでも無力な自分で甘んずるのは嫌だったのだろう。
ふと、ハヤトの武装が全解除されて金と茶の中間の色をしている二メートルはあるかという狐がフィールの前に現れた。
「ふん、死ぬか。それもよかろう。じゃが……娘。お主はこやつを失いたくないと、そう申すのだろう?」
その声は聞き間違えようのないタマモの声であった。神性の開放によって本来の姿を解き放たれたのか、タマモは九本の尾を持つ金色の狐として姿を表したのだ。
そして、問うた。フィールにハヤトへの願いを。その本懐を。
「タマモ……ちゃん? 先輩が……死にそうなの。助けて、タマモちゃん。神霊なら、本当にタマモちゃんが神理だって言うのなら、私に……私に奇跡を信じさせて」
フィールは即答する。ハヤトに生きてほしいのだと。他の何を失っても生きていてほしいのだと。その解答にタマモは大いに笑った。アホらしい。そう言いながらフィールの涙を大胆にバカにした。
ハヤトほど助ける価値のない人間は居ない。タマモはそう思って止まない。生まれた直後に全てを失い、人を殺し、仲間を失ってもなお生きながらえた滑稽な生き物。それがハヤトである。ハヤトという存在を理解した上で出したタマモのハヤト像である。
結局、タマモにとってハヤトは自身の存在を消費する時間のための『大いなる暇つぶし』でしかなかった。そのために力を貸しているに過ぎなかった。
化け狐として生を受け、クロサキ・ハヤトの精霊機獣となって早三十何年。ここに来て二度目の契約を交わすことになろうとは思いもよらなかったようで、タマモは更に笑った。奇跡を信じる者に出会うことがタマモにとっては生きる生きがいであるのだ。そして、新しい信者に出会えたことはタマモにとっては予想外の嬉しい事実だった。
「良かろう。貴様の命と引き換えに、クロサキ・ハヤトに本来の力を与えよう。――――起きろ、『主殿』」
死にかけのハヤトの顔面を踏みつけると、ハヤトが咳き込んで起き上がった。その行動に驚いたアキとフィールはどうなっているのだと目を丸くしていた。
見れば、ハヤトを包み込むように――否、武道場を包み込むようにホタルのような光が地面から散っているではないか。その正体は金属性の精霊。目に見えない存在であるはずの精霊が認識下まで落ちてきたのだ。
それを引き起こしているのはタマモとハヤト、そしてフィールであった。
「契約の下、夢の世界を現実へ引き入れた。主殿、時間がない。守らんと欲するのならば唱えよ」
「タマモ……テメェ……」
「これは儂が望んだことではない。そこの娘が己が命を賭けてでも主殿を救わんとした結果だ。それに応えよ。主殿が真に娘を『櫛名田』と捉えたのならば。今度こそ、その業を成し遂げてみせよ」
タマモは至って単調にそれを告げる。ハヤトもその意味を深く理解しているようにジッとフィールを見つめて、息をついた。
ハヤトの視線の先はフィールの右手の甲。そこには今まで存在しなかった赤い紋章が浮かび上がっていた。それを見て、ハヤトは本当にタマモと契約してしまったのだなと思い、悲しそうな目をする。フィールはハヤトの視線を追いかけて自分の右手を見てハッと驚いたが、何が起きたのかはついに聞かなかった。
「フィール……それは――」
「いいんです。先輩が生きていてくれるのなら、私は何を失っても構いません」
どうしてそこまで本気になれるのだろう。ハヤトは考えた。だが、その理由は出てこない。出会って三日。時間に直せば七十二時間。たったそれだけの時間で命を賭けるに値する関係を築けるだろうか。
問うまでもない。実際に築けてしまっている。しかし、それには特殊な条件が必要だろう。その条件をハヤトは到底理解できないものだと分かっていた。だからこそ、それ以上の追求はしなかった。否、その必要がなかったのだ。
――――守らんと欲するのならば唱えよ。
そう。残念ながらハヤトはフィールを守るためにカタナを抜くと誓ってしまった。それが偽りであったのなら、ハヤトは須らく死ぬべきだ。もしも、それが正真正銘本気の願望であったのなら、命を賭して成し遂げなければならない業になる。
そして、ハヤトは確かにフィールの眼差しに過去の主人の面影を見出していたのだ。
「……タマモ。制限時間は?」
「命を取らんとするならば、五分じゃな。取るのならば、世界が壊れるその瞬間までじゃ」
「お釣りが来るぜ」
笑って、ハヤトはフィールに背を向けた。傷跡が貫通した体には最初の気高しさは存在しない。頼りなさと、空虚感がハヤトの背中にはへばり付いていた。それを心配してフィールが見つめたが、安心しろとハヤトが言う。
「お前が命を賭けたのなら、俺は今までの全てを天秤に乗せよう。俺の空っぽの人生に命を賭してくれるのなら、俺の未来でお前を活かそう。――フィール。もう一度言う、信じろ」
――――お前の目の前にいるのは、正真正銘一切の偽りのない『クロサキ・ハヤト』なのだから。
ハヤトを止めるものはもういない。フィールは信じた。アキは願った。その他の人物はただ見つめた。クロサキ・ハヤトという英雄を拒否した新霊使いは再び足を進め始めた。その背中には大きな傷口があったが、その足には確固たる覇道が記された。
ハヤトは不完全な神霊に問いかける。己は何処なり、と。その答えを印さねばならぬ時が来たのだ。止めたはずの時間と足は動き出した。失った過去を捨て去り、守る未来を提示された。
ハヤトは不自然な己の人生に問いかける。己は何ぞ、と。何一つ守れなかった己の弱さを克服せねばならぬ時が来たのだ。勇者ではない。英雄でもない。本来の自分を見せなければならないのだ。
理不尽極まりないこの状況を打破すべく、完全に封印を解くためにハヤトは全ての期待を跳ね除けて世界に言葉を投げかけた。
「――剣よ――」
可視化された金属性の精霊たちが一斉にハヤトへと集まってく。精霊たちの本流の中で、ハヤトは第二節を唱え始める。
「――夢幻に沈む霊剣よ――」
それは世界を否定する禁忌の言葉。世界構造に手を付けることを許された神霊使いのみが踏み込める領域に徐々に体を沈めていく。
「――あの日、あの時、生ける命を惜しむならば求めよ――」
金属性の精霊たちがハヤトの体に吸い込まれていき、ハヤトの体が急速に回復していく。それでも足りないと、観客たちの体内からも微小ながら金属性の精霊を吸い出し、観客の中には腰を落とす者まで現れた。
「――世界を悔やむ、哀れな人類の嘆きを以って――」
第四節を説き終わり、ハヤトはちらっとフィールを見た。フィールはハヤトの勝利のみを信じて静かに事の終わりを待っていた。
その期待、自信、願望、遍く己への感情の全てを受け止めて、ハヤトは神理の領域へと至った。
「――世界よ、儚くなれ――」
そして、ハヤトが呼び出したのは紛れもなく不確かな世界――《誰も知らぬ偽りの多き夢》――だった。
ハヤトの発した詠唱はタマモを強化するものではない。不完全な召喚をされた神霊を完全な状態で呼び出すための言葉である。その証拠に、ハヤトの頭上には一匹の九本の尾を生やした裸の美女が召喚された。
同じく、九本の尾を持つ狐は召喚された美女を見て、少し苛つきを見せる。
「起きんか、キュウビ! 主殿の御前だぞ!」
「んぅ……お姉、ちゃん? あれぇ~? マスターもいますねぇ~」
まだ眠たそうに目をこすりながらあくびを一つする美女――キュウビ――に尾でビンタを食らわすと、威圧的に目覚めたかと問う。ビンタが強烈だったおかげで眠気が完全に飛んだキュウビはくるりと九本の尾を震わせてハヤトに抱きつく。
「マスタぁ~♪ お久しぶりですぅ~♪」
ギュゥゥゥゥっと長い包容の後に頬ずりをして愛情表現を済ませると、ハヤトがキュウビの頭を撫でて状況を見せる。
キュウビは現状を見て、己がどういった経緯で呼び出されたのかを大方理解すると、ハヤトに向き直って嬉しそうに微笑んだ。
「なんだかよくわからないですけどぉ~。あの闇精霊を叩き潰すんですねぇ~?」
「ああ。そのために力を貸してくれ。まだ眠いだろうけど、我慢してくれよ」
「ナンセンスぅ~♪ マスターのためならたとえ火の中水の中ぁ~♪ 何処へだってお供いたしますよぉ~♪」
言うやいなや、タマモとキュウビの体が解けていく。武装へと転換されたのだ。やがて、解けた二人は粒子となりハヤトの体へと巻き付いていく。それらは徐々に形を成していき、最終的に純黒のタキシードと両肩から両手に至るまでの金と青の鎧、そして二本の刀へと姿を変えた。
これがクロサキ・ハヤトの本来の力。本気ではなく、最強の意を示す異常性である。
「先……輩……」
「言ったろ? 信じろ。俺はお前のために刀を抜くんだ。お前を守るために刀を抜くんだ。『姫』は『家臣』を信じて待つのが仕事だぜ?」
言って、ハヤトは腰に刺した二本の刀を抜いた。一刀はタマモの変化した『隷刀・無限』。刀自体の質量の百倍の刀を触れたモノの延長線上に創造することができる武具である。また、もう一刀はキュウビが変化した『霊刀・夢幻』。無限とは全く逆の性質を持ち合わせ、辺り一面の金属性の精霊を吸収し使用者の強化を行うというものだ。
二匹一対の神霊。それがハヤトの契約した神霊機獣である。二匹で一体の精霊機獣は世界でも見たことのない極めてレアな精霊である。また、神性を解放した二匹には世界の中核、つまり神理を否が応でも世界へと撒き散らしてしまう。存在するだけで世界に及ぼす力を発し続けているのだ。
そして、タマモとキュウビに与えられた神理は『破壊からもたらされる真なる生』。破壊と創生を見出す神性を色濃く映し出しているのが、この武装でありハヤトの生き様でもあった。
「時間がない。三分で相手を片付ける」
ハヤトは無限を地面に突き刺すと観客たちへ向かっていた闇精霊を一掃した。全て的確に喉をえぐられた闇精霊たちは生徒たちを誰一人傷つけること無く沈黙し、それを見た生徒たちからは歓声が沸いた。
地面に近づいてきていた闇精霊は粗方片付いたが、空にはまだ五分の一ほどの闇精霊兵士と戦艦型闇精霊が滞在している。それをどうにかしなければ戦いに終わりなど来ない。しかし、ハヤトに対空武装はない。空にいられては手の出しようがなかった。
アキやフィールを頼ることも考えたが。それを当てにしてはいけないと、振り返ってから思う。アキは既に激しい戦いの後で疲労が限界だった。フィールもタマモとの契約のせいで大分体力を消耗している。頼れるのは己のみ。
なればこそ、ハヤトは奥の手を使わないわけにはいかなかった。
「タマモ、体内同期調和だ」
「……良いのか?」
「俺の体が壊れてでも、守らなきゃいけない奴らがいる。ここで出し惜しみをしている余裕は俺にはない」
揺るぎない決心。それこそがハヤトを突き進めた。命を賭したフィールと愛するアキのために、ここで無理をしなければならないのだ。そう言い聞かせて、ハヤトは奥の手を発動した。
体の隅々が軋むように音を発する。体の細胞の半分を精霊のそれへと変化させているのだ。ハヤトの奥の手は自身の破壊から強制的に真なる生を創造すること。己に存在する金属性の精霊をキュウビに吸収、再び供給することによって短時間で自身を精霊の域まで繰り上げる最悪の秘法であった。
低い悲鳴とともに、ハヤトの頭には白い耳と腰には九本の尾が生える。明らかにタマモとキュウビの姿に近づいていくハヤトを見て、フィールは心配で胸が押しつぶされそうだった。
《体内同調率五割。久しぶりじゃから、ここらが限界じゃろう》
頭の中にタマモの声が響く。その言葉にハヤトは体の軋みにしみじみ思いを耽りながら、両手に持った二刀を二隻ある戦艦型闇精霊に差し向ける。突撃兵がいなくなった戦艦型闇精霊は一隻が援護、一隻が撤退を始めていた。空へと完全に上がられればハヤトの負け。それより前に戦艦型闇精霊を落とせればハヤトの勝ち。
どの道、援軍が来る恐れがある以上、少しでも敵戦力を削ぎ落とすために戦艦型闇精霊を討伐しなければならなかった。
「先輩」
不意に、フィールがハヤト止めた。怪我をしているのだから待っていろと言っただろう、と。ハヤトが言おうとしたその時、振り向いたハヤトにフィールがそっと口づけをしたのだ。愛のあるモノであるかは不明だが、確実に言えるのはハヤトにフィールの全てが流れ込んでいく感覚があったことだ。
流れ込んでくるのはフィールの体内エネルギー。それらがフィールの精霊機獣の操作権限を一時的にハヤトへと移譲させた。
「お前……」
「私の命を先輩の未来で活かしてくれるって言ったのは先輩じゃないですか。私は見ての通り役立たずです。だから、せめて私の力を使ってほしいんです。……ダメですか?」
見れば、膝を少なくとも複雑骨折程度にはされているはずのフィールがアキに肩を貸してもらって歩いてきたのだ。そんな無茶苦茶な状態で戦場まで来るのにどれだけ危険だっただろうか。いつもなら怒るアキが静かにしていたのはきっとそういう理由なのだろう。
アキは認めてはいない。それはフィールという女性の存在ではなく、フィールのハヤトに抱く感情を認めてはいない。しかし、命を賭けてまで兄を助けた人物の手伝いを断れば、兄の命を溝に捨てたことになる。それを認めるのが何よりも嫌だったのだ。
ハヤトにフィールの精霊機獣の操作権限を一時的に移譲したことにより武装が九機、ハヤトの周りを飛び始めた。それらはハヤトの意思のとおりに戦艦に攻撃を始める。これはなんとも便利な武装だ。だとか考えて、ハヤトは再度フィールを見つめた。
「フィール」
「はい」
「行ってくる」
「はい!」
半分精霊と成したハヤトの体はハヤトの意思で宙を浮き始めた。それを追うようにプロテスターが追尾していく。微笑みながらハヤトを見送ったフィールはここまで連れてきてくれたアキに感謝の言葉を告げようとして耳元に顔を近づけた時、
「はぁ……ホント、やってられないよね……」
「……? 何か言いました?」
「胸が大きいオマセちゃんに肩を貸すのは肩が凝るなぁって言ったの。さあ、さっさと前線から退くよ」
「ちょ! それどういう意味ですか!? あの……アキちゃん!? ねえ、アキちゃんってば!」
はいはいうるさいうるさいとあやされながら、フィールはアキとともに防壁の中へ。ハヤトの勇士を見るべく、二人は席に座る。空では激しい戦闘の余波がワンワンと防壁を揺らしていた。
約三十機ほどの闇精霊兵士たちをプロテスターに任せて、ハヤトは逃げ出す戦艦型闇精霊に突撃していく。戦艦型闇精霊の前に立ちふさがると、ハヤトはカタナの切っ先を向けて通さないという意を見せた。
「行かせねぇよ。お前は此処でガラクタになれ」
それを退かそうと闇精霊兵士が飛んでくるが、ハヤトに触れることは愚か近づいた瞬間に頭をプロテスターに撃ち抜かれ地面へと落ちていく。ハヤトはその光景を見て、本気になったフィールには喧嘩を売らないようにしようとつくづく思った。
でも、と。ハヤトはプロテスターを見つめて、ここまで高性能な武装は早々にない。そう思って貸してくれたフィールに心から感謝の念を込めた。
ふと、戦艦型闇精霊を止めたところで、空から世界を見下ろしていると、ハヤトは己が作り出した曖昧な世界を目にしてしまった。
《これが貴様と儂たちの力じゃ。分かっていたことであろう?》
悔やんでいるようなハヤトにタマモが頭に声を響かせてくる。ハヤトが目にした世界は壊れゆく世界だったのだ。それは紛れもなくハヤトが起こした事件である。タマモとキュウビの神理は世界の破壊から産まれるもの。つまり、一度は世界を壊さなければならないということだ。
世界を壊して世界を作る。それを可能にしたのが、『夢世界の創生』。精霊の存在しない世界に精霊の存在する世界から精霊を移行させる事により真なる生とは何かを説く。それがタマモとキュウビの本来の意義である。
「早く終わらせないと、本当に再起不能になるな」
この世界から失われるのは金属性の精霊。それ以外は何の支障もない。しかし、一つの精霊が消滅すれば、世界のバランスが大きく傾く。世界を破壊してしまうのはもちろん、ハヤトの本意ではない。早々に闇精霊をどうにかせねばならない。ハヤトは戦艦を落とすべく、自由落下する。
「タマモ。刀身を十倍にしろ」
《心得た》
タマモの能力をキュウビへと使うと、夢幻の刀身が十倍にまで膨れ上がり、巨大な剣へと姿を変えた。それを握ったまま、ハヤトは戦艦へと向かっていく。戦艦の砲弾を掻い潜り、闇精霊兵士を打ち抜き、ハヤトの剣は一隻の戦艦を真二つに切り伏せた。
完全に機能を停止した戦艦はゆっくりと重力の下、地面へと落ちていこうとする。もう一隻の戦艦がなりふり構わず逃げようとするが、ハヤトは更に夢幻の刀身を十倍に膨れ上がらせると空を割くように剣を振るう。逃げようとしていた戦艦はその剣に真二つにされて同じく落ちてくる。
高度約千メートルからの自由落下。地面に叩きつけられれば死亡という状況で、ハヤトの体は動かなくなっていた。無茶のしすぎで精霊化が解け、人間に戻ったのだ。その勢いで無理をした反動が一気に全身を駆け巡り、極度の筋肉痛のようになっていたのだ。
このままでは死んでしまう。辛うじて武装のままであるタマモとキュウビに助けてもらおうかとも考えたが、機能停止した戦艦が武道場目掛けて落ちていく。このまま行けば確実に武道場を破壊してしまう。
「しくった……」
墜落する戦艦を止めるすべはハヤトには無い。当然、下の人物たちにも存在しない。質量にして何百トンの戦艦が地面に叩きつけられれば近くにいる人間は生きれてはいられないだろう。どうにかせねば、と。ハヤトの中に焦りが出始める。プロテスターでもアレを止めることはできない。
ふいに、ハヤトの頭の中に一つのアイデアが浮かんだ。しかし、それを行えば自分が死ぬということも理解してしまった。要するに、ここに至ってもなお自分と仲間のどちらかを選ばねばならない最悪な状況に陥ってしまったわけだ。
だが、ハヤトは悩みはしなかった。守ると決めたことによる絶対の忠誠を死してなおハヤトは持ち合わせていたのだ。過去の遺物に全てを託して、ハヤトは全武装を解除した。
「タマモ、キュウビ。あの戦艦を喰らい尽くせ」
タマモとキュウビは静かに頷くと人型から金色の狐と白銀の狐へと変えて、自由落下する戦艦に向かって空を駆けていく。そして、ハヤトが命じた通りに二匹の狐は殆どが金属性の精霊で出来ている戦艦を余さず食い尽くしていく。
その様子を見て、ハヤトは安堵したように今度こそ自由落下に身を任せて落ちていく。目を開くと、地面では何十人かの人間が――否、人間ではない。地面で隊列を組んでいるのはメタルゴーレム。そして、それを操っているであろうフィールは観客席から戦場へ。何をするのだろうかと思えば、隊列を組んだメタルゴーレムたちの遥か後ろでアキの精霊機獣が控えている。
一体、戦場に出てきて何をする気なのだろう。そう思っていると、ハヤトは最も考えにくいことを思いついて、まさかと呆れ顔だった。
隊列を組んだメタルゴーレムたちが坂道を作るかのごとく重なっていく。ある程度の高さになると、後ろで控えていたクーデターが勢いを付けてメタルゴーレムたちが作り出した坂道を駆け上がってくる。
「おいおい……勘弁してくれよ……」
動かない体でハヤトはものすごく嫌な予感を感じつつ、『こちら』へ走ってくるクーデターにそう呟いた。フィールとアキはハヤトが武装を解除した時点で、ハヤトの考えに気がついていたのだ。だから、無茶を承知で体にムチを打って強行作戦に打って出た。
その作戦とは――――。
「まさか……クーデターに咥えられるとは生まれてこの方考えたこともなかったよ……」
そう、助走を付けたクーデターに自由落下するハヤトを咥えさせて着地するという一歩間違えばクーデターに喰われてしまうような作戦であった。
なんとか成功を収めたクーデターはハヤトを咥えたまま主であるアキの下へと帰っていく。そうして、ハヤトをアキの近くに落とすとクーデターは霧散する。落とされたハヤトは息を荒くしているアキと足を負傷しているために必然的に顔が近くなっているフィールの両者を見つめて、救うことが出来たのだと内心ホッとしていた。
「すまねぇ。ちょっと無理しすぎたな」
「ホントです。先輩は、まったくもう……まったくもう……」
ギュッと、ハヤトの裾を掴んで涙するフィールの頬にハヤトはそっと触れた。
ハヤトの中に、もうかつての『櫛名田』の面影は薄れていて、代わりにフィールの姿がくっきりと写し出されていた。守れなかった者を悔やむ日々を終えて、ハヤトは守る者の日々に少しずつ視線を変えていた。きっと、これが踏ん切りだ。そう考えるようになれたのは他ならぬフィールのおかげなのだろう。
ハヤトは疲労で閉じていく目を必死に見開いて、フィールとアキを――守った者たちを最後まで見つめて気絶したのだった。