変革無き自己の定義
フィールと別れてからハヤトは行く宛もなくなり、学園に戻るのも億劫になってしまっていた。かと言って、どこかで遊ぶような金は持ち合わせていないし、どうしたものかと考えていると、目の前から見知った顔が見えた。
「なんですか、先生。今は勤務時間中でしょう?」
「お前こそ、今は授業中だろうが……まあ、あれだ。お使いってやつだな」
その年になってまでお使いなんてやらされるのか。ハヤトは大人って大変だ、と。あまり興味なさそうに話を流した。キーマンは理事長に頼まれたという品物のメモをハヤトに見せて、暇なら荷物を持てとハヤトの境遇も考えてのことからか仕事を与えた。
「理事長……あの婆さん、まだ生きていたんだな」
「お前さん、理事長と仲いいのか? なら今度、俺に仕事を回さないように口添えしてくれよ。毎日毎日仕事三昧で困っちまうぜ」
「それはそういう仕事だから仕方ないのでは? それに、あの婆さんは俺の話を聞いてはくれませんよ」
そりゃお互い災難だな、なんて話をしながらキーマンとハヤトは少しづつお使いの品物を集めていく。見たところ誰かを祝うようなものを集めているようで、ハヤトは理事長の孫なり娘なりの誕生日かなにかだろうと考えたが、すぐにそれは違うということに気がついた。
如何に仕事で手一杯で知られる理事長でも、誕生日の品を職員に買いに行かせるようなことはしない。それに、そんなことを誰でもないキーマンがするとは思えない。
なので、それは一体何なのかと問いただしてみると、
「ん? あー、ちょっとした祝宴をするんだよ。まったく、面倒なことこの上ないぜ。お前さんもそう思うだろ?」
「いや、俺は別にそう思いませんけど……。祝宴って、一体誰の……?」
「そりゃあ、言えねぇな。口止め料も幾らかもらってるしな」
そこまでひた隠しにする祝宴とは一体なんだろうか。ハヤトはキーマンの言葉を一瞬疑ったが、撚れた白衣を着こなす貫禄のある男性に嘘は似合わないと思って、それ以上の追求はしなかった。
やがて、全ての品物を買い揃えた二人は、近くのアイス屋で付き合ってくれた礼だと言って、キーマン持ちでアイスを購入した。
「んで? こんな時間に学園を抜け出して何をしてたんだ?」
「いえ、特にこれと言って特別なことは何も」
「嘘が下手だなぁ。お前さん、人との付き合いに慣れてないだろ」
そんな的を射たことを言われて、ハヤトは苦笑した。
キーマンという人物は面倒くさがりで、基本的に何も与えることはしない。だが、観察眼に優れていて、生徒が困っていることにすぐ気づく。また、その観察眼は相手の些細な行動から相手が真実を言っているのか嘘を言っているのかを見抜くことすらできる。
そんな特殊技巧がなぜできるのかと言えば、一様に国防騎士として働いていたことが大きいが、それ以上に幼年期から人間観察をしてきたキーマンの人生の賜物である。
キーマンに嘘はつけない。知っていたことであったが、ハヤトはたまにこうやって騙せないかを試すことがあった。今回もダメだったかと反省して、本当のことを話す。
「実は女生徒に襲われまして」
「子作りは校則で許されてなかった気がするが?」
「安心してください。そういう襲われたではなく、精霊機獣なりで襲われたということです」
ハヤトが語った事実にキーマンは驚きの表情を見せて一言申す。
「お前を認識する生徒がいたんだな」
「認識はしてるけど、関わらないっていうだけですよ。勝手に俺を影がすごく薄いやつみたいに言わないでください」
どこまでもふざけた性格なキーマンだったが、ハヤトの学園生活の変化に少しだけ微笑ましそうになった。キーマンはハヤトの変化をとても楽しんでいたのだ。
以前、ハヤトを認識する――存在することを認める――のは教師ではキーマン、生徒では妹のアキ以外にいなかったのだ。それが普通であり、またそれが暗黙の了解のように扱われたハヤトは元の性格の通り誰とも接しないで過ごしてきた。
しかし、ハヤトの言うとある女生徒だけがハヤトという存在を明かしたというのは、今朝キーマンが見た女生徒であることは明確。その時のハヤトの表情にキーマンはほころぶ他なかった。
「お前さん……やっぱ、子供だな」
「……? 俺はまだ十七歳だから、もちろん子供ですが」
「そうじゃねぇよ。あー、なんていうのかな。群れるのが嫌いだけど、一人にはなりたくないっていう感じだ。お前さんもやっと人の土俵に乗ったって言うべきかな」
「俺は今まで何だったんですか……」
そりゃお前、陰キャだろ。
そう言って、キーマンはゲラゲラと笑い出す。寒空の下で食べるアイスは溶けはしないが減るスピードも遅かった。ハヤトとキーマンの会話はそこで一旦途切れたが、少ししてハヤトが話し始める。
「もし、先生が言うように俺が変わったとして。それが正しいと、本当に思いますか?」
「思うも何も、そんなことは人に聞くことじゃねぇ。自分が変わって良かったか、悪かったかの問題だろ。良いと思うなら、そのままでいい。悪いと思うなら、もいちど変わればいい。変なことで悩むな。変われる回数なんて決まってねぇんだ。好きなだけ変わって、居心地がいいところで居座ればいい。『人生は大いなる暇つぶし』。俺もお前も、ただ生きているだけだ」
そんな楽観視は一生できないだろうと思いつつ、キーマンのもたらした新たな見解はハヤトにそういう考え方もあるのだという知識に変わった。
ハヤトはフィールに出会って少し変わった。微変動であるかもしれないが、確かに変えられたのだ。そのことを誰でもないハヤト自身が気がついていた。だから、ふとさっきのようなことを聞いてしまったのかもしれない。
ハヤトのそういった質問が稀だったため真面目に返してしまったキーマンだったが、普段はそんなことは絶対に言わない。『悩むなら死ね』が大抵の返答である。
「さて、長居しちまったな。さっさとこの品物をクソババ――理事長のところに持っていかないと怒られそうだ」
「あの死に損ないは地獄耳ですから、言い直してもきっと聞こえてますよ」
「俺よりお前さんのほうがよっぽどひどいじゃないか。まあいい。クロサキ、学園へは来なくてもいいが、俺のところには顔を出せ。お前がいなくちゃ話し相手がいなくてつまらん」
「それが教師の言い分ですか……お茶と茶菓子が出るなら顔を出すかもしれませんよ」
ふっ、と。キーマンは笑って、考えておくと答えてからよたよたと足取りが重そうに歩いていってしまった。
時間を見る限り昼ごはんの時間は過ぎてはいなかったので、ハヤトはどうしたものかとまた道に迷ってしまう。こんな時間に帰っても家には誰もいない。かと言って、遊ぶ金は毛頭持ち合わせてはいないし、時間を潰せるような趣味もない。
結局、街をぶらぶらした後に学園の図書館で暇を潰すしかないという考えに至った。
「人生は大いなる暇つぶし、か。まるで、俺のためにあるような言葉だな」
キーマンが言っていた誰かの名言であろう言葉を繰り返して、ハヤトは日が高くなっていく町中を彷徨うように歩いていくのだった。