閑話 神様と姫様
時は深夜。冬特有の深い闇が普段ならば支配するはずが、今日はとある事情で少しばかり明るい。明るいのは恒例行事を遅らせた結果であるが、もちろんそれだけではない。
ヴァルハモレアの火柱の意図は二つある。一つは冬への移り変わりに増大する闇精霊を衰弱させること。もう一つは、それに伴ってあの世から戻ってきた死者の魂をあの世へと送り返すことである。
皆が静まり返った瓦礫街の中、レオナルドはただ一人の人物を待っていた。彼を取り巻くのはヴァルハモレアの火の粉と『死者たちの霊魂』であった。
死者たちの霊魂の一つが輝いたかと思えば、徐々に人の姿になっていく。その様子を見てレオナルドは久しく感じていなかった『憂い』を起こす。
「やあ、待ちくたびれたよ」
「……私はできれば会いたくはなかったわね。でも、一応言っておくわ。お久しぶりね、神様?」
霊魂は少女の形をなぞり、そして言葉を放った。レオナルドはそれを確認すると、嬉しさのあまり朗らかな笑みを見せる。
対して、少女は本当に嫌そうな顔でレオナルドを見て嘆息した。
見るからに仲が良さそうには見えない二人であったが、果たして少女はレオナルドと対話する。
「また、私のハヤトを使って面白いことをしようとしているようね。少しムカつくのだけれど?」
「いやいや、僕だって必死なのさ。でなければ、君のおもちゃを取るわけがないだろう?」
どうだか、と。少女はその言葉を信じていないような顔をして、近くにあった座るのにちょうどいい瓦礫に腰を落とした。
長丁場になることを予期してそうしたのだが、無論少女は長居などするつもりはなかった。早々に話を切り終えて帰るつもりだったのだ。
しかし、それはレオナルドの本意でないものだった。
「彼が本来の力を使うのは予想外だったかな?」
「いいえ? ハヤトは守るためならあれを使うと私は信じているもの。もちろん、それによる代償は払わなければいけないけれど、それを込みでもハヤトはあの力に頼らなければならないでしょうね」
「意外と冷静じゃないか。では、質問を変えよう。彼が君以外に本来の力を使ったことに対して何も思わないのかい?」
キッと、鋭い視線をレオナルドに向けて少女は本当に性根が腐ったハゲジジイと呟いてから吐露する。
「思うも何もないでしょう? 私は死んでいるのだし、ハヤトもそれを理解しているのよ?」
「本当にそうかな? 僕には拗ねているようにしか見えないけれどね。あ、あと、僕はハゲてないよ?」
そんなことはどうでもいい。少女は至極レオナルドの言葉に真意を見出せなかった。否、見出せたことが出来るはずがないことだと理解したと言った方が賢明なのかもしれない。
少女が読み取ったレオナルドの意思は『とある物』の破壊だったのだから。
「あなた正気なのかしら? いえ、神様に正気もクソもないでしょうけれど、流石にそれは自己矛盾よ?」
「お姫様がクソなんて言葉を使ってはいけないだろうに。まあ、昔から君はそういう性格ではあったけれど、十数年経っても変わらないなんてね」
昔からという言葉に反応して少女が眉を上げると、レオナルドは昔はもっと純粋で可愛かったのにと返した。
「特にお風呂を彼に見られた時の顔は――」
「あら、神殺しをここで体現しろってことでいいかしら? というか、その頃から私たちを監視してたなんて神様も暇なようね、死んでくれる? いっそ本当に抹殺してあげようかしら?」
「冗談さ。死んだとはいえば、『精霊』として現界しているのだから暴力はやめてもらいたいな」
「……は?」
少女は振り上げた手をそのままに阿呆な顔で返事をする。精霊として現界したと言ったレオナルドの口元はつり上がっていた。
自分がどうなっているのかわからないような少女にレオナルドは本当に意地悪そうな笑顔でこう言った。
「おめでとう、『クロサキくん』。君は彼と同じ立ち位置になったということさ。どうだい? かつて、君の国を滅ぼした闇精霊になった感想は?」
「……ふふっ」
レオナルドの言葉に少し間を置いて少女はかすかに笑った。姿形は生前と大差ない。だが、奥底から感じる黒い力は明らかに生前に自身が持っていたものとは違っていた。
笑いは力を得たことによる興奮と己への嘲笑。そして、そんなことをさせたレオナルドへと怒りから来たものであった。故に、間髪入れずに少女は――
「この、クソジジイ……!!」
「だから、お姫様がそんな言葉遣いをしてはダメだろう?」
終始崩さない笑顔に、少女は冷静さを取り戻したと同時に、レオナルドの背後にいるものたちに視線が行った。そこには五人の人間――のような者たち――がいたのだ。少女がそう思ったのは間違いじゃない。レオナルドの後ろにいたのは人間であった者たち。闇精霊にそれを奪われた者たちであった。
今度こそ、少女はレオナルドの意思が本物であると知って笑ってしまった。
「レオナルド……あなた、本当にする気なのね。いえ、出来ると思っているのね。それで、どれだけの人が犠牲になるかわかっているのかしら?」
「犠牲? そんなものは出はしない。なぜか? 簡単さ。君の愛しの彼がそれを許さないからだ。王は民あっての存在だ。彼は世界からの挑戦を受け取った。終わりと始まりの挑戦をね」
「そう――」
少女はレオナルドの言葉に静かに頷くと、レオナルドの背後にいるもの達に問うた。貴様らはそれでいいのかと。頷かず。誰一人として、少女の言葉には答えず。まるで、答えるまでもなく、そして答える義理はないと言うかのごとく沈黙。それが、少女には耐えられなかった。生前の地位と生き方からして、何よりも自分を無視したその態度への怒り故に。
だから、試しに少女は行使した。己の中にあるまだ知らぬ力の真髄を。この先からの言葉にはその力を込めて解き放たんとする時、少女は察した。己の言葉には力があると。奏でられたものは凡そ言葉とは言える代物ではなかった。少女が放ったのは咆哮とも、横暴とも言える音の連なり。生まれ持った頂点の音。それには誰も答えることはできず。また、逆らうことなど当然出来ることはなかった。少女はただ一言こう命じた「答えぬのならば、我に従え」と。そして、それは全くどうして五人の意思に関係なく跪かせた。
「……!! 素晴らしい…………!? 素晴らしいよ、やはり君は!!」
「褒めても何も出ないわよ? まだこの力だって使いこなせてないもの。やっぱり、私には『タマモ』がちょうどいいのよ。それで? 私はどうすればいいのかしら?」
一瞬にして、レオナルドの興味を刈り取り、なおかつレオナルドが苦労して集めた『S級闇精霊たち』を盗んだ少女は涼しい顔でそう聞いた。
レオナルドは賞賛の嵐を浴びせると「そんなことは聞かずとも本能でわかるだろう?」と挑戦的に返した。すると、少女は人差し指を顎に当てて考えると、ニヤリと笑って「あぁ」と察した。
「じゃあ、この子達はもらっていくけれど、もちろんいいわよね?」
「今の君に僕は逆らえそうにないな。クロサキくん――いや、新たな生物先導型S級闇精霊『無知ゆえの恐怖と拒絶』くん」
クシナダと呼ばれた少女は素っ気なく返すと、闇精霊たちを率いて虚空へと去って行った。やがて、ヴァルハモレアの火柱も燃え尽きる。行事が終わる。冬が去り、始まりがやってくる。激動の春。十七年前の再来が、始まる――。




