孤独による閉塞した夜
ハヤトが事件現場にたどり着く約三分前。
事件現場から直線距離一キロの地点で二人の学生が待機していた。その二人とはフェルマー・D・ナディアとリル。二人は逃げ遅れたわけではなく、目の前の大敵、精霊化したフィールを討伐するためにいた。側には精霊騎士と呼ばれる戦闘のプロ集団を仕切る者がいて、フィールの下にはすでに三小隊が出撃している。
ここでの二人の目的は二つ。まず、大きな目的が遠距離からの狙撃。もう一つが情報の受け渡しだ。
遠距離からの狙撃は空に『遍く蒼天の聖雲』を召喚しているフェルマー。情報の受け渡しはリルが担当している。
友人であったフィールを前にして、儘ならぬ心持ちで立っていたところにハヤトが追いついてきた。
「ハヤトっち……」
「ハヤトさん……」
大事件の中、友人であるフィールを殺す作戦に参加したリルとフェルマーの目には急いでやってきたと認識できるハヤトが濃く写った。ハヤトの方も二人がどうしてここにいるのかはレオナルドに聞かされていたし、見ただけで理由など理解できた。
故に、ハヤトは二人に待ったをかけたかった。
「フィールの状況は?」
「見たとおりっすよ。フィーを乗っ取ったのは推定A級以上の闇精霊、タイプは精神汚染型だと思われるっす」
「それで? 助かる保証は?」
「あると思うっすか?」
リルの重い口から発せられたのはフィールが末期状態であるという事実。そして、二人はそれを覚悟しているという現状だった。
物分かりが悪いハヤトでも、末期の闇精霊汚染者の治し方など思い付かない。だからといって、二人の言葉を素直に受け取るつもりは毛頭なかった。
「じゃあ、行ってくる」
「何を以ってじゃあなのかが全くわからないっすけど、とりあえずフィーのところに行こうって言うのだけはわかったっす。その上で言わせてもらうっすよ。やめてくださいっす」
呆れた物言いのリルにハヤトは本気で首を傾げた。リルが言ったのは絶望的な状況であると言う現実。覆すことはまず叶わないという絶たれた望みである今の話である。だと言うのに、ハヤトはさっきその言葉を聞いておきながら「じゃあ、行ってくる」と言ったのだ。これほどまでに物分かりが悪い人間はいないだろう。赤子でも分かりそうな絶望をハヤトは軽い言葉で、さもどうにかできるというように言った。
だが、リルは知っている。絶望に立ち向かって全てを解決できるのは物語の中だけだという事実を。しかも、物語には必ず助かるように細工がされている裏工作があるということさえも。そうまでしなければ助かる見込みがないのだ。それをハヤトはまるでわかっていないと言うかのように行動を起こそうと言ったのである。
それが、この場で全てを知って、挫折し諦めてしまったリルたちに見せたハヤトの行動であり、それにリルたちが怒りを覚えないはずがない。
助からない。これは絶対のことであり、覆りようがない未来視である。それを理解したからこそ、最後は自分たちの手で――誰かもわからない人ではなく、友人である自分たちが終わらせなければならないことだと思ったからこそ、リルたちは悲しみを捨ててここにいる。
その決意を馬鹿にするかのように現れたハヤトにリルは珍しく怒号をあげた。
「もう遅いんすよ!! フィーは飲まれてしまったっす!! 心に負けて、現実を受け止められなくなって、闇に負けてしまったんすよ!! それなのに、ハヤトっちは何を期待してるんすか……。教えてくださいっすよ……。もしも希望があるのなら、微かでも望みがあるのなら、自分たちにも教えてくださいっすよ……」
怒りを飛ばしたかと思えば、今度は泣き崩れてしまったリルに寄り添うようにフェルマー駆け寄った。そして、背中を摩っているところにハヤトはゆっくりと近づくとただ心のうちを述べた。
「希望なんてないさ。末期の闇精霊汚染者がどうなるのかはよく知っている。それでも俺はあそこに行かなきゃいけないんだ。それが俺の望みだ。あいつが助かる可能性は無いんだろう。それでも俺は行かなくちゃいけない。じゃないと、きっと後悔する。だから行くんだ」
後悔のないために行く。後悔をしないために危険へと足を踏み入れる。ハヤトの意思は固かった。決して他の割り込みを許さないと言わんとする言葉で形成されたそれをどうにか止めたのは他でもないフェルマーだった。
フェルマーは歩もうとするハヤトの手を掴んで震えた手で行くなと言った。どうか行かないでくれと、ただそう告げた。
もしかすれば、ハヤトならどうにかできるのかもしれない。でも、可能性はないと今ハヤト自身がそう言ったように、失敗の可能性の方が断然高いのだ。
助けることを諦めた自分たちであるが、助けに行くというハヤトの気持ちはわからないものではなかった。けれど、同時に微かな願いに縋っているハヤトがもしも敗れたら。もしも、どうしようもないのだとわかってしまったら。それはどれだけハヤトを苦しめるだろうか。
それを思ってしまえば、先輩という立場である自分たちは後輩を守らねばならない。後輩が傷つかないように擁護してやらねばならない。だからこそ、何も言わずにここで待っていて欲しかったのだ。
「安心しろだなんて無責任なことは言わないさ。でも、俺を思っての行為ならやめてくれ。俺はあいつに泣いて欲しくなんてない。先輩たちにも泣いて欲しくはないんだ。全部を救えるだなんて言えないけどさ。ここはどうか俺に賭けてくれないか? あいつをこっちへ連れ戻す。それが無理な場合は先輩たちがあいつを終わらせてくれ」
ハヤトの懇願はフェルマーの心に響いた。大切な者を守ろうとする心は同じ。ただ、フェルマーたちはそれを放棄してしまっただけ。ハヤトはそれを諦めようとしなかっただけ。ただそれだけの違いなのに、フェルマーには天と地ほどの差を感じた。
故に、フェルマーはハヤトの手を離してしまった。賭けてみたいと思ってしまったのだ。
自分たちに叶わなかった願いを掴み取ってくれそうな強さを見せたハヤトに全身全霊の願いを乗せて――
「ハヤトさん――フィールさんをどうか……どうか、救ってください」
二人の少女は涙した。救いたいと願ったものを殺すことしか選択できない自分たちを呪うかのように。諦めてしまった願望を叶えようと無理難題に挑戦する勇者に全てを救ってくれと懇願するかのように。
そして、ハヤトはその全てを受け取った。できることならその全てを救ってみせようと。そう答えようとした。だが、ハヤトには腑に落ちない点が二つだけ存在する。
どうして、ものの数分でフィールが闇精霊に堕とされたのか。さらにもう一つは、どうして自分はフィールを助けるのにこんなにも必死になっているのか。この二つだけがどうしても解明できなかった。
されど、行くしかあるまい。そう思ってハヤトは足を進めた。
リルたちの望みを叶えるべく、ハヤトは戦地へと駆ける。
フィールの元へと行くことを黙認するにあたってハヤトはリルたちから二つの条件を出された。一つはリルたちではフィールを滅ぼさんとする精霊騎士たちをどうにもできないため精霊騎士たちが襲ってきた場合はハヤトがどうにかしなければいけないということ。もう一つは、フィールを完全に消滅させるために呼ばれたフェルマーの対闇精霊特攻の必滅攻撃を放つ約二十分の間だけしか待つことができないということ。
ハヤトはその二つを了承して、己以外全て敵という戦地へ向かっている。
だが、ハヤトはそういうことに慣れていた。
クロサキ・ハヤト。正式な文字で表せば『黒崎颯人』。十七年ほど前に存在したとされた、今は忘れ去られた遺恨の国、『黄金の国』の最後の王にして世界三大美女にその名を連ねた『全ての義を見せる者』、真名を櫛名田。ハヤトは彼女の懐刀として、また良き相談相手として、そして他ならない友人として存在した『かつての人物』だ。
かつてのハヤトには様々な逸話が存在した。鬼殺し、不死身、そして千人斬り。到底人の身では成し得ない奇跡を起こし、事件を起こしたと世界に噂が広がるほどであった。
そんなハヤトに『高が二百人程度の軍勢』などいないようなものである。しかし、一つだけ弱音を吐くならば、ハヤトは実に十七年ほど戦闘をしなかったというブランクがあることだろう。
「主殿。一つ確認しておいてもよいかの」
現界して、全力疾走するハヤトに余裕で追いついてくるタマモが涼しそうな顔でハヤトに質問を申し出た。
もちろん、相棒であるタマモの質問を無視するようなことは決してしないため、ハヤトはそれに耳を傾ける。
「前方に見えるのは精霊機獣を扱う『人間』じゃ。すでに戦闘区域に侵入した儂らに気がついて注意を払っている。このまま突っ込めば敵対勢力と見做されて迎撃が飛んでくるだろう――」
「結局、何が言いたい?」
「奴らを倒してまで――殺してまであの娘を守ろうとするのかの?」
タマモの言い分は最もだった。敵はフィールだけではない。フィールを狙う精霊騎士だって同じなのだ。しかし、決定的に違うのは、フィールは精霊と成り、精霊騎士は純粋な人間であるという点のみ。つまり、タマモが言いたかったのはフィールのために殺人を犯せるかというごくごく単純で、そして極めて難題な問いだった。
もちろん、ハヤトが精霊騎士たちをどう思うなど最初からわかっている。常のハヤトならば、ここは迷わずに殺すなと言うだろう。いや、言わねばならない。ハヤトは好き好んで殺人を犯すような変態ではないし、そもそもの話で戦うことがあまり好きではない。
故に、今回も即答で人殺しはしないと言うかと思われた。しかし、だがしかし、今回のハヤトは少しだけ違うのだ。なにせ、ハヤトにとって大切な存在の命がかかっている。それも、今に至ってもその命に耐え難い苦痛が生まれ続けているのは明白。ならば。ならばこそ、ハヤトはそれを止めなくてはならない。
よって、ハヤトの言葉は冷酷にもこの言葉で締めくくられた――。
「邪魔するやつらは全て排除する。全力全開でこの戦場を駆け抜けるぞ、タマモ‼︎」
その言葉に何やら興味を唆られたらしいタマモは稀に見る美しすぎる笑顔で、はしゃぐように声を返す。
かつてのハヤトの瞳、態度。大切なものを守るために犠牲は厭わないと断言したその姿は、千人斬りと呼ばれ恐れられたあの頃と全く同じ、真なるハヤトのそれであった。
「あい、わかった。主殿、思う存分に暴れまわるがいい」
タマモの返事を聞き、己の決意を見出し、暴れ回る嵐のごとく戦場を侵していくことを認識したハヤトは、その罪の重さに気がついていながらそれでも止まることはできないと再び己を奮い立たせる。
ハヤトの心にあるのはかつての戦場。五万人の軍勢が迫り来る広大な大地にて、ハヤトはたった一人の美女を守るためだけに『鬼』になった。今回はそうじゃない。守るために守る対象を倒さねばならないという異業。それは鬼では叶わない。もっと強く、さらに早く、全ての邪魔する輩をその身一つで対処できるほどの莫大な力が必要だ。
だから、ハヤトは人間を辞める。ハヤトは『羅刹』になることを誓うのだ。
「――剣よ――」
「――無限に広がる神剣よ――」
「――この日、この時、この声に答えるならば応えよ――」
「――最悪を退ける純霊たる輝きを以って――」
「――世界よ、楽園となれ――」
呼び起こしたのは万物を震わす鉄の神霊。金属を喰らい、金属を肥やし、金属を栄えさせる神理。この意義に震えない者はいない。例え、歴戦の勇者と呼ばれる精霊騎士であろうとも。例え、栄華を齎した英雄であろうとも。この現界が世界の始まりを告げる鐘だと誰もが思う。
その名は世界を震わせた。その歩みは全てを感嘆させた。その瞳は曇らずに正義を成そうとした。ちっぽけな人間という枠組みでは到達し得ない領域にハヤトは割り込める力を持っているのだ。
その無茶をする姿こそが『千人斬り』と呼ばれた正体。諦めるということを諦めた時こそ、ハヤトは一人の英雄に匹敵する脅威になり得ることができるのだ。
「貴様! 何者――」
「そこを……どけぇえ――――!!!!」
純黒のタキシードをなびかせて、ハヤトは目の前に立った精霊騎士の首を断ち切った。その返り血が顔にべったりとかかろうと物ともせず、ハヤトはフィールのいる場所へとノンストップで走っていく。
やがて、精霊騎士たちはフィールよりもハヤトの方へと視点を変えて迎撃してくる。ある者は炎を纏った槍で、ある者は幾重にも枝分かれした剣で、ある者は光り輝くナイフで、その全てがハヤトの生存時間を奪いさろうとする。
明らかな邪魔者。あからさまな障害。五十人ほどの先鋭たちの連携のとれた攻撃。一学生には決して止めることなど不可能。正しく素晴らしいと言わざるを得ない。だが、それはハヤトには通じない。たとえ、どれだけの人数の連携であっても、嵐と成り果てたハヤトには通じない。
刀の切っ先を地面に触れさせるとハヤトは目の前に見える全ての精霊騎士たちの喉に向けて、地面から刀を生じさせて貫いた。
さすがの精霊騎士たちも五十人ほどの先鋭が一瞬で殺害されてしまえば、ハヤトに何かがあるのではないかと思うのが必然である。そして、それを考えさせないのがハヤトであるのだ。
「どけ、精霊騎士。俺はあんたたちに危害を加えたくてここに来たんじゃない。俺は……フィールを止めに来ただけだ」
「……それで、こんなに被害を出したというのか?」
精霊騎士の一人――鎧と年齢からして上の階級だろう――が収まったハヤトの攻撃とそこから生まれた言葉に声を返す。
ハヤトは頷いた。また、こうも付け加えた。
「ああ。今、俺は腹の虫の居所が悪くてな。邪魔をされたから殺した」
「そんな理由がまかり通るとでも――」
「じゃあ、今度はお前が死ぬか?」
圧倒的な殺意。素人でもわかるほどの殺意に、その精霊騎士が気がつかないわけがない。故に、精霊騎士は震えた。ハヤトの服装は武装化していて定かではないが、顔つきから学生だというのはわかっていた。では、学生にそれほどまでの殺気を放てるのだろうか、という疑問こそが精霊騎士を震えさせた。
ただ事ではない。そう直感して精霊騎士は道を譲った。これ以上ハヤトと関われば国が滅亡するところまで見たのだろう。無論、ハヤトにそんな気はない。ただ、フィールを救えなかった場合には最悪そうなる可能性があるというだけで……。
「すまない」
「あ、ああ……」
ハヤトは一言告げて精霊騎士の横を駆け抜けた。やっとのことで行き着いた場所はフィールによって破壊の限りを尽くされた城下町。見る影も無くなった場所にて、フィールとハヤトは再会した。
「フィール……」
「あ、せんぱ〜い♪も〜遅いですよ〜♪さあさあ、私とイチャラブしましょ〜よ〜♪」
ただし、そこにいるフィールはすでにハヤトの知らない人物になっていた。
闇精霊には他の精霊と同じくランクが存在する。ただし、区別する点としてはたった一つ、S級――つまり、ランクの頂点――が九体存在し、その九体には憎しみを持って名前が与えられるという点のみである。
もちろん、S級ともなればその効果範囲、脅威レベルは下のランクとは比べ物にならない。単騎で国家一つを容易く崩壊させてしまいかねない力を持っているのだ。
そして今、ハヤトは確たる確信を持って、フィールに向かって煮えくり返った怒りを露わにしてその名を言う。
「孤独による閉塞した夜……なのか?」
リリトリス。S級闇精霊にして精神汚染型最強の精霊。その効果範囲は他のS級闇精霊には遠く及ばないが、その力は聖人をも闇に落とすとされている。
ハヤトの疑問が一つ解消した。どうして、こんなにも短時間でフィールが闇堕ちしたのか。それは精神汚染型最強の闇精霊に精神を持っていかれたからに他ならない。
また、精神汚染型は精神操作型とは違い効果対象を操作できない。しかし、その代わりに対象者が普段は隠し持っている闇や願望を増幅させ、そこに戦闘意識を刷り込むことによって人間社会を狂わせる。
つまり、フィールのあのテンションは普段は隠し持っている裏の顔であり、そこに強力な戦闘意識を植え付けられたことになる。
そこでハヤトは思った。これは凶悪だ、と。見ればフィールの服装は肌の露出が多い際どいもので目を向けられない。さらにフィールの精霊機獣の力が加わっているともなれば、まさに鬼に金棒。ハヤトはそうそうに諦めたくなった。
「せんぱ〜い♪早くこっちに来てくださいよ〜。ほら〜、私とエッチなことしましょ〜よ〜♪」
頭を抱えたくなった。なるほどそうか、精霊騎士たちが攻めあぐねていると思ったらそう言うことか。フィールが精霊騎士たちにも同じことを言っているのであれば、これは攻めるに攻められないな。
ハヤトはまたしても大きな勘違いをしていた。
決して。そう、決してフィールはハヤト以外にそんなことは言わない。精霊騎士たちが攻めあぐねていたのは単にフィールの戦闘能力の高さゆえであって、断じてそんな如何わしい理由ではない。
されど、そんなことを知らないハヤトは天を仰ぎたい気持ちでいっぱいだった。
「ど〜したんですか、せんぱ〜い? ほらほら〜、ここに叩いて欲しがっているお尻がありますよ〜?」
「なあ、帰っていいか?」
可愛らしくお尻を振って挑発するフィールにハヤトは一体何を助けに来たのだろうかと考えてしまった。明らかに阿呆な物言いに一瞬だけ忘れてしまっていた。フィールが闇精霊となっているということを……。
ドンッと。ハヤトが立っていた地面より一歩後ろにクレーターができた。理由は簡単、興奮しているように紅潮しているフィールの攻撃だ。
さらに、フィールは言葉を添えた。
「ダメで〜す♪先輩は〜私と〜イチャラブするんですよ〜♪」
本当に嫌になった。ハヤトは狂った思考と破壊力を持ったフィールに苦笑いして、すべて思い出した。自分がここに来たのは間違いなく、狂ったフィールを戻すため。あれはフィールであってフィールでない。言うなれば、あれはハヤトの知らないフィールなのだ。
精神汚染は質が悪い。汚染された者に自我はないし、暴れてる本人にも悪気はないのだから。隠しておきたい面を大衆の前で晒された挙句、狂化された力で身体が終わるまで暴れ回る。そして最後には醜態と被害を出して死んでしまう。
これほど質の悪い精霊はいないとハヤトは自覚する。そして、それの中でも最も凶悪なものに掛かってしまったフィールを元通りにしなければいけないのだと思うと頭が痛くなる。
「聞け、フィール。時間が無い。今――」
「えい♪」
ズドンッッッッと先程よりも威力が増したレーザーがハヤトの頬を掠った。
暫しの沈黙の末、ハヤトの頭からブチンという音が鳴る。
「あっぶねーな!! あと少しで頭が吹き飛んでたぞ!!」
「あは♪ 怒らないでくださいよ〜♪ イチャイチャしようっていうのに話を始める先輩が悪いんじゃ〜ないですか〜♪」
光速で飛んでくる熱線を一体どうやって避ければいいのだろうか。ハヤトは最も敵に回してはいけない人物を敵に回したのだと思う。
先ほどのレーザーは先日の戦闘で一時的に操作権を与えられたから威力、汎用性、有効度を知り尽くしている。知り尽くしているからこそ、あれほど脅威的な武器を敵に使われているのだと知ると一人で戦いに来た自分が馬鹿に見えて仕方ない。
結局、レオナルドの言ったこと、タマモが言った仮定が真であると証明されたわけだが、それでも止まるわけにはいかない。止まれば本当にそれを認めたことになってしまうからだ。それだけはどうしてもできなかった。
「お前がドMなのはわかった! だから聞け!! このままだとお前はこの国を全面的に敵に回しちまう――」
「いいじゃないですか」
はて、ハヤトはフィールの落ち着き払った言葉がとても重く感じた。
国を敵に回すことがいいことなわけがない。ひいては人類を敵に回す行為をいいことだと言ってはいけない。それなのに、フィールは今、なんと言った?
先程までのハイテンションの口調とは打って変わって冷たい視線がハヤトに向けられる。
「この国は先輩を認めません。世界は先輩を排除しようとします。私の拠り所はいつだってそうです。友達は私を裏切ります。親族は私を疎みます。何より、父は帰ってきてはくれなかった」
「……フィール?」
不意にフィールの目から涙が流れた。
狂ったせいか、フィールが抱えていたであろうこれまでが漏れてきている。
「私は!! なりたくて永久貴族になったわけじゃないのに!! なんで、みんな私を蔑むんですか! どうして世界は私に優しくないんですか!!」
まさか。ハヤトはフィールの言葉に驚いた。永久貴族は百八英雄の家系に与えられた栄光への恩返し。確かにそれで差別されることもあるだろう。だが、ハヤトが驚いたのはそこではない。フィールの言葉が正しければ、フィールはずっと前から闇精霊に侵されていたのだ。
ただの闇精霊ならばそれも可能だろう。しかし、フィールを侵しているのは闇精霊最強の精神汚染型『孤独による閉塞した夜』だ。生半可……いや、むしろ誰もが瞬時に闇へと落ちてしまうほどの圧力を与えてくる。それに耐えていたのだ、フィールは。長い間、たった一人で。どれだけの恐怖だったであろう。どれだけの重圧だっただろう。
それに耐えてきたフィールの根底に潜む屈強な精神にハヤトは驚愕を隠せなかった。
「フィール……お前……」
「先輩。私は、この世界が憎いです。私を一人にしたこの世界が。やっと見つけることができた先輩を否定する世界が。だから――」
「もういい。フィール、お前は間違えてない。その考えは最もだ。お前の抱いた憎しみは正当だ。お前を取り巻く環境に怒りを覚えるのは当然だ。でもな、お前のやり方は間違えてる」
「…………」
「世界が間違えているだなんて、全人類が証明しなきゃいけない真理だ。他人に優しくなれるなんて、誰もが夢見た理想だ。大切なものを無くさないで生きるだなんて、英傑たちが信じた幻想なんだよ。お前はただ、そこの壁にぶち当たっただけだ。そして、それに怒りを覚えただけなんだ。追求すべき項目を破壊してどうなる? 身を滅ぼして見せた理想郷に一体誰が憧れる? 目を覚ませ、フィール。一人で起きれないなら、俺が手伝ってやる。だから――」
ハヤトの言葉はフィールに届いた。その上でフィールはその提案を断った。理由はこの惨状であるに違いない。フィールはハヤトに会ったことで素に戻ったのだ。我に返ってこの現場を目にしてしまったのだ。自分が引き起こした事件に真面目なフィールが何も思わないわけがない。
フィールは拒否の後に全てを悟った顔でハヤトに殺されることを望んだ。
「先輩、私が間違えているのはわかってます。でも、これはもう止まらない。ならいっそ、私と死闘しましょう。きっと、私を止められるのは先輩だけですよ?」
「はっ! それは俺と心中しようって話か何かか? お前、キュウビとの契約で自分の体を指定したんだろ?」
関係ないハヤトの言葉にフィールはどうしてわかったのかと思った。言った覚えはないし、言うつもりすらなかったはずなのにハヤトはそれに気がついていた。それは、ハヤトにとっても見知った行為だったのだ。
「言ったろ、契約者が壊れれば俺も一緒に死ぬんだよ。だから、お前との死闘は俺の自害に他ならない」
「じゃあ、私と一緒に死んでくれますか?」
憂うような目でフィールが聞く。
だが、ハヤトはそれを一笑すると、
「やなこった。俺はお前を取り戻すために来たんだ。自分を殺すために来たんじゃない。俺は!! テメェを救いに来たんだよ!! 少しは人の気持ちを察せよ!! このバカが!!」
ハヤトは刀を握る力を強めた。救うのだ。時間が無い。それでも救うのだ。救わねばならないのだ。ハヤトは願った。何もかもを救えずとも、ここだけは失敗しないように。嘗て成し得た偉業を超える異業を成さんがために。
「じゃあ先輩……せんぱ〜い♪ 早くイチャイチャしましょ〜よ〜♪」
「ああ、してやるよ。お前の気が済むまでな!!」
再び深淵へと心を落としたフィールと自分を超えると宣ったハヤトの五分戦争が今始まる――




