しがない物書き
今度こそ歓迎会が終了したハヤトとアキはフィールを連れて他よりも遅くに帰宅する準備をしていた。というのも、フィールが体育館の奥から取り出してきた車椅子に座ると、わざわざハヤトに押させるなんてことをしていたから他のメンバーよりも遅い帰宅になったわけである。
あれほど、来る時はハヤトの隣がいいと言っていたフィールであったが、帰りはハヤトに車椅子を押されてご満悦なようで、極めつけには鼻歌まで歌う次第である。
その様子を見て呆れていたアキは、何も感じていないであろうハヤトにも同じく呆れていた。
「こうやって先輩に押されるのもいいですね」
「そうか? まあ、こっちのほうがおんぶよりはマシだから助かるけどな」
「私、そんなに重くないので大変では無いですよね?」
さて、それはどうかな。ハヤトはフィールの言葉を無言で返すと幸いにも意味を上手く理解してくれなかったフィールは、答えないハヤトに不思議そうに首を傾げていた。
そんな仲睦まじそうに見える三人が校門までやって来ると、校門のあたりで一人の老人が立っているのが目に入った。瞬時に近くに住んでいる老人であろうと予想したが、果たして三人の予想は外れていることがわかる。
「やあ、君たち」
「……どうも」
老人にしては軽快な口使いだった。返事をしたのはハヤト。アキとフィールは会釈をする程度で済ませた。笑顔がなんとも若々しく見える老人は、腰に手を回して組みながら校舎を見てハヤトたちに問うた。
「君たちはこの学園の学生さん……で、いいのかな?」
「まあ、一応」
「それは運がいい。僕の運もまだまだ残っていたわけだ……ん?」
ジッと、ハヤトの顔を見る老人にハヤトは自分の記憶の中でこの老人の顔を認証させるがどうも思い当たらない。すれ違った程度の顔を老人が覚えているのも考えにくいので、なぜ見つめるのかを聞いてみた。
「いや……少し君の顔が昔の知り合いの顔に似ていてね。懐かしさを思い返すところだったよ」
「はぁ……えっと、他に用が?」
「ああ、そうだね。君たち、時間は多少あるかな?」
無い。そう答えそうになったが、何故かハヤトは悩んだ。いつもであれば、即答で返すところを、『今回に限って』は悩んだのだ。もしかしたら、道を聞いてくるのかもしれない。もしかすれば、誰かを探しているのかもしれない。そういう考えが、鈍感なハヤトの頭に浮かんだ。
そして、アキとフィールの顔を見ると、二人も少しくらいなら時間を割いてもいいと頷いた。なので、ハヤトは老人に少しだけならと応えると、老人はひどく嬉しそうな顔になって話し始めた。
「これは僕の友人が昔問うてきたことなんだけれどね。『人はなぜ人なのか』。そう問われたんだよ。君たちはどう考えるかな?」
「人が、人の理由? そんなの、人に生まれたからじゃないんですか?」
首を傾げながら答えたのはフィールだった。人が人であるのは人が人として生まれてきたからに過ぎない。最もな答えだ。否、これ以上の答えなど存在しないという的を射た答えだった。そう、通常の場合であればの話だ。
その答えに老人も大きく頷いて大げさに言えば合っていると言う。大げさ、という言葉に一同は疑問を持った。学生ではあるものの、フィールの頭脳は非常に高い。その答えに納得したハヤトも、どうしてそれが大げさに言えば会っているなんて言う、遠回しにほしい答えではないと言われているのかが疑問になったのだ。
「細かく言えばそうではないんだ、お嬢さん。人がなぜ人なのか。それを解明するには『人が一人では生きていけない』という前提を元にやらなければならない。なら、最初にあからさまにするべきは『人がなぜ一人では生きていけない』か、だ」
老人にしては難しいことを言う。こういった事柄が得意なはずのハヤトもこればかりは答えようがなかった。もちろん、他の二人だって答える余裕はない。その様子を観て、老人は少し楽しそうに微笑んだ。
どれだけ考えても答えが出そうにないので、ハヤトたちは早々に答えを知っているであろう老人に問いの答えを教えてもらおうと乞うた。
「人が一人で生きていけないのは、ひとえに『人が一人では存在を定義できない』からなんだ。人はその他に存在していると認められなければ自己を証明することはできない。人類は自己で自分を証明できないように作られているからね」
つまり、と。老人は手を組んだまま朗らかな顔で続けた。
「人はなぜ人なのか。それは単純に、『他人に人であることを強制された』からなんだ。世界中の全ての意思ある人に例えばそこの男の子が『猿である』と認識されたら、どうなると思うかね?」
問われて、フィールはハヤトをちらりと見て申し訳なさそうに答えた。
「それは……きっと猿ってことなるんじゃないですか?」
「そう。全人類が彼を猿だと思えば、彼は猿にならざるを得ない。結局のところ、人間は他人の意思によってでしか自分とは何かを理解できないんだ」
急に猿にされたかと思えば、すぐに答えをスムーズに提示すると、老人は胸ポケットから金の懐中時計を取り出した。そして、時間を確認するやいなや即座にそれをしまった。
どうやら、暇つぶしが目的だったようだ。そして、どうしてか三人はそれにまんまと付き合わされた。普段なれば無視するような相手を、今回ばかりは無視できなかった。それはどうしてか。
老人の横を通り抜けられなかったのだ。感じさせず、また確実に相手の意識を自分に向けさせる。そういう意図で老人が精霊に命令を出していたからだ。それに気がついたのは他でもないハヤトだけであった。
普通ではない。今の今まで自身もそのことに気が付かなかった。何をどうしたのか、具体的なことは分からないが、ハヤトは老人が起こしたことに警戒心を持った。
「あんた……一体、何者だ?」
「怒らないでくれたまえ。ちょっとした暇つぶしだよ。それに、僕の話は身になるとは思わないかい?」
老人の怒るなという言葉はフィールとアキにはハヤトが自身を猿に例えたことについて怒っているのだろうと思っていたが、その実は違う。
ハヤトは普通でない老人に殺気すら思わせる視線で睨みつけると、老人は肩を竦めて三人の横を通っていく。それを止めようとして、ハヤトが声をかけるが……。
「おい。どこに――」
「そろそろ約束の時間でね。もう少しお話をしていたいところだけれども申し訳ない。ただ、先程の言葉だけでは些か不満だろうから、そうだね……僕の名前を言っておこう」
老人は絶やさぬ朗らかさをもって、定義を説いた。大して必要なさそうな杖で、コンッと地面を叩いて、己の存在を再び強めてから、まるで今から語る定義を忘れさせまいとする暗示のごとく口を開いた。
「僕はレオナルド・ダーフェン。しがない物書きだよ。また会おう――――いや? 君たちとはまた会える気がする。こう見えて、僕の勘は鋭いんだ。また会えたら、今度は別の身になる話とともに今度は君たちの話を聞きたいね」
そう言って、老人――レオナルド・ダーフェンはハヤトたちに背を向けて学園の方へ歩いて行く。その背に先程までの存在感は無かった。どういった仕掛けなのかはわからなかったけれど、ハヤトにとってあの老人は油断ならない人物に変わっていた。
それと同時に、老人の名前を聞いてひどく驚いていたのはハヤトだった。ハヤトはその名前を知っていた。というよりも、その名前の人物が書いた本を気に入っていた。
故に、ハヤトはレオナルド・ダーフェンの背を誰よりも長く見ていた。




