若き好奇心
各々の片付けが一段落したところで忘れ物がないかをするために理事長を除いた一同がもう一度体育館に戻ってきた。そして、何一つとして片付け忘れたモノがないことを確認してから今日は解散するものだと想っていたハヤトは、フィールの本当の思惑に気がつくことができなかった。
そうそうに立ち去ろうとしたハヤトを待っていたのは笑顔のフィール。体育館の出入り口に立っていたフィールは帰ろうとするハヤトに待ったを掛けた。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「もちろん、ありますよ? だって、先輩の歓迎会はまだやってないじゃないですか」
「……アキと合同じゃなかったのか? それに食い物はもう残ってないだろ?」
当然、片付けるくらいなので飲食できるものは何一つとして残っていなかった。同じく何かをするには殺風景になってしまった体育館でフィールは一体何をするというのだろうか。
ハヤトの尽きぬ疑問にフィールは可愛らしい笑顔で答えた。
「歓迎会は確かに合同です。でも、先輩だけやってないことがあるじゃないですか」
「俺だけ……?」
「はい。自己紹介というものですよ♪」
確かに。ハヤトは、今に至るまで見覚えのない女子たちの名前を知らなかった。此処にいる時点で何かしらの関係があることは分かっていたし、それが特別担任生というモノに収束するのはあからさまだったために今まで聞かなかったのだ。
フィールの口ぶりからアキはとっくに自己紹介を終えているのを読んで、ハヤトはさっさと済ましてしまおうと見知らぬ女子たちに向き直った。
「俺はクロサキ・ハヤト。そこにいるクロサキ・アキの兄だ」
「……自己紹介がさっぱりしすぎじゃないですか……? もう。まあ、先輩らしいですけどね」
では皆さん、順番に名前を。そうして、自己紹介を終えて本当に歓迎会を終わらせようとしていたフィールだったが、珍しく読み違いをしたようだった。
自己紹介を頼んだ女子たちの目付きが徐々に鋭くなっていく。それにいち早く気がついたのはハヤトであった。フィールも一瞬遅くそれに気がついて何がどうしたのかを聞いてみると。
「私たちはそこにいる男子生徒――クロサキ・ハヤトを認めてはいません。資料は拝見させてもらいました。その上で、私たちと肩を並べるのは少々危険なようにも思えます」
二人いる女子のうち、背が高いほうの女子が答えた。
女子が言う資料とは、ハヤトのこれまでの成績や戦績などを事細かく記した書面のことだ。そこにはもちろん、落第の印が押されていることは明白で、それを見て仲間に迎え入れようとする人物はまずいないだろう。
流石に、それを言われては言い返すことができないフィールも、先日の戦闘のことを出汁にどうにか納得させてみせようとするが、女子二人は聞き入れなかった。フィールの言葉を信じないと言うよりは自分で見て確かな真実を得たいという方が強いようにも見えた。
「私たちに道を標してくれたフィールさんが言うのなら彼が強いというのは間違い無いのでしょう。ですが、私たちが知り得るのは資料だけ。それではどうしても私たちは彼を仲間に引き入れることはできません」
一歩たりとも引かない女子にハヤトは珍しく押されているフィールの姿を見た。けれど、助け舟は出さず、むしろそのまま押し切られてしまえばいいと思った。
要するに、資料だけではハヤトはゴミカスのような存在だから認めようにも何処を認めていいのか難儀するとハヤトは解釈して、どうやらそこだけはフィールにもどうにもできなかった箇所だったらしい。どちらにせよ、此処ばかりはハヤトの行いが悪かったのが一様に大きかった。
と言っても、ハヤトは自分が他人より劣っているのはわかっているし、それを真に記した評価は理に適っているものだと自負している。つまり、その評価こそがハヤトの人間性を事細かく細分化した最も効率のよいハヤトの履歴書なのだ。
「そ、そんな……そこをなんとかしてくださいよフェルマー先輩……」
フェルマーと聞いて、ハヤトは頭に一つの名を浮かべた。しかも、あまりよろしくなさそうな方向性の記憶の掘り出しで、一瞬だけだが嫌な顔が出てしまっていた。
――――フェルマー・D・ナディア。『尊き一族』に組する名を持ち。その直系と名高いカリシュトラ学園三年で、しかも学園ではただ一人の王族である女子の名前だ。
まさかとはハヤトも一瞬考えたが、他に浮かんでくる名前もない。むしろ、王族である女子ならば特別担任生になっている可能性のほうが高いのだ。そして、王族は他国に関しても干渉力が大きい。ここでの彼女の選択がハヤトや他の人物たちの行動を拘束してしまえる程には力を所有していると思われる。
ということは。ハヤトは少しだけ希望を見た。もしかすれば特別担任生なる面倒な役職を降りる口実になり得るのではないか。そういう希望を見てしまった。
もちろん、そんなことをフィールが許すはずはない。分かってはいても見えてしまった希望はハヤトに期待させた。そもそも、理事長のおもちゃにされることが確定されたような役職などハヤトは真っ平御免被っていたのだ。それを回避できるのならば、それに越したことはハヤトにとっては存在しない。
「ともあれ、自己紹介は必要ですね。私はフェルマー・D・ナディア。知っているとは思いますが、ドラゴニアの王族です」
やはり。ハヤトは、キリッとした態度と銀の髪をした女子に自分が考えていたことの裏付けを済ませると、もう一人の赤い髪に赤と黒のマフラーをなびかせる中学生のように見える女子の自己紹介に耳を傾けた。
「自分はリルっす。ファミリーネームはないっすよ。あ、よく間違えられるんすけど、自分こう見えて大学生っす」
嘘は付くものではない。そう言おうとした側からフィールがハヤトに事実だと耳打ちする。なるほど、所謂合法ロリとかいうやつか。そんなやつが本当にいるとは世界もまだまだ広いものだな。なんて思いつつ、ハヤトはリルを見ていた。
二人の女子を前にして、ハヤトは特別緊張すること無く、ただ興味なさげな態度で聞いていた。実際、ハヤトにはフェルマーとリルは興味の対象になり得ない。なぜなら、ハヤトは既にこの時代で守るべき対象を得ていたからだ。
かくして自己紹介を終えて、なおもハヤトの移動について食い下がるフィールに一同がうんざりしてきた。
「どうしたら先輩の移動を認めてもらえるんですか!?」
「認めるも何も……彼にはそもそもこちらに来る意志が感じられません」
「そりゃそうだ。俺はクソババアにこっちに行けと言われただけだからな」
しかも脅しまで付け加えられて。
心の中ではフィールにそう告げていた。だが、フィールはハヤトの内面を見透かす余裕など毛頭ない。現状、うまくいくと考えられていたハヤトのクラス移動がまさかまさかのところで阻まれているのだ。予想外もいいところの話である。
どうにかせねばならなかった。何故か? ハヤトを移動できなければ自分が面白くならないからだ。
ことのつまり、特別担任生にアキが移動してくる話は当初から浮上していた。そこに兄も一緒にやれないかと意見を出したのは紛れもなくフィールであった。
フィールは特別担任生にハヤトを押し込めばきっと楽しくなると考えている。何が、かは未だに分かってはいないようであるが。それでも、ハヤトの加入で確実に学園生活というものが楽しいものになると確信していた。
対して、ハヤトは移動に無頓着だ。いや、どちらかと言えば移動したくないと思っている。これを逆転させるには相当な労力が必要とされるが……。
こうして、実のない説得を続けること約三十分。話が進まないのに飽き飽きしたアキが珍しくフィールに助け舟を出した。
「お兄」
「……なんだ?」
「何を言う前に戦ってみればいいじゃん。もしもお兄が負けるようなことがあれば、この人達だって文句はないでしょ?」
「どうしてそこで戦うって選択肢が出てくるのか、兄は不思議で仕方ないよ……」
そもそも、ハヤトが負ければ文句があるのは女子たちの方であって、言葉としてもおかしい。しかし、その言葉はあながち間違いではなかった。ハヤトには全く理解不能。そう思っていたが、どうやら――そう、どうやらフェルマーとリルはそれが目的のようだった。
二人は最初から暗にこう言っていた。『クロサキ・ハヤトはどれほどの強さなのか』。思い返してみれば、二人は認めていないと言うだけで、その認めていない内容は言っていない。
ならば、その認めていないものは何か。それはフィールが言う『クロサキ・ハヤトの強さ』の信憑性にほかならない。つまり、女子は自分たちよりも遥かに強いであろうハヤトの強さの証明を行おうとしていたのだ。
だから、アキが『ハヤトが負けるようなことがあれば』と言ったのだ。ここでハヤトが女子たちに負けるようなことがあれば、それは資料通り。文句の言いようのない落第生である。ゴミカス他ならないわけだ。
だが、逆を言えば二人の文句とは本当は強いのになぜ落第の印を押されて黙っているのかというところに帰着する。
なるほど。なるほどそういうことか。
ハヤトは遠回しに女子たちの思惑と、アキの言葉の真意に気がついて、大きく肩を落とした。
「……また嵌められたわけか……」
「え、え? 先輩? え?」
この場でこの事実を理解していないのは珍しくもそういうのが得意だったフィールただ一人であった。
ハヤトがいかにして、そしていかなる強さを持っているのかを知るべく、戦いの宣言は高らかに行われた。けれど、未だにハヤトは乗り気ではない。
フェルマーとリルが知りたかったのはハヤトという人間の成り立ちである。何を持って、何を思って、何を想像して息づいているのか。それを知るための戦いである。
それを理解したハヤトは本当にどうしようもない連中の集まりであると感じた。当然だ。資料を介しただけでわかる落第っぷりを、よもや反証しようというのだから。
クロサキ・ハヤトは確かに強かろう。過去、勇者候補として一国の代表となって最悪の敵に立ち向かうことを許された人物だ。力量的に弱いわけがない。だが、それは純粋な強さでの話だ。もちろん、それを隠していたから資料には反映されていない事柄であるが、資料――要するに成績は単純な強さだけを記したものではない。
言うまでもなく、ハヤトは面倒くさがりだ。やらなくてもいいと判断すれば誰がなんと言おうともそれをしない。そして、できることなら何もせず寝ていたいと考えるのがハヤトなのだ。
よって、それは資料が記す通り、忠実にハヤトという人間を表現していた。そう『落第生』という印こそがハヤトの学業の成果なのである。
「――大空を畝る力の権力者よ――」
本気で相手をすると言うかのようにフェルマーが精霊機獣を召喚した。その姿は大空を駆ける飛龍。かの有名なドラゴニアの初代王、フェルマー・D・フィルゴリズムが所有する世界で五匹しか確認されていない神霊の一体『万物の存在理の正しさを正す権能』と同じく竜種の精霊機獣。
だが、その神霊と違うのは大きさや力ではなく、その在り方だった。
フェルマーが召喚した精霊機獣は竜と呼ぶにはほんの少しだけ違っていた。確かに形は竜だが、その形を成しているのは雲だったのだ。
これが、フェルマーの異常性とも言えるもの。フェルマーの精霊機獣は未確認の精霊と風属性を織り交ぜたイレギュラーな精霊であった。その形は雲。そして、晴天を遥かに超えた輝きを発することから、彼女の精霊機獣は『遍く蒼天の聖雲』と呼ばれていた。
流石に、ハヤトはここまでのモノを見せられるとは思っていなかった。逆に、ここまで本気になるのかとも思ったが、本気を出したのはフェルマーだけではなかったようだ。
「――軍を率いて社会と成せ――」
もう一つの詠唱を行ったのはリル。それによって召喚されたのはとてつもなく大きい『蜂の巣』であった。その巣から出てきたのは無数の蜂の軍団。その中の一匹がリルの人差し指に止まったかと思うと自動的に武装と成した。
「詠唱なしで武装化だと……?」
「あー、自分特殊系っすから。詠唱は第一止まりで精霊武装まで行けるんすよ。その代わり色々とデメリットもあるんすよ?」
「そっちはドラコだしよ……。ここは変な精霊しかいないのかよ……」
一人は百体ものメタルゴーレムを召喚して操作することが可能な迷惑他ならない女。一人は大空を黒く染め上げる黒雲を生み出す妹。一人は力の象徴である竜に未確認の精霊を織り交ぜたドラコを召喚する王族。一人は詠唱なしで武装化まで行える合法ロリ。
何を隠そう、この中でハヤトがダントツで変な精霊であることは置いておいて、それを抜きにしてもここまで普通でない精霊使いを集めるのは至難の業であるのは間違いない。一体、理事長はこんな人間を集めて何をしようというのだろうか。その答えは、また後日へと先延ばしにされた。
「まあ、そう言わないで相手してくださいよ。自分たち、こう見えて戦闘派っすよ?」
「んなもん、見ればわかる。でも、俺が戦わなきゃいけない理由がないだろ。認められないなら入れなければいい。それで困るのはフィールかクソババアくらいなもんだろ。俺には何のデメリットもない」
ハヤトの持論にリルが首をかしげる。それは本当にそうであろうかという意味を持っていたが、その本当の意味をハヤトは理解できていなかった。
ここでハヤトが戦わなければ被害は確かに他人にしか行かないだろう。そう、ハヤトが言うようにハヤトを推したフィールとそれを承認した理事長だ。だが、他にもいるのだ。ここでハヤトが戦わなければ被害を被る人物が。
「実は、さっきあなたが席を外しているときに妹さんとお話をさせていただきました」
体育館の窓から顔を覗かせる竜の契約者であるフェルマーが鋭い目付きでハヤトに話しかける。
アキと話した程度で何がどうなるのだと言い返そうとした矢先、フェルマーが言った言葉によってハヤトは実に悩ましい現状に天を仰いだ。
「それがどうかしたのか――」
「その時に、あなたの妹さんがもしも兄――つまり、あなたが私たち程度に負けるようなことがあるのならば、この学園を去ってもいい。そう言いました」
「なっ……」
驚愕の目でアキを見る。ハヤトの目に写ったアキはいつも通りの威風堂々我が道を征く覇王の如き大いなる眼差しでそれを肯定した。
笑う。笑ってしまう。ハヤトは自分の妹がよもやそんな約束をするような阿呆であったことに心底大笑いしてしまう。だってそうだろう。学園が下した正当かつ精密な判定に間違いなどは一切なく、それにいちゃもんを付けるのは非常におかしいことだ。
そんな誰でもわかっていて然るべきことを否定したアキに笑わないでどうしようというのだろうか。しかし、そうとわかればハヤトは態度を変えなければならない。つまるところ、やる気を出さなければならなくなったわけだ。
愛すべき妹が学園を去らねばならない理由になるつもりは毛頭なく、またそういうことならばハヤトは好き好んで本気を出すだろう。
空気を震わすようにハヤトの詠唱が行われた。
「――剣よ――」
重々しい空気へと変わり、フェルマーとリルが召喚した精霊機獣たちにも焦るような動きが見えた。それは、少なからず金属性の精霊が組み込まれているからだろうが、そんなことを知らない彼女たちは自分たちの精霊機獣の異変に驚いていた。そうしている間にも、ハヤトの詠唱は次の段階へと行く。
「――無限に広がる、神剣よ――」
ハヤトの腰には一本のカタナが虚空から現れた。既に現界していたタマモがそのまま武装として姿を表したのだ。フェルマーとリルはハヤトの精霊機獣の姿は見ることはできなかったが武装を見たことによりハヤトに戦闘の意思が生まれたことに気が付き、嬉しそうに戦闘態勢を取る。
だが、ハヤトの詠唱はそこでは終わらなかった。
「――この日、この時、この声に応えるならば答えよ――」
第三節の詠唱。それは強者への足掛け。それを知っているフェルマーとリルの顔に僅かな苦笑いが訪れた。どうやら、自分たちが相手にしている者の強さに薄々気がついてきたということだろう。されど、ハヤトの悪魔の詠唱は終わりを迎えない。
「――最悪を退ける純霊たる輝きを以って――」
第四節の詠唱。さらなる極みを増すハヤトの精霊武装の輝きは、二人の女子に明らかな恐怖を見せつけた。それだけで十分だった。だが、ハヤトは妹のために全力を出さねばならないという確たる意志があった。なればこそ、そこで止めるのはハヤトにしては少々らしくないと言えるだろう。絶望の準備はいいかと言いたげで、その先へと言葉を歩ませる。
「――世界よ、楽園となれ――」
第五節の詠唱への到達。神理と呼ばれる神霊の存在意義を定義したハヤトの言葉には既に重みが付加されていた。
その重圧は二人の女子にはかなり重いもので、リルに関しては全てを諦めたようにへたり込んでしまった。母親が神霊使いであるフェルマーに関しては辛うじて立っていられたが、それでも恐れ戦くのには十分な威圧である。
ハヤトは既に戦意がか細くなってしまった女子二人に無慈悲にも『本気』を見せるために腰に帯刀した『隷刀・無限』に手を掛けて、一言の言葉を放つ。
「これが俺の本気だ」
言い終わる頃。光と化した斬撃が二人の女子を分かつように走っていき、体育館に大きな亀裂をもたらした。ただの一振り。しかれど、それは神理の収束である。破壊、後に再生の神理。その内の破壊に特化した無限による斬撃は女子二人にありとあらゆる万象を見事に取り込ませることに成功した。
故に、女子たちはハヤトの強さに文句など一つも言うことができずにただ、目の前に立つクロサキ・ハヤトなる恐怖の対象を見るほか出来なかった。
「…………さて、これでいいよな?」
先程までの殺意溢れんばかりの言葉とは裏腹に、気軽に話しかけるハヤトのそのテンションの切り替えの速さについていけそうにない二人の女子を置いて、まず最初にフィールが思いっきりハヤトの頭を叩くことで、騒ぎは一旦の閉幕を経たのだった。
圧倒的な戦力差を見せつけられた女子二人に話しかけるハヤトの軽快な言葉遣いは、どう足掻いても二人にプレッシャーを与える他なかった。フィールの喉突きが多少なりとも威圧の残り香を薄めたと言っても、やはり確たる恐怖は拭うことができなかった。
そんな二人を前に土下座させられてお説教をされているハヤトはさぞ不思議で仕方なかったことだろう。
「まったくもう、先輩は! 本気って言ったからまたこないだのような事が起きるんじゃないかって一瞬ドキッとしたじゃないですか!」
「い、いや、フィール。こないだのは本気じゃなくて本来の力であって、アレを本気って言ったらいけないって昔に注意されてだな……」
「知りませんよ、そんなこと! そもそも、先輩が本気を出したら相手になる人なんていないんですから不用意に本気だなんて言わないでください! 私の友達を減らすつもりですか!?」
最後のはただの言いがかりな気がするが、ハヤトも本気を出したという点においては大人気なかったと自負したらしい。故にこうしてフィールの説教を受けているわけで、普段なれば知らぬ存ぜぬで突き通すことであっても今回ばかりはちゃんと聞いていた。
対してフェルマーとリルはハヤトの強さとフィールの強さを比較して、明らかにハヤトの方が強いはずなのにフィールには頭が上がらない光景を見て驚いていた。
フィールに対して少なくとも何かしらの恩義がある二人にはフィールの見えにくいカリスマ性を理解していた。だから、ハヤトもそういうカリスマ性に惹かれて言うことを聞いているのかと思えばそうではなく、だが他に理由も無さそうにも思える。
不思議であった。フェルマーとリルにとって、ハヤトとフィールの見えない繋がりが本当に不思議で仕方なかった。
「敵わないっすね」
「リルさん……?」
「いや、フィーにはそういうカリスマ性があるのは知ってたっすけど。まさか、ハヤトっちには通用して無いようっすよ。敵わないっすよ。自分らが認めた人を認めさせるなんて業腹なことするハヤトっちには、最初から自分らが勝てる余裕なんてなかったんすね」
リルが語るのはハヤトに垣間見えた資質であった。フェルマーとリルはフィールのことが好きだし、信用している。それ故にこうして集まりなどに参加しているのだ。しかし、ハヤトは違った。フィールに信頼され、なおかつ認めさせたのだ。
そりゃ勝てない。リルの下した結論だった。カリスマによって自分たちには勝てないと思わせたフィールを認めさせ、さらなる上位カリスマ性を匂わせるハヤトに、自分たちが勝てる道理が見つからなかったのだ。
結局、リルはハヤトの本気の一撃を放たれる瞬間、動くことができなかった。それが全てを物語っているに違いない。完敗である。リルはそう笑って立ち上がった。
「そう……ですね。私たちの完敗です。アキさんの言っていたことは正しかった」
「そうじゃないっすよ。いやまあ、アキっちの言うことは間違いじゃないっすけど。程度が二段も三段も違った。全く、あれでまだ本来の力を解放してないなんて言われたら、困っちゃうっすよ」
えへへ、と。嬉しそうに笑うリルにフェルマーはまたダメな癖が発動したらしいとリルを見ていた。リルは強い人を見ると嬉しくなる癖がある。それだけならまだいいのだが、強い人に惚れやすいというのもあるのが痛いところだった。
見た限りではまだ興味が湧いてきた程度であろう。その癖をどうにかしないことには今後男性との間で問題になりかねないと散々言ってきたのに聞く耳を持たなかったのが此処に来て裏目になったらしい。
困った先輩だ。そう思いながらフェルマーも立ち上がった。
「いいですか! 先輩は今後本気とかそういうのは私に許可を取ってから使ってください! いいですか!?」
「あーはいはい。できれば本気なんて出したくもないし、出すつもりもないから安心しろよ……」
「せめて、私がピンチになったら本気出してくださいよ!」
「許可申請してからな」
それじゃ遅くないですか!? などと、会話がどんどん脱線していく二人を止めるべくフェルマーが声を掛けようとする。
体に外傷がないように攻撃したつもりであったが、ちょうど逃げ場が欲しかったハヤトは声をかけようとしていたフェルマーに体は大丈夫かと聞いた。
「え? あ、ああ……大丈夫です。目につく外傷はないですよ」
「そうか。そりゃよかった。フェルマー……先輩は武装とかを見せなかったけど、やっぱり手を抜いてたのか?」
「いえ、そういうわけではないですよ。ただ……まあ、それは置いておいても私たちの完敗です。資料が間違っていたことは認めましょう」
フェルマーの笑みにハヤトは申し訳無さそうな微妙な顔で応答した。
「えーっと……そのことなんだが、俺の評価は資料通りだ。何一つとして間違っちゃいない。俺は本当に落第生なんだ」
正確にはついこないだまで存在を認められていなかった生徒である。
ハヤトはこれまで授業を真面目に受けていない。だから、現代の精霊学というをまるで理解していない。それでも精霊武装が扱えるのは一様に前世の記憶が脳に焼き付いているからに他ならない。つまり、戦える阿呆ということだ。
その言葉を聞いて、フェルマーは不思議そうにして、資料をハヤトに渡した。
「資料はこれですが、ハヤトさんの評価なんてほとんど書いてませんよ?」
「……は?」
ハヤトは知らない。フェルマーとリルが見ていた資料の全容を。
確かに学園内での評価は資料の中に含まれている。しかし、それだけではない。私生活を除いた様々な情報を書き留めたものが資料であった。当然、そこにはハヤトの学園内での行動が逐一記されているわけで、それを見て強さがどうのこうのだと問われれば確かに弱いと思われても仕方ない内容が書いてあったのだ。
クシャッとその資料を鷲掴みにすると、ハヤトはこの資料を渡したであろう大嫌いな人物の俗称を憎たらしそうに言う。
「あんのクソババア……」
「り、理事長のことをそういうのはやっぱり良くないと思いますよ、ハヤトさん……」
さて、一段落。武装を解除したハヤトの側に現れたタマモに興味を持ったフェルマーとリルが会話から離脱して間もないころ、二次会のような楽しげな会話とともに始まった時間は早々に終わりを迎えた。
事件が起きたのではなく、それぞれの用ができたので解散となったのだ。
「ハヤトっち。最後に一つ聞いてもいいっすか?」
「なんだ?」
「ハヤトっちって英雄っすか?」
どこでその話を聞いたのだろうかなどと問わなくともわかる。ハヤトは近くにいたフィールの頭を問答無用で引っ叩くとなぜ叩かれたのかわからなかったフィールが涙目で訴えて来るのを無視した。
そして、ハヤトはリルの質問に対して首を横に振った。
「違う。俺は英雄でも勇者でもない」
「じゃあ、なんすか?」
「そうだな……弱い人間さ」
限界を知らず、限界を設定し終えた完了した人間。ハヤトは自分のことをそう思っていた。所謂『自己を判断する』というものである。妥協をし続けることを決め込んだハヤトはそれ以上の強さを求めることができない。否、求めようとさえも考えない。
だから、弱いのだ。ハヤトはそう決め付けた。
しかれど、リルはそうは思わなかったようである。
「これは自分が言えた立場じゃないっすけど。謙遜はやめたほうがいいっすよ?」
「謙遜……? 俺が?」
「はいっす。弱い人間、そう定義するには自己を見つめ直すことが必要っす。でも、本当に弱い人間は自分を見つめられないんすよ。だって、弱さを見つけることは最も信頼していたはずの自分に弱点を晒すということなんすから」
つまり、
「自己が自分を弱いと理解してしまえば、人間は人間としての強さを失うっす。強さを失うことで人間は正しさを失うっす。そうすれば、信用できない世界の中で唯一人で生きていかねばならないという苦行が生まれるっす。だから、ハヤトっちは自己を弱いと判断した時点で『強くあるべき』人間っすよ」
言って、話すことはなくなったとハヤトの返答を待たずに何処かへ言ってしまったリルに、ハヤトは一本取られたと思った。よもや、そんな解釈があったのか……否、その解釈を知っていたとしても自身ではその解釈は適応させないだろうと考えたのだ。
リルが言ったのは確かに、強くあるべき人間のそれである。けれど、ハヤトに取ってそれは、ほんの少しだけ意味合いが違ってしまうのだ。リルの出した答えが、ハヤトが下した結果に伴われないわけである。
しかし、純粋に褒められたと考えれば、流石のハヤトもこそばゆさを感じた。
「全く。やりにくいったらありゃしないな、おい」
ガリガリと頭を掻いて先程の言葉をよくよく考えてフッと笑うのであった。




