ままならぬ感情
アキの特別担任生歓迎会なるものが始まっているであろう体育館に戻る途中、ハヤトはシルビーと幾つかの会話をした。シルビーの今後について、そして学園内での二人の関係についてを一通り話すと、最後にシルビーの感謝の言葉と謝罪の言葉が混在した会話に変わり、結局それを全てどうでもいいとハヤトが打ち切って、二人は体育館へとたどり着いた。
体育館のドアの前にいるにも関わらず、中のどんちゃん騒ぎが漏れていることから、どれだけ騒ぎ出しているのかなど見るまでもなく、自分は参加しなくてもいいと言っていたシルビーを無理やり引っ張って体育館に連れ込んだ。
「あ、先輩! おかえり――――なんでヴァハラ先輩と一緒にいるんです?」
「…………お兄、ちゃんと説明してくれる?」
おかしい。ハヤトは心の中で、どうして温かそうだった会話が聞こえていた空間が自分が来ることによって一気に氷点下まで下がったのかの理由を求めたかった。
その理由に幾つか気がついているシルビーは申し訳なさそうな顔をして、ハヤトの背中に隠れた。そのせいで余計にハヤトに非が行くが、ハヤトはハヤトで本当にどうしてこうなったのかがわからなかった。結局、こうなった理由を一から話すと、アキとフィールはなんだそんなことかと納得行かないような顔でうなずいた。
そして、問題はそこじゃないのだ、と。言いたいように、二人はハヤトの背中に隠れていたシルビーに笑顔で近づいた。
「ねぇ、ヴァハラ先輩♪ お一つ質問いいですか?」
「え、な、なに?」
「そんなに固くならないでくださいよ~。大した事じゃないですよ~」
言うなり、シルビーは変なことを聞かれないのなら構える必要はないなと力を抜いて置いてあったジュースをいただくことにした。
ずっと気が張っていたこともあって喉が乾いていたのだろう。注がれていたジュースを一杯飲み干す勢いで飲んでいると、
「先輩――クロサキ先輩の何処が好きなんです?」
「バハッ! エホッ、ゴホッ……な、何の話かな……?」
笑顔でとんでもないことを聞くフィールに飲んでいたジュースを半分以上吹き出したシルビーが本当に困ったような顔でフィールを見てから、話に上がっていたハヤトを見た。
そんな話がハヤトに行けば、誤解されてしまう。そういう意味で見たのだが、どうやら事態はもっと深刻だった。
「…………なあ、今日って厄日か何かか? クソババアには会うし、急にジュース吹きかけられるしさ……」
幸いにも(?)ハヤトには先程の会話は聞かれていなかった。しかし、そのかわりにシルビーが吹き出したジュースが全部ハヤトにかかってしまったのだ。
シルビーは急いでジュースを拭き取ろうとハンカチを取り出すが、その手をフィールが掴んで止める。さらに、シルビーの前にはアキが立ちふさがった。
「さあ、ヴァハラ先輩。答えてくださいよ~? 何処が好きなんですか?」
「いや……その……」
「お兄の何処が好きなの? 早く言ったほうが楽になれると思うけど?」
「あの……えっと……」
完全に逃げ場を失ったシルビーは年下であるはずの二人に集中攻撃されて既に泣きそうになっていた。
当然、フィールが見抜くくらいであるから、シルビーには少なからずハヤトに好意が存在した。それは、数々の窮地を救ってくれた事による恩義が大分だったが、先程のことが一番の要因だろう。
研究所で実験体になるなど、誰だって恐怖することだ。それはシルビーだって同じことで、むしろ年齢層等のとてつもない恐怖であった。その恐怖を払拭してくれたのが紛れもなくハヤトだったのだ。単純であると言われれば、それまでであるが、それでもシルビーは心から救われた――ある程度の枷はできたが――のだ。
しかも、ハヤトは今後の学園での関係について、極力関わらないようにすると言っていた。それは、頼るときだけ来ればいい。そう言う意味になるのだ。つまり、友達になろうというハヤトの遠回しな言い方に違いなかった。
シルビーは助けてくれて、かつほとんど自由にさせてくれた恩人に、恋にほど近い感情――今はまだ思いといったほうが適切である――を抱いてしまっているのは明白な事実だった。
だが、そうだとしてもそれをこの場で公言するのは流石に躊躇われた。
「ヴァハラ先輩? 何をそんなに困ったような顔になっているんですか?」
「そうだよ。もしかして、もう頭の中では行くところまで行っちゃったの?」
「あ、その……うぅ」
顔を真っ赤にして逃げ場を探すシルビーに迎えられたのは助け舟ではなく、シルビーを撃沈する戦艦であった。
キーマンに濡れた箇所を拭くためのタオルをもらってきれいになったハヤトが、三人で仲良くしていた――ように見えた――フィール、アキ、シルビーのところに何をしているのかを聞きにやってきたのだ。そして、微かに聞こえた自分の名前に驚いて、今度は何をやらかすつもりだと呆れるように声を掛けた。
「俺がどうしたって?」
「あ、お兄」
「先輩! いいところに来てくれました! 実はヴァハラ先輩が――」
「ああああ!! く、クロサキくん! 今ちょっと、二人に今後もよろしくねって話をしてただけだから! 深い意味はまったくないから!」
「ん? いや、だって今、俺の名前が――」
「出てないよ!? クロサキくんの名前なんて一切これっぽっちも全く全然出て来てないよ!? 大丈夫! 安心してあっちで楽しんできて!」
「お、おう。そうか……」
必死過ぎるシルビーの姿にハヤトはもしかしたら話しかけちゃいけなかったのかもしれないと思って、言われるがまま元の場所へと戻っていった。ハヤトにしては珍しく空気を読んだ。そのせいで、シルビーがもっと危険な目に遭うとは知らずにだ。
その姿を見ていたフィールとアキはお互い見合わせて、笑顔でアイコンタクトを済ませると同時にシルビーの肩を掴んで、
「「で、結局何処が好きなの?」」
「も、もうその話はやめてぇぇぇぇ!!」
年下で、しかも片方は一度惨敗した相手に今度こそ涙を流して懇願した。やれやれと、二人は肩を竦めて仕方ないと呟くやいなや、シルビーの横を通り抜けていく。やっと、開放されたと安心で全身の力が抜けそうになる瞬間、嫌なものが聞こえた。
「いやぁ、青春してるね。うんうん。そうでなくっちゃ乙女じゃないものね」
「り、理事長……」
「ワタシも参加するって言ったよね? でもまあ、あの千人斬りくんにこんなに可愛らしい子が好意を向けるなんてね。いやはや、時代が変われば趣味嗜好も変わるってことだね」
「そ、その話はもういいです……」
「そうかね? じゃあ、もっと面白くしようかね」
基本的に理事長の面白いこととは、ハチャメチャパラダイスにシフトチェンジすることを指している。つまり、理事長の面白いことというのは承から転への高速転換。魔法少女の変身時に突如敵のボスが突撃してきたりするようなとんでもな現状変更にほかならない。
さすれば、今回における高速転換とは――
「千人斬りく~ん」
「その呼び方はやめろってさっき――」
「シルビーくんが君と結婚したいって言っているけど、返事をしなくてもいいのかね~?」
言ってるだろ。なんてハヤトの言葉を吹き飛ばすほどの突然のカミングアウト。シルビーも一瞬理事長が何を言っているのか耳を疑った。むしろ、神経を疑ったレベルだ。もしかしなくても、理事長は頭がオカシイのだろうと、確定させるまでシルビーを震撼させた。
そして、その言葉の意味を正確に理解した後。シルビーの顔は隅々まで真っ赤に染め上げるくらいに赤くなり、恥ずかしさで変な悲鳴と共に縮こまってしまった。答えなどわかっていると言いたげに、シルビーは耳を塞いで現実から逃げようとすると、それでも入り込んでくる聞きたくない現状報告が、とても今返ってくるべき言葉ではないことに目を丸くするハメになる。
「あ? シルビーが俺を好き? 馬鹿言うなよ。俺はシルビーの腕を切り落とした張本人だぞ? そんな人斬り大好き野郎って思われても仕方ないやつを好きになるなんて、そいつはきっとドMか、変人か、今世紀最大の物好きくらいだろ」
ハヤトは言うまでもなく鈍感だ。先日のフィールの行為だってその意図が未だに読めていないくらいには鈍感である。そんなハヤトが、ただでさえ大嫌いな理事長が言った言葉を信じるはずもなく。そして、シルビーの想いに気がつくはずも毛頭ない。
故に、これがホントの骨折り損である。シルビーは隠すことなどせずに、堂々としていればよかったのだ。結局、どれだけ頑張っても直接伝えなければハヤトはその想いに気が付かないのだから。
ハヤト以外のほぼ全員がシルビーの行動を見ただけでハヤトを少なからず想っていることなどお見通しだったようで、ハヤトの言葉の後には大きな呆れなため息が所々で漏れ出した。
「ね? 彼って面白いよね?」
「は、はぁ……」
ほんの少し熱さが引いた頬を押さえながらシルビーは今後どういう顔でハヤトに話しかけようかを真剣に悩みながらパーティーの続きに参加するのだった。
■□■
祝宴は約三時間で終わり、片付けを始める各人はそれぞれに仕事を持って散った。ハヤトはみんなが食べるために使った皿やコップを片付けることになって、面倒だと思いつつもせっせと片付けていた。
同じく皿を片付けることになっていたシルビーは他に人がいないことを確認してからハヤトに近づいた。
「ちょっといいかな、クロサキくん?」
「ん? どうしたんだ、シルビー?」
「呼び捨て……ボク、一応先輩何だけどなぁ……」
ハヤトの自身の扱いが思った以上にひどいのが気になったが、助けてもらってばかりなのでそれも仕方ないとシルビーは思った。実際にはハヤトはシルビーの倍は生きている人生の先輩なわけで態度が大きいのではなく、ただ単に年上であるからなのだが、そのことをシルビーは知らない。
ともかく、シルビーはハヤトにちゃんと聞き出さなくてはいけないことがあった。それは自身を助けてくれたことの理由。そして、先日の事件で薄れ行く意識の中で聞こえた『残念だけど、それが生きるってことなんだ』という言葉の真意を聞き出すことだ。
然程忙しくも無さそうに片付けをしていたハヤトにシルビーは負けずに会話を開始した。
「こないだの事件。本当にありがとう」
「……その話はもう済んだだろ? シルビーを助けたのは俺の気の迷いだ。まだ助けられたからっていうのが一番でかいけどな。それに、さっきのことをまだ感謝しているのなら、それこそ御免だ。あれは理事長に俺が生かしたやつで遊ばれたくなかっただけさ」
「わかってるよ。クロサキくんがボクに全く興味が無いことくらい。でも、ちゃんと聞いておきたいことがあるの」
「それは……?」
片付ける手を止めて、ハヤトがシルビーに視線を向けた。どうやら、話が重要なものへと格上げされたらしい。シルビーにとってもそれが好都合だった。
大きく深呼吸して覚悟を決めたようなシルビーはハヤトに先日の意図を聞き出そうとする。
「クロサキくん。ボクの右腕を切り落としたとき、最後にこう言ったよね? 『残念だけど、それが生きるってことなんだ』って。アレって、どういう意味?」
「…………? そのままの意味だろ? 世界は何もシルビーだけに厳しくはないってことさ」
「そうじゃなくて。あの言葉にはクロサキくんの何処か諦めたものを感じたの。すごく大きなモノを諦めたようなそんな感じがしたの。ねえ、クロサキくん。クロサキくんって、一体……」
どうやら、ハヤトの正体に気が付かなくとも、異様であることは勘付いてきているらしい。それを察して、ハヤトはフッと笑う。
間違いなく先日の言葉はハヤトが過去に諦めたものを十分に含んでいた。それは愛であったり、恋であったり、欲であったり、あるいは関係であったかもしれない。『人生は諦めの連続である』。どこかで誰かが言っていそうな言葉。それはハヤトが生涯を賭して持った世界への感想であった。
結論から言おう。ハヤトは見てみたいのだ。人が、世界に抗って打ち勝つその姿を。自分にはできないと『限界を決め付けた』ゆえの無能が蔓延るハヤトの人生。その腐りきった未来にはあり得ることのない『世界真理の逆転』を実現させてほしいのだ。
人間は無限の可能性に満ちている。それは逆を返せば無に収束することだってできるということ。そう解釈したハヤトは容易に世界に絶望した。望まぬのが正しいのだと言い切った。
諦めきれぬ『幻想』と望みきれぬ『現実』。その間に挟まれたハヤトの神理は常に矛盾のエラーを起こさずにはいられなかった。
ハヤトは、シルビーが言った言葉の真意を説いた。
「世界ってさ。何だと思う?」
「…………? えっと、たくさんの人が色々な考えを巡らせる終わりのない思考するもの……かな?」
「近いな。流石は上級生。でも違う。枝先はそうかもしれない。でも、根本はいつだって混沌だ」
「どういう……こと?」
「世界っていうのは、いつだって人のことを考えてない。神理っていう公式の中で真理を改竄して、新しい思考を創造するのさ。よく言うだろ? 人が思いつくことはなんでもできるって。でもさ、それって逆を返せば、思えることしかできないってことだよな? 結局、人間は『できることしかしない生き物』なんだよ」
「…………つまり?」
「人間が世界を作ってるわけじゃない。世界が人間の感情から思考まで全てを想像して、遍く破壊と再生の時代を創造しているのさ。要するに、世界っていうのは究極的に生き物に無頓着な生き物ってことさ」
果たして、その言葉を聞いてシルビーは自身の問の答えとそれがどうつながっているのかを考えた。しかし、その答えは一向につながることはなかった。生きるとは何か、そういう問から、世界とは何かという問に変わっているのだ。
しかして、ハヤトはまとめに入った。
「シルビーを助けたのは俺の意志だ。でも、シルビーが助かったのはシルビーの意志の強さのおかげだ。意思を形成しているのは世界だ。なら、シルビーは世界に生きていいと太鼓判を押されたってわけだろ? だから、俺に感謝するのはおかしいんだ。シルビーが今、感謝の言葉を大胆に述べなきゃいけないのは生きていいと意志を与えてくれた世界に対してするべきだ」
言い終わって、ハヤトは止まっていた片付けを再開した。これ以上、何も言う必要はないと体現したのだろう。
結局、シルビーはハヤトが言っている意味がさっぱりだった。確かに、ハヤトが言う通り、世界が意志を形成しているのならば、シルビーは世界に生きていいと言われたも同然だろう。しかし、それではハヤトがシルビーの右腕を切り落としたのは? その疑問はついぞ晴れなかった。
そして、シルビーが欲しかった言葉もそれではなかったのだ。シルビーは生かしてくれたハヤトに、まさしくクロサキ・ハヤトに生きていていいのだと、生きていてほしいのだと言われたかった。それによって自分が本当にハヤトのことを想っているのだと自覚したかったのだ。
それは叶わないのか。いいや、そうでない。シルビーは諦めなかった。
「じゃ、じゃあ!」
「ん?」
「クロサキくんはボクに……その……生きていてほしくなかったの……?」
「……さっきから、ちんぷんかんぷんなこと言ってないか?」
「い、いいから答えてよ……」
「生きていてほしいに決まってるだろ? 俺とシルビーはまだ知り合って短いし、片腕を切り落としたり落とされたりした仲だ。相性も境遇も全く持って恵まれてないだろうけどさ。それでも知らない仲じゃない。知り合いが死ぬのは……正直勘弁だ」
ハヤトは何を当然なことを言わせるんだ、と。一瞬止まっていた手を再び動かし始めた。シルビーもそれに続いて仕事を再開したが、その顔には明らかな嬉しさが募っていた。同時に、シルビーは自覚した。自分はクロサキ・ハヤトという少年に恋い焦がれているのだと。
もちろん、鈍感大魔王であるハヤトにそれを勘付く術はない。この想いはシルビーの内側で独占されていた。
「おい、シルビー。余った皿って何処にしまえばいいんだっけ?」
「あ、それなら――」
ウキウキしていたせいで周りが見えていなかったのだろう。突然呼び止められたシルビーが振り返ると、すぐ目の間にハヤトが立っていて、ゴフッとハヤトの胸に顔をくっつけてしまった。
自分が何をしてしまったのか理解して驚いたのと、急に体を離そうとした反動で尻もちを着いてしまったシルビーにハヤトが何をやっているんだと手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
「あ、う、うん! 大丈夫!」
ハヤトの手を取って立ち上がると、余った皿のしまう場所を教えるシルビー。ハヤトは礼を言って片付けの大詰めを始めた。
その角で、シルビーがハヤトの手を握った感触に頬を緩めていることも知らずに――。




